3月21日

15時20分


 ――


 それからの事は、あまり覚えていない。


 ドアを開けることには成功したのだったが、どうやら、そこで意識を失ってしまったらしい。ちょうど、その時に、このビルの近くを通りががった人が警報機が鳴っていることに気が付いて、119番に連絡をしたらしい。通報を受けて確認しにきた消防隊員が私を発見して、急いで外に搬出して、事なきを得たという具合だ。


 それから数日は入院を余儀なくされた。聞けば、意識を失ったのは消火剤に使われていた二酸化炭素の中毒が原因とのことで、救出があと数分でも遅れていたら、命は無かっただろうと言われてしまった。入院中は様々な検査を受けさせられて、脳に後遺症が無いかチェックされたけれど、幸いにも特に異常なしとのことで、安心した。


 後から聞いた話なのだけれど、二酸化炭素の消火剤の放出に巻き込まれてしまったら、普通なら、ほぼ助からないらしい。けれど、システムの不具合なのか、浴室内の換気扇が制御できずに動いたままになっていたようだ。それで、ガスが外に逃げ出して、事なきを得たという感じだ。


 浴室の換気扇――果たして、それは偶然なのだろうか。そして、果たして、アイカは本当に私を「削除」したかったのだろうか、それとも本当はアイカを―― いずれにせよ、今となっては知る由も無い事だ。


 退院してまもなく警察署に呼ばれた私は、起こった全ての出来事を余すところなく話した。アイカのサイトのこと、美春のこと、コーダイ先生のこと、莉奈のこと、そして開発者のこと。


 一方的に話してしまったがためだろうか、担当の刑事は終始、ぽかんとした表情をしていた。「調査を並行して進めておくから、数日後に改めて警察署に来てほしい」と言われて、その日の取り調べは終了となった。


 そして、今まさに、2回目の取り調べを受けている最中だ。


 「取り調べ」と言われると、2時間ドラマで出てくるような、机の上に小さな電気スタンドが置いてある薄暗く狭い部屋を想像するかもしれない。けれど、そんなことは無くて、刑事たちが引っ切り無しに行ったり来たりしている大部屋の隅っこで話を聞くといった感じだ。学校の職員室みたいだと言えばイメージしやすいだろう。


 目の前には、2人の刑事がソファーに座っていて、私の話を聞いている。一人は大柄でひげを蓄えたオジサンで、もう一人はやせ型のひょろっとした、若いオニイサンって感じだ。おそらくは、上司と部下の関係だろう。


 二人とも、私が一通りを話し切った後はしばらく黙っていたが、両者が顔を見合わせたかと思えば、ついに、オジサンのほうが先にしゃべりだした。


「うーん、なるほどねぇ。人工知能とやらが、ねぇ」


 机の上に広げられた書類をパラパラとめくりながら、何かを考え込んでいた。一通り目を通し終えたのか、書類を机にポンと置いたのち、改めて声を掛けてくる。


「あのね、お嬢さん」

 ―― ちょっと、『お嬢さん』はまずいですよ ――


 オニイサンが驚いた表情を浮かべて、慌てながらオジサンに耳打ちをしていた。けれども、こっちまで筒抜けでは全く意味が無い。このご時世、刑事という仕事もやりにくいものなのだなと、ちょっと同情してしまった。


「ああ、そう。では、えっと……マジュ?さん」

 ―― マシロですよ ――


 再度、耳打ちが飛んでくる。正直、それは止めてほしい。同情できません。


「むむむ、今時の子の読み方は、さっぱり分からないな! では、真珠さん!」

「あ、はい!」


 謎の開き直りの態度を見せながらドヤ顔で言い直すものだから、びっくりして背筋がシャンとしてしまった。


「申し訳ないのだけれど、夢でも見ているんじゃないのかな? 二酸化炭素中毒の症状に意識の混濁っていうのがあって、まれに、現実と夢との境目が分からなくなる人がいるんだよ。それじゃないかと思っているよ」


 はっとした。今まで頑張って説明してきたが、上手く伝わっていなくて、狂言か何かだと思われている。


「そんな訳ありません! ちゃんと調べてください! 美春だって、コーダイ先生だって、アイカに殺されたんです!」


 これではいけないと、慌ててしまい、どうしても早口になってしまう。


 ―― 美春って? ――

 ―― 彼女の同級生で、1週間くらい前に交通事故で亡くなったって子です ――


 刑事二人が、再度、耳打ちで話をしている。


「ああ、彼女のことか。えっとね、二人とも、別に事件性は無いって。調査も終わっているんでね」

「そんな訳、ありません! そうだ! 車! 車が外部から操作されたんです」

「そうなの?」

「いや、そんな報告は上がっていないですね。2件とも、運転者の不注意が原因のはずです」


 オジサンは横を向いてオニイサンに訪ねているが、もはや耳打ちすらしなくなった。


「だってよ」

「そんな……じゃあ、開発者! あそこにいたのは、アイカを開発して動かしていた張本人です!」

「そうなの?」

「いや、フリーのエンジニアで教育会社から委託開発をしていたようですが、技術的には至って平凡なものと聞いています」

「だってよ」


 美春もコーダイ先生も、そして開発者のことも、何を言ってもアイカとの繋がりは無かったことにされてしまい、どんどんと焦りが募っていく。


「嘘です! なんでそんな、嘘をつくんですか! だって、サーバーとか見ればすぐに分かります! そうだ! ノートパソコンの中にアイカの資料とか、アイカの開発のブログとか――」

「えーっと、ちょっといいかな?」

「!?」


 ついに、オジサンは「もう話すな」と言わんばかりに私の話を遮ってきた。「ハァ」と、こちらまで届く、わざとらしい溜息が聞こえてくる。


「真珠さんの言う、その、なんだっけ? アイカ? っていうのは、我々も調査したんだけれど……無いんだよ。サーバーとかノートパソコンとかの中には、どこにも。ブログってのも、全く見当たらないんだ」


 ビックリして頭が真っ白になる。だって、ノートパソコンには確かにあるはずだ。アイカの資料や、開発者のブログへのURLが。それが無い、というのならば、私が見たものは、一体なんだったというのか。


「え!?……そんこと……だってアイカのサイトに行けば――」

「そのサイトってやつだって、URLにアクセスしてみても、全然、応答がないんだよ」

「URL自体が、過去に存在したことが無いみたいですね」

「え、そんな……」


 たしかにアイカはWebから姿を消していた。けれど、<404>は依然として存在しているはずだ。なのに、それすら存在しないとなると――もう、証拠として納得してもらえる材料が思い当たらない。


「あなたの言うアイカってやつは、この世のどこにも存在しないってことなんだよ」

「……」

「せっかく、こうやって話して頂いて恐縮なのだが……真珠さんの話には現実性がさっぱりないんだ。ショックで頭が混乱しているみたいだから、今日は、ここまでにしよう。少し休んでリフレッシュした後で、また来てくれるかな?」

「……はい……」


 オジサンの言う通りかもしれない。今日はもう、これ以上の話をしても仕方がないだろう。ここは一旦、退くことにした。


 警察署を出て、ポツポツと家路を歩く。上手く伝えられなかったという無念さから、思わずため息が出てしまう。ほっと息を吐き出すと、気温が高いからか、白くなる前にすぐに空中に消え失せた。


 いつもよりも長い冬は、ようやく、終わりを迎えようとしている。

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