【短編】妹のせいで婚約破棄された聖女。二度目の人生は王子の愛娘でした!

上下左右

前編

 王宮の外れ。誰も近寄ろうとしない隔離棟の一室は、薬品の匂いで満ちていた。真っ白な室内のベッドで、若い男が眠っている。


 黄金を溶かしたような金髪と、澄んだ空のような青い瞳、端正な顔立ちは彫刻のように美しい。


 彼の名はウィル。かつて王国の宝と称された、この国の第一王子である。


「ゴホッ、ゴホッ」


 ウィルは咳き込む。宝と称されたのは過去の話。現在の彼は病に侵され、身体が瘦せ細っていた。王族としての覇気はなく、ただただ縋るように、世話をしてくれる唯一の女性に目を向ける。


「大丈夫ですか、ウィル様!?」

「大丈夫だとも。それよりマリアにはいつも世話になるね」

「気にしないでください。私はあなたの婚約者なのですから」


 病気のウィルを甲斐甲斐しく世話をする少女の名はマリア。王国の聖女であり、彼と将来を誓い合った仲である。


 輝くような銀髪と燃えるような赤い瞳は、優しげな容貌と合わさり、まるで絵画から飛び出してきた天使のように美しい。ウィルの介護を始める前は、貴族たちから婚約の申し込みが後を絶たなかったほどだ。


「でも君は僕の世話に付きっきりだ」

「私が好きでしていることですから」

「しかし……」

「それに私がいないとウィル様も寂しいでしょう?」

「それはまぁ」

「なら一緒にいましょう。ね♪」


 ウィルの病気は人から人へ感染する。だが聖女は女神から加護を受けているため、病気に対する耐性があった。マリアだけが彼の唯一の話し相手だった。


「病気が治れば、君に迷惑をかけることもないのに……」

「治りますよ。いいえ、私が回復魔法の腕を上げて、必ず治してみせます」

「マリア……」

「そのためにもご飯にしましょう。お腹いっぱいになれば、元気もでます」


 食堂から運んできた粥を掬い上げ、ウィルの口元に運ぶ。彼はゆっくりと口を開けて、粥を飲み込んだ。


 病によって両手両足を満足に動かすことのできない彼は、食事をするのもマリアの世話頼りだった。


 情けなさと申し訳なさで、目尻から涙が溢れる。


「……っ……す、すまない……」

「泣かないでください。ウィル様が謝る理由なんて、何一つないのですから」

「で、でも、僕のせいで、王宮で腫れ物扱いされているのだろ?」


 理屈では聖女が加護で守られていると知っていても、感染の恐怖を拭いきれない。王宮の者たちはマリアを恐れ、距離を取っていた。


「私はウィル様さえいてくれれば、他の人から嫌われてもへっちゃらですから」

「どうしてそんなに僕のことを……」

「愛していますから。尽くす理由なんて、そんなものですよ♪」


 利害抜きの献身に、ウィルの涙は止まらない。同時に彼は心に誓う。


「もし僕の病気が治れば、絶対に君を幸せにするから!」

「ふふふ、その日が来るのを楽しみにしていますね♪」


 二人が約束を結んでから、三年の時を経た。マリアの献身的な介護と回復魔法の会得により、彼は病気から快復した。


 女性なら誰もが憧れる理想の王子へと成長したウィルは、家臣たちの集まる王の間にマリアを呼び出す。


 婚約者から正式な妃になる日がやってきたのだと、彼女の足取りは軽い。だが顔を合わせたウィルの瞳は凍えるように冷たかった。


「マリア、君に頼みがある」

「なんでしょうか?」

「婚約を破棄し、二度と僕の前に顔を見せないでくれ」

「え……」


 マリアが最初に疑ったのは自分の耳だった。


「あ、あの、どうやら、私、聞き逃したようで……」

「ならもう一度伝えてやる。僕の前から消えろ。二度と顔を見せるな」

「――――ッ」


 聞き間違いではなかった。ウィルは冷酷な態度で、婚約破棄を突きつけていた。助けを求めるように周囲を見渡すが、家臣たちは既に知っていた話なのか嘲笑を浮かべている。


「ほ、本気なのですね……」

「ああ」

「……っ……あ、あの……わ、私に至らない部分があれば直します。きっとあなたに相応しい女になりますから……だから傍にいてください……私にはあなたしかいないんです……」


 マリアもかつては信頼できる友人や家族がいた。だがウィルからの感染症を恐れた彼らは、皆、彼女の元を離れていった。


 すべてを犠牲にして尽くしてきたのだ。ウィルに捨てられては、残るモノが何もない。縋るような眼を向けるも、彼の瞳に浮かぶ感情は、邪魔なモノを切り捨てる冷酷さだけだった。


「お姉様、往生際が悪いですわよ」

「キャロル……どうしてあなたが?」

「お姉様の代わりに、私が王子様と結婚するからですわ」

「え?」


 マリアと瓜二つの双子の妹――キャロルが、ニヤニヤと笑いながら、ウィルに寄り添う。マリアと同じ銀髪と赤い瞳だが、受ける印象は大きく異なる。御伽噺に出てくる堕天使や子悪魔のような暗い美貌の持ち主だった。


「どうしてキャロルと……」

「そんなの決まっていますわ。私の方が愛いらしいからですわ」

「で、でも、私とウィル様は将来を誓い合った仲です!」

「口約束を本気にしたお姉様が馬鹿なだけですわ」

「そ、そんなの……」


 あまりに理不尽な物言いだ。キャロルに怒りを込めた視線を向けると、ウィルが庇うように前へ出た。


「君を幸せにする約束なら果たそう」

「ウィル様、私の想いが通じたのですね?」

「金貨千枚でどうだ?」

「え、金貨……」

「足りないか。なら一万枚に増やそう。これなら幸せになるために十分な額だろ?」

「…………」


 言葉が喉に詰まって出てこない。ただ一つだけ分かったことがある。彼との愛は失なわれたのだ。


 耐えられなくなったマリアは王の間を飛び出す。赤絨毯が敷かれた廊下を走りながら、目尻から涙を零す。


「……っ……ずっと尽くしてきたのに……こんなの酷すぎます……」


 ウィルが王子だからでも、顔が整っているからでもない。心の底から愛していたから、すべてを捧げてきたのだ。


「私が生きている意味なんて……」


 階段を駆け下りる。一刻も早く王宮から離れたいと、その足取りはいつもより速い。焦りが最悪の結果をもたらした。


「あ……」


 階段から足を踏み外す。浮遊感を覚えながら、マリアは死を覚悟する。


(ウィル様、私が死んだら泣いてくれるかな……)


 ウィルとの記憶を走馬燈のように思い出しながら、彼女は痛みを覚える。薄れていく意識の中で彼の声を聞くのだった。

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