3


 倒れた女はやはり辞めたようで、翌日には現れなかった。代わりにと現れたのは、一人の青年であった。

 私はまたか、と思うだけで、それ以上の感情は湧かなかった。

 いくら男とはいえ、私の奇行を前にして堂々としていられるものなのか。またすぐに逃げ出すのではないだろうか。私は半ば諦めていた。

 今日から身の回りの世話をすることになった、関崎という青年は見るからにして大人しそうな男だった。歳はまだ二十代前半ぐらいで、貧弱そうな細身の体型だ。固く閉ざされている唇や、こちらを見つめる一重の目はどこか緊張を孕んでいた。

 まだ若いというのに、こんな偏屈な男の元によこされたのは不幸としか言いようがないだろう。

 私は初対面にして「辞めたければ、いつでも辞めていいから」と言ってやった。

 彼は何度か瞬きをした後、「どうぞ、使ってやってください」と頭を下げてきた。

 私の身の回りの世話と言っても、私が死なないかどうか見守るだけだ。簡単な話、私は滅多に部屋から出なければ、トイレも風呂だって自分で用足りる。

 ピアノを弾く、という行為さえしなければ、私の指が痛むことはないのだから。そのことが私を余計に惨めにさせていた。全てが出来ない方がまだ、私の中でも諦めが付く。それなのに奪われたのが、命にも代えがたいピアノだけというのが、どうにも解せなかった。

「お食事の時間です」

 執事が部屋をノックし、入ってくる。カートに乗せられた食事を受け取った関崎が、ベッドの近くにあるテーブルに並べていく。

 どこか拙い動きなのは、こういったことに慣れていないのだろう。ならばどうして、この青年がここへ来たのかと疑問が掠める。だが、そんなことを考えても詮無いことで、私は聞くことはしなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る