少女が一番恐れていたのは

「なんか良い言い訳とかないか?エルミーが怒らないような」

「悪いことをしたんだから怒られるのは当たり前だろう。この期に及んでなにを都合の良いことを言ってるんだ」

「それは、まあそうなんだけどさあ」


 すでにホメロスさんのところに挨拶はしてきた。が、孤児院に向かう足が重いったらない。近づくにつれて重しを追加されてるみたいだ。やはりしっかりと説得した上で出てくるべきだったのだろうか。いやどう見てもあの時のエルミーは洞窟に行くのを納得してくれる感じじゃなったしなあと頭の中は堂々巡りだった。そしてついに孤児院の扉の前まで来てしまった。まだ早朝ということもあり、みんながいる可能性は十分にある。


「まったくちぐはぐだなあ君は。瘴気に満ちた洞窟に行くのは躊躇なかったくせに、小さな女の子相手に今更なにを恐れることがあるっていうのさ」


 扉に手をかけ、そのままの体勢で固まっていた俺を見て、テトはこれみよがしなため息を吐いた。


 こそーっと扉を開こうとするが、古くてボロい扉はぎぃぃぃと盛大に悲鳴をあげた。もうしょうがないかと、瘴気が入ってこないよう、扉をすぐに締める。そして、ガスマスクを脱ぐ。久しぶりの開放感だった。


 扉の音にドタドタと、孤児院の中からこちらに向かってくる足音が聞こえる。足音の主は、エルミーだった。彼女は俺らの姿を確認すると、どんどんと目尻がつり上がっていく。


「この嘘つき!嘘つき!嘘つき!よくもわたしを!だましたなっ!」


 言葉と共に、横から脇腹をえぐるようにエルミーの拳が何度も叩きつけられる。


「いた、いたい。痛いって!なんで俺ばっか殴るんだよ。テトだって同罪だろ」

「行かないでくれと言われて、了承したのは君だからね。ぼくは聞いてただけさ。怒りが向けられるのは当然のことだろう」


 なんて、テトは素知らぬ顔で叩かれる俺を見ていたが、「あんた達はふたりとも大嘘つきのクソ野郎共だ!」と、歯をむき出しに叫ぶエルミーの怒気に当てられ、自分にも矛先が向かってくるとわかったや否やすぐにどこかに行ってしまった。


 悪いことをしたら怒られるのが当たり前。そんなことを一体どの口がほざいていたのだろうか。結局、エルミーの怒りはすべて俺というサンドバックで吐露されることとなった。罵倒を吐かれて、殴られて。


 ああ、痛いなあ。痛くて痛くて仕方がない。本当に心が痛くてたまらなかった。エルミーが怒っているのは、俺たちに死んでほしくないとそう思っていたからだ。だからこそその思いを無下にしたと強く実感して、心が痛くてたまらなかった。


 叫んで殴って。大暴れしたエルミーはすぐにヘトヘトに疲れ果て、罵倒も俺の脇腹への殴打もやんだ。今は俺に寄りかかるようにして力なく体を預けている。


「なあ、エルミー。変わっていくことって、そんなに怖いことか?」

「……怖い。怖いに決まってるでしょ?自分の身の回りが変わっていくのが怖い。誰かが死んじゃうのが怖い。誰かが殺されるのも怖い。私がいつか死ぬかもしれなくて、殺されるかもしれなくて。全部全部全部、怖いことばっかだ。だって、わたしは今がどんなに儚くて、簡単に無くなっちゃうかをよく知ってるんだ。そんな怖い思いをたくさんするくらいなら、今、さっさと死んじゃったほうがいいんじゃないかってそう思っちゃうくらい怖いことばっかだ」


 叫び疲れ、まるで別人のように枯れた声でエルミーはそう答えた。「死ね」と言われれば、「お前が死ね」と即答するだろう少女は、普段なら絶対に言わないだろう胸の内の不安や怯えを吐き出した。


「でも、そう思うたびに孤児院のみんなのことが頭をよぎって、もっと一緒にいたいって思う。だからみんながいなくなっちゃうのが、一番怖い。わたしにとっての家族は、もう孤児院のみんなだけだから」


 エルミーの声は俺の腹に顔をこすりつけているからか、くぐもって聞こえた。


「この世界、誰かが死ぬとか魔物になるとか狂うとか、そういう悪い方向にしか変わってかないもんな。そりゃ、変わることが怖くなるのも当たり前ではあるけどさ。変わることって、なにも悪い方向ばっかじゃないと思うんだよ」


 だってそうだろう。未来というのは本来明るいもので、希望をはせるもののはずじゃないか。ところがこの世界はどうだ。未来に怯え、変化に怯え。この先世界はどうせ悪い方にしか変わらないとみんな心のどこかで諦めている。だからこそ、誰も彼もが現状維持を望むのだ。  

 今が続いてくれれば、これ以上悪くならなければそれでいいと。そこに希望なんて一欠片もなく、あるのは限りない妥協だけだ。みんなそれで満足しようとしてる。本当は不満たらたらのくせして、そう思い込もうとしている。


