第12話 初めての授業

 1限目の授業は東校舎の3階、午前8時30分から受けることになっていた。セリナ達は時間割が記載された表を手に取り、教室の番号を確認し中に入った。


 『東校舎3階の303号室』、念願のエルグランド魔導学園初の授業をこの教室で受けることになった。記念すべき1回目の授業は『基礎魔術Ⅰ』という科目だ。まさに魔導学園の新入生のデビュー科目として相応しい名前だった。


 既に朝食を済ませていたオルハは先に教室の席に座っていた。それを確認したセリナ達もドキドキしながらオルハの隣に座った。


「あぁ、緊張するね。いよいよ初授業か……」


「ちゃんと、魔導書持ってきた?」


「大丈夫よ!」


「これで、封印の呪文もやっと解除できるね」


 この授業では入学前に既に届けられた魔導書、それを初めて開くことにもなる。一般の場で使用することが禁止されているほど危険な魔術の記載もあり、封印の術も施されていたが、それがようやく解除される。


 その初めてとなる授業を担当するのは、やはり担任のアグネスだった。入学式に来ていた派手な赤いローブは来ておらず、上着は質素な灰色の外套を羽織り、その下には白い無地の長袖、そしてこれまた同じ無地で茶色のズボンを履いていた。なんというか見た目は教師っぽい格好をしていなかった。


(あれ戦闘用の服かなぁ、にしても地味……)


そのアグネスが教壇の上に立ち、入学式初日に見せたのと同じような鋭い眼光で生徒達を眺めた。


「ふみ、みなさん。初日から遅刻した生徒はいないようですね。まぁ当然ですが……」


 欠席者と遅刻者がいないことを確認し、そのまま鞄から魔導書を取り出した。生徒達の持っていたそれとは色が違って、全体的に濃い赤色を呈していた。


(うわぁ、すっごい色…)


 セリナも思わずその色に喰いついた。


「これは教師用の魔導書です。皆さんの所持しているのは生徒用、もちろん中身は多少違いますが、それを全て知る必要はありません」


 アグネスは淡々と説明し魔導書を教卓の上に置いた。


「では、これより1限目の授業『基礎魔術Ⅰ』を開始いたします。その前に…」


 アグネスは懐から魔導筆を取り出し、宙に浮かせたまま黒板に筆先を止めた。


「昨日、生徒寮でちょっとした諍いがあったようです」


 その言葉に思わずセリナとカティアとミリアとオルハの4人は、目を合わせた。


「風紀委員から聞きました。中級生の3名の女子生徒が新入生の規則違反に対して攻撃魔術を放ったそうですが、その直後に複数の新入生も現れたとか…」


 アグネスの声は静かだったが、トーンの低さとは裏腹に恐ろしい威圧感があった。


「心当たりがある生徒もいるようですね」


(うわぁ、しまった)


(やっぱ、バレてたか、どうしよう……)


 セリナ達の顔色が悪くなった、これからアグネスによる粛正が入るのかとビクビクしていた。


「生徒寮の広間を使う時間は厳守してください。中には容赦なく攻撃魔術で威嚇する中級生もいます」


 アグネスもモニカのことについては熟知していたようだ。


「さて昨日のことについての話は終わりにして、改めて授業に入りましょう」


(あれ、もういいの?)


 セリナ達は怒られなかったことについて驚きの色を隠せず、再度目を合わせた。カティアとミリアは思わず胸をなでおろした。


「みなさん、魔導筆もちゃんと持ってきましたか?」


 アグネスがさっき黒板に止めた魔導筆を再び手に持った。それは長さ15㎝ほどの木製の棒で、その棒の先端に淡い光に包まれたローソクの火のような形状の固体が刺さっていた。


 入学式初日にアグネスが黒板で、自分のフルネームをスラスラと記載した魔導筆だ。いよいよその魔導筆を始めて触り、文字を書くことが許された。


「この魔導筆は、選りすぐりの魔導士のみが触り使うことが許されています。身内に使う人がいる生徒は、実家で見たり触った経験もあるでしょう。しかし恐らく多くの生徒は実際使っても、何もできなかったという経験をしたはずです」


 生徒達は魔導筆を手に取りながら、先生の話を聞いた。


「正確に言えば、一つの魔導筆は使用する人物を一人だけに限定する魔術が施されています。これが【使用権排他(エクスクルーシブ)】の術です」


 アグネスが難しい言葉を使って説明した。それを聞いたミリアもよく分からない様子で、オルハにわかるよう解説を促した。


「簡単に言うと、ミリアの魔導筆はミリア以外の人が使うことはできないってことよ」


 その言葉を聞いてミリアも納得した。


 セリナは実家で暮らしてた時に祖父母と両親、そして訪れた人ほぼ全員が魔導筆を当たり前のように使っていたので、そのことについては熟知していた。


「今の説明、分からなかった人いる?」アグネスが全生徒に質問した。「もし分からなかったら、魔導書を読みなさい。魔導筆の章第1節にわかりやすく記載されています。間違ってもすぐにほかの生徒に聞かないこと、まずは自分で調べる、自分で考えるという癖をつけること! そうしないと本当に成長はしません」


 今の熱のこもった言葉を聞いて、ミリアはドキッとした。さっきオルハに質問したことを見透かされていたように感じた。


「いいですね、ミリア?」


「は、はい!」


 ミリアの予想は当たっていて、動揺を隠せなかった。伊達に魔導学園の担任を務めてはいない。その鋭い眼光はミリアとオルハのヒソヒソ話を逃さなかった。セリナとカティアもミリアを見ながら苦笑いした。


