没落した伯爵家

 いくら婚約者といえど、そう気楽に会いに行ける人ではないロビン王子だが、リリーが鼠に変身した翌日にはちょうど結婚式に関する打ち合わせがあった。これは幸い、と私室に戻ったリリーはトレシアの貴族名鑑を取り出し記憶が薄れないうちに、あの初老の貴族から調べ始めるのだった。


「それではこちらが招待しますお客様のリストとなります。一部まだ定まっていない方もいらっしゃいますが概ねこれで決まりかと」


「ありがとう、こちらからご挨拶すべきはこの上の方のグループだね」


「はい、その中でも上の方にございます方々は、国としても、我々よりずっと格上の方々にございますのでご注意ください」


「あぁもちろんだ。しかし、王族の婚姻というのはややこしいものだな」


「諦めてくださいませ。今回はリリー様も公女様でいらっしゃいますから、まだわかりやすいと存じます。リリー様に置かれましてもご面倒でしょうがこちらのリストについては頭に入れていただきますようお願いします」


「もちろんよ。むしろもっと多くなるのではないかと思っていたくらいだわ」


 ここまで国事を司る役人とロビンの話を一歩引いて眺めていたリリーだが、そう話が振られると、にっこり笑って答える。


 今日行われていたのは、結婚式の後に行われる舞踏会の流れや招待客に関する打ち合わせ。各国からの出席者もほぼ決まり、最終的なすり合わせが行われていた。


 王族同士の結婚、それも商業で栄え、数多くの国々と関係を持つトレシア王国の王太子の結婚となればもうそれは周辺の国だけでなく遠く離れた国も巻き込んだ一大行事となる。当然招待客の数もなかなかの数だ。


 特に優先して挨拶すべきは誰か、気をつけるべき人物、頭に入れておくべき情報を整理しているとそれなりの時間がかかる。自身もリリーもそして説明をする役人たちもさすがに疲れてきたことを感じたロビンは、一息入れようと役人達に一度外すよう指示する。交代で入室した侍女たちによりテーブルはさっと片付けられ、冷えてしまったお茶は新しいものが入れられた。


「いくら姫が優秀でも流石に疲れたでしょう。彼女たちが甘いものも用意してくれたようなのでいただきましょう。」


 そう言うと、かごに盛られた輝くような焼き菓子達の中から小さなケーキを手に取るとそのままリリーの口元へと運ぶ。あまりにさり気なくされるものだから思わず促されるままに口を開いたリリーはぱくりと一口サイズのケーキを食べるとその甘さに目をほころばせた。


「ありがとうございます。頭を使ったときは甘いものが一番ですわね」


 と、そこまで言ったところで今自分が何をしていたかに気づいたリリーは赤面し、そして顔を青くする。


「っ、申し訳ございません。殿下に手づから食べさせていただくなど、恐れ多いにも程がありますわ」


 リリーは少し前の自分を殴りたくなる。小さな菓子だったので王子もそれこそ小さい子供にするような気持ちで口元に運んでくれたのかもしれないが、王子のアーンを何の躊躇もなく受け入れるなどどういうつもりだったのか。ベルンの作法の教師が聞いたら卒倒しかねない。


 そんなリリーをみて目を細めたロビンは


「僕達は婚約者ですよ、それももうすぐ結婚するんです。気にすることはありません。それよりももっと食べますか?他のも美味しそうですよ。」


「いえ、自分でいただきます。あの、それより殿下もずっと書類を見ていらっしゃって、いえ慣れていらっしゃるかもしれませんがお疲れですよね。ぜひ甘い物でも」


 そういったところで、これはこのまままだと今度は自分がアーンをする場面では?とさらに顔を青くする。


 実際王子も最初はそう考えていたのだが、アワアワとするリリーが流石に可愛そうなのと、最初のアーンの段階でこちらを睨んできていた侍女長の目が怖いので言い出すのはやめておいた。(ちなみにこの睨みは別に無作法を咎めているわけではなく、まだその段階には早すぎます、というものだ)


「確かに流石に疲れましたね。私もいただきます。」


 そう言うと、カゴからこちらも可愛らしいサイズのマドレーヌを摘み口に入れる。これまた無作法ではあるが、王子とリリーの他は侍女たちしかいないこともあり特に誰も咎めない。


 流石に二度目のアーンは自重刷ることにしたらしく、こんどは別のケーキを小皿に載せ、どうぞ、と視線で促う王子にリリーも頬を染めつつ「ありがとうございます」と今度は落ち着いてお菓子を食べ、部屋にはのんびりとした空気が流れ始めた。


 お茶も半分ほどいただき、部屋の空気もかなり落ち着いて来たあたりを見計らいリリーは「ところで」と王子に声をかける。ここまでの世間話をしていたときとは違う様子のリリーに王子も居住まいを正した。


