第六話 一〇〇パーセント処女(バージン)

「ようやく来たか」


 部屋の中心にある手術台に一人の男が座っていた。黒髪で日本人であろう容姿ではあるが、眼鏡の奥の目が赤く光り輝いており……どう控えめに見ても人間ではない。

 彼は白いスーツを着用しており、ビジネスマンのような外見をしている。指には……銀色の結婚指輪が嵌められているが、これは人間だった時の名残りだろうか? その男がこちらを見てニタリと笑う。


「んー、キミはサラリーマンか何かかな?」

 悠人さんがその男の風貌を見て緊張感なく問う。その問いにくすくす、と笑いを上げると男は馬鹿にしたような笑みを浮かべて男は答える。

「サラリーマンだった私は死んだよ。あの方にこの世の欺瞞を教えられて私は甦ったのだ、君たちの分類では私は何級かね」


 男が凶暴な笑いを浮かべると、口元に鋭い牙が見える。

 ああ、こいつは前世でも散々見た……吸血鬼ヴァンパイアだ。血を吸う悪鬼で始祖吸血鬼ヴァンパイアと呼ばれる親から人間を元に生み出され、自ら不死の化け物と化した命なき者だ。

 活動源として人間の血液を必要とし、童貞・処女以外は血を吸われると食屍鬼グールへと変化してしまう。

 食屍鬼グールに変化しなかったものは新たなる吸血鬼ヴァンパイアとして、血を吸った吸血鬼ヴァンパイアの従僕として蘇る。それを嫌がってわざわざ童貞は殺し、処女を強姦してから吸血するという吸血鬼ヴァンパイアすらいる。人間の敵、夜を歩く者ナイトストーカー、嫌悪するべき闇の住人。


「そうですね……まあ、二級降魔デーモン相当では? それとも貴方一人ですか? その、とかいう人はどこへ?」

 私の問いに答えようともせずに、むしろ私の体を値踏みするように上から下まで眺めてから、少し何かを嗅ぐような動作をする……その後欲望と侮蔑に満ちた眼差しを私に向ける眼鏡吸血鬼ヴァンパイア

「お前は処女バージンだな……新たなる吸血鬼ヴァンパイアを作るな、と命令されている。お前は私が満足するまで犯してから血を啜ってやろう。男は……そのまま食屍鬼グールに転生だ、喜ぶがいい」

 うっ……これだから吸血鬼ヴァンパイアってやつは……私は生理的嫌悪感丸出しの表情で一歩後退りする。


 匂いとか感覚で的確に相手がどのような状態であるかわかってしまうのだ。こいつらは自分たちが闇の貴族だとか、夜の貴族だとか宣うが実際はこういうデリカシーの無さが全面に出た連中なのだ。

 普通相手が処女バージンだとか、そうじゃないとか口に出さないだろう? 貴族って名乗ってるくせにこれだよ。

 そしてこの吸血鬼ヴァンパイアが放った私が処女バージン、という言葉ワードになぜか恐ろしく興奮して反応する男が横に立っていた。

「そうだ、灯ちゃんの初めては俺が予約してるからな、今は一〇〇パーセント処女バージンだぞ!」

 超自信満々に吸血鬼ヴァンパイアへ指を突きつけ、答える悠人さん。


 そしてその放たれた言葉を聞いて、思わず赤面して絶句する私……何を、何を言っているんだこのバカは、なんでお前が予約してることになっているんだ、ここに来てまで全力のセクハラなのか、お前は。

 悠人さんの馬鹿みたいな返答で寒い空気がその場に流れる……ああ、時が止まる。

 きょとんとした顔で悠人さんを眺めていた吸血鬼ヴァンパイアが、彼に馬鹿にされたと感じたのか牙を剥き出しにして怒り始める。


「人間風情が……人を超越した私をバカにするのか! 許さんぞ!」

 手術台から降りると全身に力を込める。めりめり、と音を立てて筋肉の鎧を纏うように全身が盛り上がっていく。吸血鬼ヴァンパイアの筋力は人のそれを遥かに凌駕する。拳一つで人間の頭くらいなら楽に吹き飛ばしてしまうだろう。