「先ほども言いましたが、この魔導筆は“筆”ということもあって、本来文字を書くために使う道具です」


 アグネスはそう言いつつ、入学式初日で見せた速筆を再び見せた。黒板には『本日の授業内容は魔導筆の使い方』と書かれた。


「もちろん魔術で宙に浮かすことも可能です」アグネスは魔導筆を手から放したが、それを黒板に筆先を止めたまま静止した。もちろん何かに固定されているわけではない。


「空中で光の文字を書くことも可能です。魔導筆の中に含まれる特殊な液体(インク)が、筆が動くごとに空中で文字の形となって静止します」


 そのまま浮遊させた魔導筆を空中でスラスラ動かし、言葉通り光る文字を記載した。生徒達はただその光景を見続けていた。しかもそれらは全て淀みない動きで、滑らかで繊細かつ無駄がなかった。セリナの心も魅了された。


「一流の魔導士を目指すにはまず速筆から!」という謎の合言葉をずっと子供の頃から聞かされていたセリナは、ここでやっとそれが理解できた。


(私もあんな風に速く動かせたら……)


「私からの見本は以上です。今度は自分達でやってみなさい」


 いきなりのアグネスからの無茶ぶりに、セリナ達も「嘘でしょ?」という表情だ。だがその指示を待っていたかのように、空中に文字をスラスラ書き始めた生徒もいた。


 真っ先に筆を動かしたのは、学年主席の一人ロゼッタだった。相変わらず人形の表情はそのままだが、その恐るべき速筆ぶりは全生徒の注目の的になっていた。もちろんフィガロも難なく動かしていた。


「ふむ、どうやら何名かの生徒は既に使用経験があるみたいですね」


 アグネスの言葉を聞いて、セリナも周囲を見ると、教室の至る所に光る文字が並んでいた。


(え、嘘でしょ?こんなに使ったことがある生徒がいるなんて……)


 セリナは心なしか少し悔しくなった。するとセリナの左隣に座っていたオルハの真上にも、やはり光る文字が書かれていた。オルハは当たり前のような表情をしながら、筆を空中で動かせていた。


「オルハ、凄すぎ!」


 ミリアは小声でべた褒めした。


 オルハ以外のセリナ達3人は、そもそも筆を手を触れず動かすことすらできない。


「何も難しいことはありません。あなた達の魔導筆は一番最初に触れた者を自身の所有者として認めます。そうすれば、後は静かに念じるだけで動かせるはずです。気を集中させなさい」


 アグネスの言葉はある魔術を使うよう意味付けられていたが、セリナに重く伸し掛かった。


(【不触動力(アンタッチムーブ)】って私苦手なんだよなあ、どうすればいいの……)


 【不触動力】とは文字通り物を触らずに動かす基本的な魔術だ。セリナが苦手とする術で、まだ手に持って文字を書くのがやっとだった。


「やった、できた!」


 カティアが叫んだ。カティアの真上には魔導筆が宙に浮き、不格好ながら光る文字が出来上がってきた。


「あ、できたかも?」


 今度はミリアの声が届いた。ミリアはカティアほどではないが、かろうじて宙に浮かしゆっくりとだか光る文字を書いた。4人の中でセリナだけが取り残された。


(なんで私だけ……?)


「セリナ、もっと集中しなさい!」


 たまらずアグネスの言葉が届いてきた。ほかの出来ていない生徒にもアグネスは叱咤した。


 「トール、あなたも無理に力まない!」


 アグネスが叱咤した生徒の中にはトールも含まれていた。セリナもその言葉を聞いて、思わず反応した。振り向くと自分の左後ろ、入学式初日に座った席順とほぼ同じ位置にトールは座っていた。


 やはりトールもセリナと同様、筆の扱いに苦戦していたようだった。自分と同じ「得意魔術はありません」と叫んだトールを、セリナはしっかり覚えていた。


 そんなトールの頑張りを見ると、セリナの中に謎の闘争心が芽生えた。「負けたくない!」と意気込んだ。


 しかし周りを見てみると、もう筆を宙に浮かせていない生徒の数の方が少なくなってきた。今度は焦りの感情も襲ってきた。


「セリナ、難しく考えないで。先生の言う通り気を集中させて、静かに……」


 オルハの何とも心優しいアドバイスが、セリナの心に響いた。セリナもそれを聞いてなんとか動揺を消すことができた。


(オルハの言う通り冷静になって。集中よ、集中……)


 セリナは姿勢を正し目を閉じて深呼吸した。そして再度目を開け、自分の目の前に置かれた魔導筆を見続け、ただ一心に気を溜めた。


 そして次の瞬間、ゆっくりとだがセリナの魔導筆が宙に浮き始めた。


「できた!」


 セリナは思わず叫んだ。【不触動力】が苦手とするだけに、浮いた時の喜びは計り知れなかいものがあった。


「セリナ、まだ文字が書けてないわ」


 カティアはたまらず次の課題を出した。


「あ、そうね……」


 だがセリナは宙に浮かせたままが精一杯なのか、筆がカタカタと震え始めた。アグネスはその震えを鋭く睨んだ。


(せめて、何か書かないと……)


 しかしその思いとは裏腹に、文字を書こうとした瞬間、筆が一直線に机に落ちてきた。


「あぁ……」


 セリナの悲痛な声が3人に届いた。


「惜しかったね、あとちょっと」


 それを見たアグネスは、手元にあった入学試験成績表のセリナのページを見ながら思った。


(不触動力、試験の成績通りやはり悪いわね)

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