たかが一歩、されど一歩。しかし百歩には届かない


 俺たちは今、エルがどうしてクリーンを使えなくなってしまったのかを考えて、寝室のベットに腰掛けてうんうんと唸っていた。隣では同じようにベットから足をプラプラと宙に浮かせたエルが同じように頭を捻っている。


 神父様はたいてい治療院から帰ってきたらなにかない限りは書斎にいる。だからヨルが仲間になった今、孤児院で誰かの目と耳を気にせず浄化魔法について話せるようになったのは嬉しい誤算だった。


 エルが浄化魔法が使えないのは良い。というかむしろ当たり前だろう。神父様の口ぶりからするに、新たな魔法を開発するということは容易なことではないのだから。

 ただ、なぜいままで使えていたはずのクリーンまで使えなくなってしまったのかがわからない。


「そういえば、体の方は大丈夫なわけ?」

「ん、ああ。ちょっと体がだるい気はするけど、もうそれだけだ」

「ふーん。あっそ」


 エルは自分から聞いておいて興味なさげ、というかむしろいつもより数段不機嫌そうだ。

 なんでもつい先日エルに無理するなとか言ってた誰かさんが、その次の日に倒れやがったらしいのだ。そりゃあエルが不機嫌にあるのも当たり前だった。


 誰だよそのバカは。


……俺だよなあ。


「なあエル」

「なに?」


 キッと睨まれる。


「クリーンが使えなくなる前と後でなにか変わったこととかなかったのか?」


 その形相を見た俺は謝ろうとしていたところを急遽変更した。話題に触れないのが正解だと直感が言っている。


「……正直、あんまり覚えてない。最近は早く浄化魔法を使えるようにならなきゃってことで頭がいっぱいだったから」


 それこそ、睡眠を削るくらいには、頭がいっぱいいっぱいだったわけだ。


「そっか。ごめん。というよりは、ありがとう? いや両方か」

「はあ? なにが」


 突き刺さる視線から、少し鎮火していたエルの怒りのボルテージが急上昇してくのを感じる。違う違う。これは無理をして倒れたことへの謝罪じゃない。


「なんていうか、めっちゃ考えてくれてたんだなって。そんなに考えてくれてありがとうって意味と、そんなに考え込ませちゃってごめんって意味」


 俺は怒りが頂点に到達する前に早口でまくし立てた。ぷいっとエルは顔を背けた。


「まあ、頑張るって約束しちゃったし。自分で勝手に追い込まれてたって感じだし」


 どうやら噴火は免れたらしい。心の中でほっと息を吐く。


「律儀なやつだな」

「約束は守るもの。当たり前でしょ」


 何言ってんの? とでも言いたげにむすっと目を細める。

 ひねくれてる風に見えて、こういうところは真っ直ぐなんだよな、エルは。 


「なあ、いっつも魔法って、どういうイメージで使おうとしてるんだ?」

「瘴気消えろ―って感じ?」

「クリーンのときは?」

「なんか、汚れ消えろ―って感じ? 」


 すさまじくアバウトである。そこまで深く考えず感覚で使ってるってことか。


「そもそも魔法が使えない時って、どういう時なんだ」

「まあ、発動したことある魔法が使えないのなんて、魔力が足りないときぐらいなんじゃない?」

「魔力」

「ああ魔力っていうのは魔法を使うのに消費するなにかをそう呼んでいるだけ」

 

 いや、もちろんそれはわかるけども。これ以上ないまでのファンタジー用語に反応してしまっただけだ。

 しかし、魔力が足りない時ね。そういえば最近、テトも魔法を使えなくなってたな。といってもあいつの場合は水魔法でお湯を出した後の短時間ではあったけど。あれは魔力が足りないからだったんだろうな。水は出せてもお湯は出せないようだったから、使おうとする魔法によって魔力の消費量も変わってくるのだろう。


「クリーンを使おうとする時、魔力を消費してる感覚、みたいのはあるのか?」

「うん。魔力が減ったら感覚でわかるけど、最近は完全に不発」


 発動できた魔法が使えなくなるは魔力が足りない時だけか。つまり、


エルはクリーンをつかった!

しかしなにもおこらない!


というよりは、


しかしMPがたりない! の方がイメージとしては正しいってことか。


 今聞いた話をまとめると、


魔法によって消費する魔力は違う。

魔力が足りないと不完全に発動するわけじゃなく、不発に終わる。

魔法を使う時はあまり深いことは考えていない。


 とりあえずこんな感じか。


 けど、なんで魔力が足りなくなるんだ? クリーンはエルが俺たちに毎日かけていた魔法で、消費する魔力が大きいってわけじゃないはずだ。なのに急に魔力が足りなくなるなんてありえないだろ。


 けど、魔力が足りなくなった理由を無理やりこじつけるとするのなら、エルの魔力がなんらかの理由で急激に減ったとか。もしくは使おうとしている魔法が変わったからとか、そのくらいしか……。もしかしてそれなのか?


