第2話:昼休みの侵略(後)

とうとう昼休みが来た。僕は席を立ち、わが友である新橋の元へソロソロと歩み寄る。


「購買行くか」

「いいけど、大丈夫なのか」


つい先日の惨劇を憂慮してか、新橋が時計を見上げながら呟いた。時刻は既に昼休みに突入してから3分後を示している。今から購買に行っては先日の二の舞になるのではと彼は心配しているのだろう。


購買の込み具合は、昼休みに入ってから3~5分後にピークに達する。そのため普段僕と新橋はチャイムが鳴ってすぐに購買に飛び込むようにしているのだが、教師によっては長々と授業を延長しやがるためそうはいかない時がある。今日などは正にそういう日だ。


今から購買に行って戻ってくるのには、どう見積もっても5分以上かかる。そうすると、また例の女子グループに席を占拠されてしまうのではと新橋は予想しているのだ。そして恐らく、その想定は当たっている。


「問題ない。既に対策は打っている」


僕はニヤリと笑い、新橋から僕の席が見えるように体を逸らした。新橋は目を細め、その変容ぶりに眉を顰める。


「何だあれ、漫画雑誌に……? 何かお前のイス黒くね?」

「フフフ……そうだ、あの席はもはや僕色にコーディネートされている」


机の上には今朝飼ってきたヤン〇ガを配置しさりげなく存在感をアピール。さらには家から持ってきた漆黒の起毛クッションと背もたれをイスに装着することで、専有感を演出することに僕は成功していた。


「あれだけ『僕専用』に染め上げた席に座ろうなどという酔狂な奴はそうそういないだろう。かくして僕の高校生活の平穏は守られたという訳さ」

「ていうか、普通に荷物とかをイスや机に置いておけばいいのでは」

「チッチッチ」


新橋が何ともずれたことを言うもんだから、僕はふんぞり返って彼へ講釈してやる。我々「日陰者」が守らなくてはならない鉄の掟についてだ。


「そんなことしちゃあダメだ。そんなことしたらあからさま過ぎて奴らの怒りに触れてしまうじゃないか。僕らのようなか弱き存在は常に奴らから迫害の対象とみなされる危険性があるということを忘れるな。それはもう一瞬のことなんだ」

「そんな悪い奴らじゃないと思うんだがなあ」

「新橋、お前ももう奴らの毒牙に……」

「大げさだって修一は」


まだぶつくさと何か言っている新橋の背を押して、僕たちは悠々と教室を出た。混雑に巻き込まれるのは嫌だが、ピークを過ぎて落ち着いて買い物ができる頃にはもう碌な物が残っていないのが購買のジレンマだ。


だから、僕の心配事は既に良い商品がまだ残っているかどうかということにすっかりシフトしてしまっていた。まさか、あんな事態になるとは思いもせずに。





「だからぁ、常盤ときわは読み方がひねくれ過ぎなんだって。もっと普通に楽しもうよ」

「いやいやいや、どう考えたってこんなの引き延ばしやって。百恵ももえは純真でいいねえ」

朝陽あさひ、その唐揚げちょうだい」

「ええっ、もう……パン飽きたなら弁当作ってもらえよ」


そこに広がっていたのは、つい先日と全く同じ絶望の風景。奴らはごく当たり前のことのように、無慈悲にも僕の席を侵略していたのだ。


「な……なぜ、どうして」

「あちゃ~」


ショックのあまり、手に持っていたツナマヨパンとツナマヨおにぎりをボトリと落としてしまう。やはり僕の背中越しに状況を確認した新橋は、地面に落ちたパンとおにぎりを拾い集めると、不憫そうな表情を浮かべて僕に手渡した。


「作戦ならず……てかヤン〇ガめちゃくちゃ回し読みされてるじゃん」

「一体どういうことなんだ……?」

若狭わかささん、漫画好きだったんだな。なんか意外っていうか」

「そういうことじゃないだろ……?」


漫画好きだったなら、他人の机に置いてあった漫画を勝手に呼んでいいのか? そんな訳無いよな?


