一時の希望


「これが標石だ」

 テーブルの上に置かれた標石を、周りに集まったハンター達が揃って目をまん丸に見開いて覗き込む。


「わたしにも見せろ!」


ちっこいリーゼがハンター達を押しのけ、標石を見ようと机に手を添えぐぐっと背伸びする。


「ふーん。こんな石っころがそんなに貴重なのか。……ん? 待てよ。おまえらその、しるべ、いし? は持ち帰れなかったって言ってただろ。それが今ここにあるっていうことはだ」


 リーゼはうーむとテーブルの上に置かれた標石を見つめながら首をかしげて、はっと顔をあげ俺たちを睨む。


「つまり手に入らなかったってのは嘘か! 私らに嘘をついてたっていうのか!」


 テーブルに手のひらを叩きつけ、まくし立てるように俺たちに向かって叫んだ。


「子供にはわからない事情があったんだよ」

「私は子供じゃない。誇り高いハンターだ!」

「大人だっていうならこんなことでキレないでほしいもんだね。この四半人前」

「なんだとこのっ!」


テトとリーゼのやり取りなど気にもとめず、他のハンター達は机の上に置かれた標石に釘付けだった。


「ほーん? これが例の標石ってやつか。えらく綺麗じゃねえか」

「ホント。ゴーグルのレンズみたい」

「これ触っても大丈夫なのか? 割れないか?」

「馬鹿。呪われるぞやめとけ」

「くく。呪い、か」


なんて、ざわざわしている。


「で、これが貴重なもんってのはわかったが……それでどうしたってんだ、テト」


 ずっと腕組をしていたボルドルさんが標石を指さした。


 素肌で触れると触れた者の魔核の色と同じ色に変化すること。魔物の色は、ピンク、赤、赤紫、紫と変化していくこと。


 とりあえず今わかっていることすべて、テトはリーゼの額を片手で抑えながら説明した。その間リーゼは「この、このっ」と届かない手足をジタバタさせて虚空を攻撃し続けていた。


「だから、みんなには一人ずつ標石に触れて、色をチェックしてもらいたい。虚偽ができないよう、今この場でだ」

「ようするに、魔物の魔核と同じ色になったらアウトってことか」

「で、仮にこの中の誰かがアウトだったらどうすんだよ」

「そりゃあ……殺すしかねえだろ」

「そもそもどの色からセーフでどの色からアウト判定なわけ?」


 ハンター達が魔核の色を確認したあとの対処でざわつきだす。


「どの色なら安心かってのは、正直わからない。まったく同じ色でも、魔核の色が変化していく早さには、おそらく瘴気への耐性で個人差がある」

「はあ、じゃあどうすんだよ!」


ざわめきを大きくするハンター達の中、ボルドルさんだけが静かに神妙な顔つきで顎ヒゲをなでた。


「なるほどな。こんなもんが外に出まわりゃ魔物になる前の人間をいつ殺す殺さんでしっちゃかめっちゃになるだろうよ。それで標石は手に入らなかったって嘘をついてたわけか。大方マルコの提案だろうが……まあ妥当な判断だな」


 マルコという名前に一瞬誰だろうと首をかしげるが、多分、神父様のことだと思う。そういえば神父様の名前だけずっと聞いてなかったなと今更気づく。「神父様」というその呼び方があまりにもしっくり来すぎていて、疑問すら浮かばなかった。


「で、おまえはこれをハンターにだけ公開してどうしたいんだ」


 ボルドルさんがそう投げかけたことで、一斉に視線がテトに集まる。

 

「ハンターの寿命を撤廃させたい。これがあれば、できるはずだ」


標石を指差しながら言うテトの言葉に、揃って首を傾けるハンター達だったがピンチ―が一人ぽんと手を打つ。


「そっか。この話が本当なら、30歳になっても魔核の色がまだ赤とかピンクなら、今すぐ魔物になる心配なんてないから死ぬ必要なんてないもんね。それって最高じゃん! だってもし本当なら、「言ってること、わたしには全然わかんないけど、それって父ちゃんは死ななくていいってことか!? なあおい!」