「ちょっと待っててくれ」


 エルにそう告げるや否や、俺は食器等がまとめられた棚を漁りにいく。


「あったあった」


 目当てのものを見つけ、小走りでエルのところへと戻る。


「なにその……小瓶」


 エルがいぶかしげに俺が持ってきた、手のひらサイズの小瓶を睨む。


 俺は瓶の蓋を外し、そして、そこに持っている中で一番小さな標石を入れた。魔法の効果がないかもしれないから、蓋はあけたままだ。


「エル。この小瓶の中身だけに意識を集中して魔法を使ってみてくれないか?」

「クリーン? それとも浄化魔法?」

「じゃあ、クリーン」

「じゃあってなによじゃあって。あんたテキトー言ってんじゃないでしょうね」

「テキトーじゃない。一応色々考えがあるんだよ。頼むからダメ元で言われた通りやってみてくれないか?」


 慌てて弁解する俺をじっとりと数秒睨んだのち、エルはため息をつく。


「……まあ、いいけど。じゃあいくよ」


 不機嫌そうにそう言いつつも、エルは瓶へと手をかざし、「瓶の中だけ、瓶の中だけ」とつぶやく。


 不承不承そうなのに、言われたことをしっかり守ろうとするあたり、やっぱりエルは真っ直ぐだった。


 俺は気を取り直して標石を瞬きもせずに凝視する。薄くピンクがかったその色が、一瞬完全な透明へと変化したのを、俺は見逃さなかった。


「で……きた? 手応えはあったから、多分できたと思う」

「多分なもんか。標石の色が変わってた。確実に瘴気を消したんだよ!」


 呆然としているエルの肩に手を置いて揺さぶる。


「でもなんで。わたしが使ったの、クリーンだったのに。クリーンですら使えなくなったのに、どうして急に浄化魔法が使えたの。しかもこんなにすんなりと。なんか、あんたはなにか分かった風だったけど。その瓶が関係あるわけ?」


 エルは喜びよりも先に困惑しているようだった。


「これはあくまで予想だけど、エルは多分、クリーンが使えなくなった時にはもう、浄化魔法を使えるようになってたんだと思う」

「はぁ? なにそれ」

「ここのところ、ずっと浄化魔法のことで頭がいっぱいだったって言ってただろ?」 


 たとえばそう。それはクリーンを使おうとするときも。


「エルはクリーンのつもりで、無意識のうちに実はずっと浄化魔法を使おうとしてたんじゃないかって思ったんだよ」


 でも多分、浄化魔法はクリーンより消費する魔力が大きい。だから、なにも考えずクリーンと同じような範囲に魔法を使おうとして、魔力不足でずっと不発を繰り返していたんじゃないかと思ったのだ。


 範囲を小瓶の中身だけというごく狭く指定することで発動に成功したことから、俺の考えはたぶんそう大きく間違ってるってこともないと思う。


「とにかく、やったんだよ!」

 

 これなら、もしかしたらボルドルさんを救えるかもしれない。この魔法で、エルにボルドルさんの体を浄化してもらえば……。


 疑問は解消したはずだ。だけど、どうにもエルの顔が晴れないのが気になった。自分のなし得たことへの実感がわかないのだろうか。


「どうしたんだよエル。おまえは浄化魔法を開発したんだ。もっと喜ぼうぜ」

 

 俺がそう言うも、依然としてエルの顔は晴れない。


「あの、マサト。たしかに、浄化魔法は開発できたけど……」


 エルは言いづらそうに口ごもり、俺の視線から逃げるように、目を泳がせた。


「けど?」

「こんな小さな小瓶の中を浄化するのに、わたしの魔力、全部使っちゃった」


 その言葉の意味を理解すると同時に、のぼせていた頭がすーっと冷えていく。


「魔力って、どのくらいで貯まるものなんだ」


 俺はつばをごくりと飲み込んで聞く。


「人によって違うけど、満タンまでって話なら、一日? 寝たら回復が早いって話も聞くけど……少なくとも一晩はかかると思う」


 それは予想通りの最悪な答えだった。


 瘴気は現在進行形で濃くなり続けている。魔力が満ちるたびに使ったところで、焼け石に水。いや、なによりも……。


 兆しは見えた。今は無理でも、いつの日かこの世界の瘴気を消しされるかもしれないとそう思える希望。だけどそれはいつになろうだろう。少なくともそれが今日明日ではないことだけは確かだった。ボルドルさんの誕生日には、どうやったって間に合わない。


「やっては、みるけど。人一人の蓄積した瘴気を全部消し去るなんて到底……」


 無理。つまり浄化魔法でボルドルさんを救うことはできない。そういうことだった。


 エルが顔を伏せ、自身の服の裾をきゅっと握りしめる。


「あの、マサト。その、ごめ」「よし!」

 

 俺は手を合わせる。パアンと破裂音が部屋に響いた。


「ボルドルさんの方は、他の方法を考えよう。でもまずは、おめでとうだ」

「……え?」

「正直自分で浄化魔法を開発! なんて言っておいて不安だったんだよ。肝心な方法は人任せで、そもそも光魔法で瘴気を消せるのかってのもわからなくて。本当にできるのかってずっと不安だった。でもエルはやってくれた」

「それは、そうだけど。でも」「でもじゃない。エルはすごいやつで、すごいことを成し遂げた。だから、謝るなんておかしいだろ。いつもみたいに、ほれ見たことかって威張るくらいがちょうどいいんだよ」


 エルが顔をあげ、俺をじっと見上げた。


「ふ、ふん。見てなさいよ。すぐにもっとたくさん瘴気消せるようになるんだから」

「なんてったって、未来の大聖女様だからな」

「だからその呼び方はやめてって言ってるでしょ!」


 顔を真っ赤にしたエルに蹴られ、鈍い痛みが太ももに走った。



 エルが怒ってふて寝した後。俺は食卓の椅子に腰かけ、肺に吸い込んだ息がため息にならないようにゆっくり、細く吐き出す。


 そしてふと思う。ハンター達も、こんな感じだったんだろうか。

ボルドルさんが救えるかもしれないという希望を与えられ、そして奪われた時の絶望というやつは。

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