3月15日

09時21分


 ――


 ―― ブー ブブブ― ――


 スマホのバイブの振動で、夢の世界から引きずり戻された。


 寝ぼけまなこをゴシゴシとぬぐって、掛け時計に目を向ける。短針が6の位置を指しているということは――まだ3時間ぐらいしか寝ていないじゃん、もう少し休ませて……


 ―― ブー ブブブ― ――


 ―― ブー ブブブ― ――


 ―― ブー ブブブ― ――


「あああ、うるさい!」


 バッチリ、目が覚めた。画面を見ると、着信ありを意味する巨大な受話器のアイコンがブルブルと震えている。発信者は、どうやら莉奈のようだった。朝早くからお喋りって、さすがはバレー部の次期部長、朝に強いな。夜型人間の私には、さっぱり理解できないよ。


 アイコンをスワイプして通話を開始した。


「莉奈? おはよ……」

「うん……おはよう……」


 莉奈の声のトーンからは、いつもの持ち前の明るさがどこにも見当たらない。


「あれ、莉奈? どうしたの、こんな朝っぱらから」

「えっとさ……学校から連絡網で回ってきて……」

「うん、なーに?」

「……」


 莉奈はモゴモゴとしていて、全く要領を得ない。ついには黙りこくってしまった。


「あのさ、実はちょっと寝不足なんだよね。あとでまた、掛けなおしてくれないかな?」

「……」

「もしもーし?」

「……うぅぅ……」

「あれ? 莉奈、どうしたの!?」


 スピーカーの向こうから、すすり泣く声が聞こえてきて、すぐに気が付いた。ただ事ではない何かを、彼女は伝えようとしている。


「……うううう……」

「ちょ、ちょっと!? 泣いているの? 落ち着いて、ちゃんと言ってくれないと分からないよ!?」

「……」

「ゆっくりでいいから、ね?」

「……こ……」

「え、なに?」

「こ、コーダイが……し、死んじゃったよ……」

「!!!!」


 コーダイ先生が――死――


 ―― 死ね! ――


 ―― サクジョしますか? ――


 アイカ……やっぱり……あなたは……


 残酷で無慈悲な現実が、つまびらかになる。昨日は色々と考えを巡らせてみたが、結局は考えうる限りの最低で最悪の事が起こっていた。いや、最悪は、あのまま助からずに命を絶たれる事だから、2番目と言ったほうがいいかもしれない。


「……ぅぅぅ……」

「……」


 莉奈の泣き声は止まず、私は絶句して声が出ない。2台のスマホを通して、何とも言えない、どんよりとした空気が、二人の間を漂っていた。


 ――


 色々と考えたが、今日は学校に行くことにした。


 学校とはいえ、終業日だから午前だけであがりだ。終業式で偉い方々の有難いお言葉を頂いて、教室で先生から通信簿をもらって、進級に関する連絡を聞くだけなのだ。けれど、肝心の先生は、もういない。


 教室に入ると、そこは静寂に包まれていた。半分くらいの生徒が出席しているようだったが、みんな一様に口をつむぎ、能面のような表情で呆けていた。普通、女子高の終業日とでもなれば、休みをどうするだの、成績がどうしただので盛り上がるのが相場なのだけれど、とてもではないが、ゲラゲラと笑い声をあげるような雰囲気ではなかった。


 そんな異常な雰囲気になってしまうのも、無理はないのかもしれない。だって、美春の訃報に衝撃が走った、その翌日に今度はコーダイ先生が亡くなるだなんて、誰が予想できただろうか。


「ねえ、コーダイも事故だってね……」

「うん……」


 取り巻きたちが、ひそひそ声で会話しているのが、耳に入ってくる。莉奈と通話した後で分かったことなのだが、どうやら先生は美春と同様に交通事故に巻き込まれて命を落とした、ということになっていた。「なっていた」というのは、つまり、「巻き込まれて」の部分がおそらく事実ではないからだ。


「美春と一緒って、やっぱり……心中なのかな……」

「……たぶん……」

「ていうか、この教室って、もう呪われてるんじゃないの!?」

「ちょっと! 縁起でもないこと言わないでよ!」

「だって……いや、もしかしたら……美春が……」


 昨日の不謹慎な明るさは、今日は全く見られなかった。彩子の顔からは血の気が引いて、目線もおぼつかないみたいだ。他の取り巻きたちも、ショックの色を隠せないでいた。彼女たちが醸し出す感情は「コーダイ先生の死が悲しい」といったものではなく、一言でいえば恐怖――それも「次は自分なのでは」という恐怖だった。