「……来ますよ」

「おう」


 ドン! と床を蹴る音とともに、吸血鬼ヴァンパイアの拳が先ほどまで私がいた床をカチ割る。私は柄に手をかけたまま大きくステップし、その攻撃を避ける。会話の途中でさっさと刀を抜いておけば良かった、と思いつつ着地する。そこへ吸血鬼ヴァンパイアの追撃が襲う。しかしその拳にいきなり炎がまとわりつき、異変に気がついた吸血鬼ヴァンパイアが慌てて距離を取る。


発火能力パイロキネシス? あの男か……だが」

 笑いながら、ふっと息を吹きかけると拳にまとわりついた炎が消滅する。

「俺の炎を消せるのか……」

 悠人さんが驚いたように吸血鬼ヴァンパイアを見る。その様子を見て吸血鬼ヴァンパイアが再び笑みを浮かべる。


「ああ、この炎は魔素を含んでいるな。それであれば私クラスの吸血鬼ヴァンパイアであれば十分消せる」

 んー……このタイプの吸血鬼ヴァンパイアは今世では初めてだな。前世の吸血鬼ヴァンパイアでも一部魔法を消失させる能力を持っていた個体がいたが、それに近いだろうか。ただ、それは始祖にかなり近い個体だったはず。この世界にも始祖吸血鬼ヴァンパイアがいる、ということなのだろうか?


「ふっ!」

 その間隙を縫って私は鯉口を切り、居合イアイによる斬撃を見舞う。

 この剣筋は前世で習得したミカガミ流……前世でノエル・ノーランドが極めた剣術であり、最強とまで謳われた無敵の剣術である。

 私は、圧倒的に高い身体能力で技巧に振り切った技を中心に使用しているが……その記憶の中にある技のキレや不思議な力などを使うにはまだ及んでいない。

「ミカガミ流……閃光センコウッ!」


 私の剣筋が見えない人には軽い金属音とともに相手がぶった斬られたように見えるであろう。しかし、眼鏡吸血鬼ヴァンパイアはその斬撃に合わせて瞬時に体を黒い霧のような状態にして斬撃をいなす。勢い余った斬撃が手術台とその後ろにある壁に大きな斬撃痕を刻み、床へと音を立てて崩れ落ちる。

「ずいぶんと手癖の悪い女子高生だ。……私でなければ死んでいたぞ?」


 ーードクン。

「そうですか、死ななくて残念です」

 私は刀を斜に構え、次の攻撃に備える。心臓が大きく鼓動する。

 こいつは久々に見た中々の強敵だ、そう感じると自然と私の顔に笑みが浮かぶ。前世で剣聖、という称号をもらってから今世に至るまであまり感じなかった心地よい緊張感が私の心を包み込む。


 ーードクン。

 そうそう、戦いとはこういう緊張感が無くてはな、フフフ……。

 前世……剣聖ソードマスターノエルとしての意識が強く押し出される。全身の筋肉が骨が軋み音を上げる。抱えている魂の力に、現世の俺のか細い肉体が悲鳴をあげている。獰猛な笑みを浮かべた俺は相手を威圧するように一歩前に進む。

 いきなり俺の雰囲気が変わったことを察知したのか、吸血鬼ヴァンパイアの顔から笑みが消える。


「貴様……本当に人間か?」

 それには答えず、笑ったまま全力で床を蹴る。ズドン! という音とともに床が耐えられなかったようにひび割れ、俺は一瞬で吸血鬼ヴァンパイアの眼前に迫り……目測を誤って近づき過ぎたために刀が振るえず、内心舌打ちをしながら仕方なく、体を回転させ刀を持っていない腕で肘打ちを叩き込む。