見よ、若狭百恵を。僕色に染め上げた漆黒のイスにずっしりと体を沈めて、ひざを組みながら漫画雑誌を読みふける姿などはまさしく「我が物顔」だ。まさかあの席が彼女自身の物でないなどと一体誰が予想できるだろうか。


ひょっとして彼女は、この世に存在するありとあらゆるものが自分のためにあって、自分の好きに扱っていいなどとでも思いあがっているのでは?


……裏のある女だろうとは思っていたが、まさかこれほどまでだったとは。僕は今ハッキリと、この教室に蔓延る「邪悪」というものを確認することができた。それは若狭百恵と、奴を取り巻く女子グループで間違いない。


さながら暴君が如き若狭百恵から平穏な高校生活を守るための聖戦が、今まさに僕の中で始まったのである。僕は決意を込めて、二度と敵を間違うまいという強い意志を持って。若狭百恵の姿をはっきりと視界に収める。


その瞬間、ばっちり若狭百恵と目が合ってしまい慌てて視界を逸らす。目を逸らす寸前、奴が立ち上がるのが視界の端で見えてしまった。


「げっ……」

「どうした修一。おい、若狭さんが来るぞ」


やばい、やばいやばいやばい。心臓がバクバクと鳴って鳴り止まない。


バレたか? 察知されたしまったのか? 僕の敵意が、反抗の意思が。もしそうなったら……。


『あのさ、キモイんだけど何か文句あるの』

『ねえねえ、何なのあれ、キミやばくない?』


嫌な光景が頭の中で展開される。始まってしまうのか、糾弾され、虐げられ、嘲笑されるあの日々が。


ああ、こんなことになるならもう最初から……。


「ねえ、小瀬こぜ君」


声を掛けられ、恐る恐る顔を上げる。こちらを見下ろす丸々とした両の目に捉えられて、目をはなすことができない。


「あ……ぅ」


声が出せない。女子に正面から見下ろされているという状況が、僕を限りなく臆病にさせる。次の瞬間にはその目が細く研ぎ澄まされ、僕を糾弾し始めるのではという恐ればかりが頭に浮かぶ。


「はいこれ」

「え……」


トン、と押される感覚。若狭百恵は、その手に持っていた漫画雑誌を僕の胸に押し付けるように手渡すと、二ッと口端を持ち上げ白い歯を覗かせ言った。


「小瀬君って、めちゃくちゃ優しいね!」

「は?」


言われている意味が分からず、すぐ横の新橋と口をそろえて間の抜けた声を上げてしまう。それでも全く意に介していないように、彼女はワタワタと興奮気味に僕や、漫画雑誌や、僕の席を指差した。


「だってさ、席を空けてくれるだけでも優しいのに。漫画用意してくれるしイスもふわふわだし、おもてなし精神が凄くてびっくりしちゃった」

「……」

「あ、お返しにチョコあげる。待ってて」


若狭百恵はドタドタと元の席(僕の席)に戻ると、弁当箱からお菓子の袋を取り出し、またドタドタこちらへと戻ってきた。ハアハアと息を切らしながら、新橋の机の上に二つ個包装のチョコを置く。


「じゃあね」


そう言って、また元の席(僕の席)に帰っていった。


机の上に置かれた、それぞれピンクと黄色のラッピングを眺めながら、僕の頭の中には様々な感情が渦巻いていた。


その僕の内心を代弁するかのように、ポツリと新橋が呟いた。


「若狭さんって……すげえ天然なんだな」


いや、いや、違う。僕は断じてそんな風には考えていない。


アイツのあれは、全て演技なんだ。全てが計算の上なんだ。第一、僕が席を奪われているという事実は何一つ変わってはいないじゃないか。


だから、若狭百恵は僕の敵なのだ。


「修一、好きな方取っていいぞ」


そう言われ僕は、迷うことなく黄色のラッピングを取り、その中身をほおばった。黄色は警戒の色。僕の心を正しく表した色と言える。


それは、食前の口に入れてしまったことを後悔するほどに甘かった。

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