「少なくとも、俺はこのクソみたいな世界をちょっとは良い方向に変えようって思ってるよ。だからその手伝いをしてくれないか?エルミーの力が必要なんだ」


 寿司を食べるため。最終目的はそこで揺らぐことはないといえど、その言葉に嘘はない。瘴気を無くす。それはこの世界で寿司を食べる為に必要な過程に含まれるのだから。


「……バカやって死ぬなんて、わたしは絶対ごめんだから」


 エルミーは、一度は俺たちが洞窟に行くのを止めようと協力を承諾してくれた。けど、もう俺たちは洞窟に行ってしまった。彼女にはもう、協力を承諾する理由がないのだ。瘴気を消す魔法なんてものを開発して両親を見返すという復讐よりも、彼女はこの孤児院で、明日も変わらぬ日常が続くことだけを望んでいるのだから。


 エルミーは本当に、本当に優しい子だった。


 ここらでキュアを使えるのは神父様だけ。でも光魔法を使える人間は探せばエルミー以外にもいるのかもしれない。けれど、俺はできるならエルミーに協力してほしかった。その方がてっとり早いからということを抜きに、彼女は俺にとってこの世界で数少ない信頼できる人間だったから。そんな彼女と協力して夢を叶えるために奔走できたなら、どんなにいいだろうとそう思ってしまうのだ。


「そうか」


 でも、それは叶わぬ願いらしい。俺は、差し出していた手を引っ込めた。


 エルミーは俺を押し出すようにして距離を取った。


「でも、あんたたちにバカやって死なれるのは、もっと嫌だ。勝手に死ぬのも、今回みたいにわたしを騙すのも、絶対に許さない」


 エルミーを騙して洞窟へ向かったこと、未だに腹に据えかねているらしい。まあ、当たり前ではある。ずいぶんと酷いことをしてしまったという自覚はあった。でも、もうたらふく殴られた脇腹は限界だった。


「結果的に俺もテトも死なずに帰ってこれたんだから、今回は許してもらえないもんかなー、と」

「でも死ぬかもしれなかった。というか、死んでないのが不思議なくらいだった。それに今回だけじゃないんだ。わたしにはわかる。わたしがいくらやめさせようとしたってそんなのお構いなしに、あんたたちは自分から命を捨てに行くようなバカな真似をこれからもどんどんやってくんだ。絶対そうだ」


 許しを乞う俺を、少女は疲れ果てているはずなのにいつも以上に鋭く睨んだ。


 そんな彼女に、俺は曖昧に笑うことしかできない。多分彼女の言っていることは正しい。テトがなにを考えて俺に協力しているかはわからない。だが少なくとも俺はもう止まる気はなかった。瘴気を無くし、寿司を食べるその日までノンストップで走り続けるだろう。止まった瞬間背後から迫ってくる死に追いつかれしまうような、そんな幻影が俺には見えているから。ガスマスクで延命できたとして、俺に残された時間は、あとどれほどか。俺には生き急がなければいけない動機があるのだ。


「……だから。だから!わたしがきっちり見張ってやるんだ。あんたたちが勝手に馬鹿なことができないように、ずっと近くで」

「近くって……」


 それはつまり、


「あんたに協力するって言ってんの。仲間になって、一番近くであんたらを監視してやる。今回みたいに、クソみたいな嘘で騙されたりなんてもうしない。覚悟してなさい」

「手伝って……くれるのか?」


「放っといたら、あんたらは馬鹿だからすぐ死んじゃうでしょ?だからしょうがないけど、協力してあげる。だってわたしは、この孤児院一のしっかり者なんだから」


 エルミーは腕を組み、胸を反らせた。


「……ああ。ああ!助かるよエルミー!」


 俺が頬をほころばせると、エルミーはなにやら不満げに眉間にシワを寄せた。まるで、おまえの笑顔が不愉快だと、そう言われたみたいだ。いや実際エルミーなら普通に言いかねないけど。


「……やっぱり最後に、もう一つ条件追加」


 彼女はピンと人差し指を立てた。


「これからわたしのこと、エルって呼ぶようにしろ。そうしたら、あんたに協力してあげる」


 すこし恥ずかしそうに顔を伏せた少女に、俺は数秒ポカーンとなにも言えなかった。けれど、じわじわと胸のあたりが暖かくなっていった。


 俺は一度ひっこめた手を再度彼女に伸ばす。


「これからよろしくな。未来の大聖女エル様」


 スネを蹴られた。うずくまり悶える俺に、小さな手が差し伸べられる。俺はそれをぎゅっと握った。それは和解の握手でもあり、契約成立の握手でもあった。


「いやよかった。これでめでたしめでたし。いや、ようやく始まったって感じなのかな?」


 と、いけしゃあしゃあとテトが握手をする俺たちに向かって拍手しながら、何食わぬ顔で戻ってきた。こいつ、状況が好転した途端に戻ってきやがって。またどこかで盗み聴きしてたに違いない。握っていた手を、エルが振り払うように離し、フンと腕を組んでそっぽを向いた。


 俺はさっきまでエルに強く握りしめられていた手のひらを見つめる。そしてゆっくりと握りしめた。


 寿司を食うために、瘴気を無くす。そんな無謀な夢に今一歩踏みだした。そんな気がした。


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