よくある話

 テトがボルドルさんの監視役から除外されて、俺は正直ほっとしていた。だってピンチ―達の言う通り、今のテトにボルドルさんが殺せるとはどうにも思えなかったから。


「ぼくは、殺す覚悟も殺される覚悟もできている」


テトは呟いた。そうだろう。言葉通り、テトは何人……いや何匹もの魔物を殺してきた。


「でも、それは魔物や犯罪者相手の話だ。ボルドルを殺す。そう考えただけで、手が震えるんだ」


 テトは自分の手のひらを見つめる。言葉通り、その手はかすかに震えていた。震えを無くすように、テトはもう片方の手で、震える手を強く握り込む。でも握り込んだ手も震えていたんじゃ、震えは収まるはずもない。


「ぼくの迷いは、全部お見通しだったわけだ。あいつらはそういうのに鈍感な馬鹿だと思ってたんだけどね」

「おまえ、気づいてないのか」

「なにがだい?」


 その様子から、本当に自覚がないらしい。


「なにがってそれは」


 ボルドルさんの魔核が紫色だったのを見た瞬間から、テトからいつもの飄々とした笑みが消え、今は無力さに苦悶する、実に人間らしい表情をしていることにだ。


「そんな顔を見たら、お前がなにかに迷ってるなんて、初対面のやつでも一目瞭然だよ」 

「……そうか。他人に弱みを見せないと、そう決めてきたんだけどね」


 テトは大きく息を吐く。


「……ボルドルは、ぼくの命の恩人なんだ」


 そしてぽつりとそう語り出した。


「まあ、よくある話さ。どこぞの誰かが魔物化して、ぼくの両親を殺したらしい。で、その魔物を殺して救ってくれたのがボルドルだったわけだ。まあよくある話だけど、その時問題だったのは、残されたぼくがまだ乳飲み子だったことだ。その頃は孤児院もなくてね。そこで名乗りを上げたのもボルドルだった。正確に言うなら、ボルドルの妻か」


奥さんがいたのか。いや、リーゼがいるんだから、そりゃ居てあたりまえなんだけど。


「ちょうどそのころ、生後何ヶ月も経たないうちに子供が瘴気を無くしていて、乳が出たのさ。だから幼少期、ぼくはボルドル夫妻に育てられた」


 幼少期。テトが今孤児院にいるということは、どこかのタイミングで預けられたのだろう。つまり、


「そのまま息子としてずっと育てるってわけにはいかなかったんだな」

「少しでも自分達から離したかったんだと思うよ。なにせ、ぼくは物心ついたときからハンターになろうとしてたからね」

「なら余計に、ハンターである自分の跡取りにってなりそうなもんじゃないか」

「良い親で、自分の子供がハンターになるのを快く思う親はいない。なにせ人一倍瘴気に触れやすい危険な仕事だ。それにそうじゃなくても、ハンターの家族というだけで、あまり良い目では見られないからね。

 二人は良い親だったよ。そんな人達が、子供をハンターにさせたがるわけがないのさ。当時はちょうどリーゼが生まれそうな時でね。ぼく自身厄介払いされたと勘違いしたけれど、今では違ったとわかる」


 テトが孤児院に預けられたのは、二人なりの愛ゆえにだったのか。


「優しい両親だったんだな」

「でも、当時のぼくにはその優しさがわからなかった。だから孤児院を抜け出しては懇願しに行ったわけさ。ハンターにしてくれって何度も何度もね」

「それはまた……」


 テトにもそんな子供らしい無茶をする時代があったとは。


「ぼくが今ハンターをやってるのは、魔物を狩って瘴気を減らすため、前にそう言ったね」

「ああ、覚えてるよ」

「あの言葉は嘘じゃない。でも自分がなぜあそこまでハンターに憧れたのか。その最初のきっかけは、正直今でもわからないんだ。命の恩人に憧れたのか。顔も知らない両親の仇を取りたかったのか、ハンターとしてボルドルの後を継げば、本当の息子になれると思ったのか」

 「まあ結局はボルドルが折れて、暇を見て週1で、孤児院で希望者を鍛えてくれることになったのさ。期間内、その訓練をやり遂げられたらハンター見習いにしてやるって言われてね。他にも受けてたやつはいたけど、結局最後までついてこれたのはぼくとヨルくらいだったな」