「ぐっ……あぁああっ!? わ、私の腕がぁあっ!」


 吸血鬼ヴァンパイアが肘打ちを腕で防ぐが、俺の腕力の前に腕が耐えきれずにへし折れ、悲鳴をあげる。

 ああ、この体はな、全く。もう少し筋肉がつかないとな。

 慌てて飛び退く眼鏡吸血鬼ヴァンパイアの挙動に合わせて、悠人さんが炎を叩き込む。

「灯ちゃん!」


 しかし動く目標への発火は難しいらしく、空間に次々と炎が爆発するだけで眼鏡吸血鬼ヴァンパイアに直撃しない。

 着地地点を見計らって高速で距離を詰めた俺は斬撃を繰り出す。その攻撃を読んでいたようで、黒い霧と化して斬撃をいなす。しかし霧状になった吸血鬼ヴァンパイアは必ず元に戻らなければいけない。

 つまり、一撃ではなく……圧倒的な手数で押し切ればいい。


「ミカガミ流……紫雲英レンゲ!!」

 紫雲英レンゲはその名の通り、紫雲英の花弁の如く前方へ超高速の連撃を繰り出す技で、前世ではドラゴン巨人ジャイアント相手に使った大技だ。連撃は黒い霧の背後にある手術台をどんどん細切れへと変えていく。

「さあ、早く戻れよ、死んでしまうかもしれないけどね」

 凶暴な笑みを浮かべたまま、超高速の斬撃を繰り出していく俺……吸血鬼ヴァンパイアは黒い霧のままじっと耐えているがもう時間の問題だろう。


 基本的に吸血鬼ヴァンパイアは長時間霧のままでいることはできない。彼らが使う肉体を霧にする技術というのは、魔素を使って一時的に肉体を構成している分子を霧へと置き換えているからだ。

 もし魔素が切れたら? 肉体を再構成して元に戻るしかない。前世のような魔素に溢れた世界であれば、そうだな……一時間程度霧のまま行動できただろうが、残念ながらこの世界では持って一分。


 この世界は絶対的に魔素が足りない……これはこの世界のことわり


「あっ……あ、う、うぎゃああああああああ!」

 予想通り、吸血鬼ヴァンパイアは徐々に実体を取り戻していく。俺の斬撃は実体化していく端から端までどんどん叩き込まれていく。血飛沫をあげて苦しみながら実態へと変化していく吸血鬼ヴァンパイア

 ほとんど拷問に近い攻撃で、実体化するたびに腕や脚が吹き飛んでいく。苦悶の表情を上げ、涙を流しながらビクビクと震えて苦しむ吸血鬼ヴァンパイア

「やめて! よして! 痛い! やめて! よして! 痛い!」


「そうやって命乞いをした人を、お前は助けたか? 笑いながら殺したのだろう? だからお前は絶望に包まれて死ね」

 俺は超高速の斬撃を眼鏡吸血鬼ヴァンパイアへと叩き込み、ほぼ首から上以外の肉体を細切れにした。だが、吸血鬼ヴァンパイアというやつは、この状態からでも時間をかければ復活できる。

 だからここでさっきからドン引きした表情を浮かべている男の力が必要になる……俺は彼の方向を見ずに、細切れの吸血鬼ヴァンパイアを指差して、一言だけ伝えた。


「燃やしてくれ」

 俺の指示で、お、おうと返事をした悠人さんが発火能力で吸血鬼ヴァンパイアに放火する。おそらく発火を無効化したのは、息を吹きかけるなどの動作が必要だったのだろう。パチパチと音を上げながら、眼鏡吸血鬼ヴァンパイアが絶命していく。


 俺は……いや……冷静になろう。顔に手を当てて深呼吸ひとつ、剣聖ソードマスターノエルの意識を引っ込める。刀を鞘に収め……もう一度深呼吸をして心を落ち着け、昂る心を抑えていく。

 獰猛な猛る魂は次第にその炎を小さくしていき……ゆっくりと目を閉じるように眠りについていく。そう、こうやって魂を入れ替えれば……俺は、私に戻れる。

 何度か深呼吸をした私は、悠人さんに向き直ると可憐な少女の表情で微笑んだ。


「さあ、帰りましょうか。私ちょっとお腹すいちゃいました」

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