いやなあくま

新木稟陽

いやなあくま


 大きな失敗をしたとか、男にフラレたとか。そんな下らない理由はない。

 ただ単に、ふと、突然に。

 ──ああ、死んでもいいかな

 そんなふうに思った。

 なんの理由もない。理由もなくこうなる自分こそ、真に下らない人間なのかな。

 いや、理由ならある──のかもしれない。

 一人になりたくてたどり着いた校舎の屋上。しかしそこには鍵がかかっていた。訳もなく鍵を拝借できるはずもない。私は毎日昼休みになってはここに通い、ピッキングの練習を続けた。

 そして今日、遂に成功した。ここ数ヶ月で一番の達成感だった。同時に、自分のつまらなさに呆れ果てた。

 あ、部屋に黒歴史がいくつか放置したままだ。──死ぬからいいか。

 ソシャゲの石使い切ってから──死ぬからいいか。

 遺書でも書こうかな──どうせ死ぬからいいか。

 手すりに手をかける。遠くに響く喧騒と風の音が心地よい。死ぬには絶好の日和だ。

 腕に力を入れてフェンスを飛び越えようとして。

「そこな女子」

 突然背後から飛んできた声に小さく肩がびくつく。

 振り向くと、一人の男が立っていた。

「折角死ぬなら、その魂僕にくれませんか?」

「……は?」

 意味不明な言動に肩の力が抜ける。

「ほら、死ぬんでしょ。くださいよ、魂。」

「……いや」

 センター分けの爽やかな黒髪。穏やかそうなタレ眉に反して露骨に胡散臭い細い目。彼は穏やかな口調で言う。

「だれ?」

 見たこともない男だった。制服は同じ。上履きのラインの色を見れば、どうやら先輩らしい。

「そうですね。うーん、悪魔です」

「は?」

 意味がわからない。意味がわからないけれど、今の自分は死のうだなんて考えている身。このイカレポンチの言動の意味を考える程にも頭を使う気がない。

「へぇ。何の?」

「何って?」

「ほら、ないの? ナントカを司る悪魔とか」

「あー、なるほど。いやな悪魔です。」

「へぇ。」

 少し、興が削がれた。フェンスを背もたれに座る。パンツ見えるだろうけど、いいや。

「自殺止めようって? 高尚なことで」

「いえ、魂が欲しいだけです。ちゃんと素敵な見返りもありますよ」

「普通さ、理由とか聞かないの?」

「興味ないです。聞いてほしいんですか?」

 ……いやな悪魔だな。たしかに。びみょ〜にいや。

「ボッサボサの髪に毛玉だらけの下着。恋愛絡みじゃないですね。イジメられたってような顔でもない。幸は薄そうですが」

「いやな悪魔だな」

「その通りです」

 男……いやな悪魔とやらは眉一つ動かさずに淡々と言う。平坦な口調のくせにボッサボサと"ッ"が入っているのがまた腹立たしい。

 しかし、なんとなくこのお遊びに乗ってやる気にもなった。

「で、何してほしいの? どうせヤラせろとかでしょ」

「いえ、そんなボッサボサの髪──」

「うるせぇよ。二回言うな」



「ありがとうございます。流石ですね」

「……高校生にこんなことさせんなよ」

 いやな悪魔の頼みとは、タバコを買うこと。悪魔を名乗るなら性行為か殺人くらい強要しろよ。いやな悪魔だな。

「僕は悪魔ですが童顔なので。あなたは老け顔で……ンッンン失礼、大人びているのでイケるかと」

「いやな悪魔だな」

 いやな悪魔も制服から着替え、黒いダッフルコートを着ていた。さっきよりも身長が5センチくらい伸びた気がする。悪魔だから体型も思いのままなのか。

「で、ライターは?」

「……あ」

「その見た目でドジっ子ですか? それとも天然? 実はタバコの火はライターでつけるんですよ」

「知ってるようるせえな。黙って待ってろよ」

 ライターを買ってきて差し出すと、それを手で制される。

「吸ってください」

「は?」

「どうせ死ぬ気だったんでしょう?」

「いや、そうだけど」

 何がしたいんだよ。……まぁここまできたらもうどうでもいい。灰皿の近くで火をつける。勿論吸ったことなんて無いから見様見真似。

 火がつくと、いやな悪魔もタバコを一本咥えて人差し指を振る。『こっちに寄れ』という意味らしい。

