一件落着

 背後からの俺の呼びかけに、騎士達の歩みがピタリと止まる。そして集団の中から少し小柄な騎士が一人飛び出し、俺へと近づいてきた。


「さっきから聞いていれば貴様、騎士長様の寛大な判断に満足できないというのか」


 その若く怒りのにじみ出た声には聞き覚えがある気がした。でも、俺に壁内の奴との接点なんて……いや、あったか。


 俺が思い出したのは、あの親子。俺が偶然居合わせた、壁内から追放され、その後レジスタンスに殺されたらしい親子。間違いない。この声はあの親子を追放した騎士の声だ。あの冷徹な態度からもっと静かな性格だと思っていたが、この激高っぷりをみるにそうでもないらしい。


「このお方は本来なら貴様ごとき魔物もどきが生涯目にすることもできぬお方なのだ。それを少し温情を受ければ図に乗ってさらなる譲歩を求めるとは何様のつもりだ。その薄汚い精神我慢ならん」

 

 青年の騎士はそう怒鳴って剣の柄に手をかける。しかし、


「……待て」


 と巨人ような騎士が片手を軽くあげる。


「しかしこの男は」

「わたしは今待てと言ったはずだが?」


 有無も言わさぬその言葉に、青年は渋々といった様子で青年は抜きかけた剣を鞘へと戻した。


「それで? なんだ」

「どうして、標石を持ってこないんですか」


 それは強者の寿命というものをテトに聞いたときから疑問に思っていることだった。壁内には標石があって、ハンターの処刑には壁内から直々に執行人がくる。

 だとするのなら、


「ハンターも壁内でやってるみたいに定期的に標石で汚染度を調べれば、わざわざ三十になったら処刑なんてする必要ないんじゃないですか」


 多分、標石がある壁内では実際にそうしているはずだ。つまり、


「強者の魔物化を防ぐため、強者は三十歳で死ななくてはならないなんて問答無用で寿命の制限があるのは標石のない壁外だけ。違いますか」

「確かにおまえの言う通りだ。壁内では年齢で」


「貴様があれをどうやって手に入れたかは知らんが、あれは貴重な代物だ。こんな場所に持ってきて、万が一。いや、億が一にでも奪われでもしたらどうする。魔物もどき1匹の命と標石。どちらが貴重かは言うまでもあるまい」


 でも、その言い分はおかしい。


「じゃあなぜあなた達壁内の人がわざわざここまで出向くんですか? 標石を奪われる可能性を考えるなら、あなた達が襲われる可能性だって考えてなきゃおかしい。そのリスクを承知の上で壁外にやってくるということは、襲われたって問題ないくらいにあなた達は強いんだ。それこそ標石を奪われる心配なんてないくらいに。違いますか?」

「ほぉ。魔物もどきにしては頭が使える個体もいるようだな」


 巨人のような騎士から、感心しているようにも蔑んでいるようにも聞こえる感情の伺いしれない声が響く。


「だが貴様は勘違いをしている。私は貴様らを特にハンター達を魔物もどきだからといって侮ってなどいない。そもそも我々がこうして直接壁外へと赴くのは、強者が魔物になるのを恐れているからだ。壁外に強者がいることは我々も認めている」


 壁内の住人達は理由もなく壁外の住人のことを見下している。なんとなくそう思っていたから、強さという一面だけでも、警戒しているという男の発言にはすこし驚いた。


「確かに私は強者だ。謙遜はすまい。凡庸な輩がいくら束になってかかってきても傷一つ負わない自信がある。だが自分がこの世界で最も強いなどと思い上がってはいない。この壁外にも私より強い者がいるかもしれない。格下が複数人で襲ってくるかもしれない。そうなれば命を落とす可能性もあるだろう」

「だったらなぜ、リスクを負って壁外に出てくるんですか」


 どの道リスクがあるというのなら、別に標石を持ってくればいいじゃないか。そうすればハンター達の理不尽な死を避けられるのに。


「至極簡単な話なのになぜ理解できん。頭が使える個体というのは買いかぶりだったか。魔物もどきの命と標石の釣り合いが取れていないのと同じように、標石と比べれば私達の命もまた羽毛のようなもの。そして壁外へ出るというリスクを負ってでも強者の魔物化は必ず防がねばならない。ただそれだけのことだというのに」


 その為ならば自分達の死など許容の範囲内。彼はなぜそんなことも分からないのかとでも言いたげに、ため息と共に首をかしげる。


 彼らが壁外の者達の命を蔑むのならばまだわかる。でも自分達の命ですら捨て駒のように扱うその発言が俺には理解できななかった。

 

 だって、彼らは壁内の住人だ。俺たち壁外の住人を人とも思わない奴ら。壁外の住人をはじき出して、自分たちはぬくぬくと平和な世界で生きている奴ら。そのはずだった。なのに、その壁内の奴らがなんでそんな当たり前のような顔をして、自分自身を捨て駒のように扱ってるんだ。そんなのおかしいじゃないか。


「我々の価値観が不服なようだな。魔物もどきにどう思われようと知ったことではないが、壁内のことを知りもせずに毛嫌いされるのは少々癪ではある。壁内が理解できないというのなら、マルコでも探して聞くのだな。そう簡単にくたばってはいないだろう」


