第21話 気楽ちゃん③
殆ど動かない私の脚の代わりはいつも姉だった。
嫌な顔一つも見た事が無い。
曲げられない背中を押してくれるのは父だった。
お転婆なワガママも必ず叶えてくれた。
今にも消えそうな身体を守ってくれるの母だった。
常に母の胎内に居るような安心感があった。
そして後に生まれる妹、彼女が私の人生を変える。
3歳とはいえ生きる事で精一杯だった私に日常生活は訓練しているに等しい行為だった。
話す事は出来るが、声帯が弱い為、思う様に話せなかったし、すぐに声は枯れた。
口からの呼吸によるウイルスやハウスダストの吸収も馬鹿にはならないので、常に人口呼吸器の様なモノを付けて話していた。
それでも植物の様に生きていた自分に対しての無力感と目標を持たないで生きる事への絶望感は私に誰よりも生への執着を染みつけた。
筋肉量が3分の1しか無いのなら3倍身体を鍛えれば良いし、自分の限界ギリギリの生活を徐々に増やして良ければ良いのだ。
満身創痍が平常運転の人生は永く苦しかった。
誰のせいにも出来ないし、誰を恨むことも出来ないが私は出来ない自分を恨むしかなかった。
トイレもまともに出来ず、階段なんて上る事も出来ない。誰かによじ登ったり、外を歩くことはこれから先、達成したい課題だ。
元々3歳児はそんなに体力がある訳ではない。ちょっと動いたり、泣いたりすれば疲れて眠ってしまうものだ。
一日に私は一つの事しか出来なかった。
トイレトレーニングをしたらその日は眠る。お風呂で髪の毛を洗う練習をしたらその日は眠る。教育番組や国民的な某朝食顔のアニメを見たら眠る。
仕方のない事なのだ。そう思うしか無かった。自分は精一杯の努力を重ねている。
それでも三歳児にその生活は割り切れなかった。外で楽しそうに遊んでいる子供達を見て母を傷つけてしまった。何故自分は外で遊べないんだろう。
「強い身体に産んであげられなくてごめんね」と涙しながら母は私を優しく抱きしめてくれた。
幼い私にその涙の理由は分からない。
病院には定期的に通っていた。病院が嫌いだった。
行く度に新たな問題が見つかった。
皮膚が弱いので乾燥させたりせず、日光も一日一時間しか浴びてはいけない。骨の骨密度が全く増えておらず赤ん坊のままの身体で身長が大きくなっているので常に骨折や捻挫の恐れがあった。
役に立たなくなった血を交換する必要があった。健康な人間の血を私に入れる事で身体に足りない栄養素を補充するのだ。
自分で自分の身体のルールが分からなくなるほどに制約が増えていく。
両親は医者の言う事を一言一句違わずに遂行し、してはいけない事、これから起こるかもしれない危険予測を何時間もかけて相談していた。医者が出す定期的な提案の入院という言葉に抗っていたのだ。
自分達だけでやってみせる、少しでも、狭くても何かを感じる事の出来る機会を多くしてあげたい。
私自身もベッドという鉢植えに管で繋がれて栄養を送られる日々は嫌だった。嫌だというよりも、情けなかった。
そうやって何とか生かされている自分が如何に小さく惨めな生き物だと実感させられるのは何よりの苦痛だった。
家族は私の為に生きていた。自分が重荷になっている。そんな事は分かっているが、私にはどうしようもない。
助けを求めた事は一度も無かった。せめて自分だけのエゴは彼らの人生に与えたくない。
助けを求める事がエゴだと思っていた。生かされている自分が更に望みを言う権利は無いと。
順調に見えた日々は終わる。心臓が不定期に鐘を鳴らしている。
気持ちが悪い。
血の巡りが悪くなったり、良くなったりするせいで、一動作毎に違和感しかない。
呼吸が首を絞められている様に断続的になる。まるで不良品の酸素ボンベを担ぎながら深海を泳がされている様だった。いつ止まるのか、どこに向かえばいいのか、何故ここに居るのか。
頭が痛い。頭を角にぶつけたような瞬間の痛みが内側からずっと続いている。耐えられない。
助けは求めたくは無かったが姉が母を呼ぶ。母が病院と父に取り乱しながら電話をする。
気絶したくても痛みで出来ない私の傍らで母と姉が私の手を取る。
少しでも和らぐように。母は泣いている。
親不孝が涙の数だとしたら大不孝モノだろう。
涙を見たくない私は目を閉じで寝たふりをする。
このまま目を開けたくない気持ちが出て来て少し後悔した。
病院に着くと私にはまた植物のような暮らしが待っていたが、何とか事なきを得た。
担当医に父と母が呼ばれる。
「お子さんの容態ですが、ハッキリ申しますが非常に良くありません」
覚悟を決めた顔が見据えてくる。
「先生。あの子は助かったんですよね。」
父が大きな声で投げかける。
「今回助かったのは奇跡としか言いようがありません。奇跡は何度も起こるものでもありません。私共も人事を尽くしますがその時が来る事を覚悟してください」
母が崩れ落ちる。
「あぁそんな、どうして、上手くいってたのに」
父が母を抱き寄せ
「あの子はどうなるんですか先生」
今にも泣きそうな声で尋ねる
「今すぐ死んでもおかしくないような事が3つ同時に起きている。そしてこれらは慢性的に彼女を苦しめるだろうし、内臓への新しい障害が見つかっています。申し訳ありませんがこの病気は前代未聞の症例でして手探りでしか治療が出来ません。良くなっている様に見えましたが、着実に悪化しています。」
「助けてください。先生あの子はまだ3歳なんだ」
父が身震いしながら懇願する。
「手は尽くしますがこれだけは言っておきます。いつ死んでもおかしくありません。それだけは覚悟してください」
突然の死刑宣告の予感はしていたし決意はしていた。
しかし理解していなかった。これが覚悟という事なのか。
「私からの提案なのですが・・・」
「はい」
「東京にはゴッドハンドと呼ばれる医者達が居ます。そこにあの子を連れていくべきです。ここで出来る事はもうありません」
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