18時50分


 ――


 結論を言うと、追試を受けることができた。


 あれから2時間ほど後のことだろうか、たまたま通りがかった莉奈が、数学準備室から私のすすり泣く声が聞こえてくるのに気がついて、慌ててドアを開けてくれたのだ。どうやら、体育の授業が終わった後に、私が追試を受ける様子を覗こうと、試験会場に立ち寄ったらしい。ところが、会場のどこにも私の姿が見当たらない。不審に思って、校舎中を探し回ってくれたのだ。


 急いで追試の会場に向かったが、試験はちょうど終わったところだった。英語の先生は私を見るなり「もう遅いから」と言って突き放してきたが、後から追っかけて来た莉奈が、「真珠は悪くないんです! 試験を受けさせてください!」って言いながら、突然に土下座をしたのだ。聞けば、先生は莉奈が所属しているバレー部の副顧問ということで、たぶん彼女の人となりを知っているのだろう。これはただ事ではないと理解してくれた結果、私だけ特別に、遅れて試験を受けることができた。


 試験中はずっと動揺してしまい、ちゃんと回答が書けているのか不安だった。試験終了の合図を受けて答案を先生に渡すと、ざっと目を通したかと思えば、「おめでとう、合格です」とだけ言って、立ち去っていった。どうやら、無事にクリアしたらしい。


 ――


「……で? 二人して、どうしたの?」


 テストが終わってから少したった後、職員室に寄った私と莉奈は、コーダイ先生と話し合うことにした。私は乗り気では無かったが、莉奈が「いいから来て」って言ってきかないから仕方なく、ついていった。


 職員室の窓をちらっと見ると、向こう側の景色が全く見えないくらいに真っ暗だった。室内の人影はまばらで、先生同士で談笑している様子も見てとれた。コーダイ先生は数学の追試を採点しているようで、こちらには目もくれずに、淡々と赤ペンで〇と×を付けていた。


「先生! 真珠が閉じ込められたんです!」


 開口一番、莉奈の大きな声が職員室に響く。談笑をしていた先生たちが一斉にこちらを振り向いた。しかし、コーダイ先生は気にもとめずに、赤ペンを動かし続けている。


「閉じ込め? あぁ、なんか追試におくれそうになったんだって? 英語の先生、莉奈が土下座してきて困ったって言っていたよ。莉奈さぁ、だめじゃないか。そんなことしちゃ」


 先生のメガネに、莉奈の姿が反射して映った。


「そんなの、どうでもいいっていうか、とにかく! 真珠は追試に遅れるように、外から閉じ込められたんです!」


 莉奈は、本当に勘が鋭い。「追試の直前」「旧校舎のはずれの数学準備室」「突然のドアの故障」――これだけの状況証拠だけで、誰が何をしたのか一発で理解したのだろう。


「外から? 真珠、そうなの?」


 やはり採点をしながら、こちらを向かずに質問をしてくる。


「……え、えっと……」


 うまく言葉にできずにいると、見かねた莉奈が口をはさんだ。


「絶対、そうに決まっているって! ドアを開けた時になんか違和感があって……なあ、真珠、どうせあいつらなんだろ?」


 あいつら――もちろん美春たちのことを、言っている。具体的に名前を挙げないのは、きっと私の口から、ちゃんと言う事を期待しているのだろう。


「あー、あのさ、莉奈はちょっと黙っていてくれないかな? 僕は真珠に聞いているんだよ」

「す、すみません……」


 注意されてしまい、莉奈は少し動揺してしまう。声が心なしか震えたように聞こえた。


 先生は、はぁ、とため息をつきながら、赤ペンを動かすのを止めた。そして、こちらを向き、私の目をじっと覗いてくる。


「で、本当に閉じ込められたの?」

「え、えっと……」


 目をマジマジと見つめられて、戸惑ってしまう。


「うーん……じゃあさ、質問を変えるよ。一体、誰に閉じ込められたの?」


 無表情に、私の目から逸らさないでいる。何か言いたいことがある、と、そんな風にも見えてきた。


「あ……あの……」

「ん? どうしたの? ハッキリ言わないと分からないよ? 誰に、なんだい?」


 先生のメガネに、今度は私の姿が映る。そして、メガネの向こう側から透けて見える彼の瞳は、氷のように冷たかった。


「え、その……美……」

「み?」


 ―― 美春 ――


 その名前が口から出てくるのを、とっさに止めてしまった。


 コーダイ先生が冷めた目で私を見つめてくる、その理由を理解したからだ。


 この瞳は――知っている! 美春と別れることになった原因が、私にあるってことを。


 ―― お前のせいだ! なんてことをしてくれたんだ! ――


 彼の心の声が、氷のように冷たい目瞳からハッキリと伝わってきた。


「……」


 言えない。この目を前にして、美春の名前を口に出すことができない。もしも言ったら、どうなるのだろうか。憎悪は私に向けられるのだろうか、それとも、美春に向けられるのだろうか。いずれにせよ、どんどんと「幸せ」から遠ざかっていく、そんな気がしてならないからだ。


「ち、違います! 誰にも閉じ込められていません!」


 立ち上がって、思わず否定してしまった。それを聞いた莉奈がびっくりして、私の肩を掴んできた。


「ちょっと、真珠!」

「ドアの引っ掛かりが悪かったから、強引にずらしたら開かなくなったんです!」


 莉奈に構わずに、適当に嘘を見繕う。それでも、彼女は食い下がる。


「真珠! あんなやつら、かばう必要ないって!」

「莉奈、本当なの! 私が悪いの! 私が……。先生、ごめんなさい!」


 深々と頭を下げてみた。でも、これは「ごめんなさい」の意味ではない。「そんな目で見ないでください」と、顔をそむけたくなったから下げただけだ。


「……はぁ……」


 コーダイ先生は、呆れたようにため息をついて、腕を組み、天井を見上げた。


「別に謝る必要ないから。何も問題は起きていないし、聞けば追試も大丈夫だったんだろ? 今日は遅いから、もう帰りなさい」


 そういうと、立ち上がって去っていってしまう。


「はい……」


 聞こえるのか分からないほど小さな声で、一つ返事をした。


「ちょ、ちょっと、先生!」


 あわてて、莉奈が慌てながらコーダイ先生を追いかけていく。去り際に、こちらのほうをちらっと、悲しそうな表情でふりえった。そんな、莉奈の訴えかけるような瞳を見たら心が締め付けられてしまい、思わず目をそらして顔を伏せてしまった。


 ――ああ、莉奈、ごめんなさい。私はやっぱり、君みたいにはなれなかったよ。 


 気が付けば、職員室に残っているのは私だけになった。

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