 マルコ。それは以前ボルドルさんも口にしていた、神父様の本名。


「なぜあなたが神父様のことを知っているんですか?」


 男はふんと小馬鹿にするように鼻を鳴らした。


「なんだ。あいつはこの期に及んでまだ神父を名乗っているか。滑稽なことだ。それより貴様。私が一度質問に答えたからといってあまり図に乗るなよ。今まで質問に答えてやったのはあくまで私の施しだ。対等に会話ができるなどと勘違いされては困る。身の丈をわきまえろ。自分たちがこの場で生きることを許されている立場だということを忘れぬことだ」


 もう話す気はない。そう表すようにくるりと回れ右して、止めていた足を門へと進める。


「標石の入手に関与しているものは、門への出頭命令を違えぬように」


 振り返りもせず最後にそう念押しして、彼は騎士達を引き連れて壁内へと帰っていく。


 最後に門がきぃと閉じられた。


 ……約束じゃなく、命令か。


 正直、ここまで壁内の住人と話ができるとは思っていなかった。途中で飛び出してきた青年の騎士のように、もっと頭ごなしに拒絶されるものとばかり思っていたから。でもだからといって、彼らに対する印象が良くなったかといえばそうでもない。


 思うところは色々と、それはもうありすぎるほどにあるけれど、今はひとまず忘れよう。


 ボルドルさんの魔物化は防いだ。壁内の連中もなんとか説得できた。標石で魔核の色の変化はこまめに確認するのは絶対ではあれど、もう言ってもいいよな。


 俺は振り返り、ハンター達がどいつもこいつもぽかんと間抜けに放心している中、彼女の元へと近づいていく。そして、その両方に手を置き、あの時言えなかった言葉をようやく告げる。


「リーゼ。もう大丈夫だ。もうボルドルさんは死なない」


「雑魚……いやマサト。あり」「おぉぉぉぉぉぉ!」


 なにか言いかけたリーゼの言葉をかき消すように、全方位から怒号が耳をつんざいた。


「うぉ!?」


 なんだと顔をあげれば、獣のように雄叫びを上げながらボルドルさんを取り囲むハンター達の姿がそこにはあった。


 彼らもようやく、ボルドルさんが助かったと実感が湧いてきたらしい。


「どいつもこいつも。まずリーゼと話させてやれよな」

「まったくだ」


テトは雄叫び集団には加わらず、冷めた……いや、温かい眼でみんなを、ボルドルさんを見ている。


「まあ、わたしは後でゆっくり話すからいーよ」

「リーゼの方があいつらよりよっぽど大人だな」

「へへ。だろ?」


 リーゼは得意げに鼻の下をこする。その仕草はちょっと子供っぽいけども、ボルドルさんの巨体が上空へとわっしょいわっしょいと何度も放り投げているハンター達よりはマシだろう。


「リーゼらしくないな。いつもの君ならいの一番にボルドルに飛びつきそうなものなのに」

「なんだよ。わたしは大人な女なんだよ。……それに、もう急ぐ必要なんてなんにもないしさ」

「はは。それもそうだ」


 にんまりと笑うリーゼに、テトもうっすらと微笑む。


 壁内の奴らに標石のことを説明しなくちゃならなかったり、標石を壁外にうまく広められるかとか。いろいろと不安なこともまだあるが、


「とりあえずこれで、一件落着……っておい、なんだおまえら。なんでこっちに来るんだよっ」


 ボルドルさんを胴上げしていたハンター達が、なぜかこちらににじり寄ってくる。


 彼らは後ずさる俺を捕まえて、同じように上空へと放り投げた。ぞくっとする一瞬の浮遊感と重力加速度を実感しながら、何度も何度もトランポリンかってくらいに執拗にポインポインと彼らはしばらく俺を胴上げし続けた。


「うおー、おまえらのおかげだ!」「俺は信じてた!」「俺は正直なに頭のおかしいことを言い出してんだよって思ってたけどよ」「失敗したらぶっ殺すとか思ってすまねえ!」「よくやってくれた」「ありがとう、本当にありがとう」


 こいつら、どさくさに紛れて好き勝手言いやがって。まあでも、感謝されて、悪い気はしないけどさ。


 なんて思えたのは最初の数秒だけだった。


「う、うぇっ」


 しばらくして久しぶり地上に降り立った時には、俺は気持ち悪いやら目が回るやらひどい有様だった。

 今目の前では今度はリーゼが上空に放りなげられてきゃっきゃと喜んでいる。もう楽しければなんでもいいんだな、あいつら。


 ああそうだ。一つ肝心なことを忘れるところだった。


「テト、俺はちょっとステラのところにボルドルさんはもう大丈夫だって伝えてくるから、この場は頼んだぞ」

「そんなフラフラな有様でかい? 代わりにぼくが伝えてこようか? 彼女にはぼくも礼をしなきゃと思ってたからちょうど良い」

「ああいや、俺が行ってくるよ。だいぶ体調もマシになってきたし」


 ステラは自分からハンターギルドに出向くって言っていたのだ。変なおせっかいでその覚悟を無駄にしたくはない。


 ボルドルさんの件で色々と遠慮していたステラも、もうなんの気兼ねなくテト達と話ができるはずだ。


 だからテト。おまえがハンターとして命を奪ってきただけじゃないってこと。その刃で、救われた人がちゃんといるんだってこと。その時きっちりステラに分からせられるといいさ。


 吐き気に口を抑えながら、俺はステラがいるだろう店へと向かった。


 

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