「?」

「いいから」

 するといやな悪魔は、咥えたタバコの先を私の咥える火のついたタバコにくっつけた。

 火が移ると、随分と満足そうな顔をする。

「ふふ、これ、やってみたかったんですよ。シガレットキスってやつ」

「……これだけ? ボサボサ頭の私とでいいのかよ」

「女とシガレットキスをした、という経験が欲しゲッホゲッホ!」

 いやな悪魔は盛大にむせると、火がついたばかりのタバコを乱暴に灰皿にねじ込む。

「普段から吸うわけでもねぇのか」

「浪漫としては好きですよ。とにかく僕はこれで満足です。魂とかいりません。帰っていいですよ」

「あっそ。……んで」

 いやな悪魔の鼻先に、わざとらしく指を指す。

「素敵な見返り、だっけか? くれよ」

「ん? ……ああ」

 いやな悪魔は思い出したように目を開く。

 そして、悪ぶれもせず。

「そんなものないですよ」

「チッ……はぁ?」

「悪魔をなんだと思ってるんですか。もしかして本気で信じてました? あなた本当に、見た目に似合わぬかわいいオツムしてますね」

「あーイライラする」

 残りの詰まった箱をいやな悪魔の顔に投げつけて、さっさと帰ることにした。



 翌日。

 昨日と同じ、屋上。この学校のガバガバ警備は見上げたもので、開けっ放しだった屋上の鍵は見事にそのままだった。

 お陰様で、先客もいる。

「ごきげんよう」

 いやな悪魔は昨日私が飛び降りようとした、まさにその位置に腰掛けて購買のメロンパンを頬張っている。その傍らには缶コーヒーが二本。

「私の分もあるのか。気ィ効くな」

「何言ってるんですか。二本飲むだけですよ。だいたいあなたブラックなんて飲めないでしょう」

「…………」

 言い返したいが、その通りだ。

 いやな悪魔の前にあぐらをかいて焼きそばパンを開ける。

「お前、結局何がしたかったんだよ」

「あなたは今日もこうして生きてるでしょう。それで十分です」

 いやな悪魔はこっちに視線も寄越さずに言う。まさか、本当に私の自殺を止めるためだったのか。

 事実結果として止められてしまったし、思いつきの自殺だって今では自分でもわけがわからないほどにやる気を失った。

「僕も屋上でまったりしたくてね、暫く侵入するすべを探してたんです。そしたらある時同志がいまして。」

「……?」

「その同志はとんだアホでね、毎日通ってピッキングしてるんですよ。アホですね〜。信じられます?」

「…………。」

「でもそのアホ、成功しやがったんですよ。だから開けっぱにしといてって頼もうとしたら、自殺なんかしようとしやがりまして。そんなことしたら、ここの閉鎖がもっと厳重になっちゃうじゃないですか。」

 残念ながら、コイツは本当に高尚な輩ではなかった。なんとなく、これは本心なんだと思う。

 でも、もし高尚な輩だとしたらそれはそれでムカつく。いや、そのほうがムカつく。そんなやつにまんまと止められてしまったのだから。

「これで僕も落ち着いてここが使えます。あ、自殺なら他所でお願いしますね。」

「はぁ〜……」

 なんだかもう、言葉が出ない。正直、口撃してものらりくらりとかわされるどころか逆にカウンターを貰ってしまいそうだ。

「そういえば」

 いやな悪魔は尚も視線を此方に向けず。

「髪、昨日より梳いてますね。」

「気のせいだ」

「大方言われたのを気にして梳いて、でもちゃんと梳いた頭を見られたら尚更かわれるだろうからやっぱやめた、ってとこですか」

「気のせいだ、自意識過剰」

 本当に、減らず口が止まらない。

「お前、三年だろ。教室で受験勉強でもしてろよ」

「推薦で決まってるんで、お構いなく」

「……っとに、いやな悪魔だな」

「はい。いやな悪魔です。位屋名阿久真、本名ですけど」

「そうなのか!?」

「嘘です」

「…………」

 夢にまで見たのどかな屋上は、教室よりもやかましい場所だった。

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