 呪い――そんな漠然とした言葉ではなく、ハッキリとした原因を私は知っている。そして、その根本と言えば――


 先生が亡くなった以上は、殺されそうになったと警察に駆け込む必要はない。むしろ、殺人事件の重要参考人として、長い間、警察と裁判所のお世話になるってしまうかもしれない。連続殺人の真犯人として有罪の判決が下りたら、私は死刑になるのかな? でも、証拠とか、果たしてあるのだろうか。


 けれど、もう限界だから、警察に行って全てを明らかにすることにした。人生がどうなるか分からないけれど、もはや一人では抱えきれないから。ただ、それをするまで、少しだけ時間を置かせてほしい。私には2つ、やり残したことがある。1つ目は――


「おはよう、莉奈」

「……あ、おはよう、真珠……」


 莉奈と直接、話がしたかったからだ。今日が終わったら、4月までは会うことができない。もしかしたら、ずっと、かもしれない。だから、何かあっても悔いが無いようにしておきたい。


 早朝の莉奈はスマホ越しでも分かるくらいに取り乱していたが、今は少し落ち着いたように見える。ただ、声のトーンはかなり低く、両まぶたが腫れ上がっている様子を見れば、その心中は察するに余りある。彼女は普段から「コーダイコーダイ」って言っていたけど、ここまで本気だったのかと、今更ながらに気づかされたのだった。


「ねえ、莉奈」

「え……なに?」

「ちょっと、手を見せて」

「何で?」

「ああ、もう、いいから!」


 莉奈の右手を強引に掴んで、私は両方の手でそれを包んだ。普段から部活で鍛えていることがハッキリと分かるくらいに、彼女の手のひらは、とっても広くて分厚くて、私よりもちょっとだけ温かい。


「ちょ、ちょっと! どうしたの!?」

「ふふっ、もう少し、我慢して」


 戸惑う莉奈を横目に見ながら、ぎゅーっと強く握った。「人は手を握られると安心する」って、中学生のころにテレビか何かで聞いたことがある。先生の事で混乱しているのならば、これで少しは落ち着いてくれたらと思う。それに莉奈には、体温の違いを通じて、私という存在がこの世にいた事を、忘れないでいてほしいから。


「ちょっと、真珠! 手が冷たくない? もっと運動して筋肉を付けないとダメだよ?」

「えー、莉奈が熱すぎるんだよ」

「ふふっ」


 ちょっとだけ、莉奈が微笑んだ。普段の彼女と比較すれば、まだまだ全然って感じだけれど。でも、莉奈が少しだけ明るさを取り戻したのを見て、私も同じだけ、気持ちの雲が晴れていくような感じを覚えた。


「あのさ、真珠」

「うん?」

「春休みの……4月になったら、二人でどこかに行かない?

「いいよ、行こう! やっぱり〇×市かなぁ」


 あまり遠くには行った事が無いから。


「行くなら、もっと遠くがいいよ。東京とか? 夜行バスと電車を乗り継げば、結構安くいけるよ」


 東京かあ。ちょっとした冒険だな。バイトもしなきゃだね。


「分かった。いいよ。東京に行こう」

「うん、約束だよ」

「当然!」


 ごめん。その約束は守れそうにない。けれど、「約束だよ」と言いながら彼女が見せた、その屈託のない笑顔は、いつまでも守ってあげたい。なぜだか知らないけれど、そんな事がふわっと、頭の中で浮かんだ。


「あれ、そういえば真珠、きょうはセーターなんだね?」

「え……まあ、ね」

「ふーん、なんか、いつもと違うから」

「なんか、今日は寒いなーって思って。莉奈はどう?」

「え! ぜんぜんじゃん! むしろ暑いっていうか」

「本当? 私、風邪ひいたのかもしれないなぁ」


 またしても、嘘をついてしまった。ただでさえ、教室内はヒーターがガンガンに効いていてシャツ一枚でもいいくらいなのに、普段とは違う分厚い紺のハイネックを着ているから、実は暑くてダラダラと汗をかいている。でも、脱ぐことはできない。


 だって、バレちゃうじゃん。決して見られたくない、私の首についた、真っ赤なアザが。

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