私を弟子にしてください (1)

 ほんの僅かな木漏れ日だけが差し込む薄暗い森の中、華奢な影が小さな足音を立てて歩いていく。


「…嫌になるほど遠いわね」


 うんざりした様子で頭上を見上げたあと立ち止まり、ゆっくりと周囲を見渡す。

 だが視線の先の光景に変化はなく、延々と森が続いているだけだ。


「まぁ、微かに魔力が感じられるから方角は間違っていないはず」


 小さく息を吐くと、少女は再び前を向く。身長は150センチくらいだろうか。

 よく手入れされた白い肌、気の強そうなエメラルドグリーンの瞳。

 腰まで伸びたプラチナブロンドのまっすぐな髪が、歩く度さらりと揺れる。

 そして上質な布地で作られた淡いグリーンのシンプルな服を見れば、とてもこんな人気のない森の中を一人で歩いていいような身分ではないことがわかる。

 しかし少女は茶色のブーツが汚れるのも気にせず、それまでよりも少しだけ足を速める。


「森に入ってからもう2時間は経つのにまだ辿り着かないなんて…」


 少女は溜息を吐きながら、微かに流れてくる魔力を便りに進んでいく。

 この森は昔から最強の魔法使いが棲んでいると言われているが、決して森の外には出てこないため、用がある者は例え王であれ、自ら足を運ぶしかない。

 しかも魔法使いの元に辿り着くための道しるべは、目的地から微かに流れている魔力を辿る方法のみで、必然的に魔力の強い者しか辿り着く事はできないようになっていた。


「あと2年…。ようやくお父様から許可を貰えたけれど…時間はいくらあっても足りないわ」


 そう呟いた少女の脳裏に、先日見た試験の光景が甦る。

 この国の貴族は15歳になると国が定めた試験を受け、魔力の強さや属性を見極められる。

 それによって進む道は定められ、人生が決まる。そこに個人の意思はない。

 男性はその能力に応じた職が与えられ、女性は能力の相性がいい男性との婚約が整えられる。

 そうして、より能力の高い跡継ぎを生む事を望まれるのだ。

 少女---ローズ・ウェルズリーは現在13歳。試験を受けるまで2年しかない。

 そしてこのままでは侯爵令嬢である彼女が試験結果に異を唱える事などはできない。

 それを覆すために彼女はある決意をしていた。そしてその目的を果たすためには、この森の奥にいるはずの史上最強と言われる魔法使いに会わなくてはならない。


「大体試験で人生を決められるなんておかしいわ。私は絶対にそんなものには従わないんだから。そのためにも…」


 ローズは右手をぐっと握りしめると、立ち止まって空を見上げた。

 その直後…。


「何がなんでも弟子入りしてやるわ!」


 侯爵家の令嬢とは思えない声が森に響き渡った---。




                ◇◇◇◇◇




「ここまで辿り着いた根性は認めるけど、お断りよ」


 あれから更に1時間歩いてやっとの思いで辿り着いた屋敷だったが、来客用らしきサロンに通されるとすぐに、悠然とソファに腰かけていた人物がローズに冷たく言い放つ。

 妖艶な外見に良く似合った深紅のドレスと、ウェーブのかかった紫がかった黒のロングヘア。そして黒曜石のような黒い瞳は、既にローズの目的を見透かしているようだった。

 そんな人外ともいえる美しさは流石稀代の魔法使いというべきか。


「あの…まだ何も言ってませんけど…?」

「『弟子にしてください』でしょ?」


 そう言って軽く首を傾げると、胸元が大きく開いたドレスの上を髪が流れ落ちる。


「なんでわかったんですか!?」


 驚きを隠さず尋ねれば、相手は呆れたようにローズを見る。


「ここに来る人間の目的は2つ。私の力を利用したい人間か、世間知らずの弟子希望のどちらかしかいないからよ。そして私は弟子は取らないことにしているの。だからお断り」


 その返事から、ローズは目の前の相手が間違いなく自分が会いたかった魔法使いだと確信する。そうであれば、はいわかりましたと引くわけにはいかない。


「待ってください。どうして弟子を取らないんですか?」

「弟子にしたいほど能力のある人間になんて会ったことないからよ」


 意地悪く笑った彼女の馬鹿にしたような笑みが、ローズの負けず嫌いな性格を刺激する。そして彼女がそれ以上何かを言うより先に、ローズは自分の両手を胸の前で軽く合わせると、手のひらの中に現れた淡いローズ色の光の玉を天井に向かって投げつけた。

 すると光の玉は天井にぶつかると同時に弾け、光の粒が部屋の壁と床に広がっていくと、5秒ほどで部屋全体を淡いピンク色の光が覆った。


「へぇ…面白い事するわね」


 ローズの一連の動作を見ていた彼女がゆっくりと立ち上がると、部屋を覆った光をじっと見つめる。


「結界の張り方も面白いけど、私の屋敷内で魔法を完成させた人間も初めてね」


 そう、ローズはウェルズリー家の中でも一番強い魔力を持っている。それゆえに家族からも試験の結果を楽しみにされているのだ。魔力が強ければ王家に嫁ぐ事だってできる。

 だがそんな家族の期待には笑顔でこたえつつ、陰では自分を守るための結界魔法を中心に独学で練習してきたのだ。試験の結果に関係なく、自分の意に添わぬ相手を近づける気は毛頭ない。その結果、ローズは自分のいる閉じられた空間の形で結界を張る事ができるようになっていた。

