3月11日

16時00分


 ――


 ついに、試験当日の金曜日を迎えた。決戦は金曜日、だ。


 教科書の内容を頭に叩き込んで、例題もたくさん解いて、万全すぎるくらいに準備を重ねた。それでもなお、不安によるものなのか、はたまた勉強すること自体が楽しいと感じてきたのか、直前になっても授業そっちのけで最後の追い込みをしてしまう。午後の4限は体育の時間だけれど、体育館の隅っこで、さぼって単語帳をパラパラとめくっては、間違えているところがないか点検をする。


 まあ、授業といっても、3学期の終わりの終わりだから何もすることがない。体育館に集められたあとは「各自、体を動かすこと!」って感じで放置される。つまり、適当に遊んで時間をつぶせってことだ。


 体育館の右半分ではバスケット、左半分ではバレーボール、はじっこではバドミントンをやっている。あ! 壇上でダンスの練習している子たちがいる! 正直、ヘタクソ!


 冬の雪国の体育館は巨大なかまくらみたいなもので、冷たいというか、ちょっと湿っぽい。だから、床にぺたりと座ると、一瞬、漏らしちゃったような感覚を覚える。いや、高校生にもなってらすなんて事はないのだが、ひょっとして!ってことも考えてしまい、ついつい体操服のズボンを触って確認してしまう。


 おしりをモジモジしながら単語帳をペラペラめくる。1枚目、オッケー、2枚目、オッケー、3枚目――


「なーにやってんの!」

「わっ!」


 突然、誰かがガバッて抱き着いてくる。力が強すぎるから、振り向かなくても誰だか分かる。


「びっくりした。なあんだ、莉奈かぁ」

「ひどーい。なんだ、って言い方はないじゃん。」


 莉奈は、ぷくーっと頬をふくらます。


「あ、英語の勉強をしている!」


 肩の後ろから手を回してきて、単語帳に向かって指をさしてきた。


「そうだよ、今日は追試だから。最後のチェックだよ」

「へー、単語帳じゃん。あ、メモが入っている! けっこう覚えたの?」

「まあねー」


 莉奈とは話半分にして、単語帳に集中する。4枚目、オッケー、5枚目――


「なら、手ごたえがあるって感じ?」

「バッチリ」

「ふーん。じゃあ、体育の時くらいは体を動かそうぜー」


 そう言って、私の肩をブンブンと降ってくる。ちょっと、読めないって!


「えー、念には念を入れないと」


 追試が終われば終業式を迎えて、そのあとは待ちに待った春休みだ。莉奈とはいくらでも遊べる。


「そうなんだ、つまんないの!」


 あきらめたのか、莉奈はすっと立ち上がって、目の前のバスケットボードに向かって、びよーんとジャンプする。


「よっと!」


 ―― バチーン ――


 ボードの下あたりを思い切り叩いた。あれって3mぐらいあるんじゃなかったっけ? なんていう跳躍力だ。


「あ、ボードが割れちゃったよ」

「え、うっそ!……って、割れるわけないじゃん! どんな馬鹿力だよ!」

「ハハハ、ごめーん」


 単語帳をめくる手をとめて、つい笑ってしまう。


「もう!」


 莉奈もつられて笑うが、ちょっと考えたような雰囲気で、真顔になる。


「……あのさ、真珠」

「え、何?」


 莉奈は、少しもごもごしたような顔をしている。


「なんかさ、今日は真珠、ずっと……ちょっと雰囲気が違うっていうか……何か考えているっていうか……いや、怖いってわけじゃないんだよ? ただ……なんか、あったの?」

「え……」


 莉奈は勘が鋭いところがある。「察する」スキルは私よりも上のレベル3ぐらいあると思う。けれど、その質問はあまり、されたくない。そういうところも「察して」ほしい。


「……そんなこと無いよ! ていうか、英語の追試があるからだよ! 私の人生がかかっているんだから、当然でしょ」


 嘘をつくと、どうしても早口になってしまう。


「だ、だよね。そうだよね! ゴメンゴメン」


 莉奈は気まずそうに顔をポリポリかいている。


「ホント、変なこと言って!」

「だからー、ゴメンだってー」

「あはは、別に何にもないからねー」


 そう、莉奈が気にすることは何にもない。これは、私と美春の問題だ。そして、何も問題はなくなった。


 ―― 本当に、何、にも、ない、よ。


 莉奈に感情が読み取られないように、口をぎゅっと結ぶ。


 ―― タッ タッ タッ ――


 二人の間に割り込むがごとく、別の子が走って駆け寄ってきた。


「真珠! こんなところにいたんだ」

「えっ?」


 ちょっとびっくりした。その子は、美春の取り巻きの一人だった。


 取り巻きたちは美春のコシ巾着みたいなもので、当然、私は嫌いだ。ただ、美春ほどではない。彼女たちは美春の言いなりで集団じゃないと強がれない。自分が無い子たちだからだ。ただのガヤだ。だから、名前を呼ぶほどでもない。便宜上、A子とでも呼ぶか。


「もう、探しちゃったじゃん」


 A子はハアハアと肩で息をしている。


「うん……何か用?」

「えっとさぁ……」


 A子はキョロキョロとしながら、小さな声でささやいた。心なしか莉奈のほうをチラチラ見ていたが……、当の本人は、バスケットゴールのリングを触ろうと、ぴょんぴょんとジャンプしていた。子供かよ。ていうか、さすがにそれは無理だろう。


「コーダイが呼んでいたよ。今すぐ数学準備室に来いって。追試がどうこう言っていたけど」

「ええ、ホント?」


 どういうことだろうか? 追試はこの体育の授業が終わってから1時間後くらい、まだ、時間の余裕があるはずだけれど。コーダイ先生に呼びつけられるっていうのも、まったく身に覚えがない。


 でも、もしかしたら、私が何か勘違いをしているのかもしれない。追試の時間を間違えているとか。


「やば、じゃあ着替えないと」

「いや、体操着のままでいいから、ソッコーで来いだってよ」

「え、なんだろう……すぐに行かなきゃ……」


 それって、よっぽどの緊急事態なんじゃないか。そう思えてきて、全身の体から血の気が引くのが分かった。


「んー、なんかあったの?」


 A子と一緒に話しているところに、莉奈が割り込む。ジャンプぴょんぴょんは、もう飽きたみたいだ。


「えっとね……」

「あー、莉奈、ちょっとちょっと!」


 私が説明しようするところを、A子がさえぎる。


「え?」

「バレーの人数が足りていないから、助っ人で入ってくれない?」

「まじ!? バレー、行く行く!」


 莉奈は体を動かすのがクラスの誰よりも好きだ。バレーという単語を聞くや否や、目の色を変えてA子の手を握る。


「良かったぁ。莉奈が来たら百人力って感じ」

「チームどっち? あぁもう、どうでもいいや! 早くやろう!」


 莉奈はやる気がマンマンだ。でも、バレー部の次期部長がそのままバレーに参加したら、試合にならないんじゃないのかな。


「よっしゃあ。じゃあ真珠、またね」

「うん、バイバイ」


 莉奈はA子と一緒にバレーのコートに歩きだす。


「……ごめんねぇ……」


 A子がうっすらと、そう言った。ああ、莉奈とのおしゃべりを遮ってゴメンって意味なのかなと、その時の私は周りが見えていなかったから、ポジティブなほうに解釈をしてしまった……

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