2ー6

「……エリちゃん」


 ぽつりと言ったのは萌だった。沈痛な表情を浮かべながら立ち上がり、恵里の方に近づいていくと、その肩にそっと片手を乗せる。


「エリちゃん、ごめんね……。萌、エリちゃんがそんな気持ちだったなんて全然知らなかった……。萌、エリちゃんが好きでパンク系のカッコしてるんだとばっかり……」


「……しょうがないじゃん。あたしはこういう格好しかできないんだから」恵里がふっと笑みを浮かべた。


「あんたはいいよね。そういうゆるふわ系の服着ても似合ってるし、ぶりっ子しても可愛いって言ってもらえるんだから。あたしが同じことしてみなよ? 熱あるのかって疑われるよ?」


「そうだけど……。でもね、萌もエリちゃんのこと羨ましかったんだよ?」萌が瞳に涙を溜めながら言った。


「エリちゃんっていっつもクールで、1人で何でもできちゃうじゃん? 萌はバカだから、人に助けてもらわないと何にもできないし……。だからみんなに可愛がってもらえるように頑張ってたんだ。でもホントは……エリちゃんみたいにカッコいい女の子になれたらいいなって、ずっと思ってたんだ」


「萌……」


 恵里が感極まった表情になり、2人はそのままひしと抱き合った。突如として芽生えた友情を前に、野菜トリオが感動して涙を流し始める。


「いやぁ美しいですねぇ」茉奈香が感嘆の息を漏らした。


「いがみ合っていた2人が、事件を経て親の友となる……。こういう場面を見られればこそ、名探偵をしている甲斐があるというものです」


「はぁ……よくわかんねぇけど、第2の事件は解決したのか?」島田が尋ねた。


「メイド服を隠したのは恵里ちゃんで、動機は自分が甘フリ系のファッションが好きなことを隠すため。何とも可愛い事件だったね」


 由佳が言い、手帳の上部に「メイド服遺棄事件」とタイトルを書いた。いずれ本の題材にでもするつもりだろうか。


「はぁ。でも結局俺の卒論は見つかってないし、このまま調査は打ち切りかな……」


 島田ががっくりと肩を落としたが、そこで恵里がはたと顔を上げた。


「卒論? 島田先輩、卒論なくしたんですか?」


「うん。朝からずっと探してるんだけど、遠回りばっかりして全然見つかってないんだ」


 島田がしょぼくれながら言った。だが、次の恵里の言葉が爆弾を投下することになった。


「あたし、それなら見ましたよ?」


「え!?」


 島田ががばりと顔を上げた。茉奈香と由佳も思わず恵里の方に首を突き出す。


「ど、どこに!? どこにあったんだよ俺の卒論!?」島田があたふたと尋ねた。


「教室ですよ。あたし、昨日の3限から語学の授業で、テストだったから早めに行ったんですけど、机の中に島田先輩の卒論置いてましたよ」


「え、机!? あれ、おかしいな。俺、確かに鞄に入れたはずなんだけど……」


「でも実際机にありましたよ。先輩、忘れて帰っちゃんじゃないですか?」


 島田は腕組みをしてしばらく頭を捻っていたが、やがて何かを思い出したようにはっと顔を上げた。


「……そういえば、卒論鞄にしまおうとした時にちょうど携帯に着信あって、一旦卒論机の中に入れたんだ。で、5分くらい喋ってから切って、そのまま教室出て……」


「……要するに、あんたの盛大な勘違いに、あたし達みんな振り回されたってことね」


 由佳が心底呆れ果てた顔でため息をついた。今回の事件の発端は、島田が『卒論を鞄に入れて教室から出た」と言い張ったことにある。だからゼミ終了後に彼と一緒にいた野菜トリオに疑いが向くことになったのだが、何てことはない。そもそも前提が間違っていたのだ。


「……島田君、不確かな情報で調査を攪乱かくらんさせるのはいかがなものかと思うよ」


 茉奈香が蔑むような視線を島田にくれた。さすがの名探偵もご立腹らしい。島田が後頭部に手を当て、ははは、と渇いた笑い声を上げる。


「ま……まぁでも、これで事件は解決するしよかったじゃねぇか。まだ卒論教室にあるんだろ? だったら今から取りに行けば……」


「あ、教室にはもうないですよ、卒論」恵里があっさりと言った。


「え、どういうこと!?」島田が弾かれたように振り向いた。


「あたしが先輩の卒論見てたら、知らない若い先生が来たんです。前の授業の先生だったみたいで、教室に忘れ物したって言ってました。

 で、その先生があたしの持ってる卒論に気づいて、それ、自分のゼミ生のだから預かっとくって言ったんです」


「それ、もしかして西島先生のことか?」


「あ、確かそんな名前でした。あたしが島田先輩の後輩だって言ったら、もし先輩に会ったら、卒論預かってること伝えといてくれって言われてたんですけど、今まで完全に忘れてました。すいません」


 恵里がぺこりと頭を下げた。この騒動に巻き込まれては忘れるのも無理はないだろう。


「つまり……島田君の卒論は、西島先生のところにあるってこと?」


 茉奈香が言った。散々探し回った挙句、提出すべき教授の手元にあったとは、何という無駄足を踏まされたのだろう。


「……先生に連絡してみる」


 突き刺すような茉奈香と由佳の視線を避けるようにしながら、島田が部室を出て行った。


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