「それ、ボルドルさんはわざと子供が耐えられないような訓練をつけて、おまえに音を上げさせたかったんじゃないか?」


 あとは、自分が出向くことでテトが一人で外を出歩かないようにしたかったってのもありそうだった。


「だろうね。今思い出してもひどいしごき方だったよ」

「でも今テトがハンターになってるってことは、そんなボルドルさんの親心なんて知りもせず、訓練を最後までやり抜いちゃったわけか」


 テトは「ああ」と頷く。


 そこで俺は「あれ?」と気づく。


「そういえば、リーゼもハンターに憧れてるみたいだけど大丈夫なのか?」

「最初はボルドルもぼくと同じように孤児院に預けるつもりだったんじゃないかな。ただ、リーゼはボルドルにとって妻の残したたった1つの忘れ形見だ。どうしても手放せなかったんだろう。悪あがきというかなんというか、今もハンターとしての訓練は頑なにさせてないみたいだけど」


 忘れ形見。俺はボルドルさんの妻の姿も、話も聞いたことがないから妙だとは思っていたが。それはつまり、


「なあテト。リーゼの母親は今……」

「リーゼを産んですぐに死んでしまったよ」


 やはりそうか。

 

「リーゼは顔も覚えてないだろうけど、あいつは母親に本当によく似てる。ボルドルに似てるのなんて髪の色くらいさ。リーゼは女だから、ボルドルに似なくて良かったんだろうけど」

「綺麗な人だったんだな」


 リーゼは良い笑顔で笑う。だからリーゼがそっくりだという母親さんは、そりゃあ綺麗だったんだろう。


「まあ外見はね。性格はボルドルと似たようなもんだったよ。ガサツで、横暴で、声がデカくて。そこだけは、リーゼがどっちに似たか謎だな」


 テトは昔を懐かしむように目を細める。


「まあ、そんなわけでさ。ボルドルはぼくにとって唯一残った命の恩人で、親代わりで、師匠で。だからさ、死んでほしくなかったんだ。標石を手に入れて。これなら助けられると思ったんだけどね。でも無理だった。ならせめてぼくの手で。そう思ったけどあいつらの言う通りさ。ボルドルを殺す覚悟が、ぼくにはない。ぼくにはもうなにもできないんだ。本当に、とんだ親不孝者だよ、ぼくは」


 テトは力なく広げられた自身の手の平に視線を落とした。


 ……違う。それは違うだろう。


「確かに今のテトには、ボルドルさんを殺す覚悟はないかもしれない。でもテトが今しなきゃいけないのはそんな覚悟じゃないだろ。今自分で言ってたじゃないか。ボルドルさんは命の恩人だって。親代わりだって。死んでほしくないんだろ?」


 だかららしくもなく神父様に噛みついてまで標石をハンターに使いたかったんだろ。

 だから今表情を隠す余裕もないくらい切羽詰まってるんだろ。


「覚悟をしなきゃいけないなら、それはボルドルさんを殺す覚悟じゃなくて、救う覚悟だ。誕生日まで、あと三ヶ月あるだろ」


 実際は、ボルドルさんはその前に魔物化してしまうかもしれない。だけど、だからこそへこたれて落ち込んでる余裕は俺たちにはない。



 なにが殺す覚悟だ。そんなもんクソ喰らえ。



「その間にどうにか魔物化を防ぐ方法を見つけてボルドルさんを救う。それくらいできなきゃ、瘴気を消すなんて夢物語、叶えられるわけないだろ」


 表情をなくしたテトが、は、ははは。とぎこちなく笑い出す。それは以前にも一度見たような光景だった。


「魔物化を防ぐ……か。そんな非現実的なこと、馬鹿らしすぎて思いつきすらしなかったよ。でもそうか。僕たちはもっと馬鹿らしくて非現実的なことをやろうとしてたんだったか」


 フッ、とテトはいつもの飄々としたうすら笑いを浮かべる。


「忘れていたよ。どうせぼくはもう、泥舟に乗っていたんだった。なら馬鹿らしいのは、今更か。なら、やるだけやってやる。あの人を死なせるわけにはいかないんだ。」


 その眼には確かな覚悟の火が灯っていた。


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