 だがそれだけではダメなのだ。

 それがわかっているからこそ両親を説得し、自分の魔力を引き上げるための弟子入りをするためにここまでやってきたのだ。


「でも、まだまだね」


 綺麗に手入れされた爪の先が壁を軽くつつくと、あっという間に結界は弾けて消えてしまった。


「えぇ…仰る通りまだまだです。だから弟子にしてください。あなたのような…いえ、あなた以上の魔法使いになりたいんです!」

「随分と大きな口を叩くのね。でもどうしてそんなに弟子入りしたいの?あなたのような令嬢なら何不自由ない暮らしができるでしょうに」


 『令嬢』と呼ばれたことで、ローズは自分が名乗っていなかった事に気づくと、慌てて姿勢を正した。

 そして綺麗なお辞儀と共に、改めて自己紹介をする。


「ローズ・ウェルズリーです。突然の来訪をお詫びいたします」

「…ミシュレよ」


 彼女も名を名乗ってくれた事にローズがほっとしたような笑みを見せると、ミシュレは苦笑しながらソファに座りなおす。そしてローズにも座るよう促すと、もう一度問いかけた。


「なぜ弟子入りしたいの?」

「たかが試験で人生を決められるのが嫌だからです」


 きっぱりと告げられた理由に、ミシュレは内心で驚いていた。


(この国の貴族に生まれてそこに疑問を持つなんて珍しいわね)


 そこでふと気になる事でもあったのか、ローズに1つ質問をする。


「あなた、試験前って言ったわね。いくつなの?」

「13です」

「じゃあ、さっきの結界は『石』は使っていないのね?」

「はい」


 この国では15歳で試験を受けると、その際に自分と相性のいい石---主に宝石の種類を結果と共に伝えられる。

 日常で使われるような小さな魔法ならともかく、先ほど彼女が行った結界を張るといったような魔法を実行するには、自分と合った石を使わないと難しい。

 石があるからこそ、それを媒介として自分の魔力を最大限まで引き出す事ができるのだ。

 純粋に自分の魔力だけで結界を張ることができるというのは、かなり珍しい。


「あなたの魔力なら試験で王家に嫁ぐ、という結果が出てもおかしくないけど。それも嫌って事なのかしら?」


 貴族ならば王家に嫁ぐ事は決して嫌な事ではないはずだ。また例え嫌だったとしても、それを口にすることなど許されないはず…なのだが。


「嫌ですね!」


 きっぱりはっきり言い切ったローズにミシュレは思わず噴き出した。


「正直すぎるわよ」

「だって嫌なものは嫌なんです」

「恋愛結婚を夢見るお嬢様なの?」

「そんなんじゃありません。ただ…自分の人生は自分で決めたいだけです」


 試験後に試験官に渡される結果が書かれた紙には、既に自分の伴侶となる人の名前が記されていて、拒否は許されない。そして男性の場合は伴侶ではなく職業が記されており、それ以外の職業に就くことは許されない。


「そんなのバカげてます」


 真っすぐに自分を見てそう言ったローズに好感は抱くものの、やはりそう簡単に弟子にする気にはなれなかった。


(でも面白そう…ではあるかしら)


 少なくとも今までにはないタイプの人間だし、ここ最近退屈していたのも確かだ。


「そうねぇ…私の弟子にはできないけど…」


 それを聞いたローズの表情が焦ったのを見て、ミシュレがくすりと笑った。


「リア」


 ミシュレの声に応え、ポン!という効果音と共に現れたのは黒猫の使い魔だった。


「およびですにゃ?」


 ミシュレの足元にきちんとお座りした黒猫に、ミシュレがとんでもないことを告げた。


「そこのお嬢さんの魔力を最大限に引き出して、コントロールする術を教えてあげてちょうだい」

「「え!?」」


 ローズとリアの声が同時に部屋の中に響く。


(こ、この猫ちゃんに教えてもらうの?)


 思わずそう思ってしまったローズをリアが半目で睨みつけた。まるで失礼な事を言うなとでも言うように。

 そんなリアの頭を軽く撫でながら、ミシュレはローズに向き直った。


「私の弟子になるためには相応の実力が必要よ。あなた、素材は悪くないと思うけどまだ未知数だもの。私も無駄な労力は割きたくないし。とりあえずはリアに教えてもらいなさい。1年後、リアから合格点が貰えたら弟子にしてあげるわ」

「本当ですか!?」


 思わず椅子から立ち上がったローズをリアが胡散臭そうな目で見ているが、そんなことは気にならない。

 チャンスが貰えただけでも今日のところは大成功だ。


「もちろん。リアもいいわね?」

「…わかりましたにゃ…。厳しく教えますにゃ」


 キラリ、と光った金色の目に見つめられて、ローズの顔が軽く引き攣る。

 だがここで引くわけにはいかない。


「よ…よろしくね?リア」

「覚悟するにゃ」


 パンッとしっぽが床を叩く音と共に、もう一度リアの目が光ったのだった。

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