 今までの話について来られなかったのか、プシューっと頭頂部から煙をあげて思考をショートさせていたリーゼが再起動してテトに掴みかかった。

 彼女達だけじゃない。不安や恐怖にざわめいていたハンター達が今は歓喜の声をあげていた。


「死なない?」「オヤジが死なずに済むのかよ」「マジか……マジかよ」


 そののやりとりで、俺はテトがらしくもなく神父様に噛みついた理由に思い至る。テトは以前、リーゼは妹みたいなものだと言っていた。だとするとだ。その父親であるボルドルさんは、テトにとっても父親ということで。


 ボルドルさんは、今何歳だろか。その立派なヒゲを見ると30を優に超えているように見える。なんなら40代って言われても不思議じゃあない。でもハンターの寿命が30歳というのなら、信じられないけどそれ以下らしい。それでも二十代前半ってことはないだろう。

 つまりボルドルさんはもう何年もしないうちに死んでしまう。魔物になるわけでも、天寿を全うするわけでもなく、ただ誰かが決めたルールのせいで死ぬ。

「なあテト。ボルドルさんの年齢は……」

「あー。俺ぁ2ヶ月後に30歳になる」


 答えたのはボルドルさんだった。


 何年どころか半年もないじゃないか。どうりで、テトの様子がおかしかったわけだ。


「わかった。とりあえず全員標石に触って魔核の色ぉ見るぞ。色については、全員で判断する。一人でも紫だと判断した場合、そいつは常に二人……いや三人一組で行動させる。寝てるときも、代わり番こに監視する。んで、そいつに魔物化の前兆があった場合のみ、剣を抜け。それ以外で勝手に処分しようなんて出しゃばるんじゃねえぞ。俺たちは魔物は狩るが、人は狩らねえ。わかったかおめえら!」

「「「おう」」」


 統率の取れた返事が耳を貫いた。が、しばらくするも「誰がいく」「お前がいけよ」と動くのは口ばかりで、誰も動こうとしない。


「ぼくとマサトはそれにベタベタ触ってるけど呪われたりはしないからビビらず触ってくれよ」

「ビビってねえ!」


 と口々に否定し、ハンター達はテトの煽りで一人また一人と標石に手を伸ばす。ビビってないという主張とは裏腹に、その仕草は実に恐る恐るといった感じだった。

 

 今のところ紫に近い人は一人もいない。ハンターというのは他の人よりも明らかに瘴気に汚染されやすい。なのにこの結果は、瘴気への耐性がない人達が生き残れるほどハンターという仕事が甘くはないということを表しているのかもしれない。


 そして最後に残ったボルドルさんの、その丸太みたいに太い手が標石に伸びる様を、誰も彼もが固唾を飲んで見守る。


 指先が標石に接触し、同時に標石の色が変わる。その色は、紫だった。この上ないほどに魔物のそれに近い紫色だった。


「ま、正直そんな気はしてた。俺の勘は当たるからな」


 ガハハとボルドルさんの豪快な笑い声が、息もできないほど重苦しい沈黙を破った。

でも、ボルドルさん以外、誰一人として一言も喋ることができない。


「……父ちゃん」


 リーゼの口から、いつもの活発さからは想像もつかないほど、蚊の鳴くような小さな声が漏れる。


「俺はもう十分に生きた。だからいいのさ」


 ボルドルさんの、怪物の頭なんて握りつぶせそうなゴツく大きな手がリーゼの赤毛にぽんと優しく載せられる。


「ったく。どいつもこいつもしみったれた顔しやがって。確かに俺はダメらしい。でもな、この石のおかげでこれから先どっかの誰かが勝手に決めた年齢で理不尽に死ななきゃならないハンターはいなくなるいかもしれねえ。そりゃあすげえことじゃねえか。だからもっと喜びやがれ」


 そう言って、ボルドルさんはリーゼにしたのと同じように、テトの頭に手を置いた。


「テト。ありがとよ。これで、ハンターは前より長生きできるようになるかもしれねえ」

「……それじゃあ意味がないんだよ。あんたが長生きできなきゃ、意味がないんだ」


 ボルドルさんの手が離された後、テトがぼそりと呟いた言葉は本人に届いたのだろうか。少なくともボルドルさんはそんな素振りを見せず、ハンター達に指示を飛ばし始めた。


 その後、ボルドルさんが決めた通りに、ボルドルさんは常に二人体制で監視されることになった。ボルドルさんが魔物化する前兆があった時即座に処理できるように。そして誰かがそう言ったわけじゃなけど、多分、その時までボルドルさんが自決しないように。


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