「少し内密のお話があるのですが・・・・・・」そう言うリリーに答え、王子はさっと目線で従僕や侍女たちに合図をする。心得た、とばかりにさっと彼らが退出すると、部屋に残ったのは王子とリリーそして王子の側近たるアンドリューだけとなった。


「これで心置きなく話せるよ。アンドリューだけは残したけど良いよね?」


「もちろんですわ。殿下を煩わせるような話かも分からないのですが、まだ王宮の人間関係を把握しておらず、一番信頼できる方に話すのが良いだろうと思いまして」


 そう前置きをしたらリリーは昨日見聞きしたサロンでの話を王子に伝える。もちろん自分が鼠に変身したことは伏せて、あくまでも偶然聞いた話、としてだ。


「なるほど、フレシェンド伯爵家ね。さもありなんといったところかな」


 そう言う王子の後ろではアンドリューもまた苦笑している。


 昨日私室に帰り、大急ぎで貴族名鑑を開いたリリーだったが、あの初老の貴族の名前を調べるのは容易だった。あの顔にはなんとなく見覚えがしたのだがそれもそのはず。あの貴族はトレシア王国を代表する大貴族のだったのだ。


 そう・・・・・・だった。


「リリーはフレシェンド家のことをどのくらい知っている?」


「つい最近までは、トレシア王国を代表する大貴族ですわよね。領地のの中でもブリスタムは街道の交差点で、商業が栄えるこの国においてその影響力は絶大で経済力も相当なもの。だた数年前に密輸に加担していたことがバレて、そのブリスタムの統治権を取り上げられてからは落ちる一方。ついに伯爵位すら取り上げられかねない惨状だ、という程度しか」


「それだけ知っていれば十分だよ。」


 ニコリと笑った王子は続ける。


「その通り、数年前にこの国を揺るがした大規模な密輸事件。そこで密輸組織から金を受け取り彼らを見逃していた事が明るみになったフレシェンド家はその代償に多くの領地を失った。最も正確には横行していた賄賂のせいで統治機能が麻痺していたことから、一度王家が召し上げ、かの家が代替わりでまともになれば返すつもりだったんだきにどね」


「そうは思わず、王家が莫大なブリスタムの利益を手に入れるためフレシェンド家をはめ、その利権を横取りした、と考える連中も中にはいるようですね。フレシェンド家はその筆頭で事あるごとに王家に歯向かっているわけですが。」


 とは側に控えるアンドリュー。


「まあ、とにかくリリーの聞いたような悪巧みをする理由は充分にある、という訳だ。後はその相手だけど・・・その若い外国人は誰かはわからなかったのだよね。」


「はい、申し訳ございません。ややなまっていましたがトレシア語を話していたので、実際外国人らしき人、としかわからず・・・、姿からしてそう遠くの人ではないと思うのですが」


「そこまでわかれば充分だよ。アンドリュー、昨日のサロンの出入りの記録からフレシェンド卿の対談相手を調べてもらえるかい?」


 そう言った、王子の言葉にもちろんとばかりに首肯したアンドリューは早速部屋を出る。


 そうするとこの居心地は良いがそう広くはない部屋には王子とリリーの二人きりになる。


 少し沈黙が続いた後、先に口を開いたのはリリーの方だった。


「その・・・申し訳ありません」


「どうしてリリーが謝るんだい?悪巧みをしたのはフレシェンドの奴らだろ。むしろリリーは被害者になりそうだ」


「えぇ、そうですが・・・、しかし元を正せばベルンのそれも大公家に生まれながら魔法が使えないなどと言う困った素質がなければこのような面倒も起きなかったのでは、と。」


「そんなことを気にしていたのかい?前にも言ったけど、大事なのはどういう力を持っているかではなくどう力を使うかだよ。姫様は充分魔法を使いこなしているよ。それにむしろせっかくの結婚式にケチが入りそうになって申し訳ないのはこちらの方だ。彼らは姫様のことを笑いものにしようとしているようだし。」


 そのことを改めて認識したのか王子は少し怒りをにじませる。しかしリリーはそのことについては全く気にしていなかった。


「あら、それについては全く気にしていませんわ。魔法を使えずに笑われることなどベルンでは日常茶飯事ですし。それよりも来てそうそうこの国に迷惑をかけないか、それだけが心配ですわ。」


 その言葉に苦い顔をする王子だが、気を取り直すと、リリーの方を向き直る。


「つまり姫様はあなたの魔力について、それ自体については特に気にしていないのですよね」


「えぇ、そうですわ。子供の頃から付き合ってきた力ですもの。大事な力ですわ。」


「でしたらリリーさんに提案があります。うまくすればこの状況を乗り切れるかもしれません」


「なんですか?ぜひ教えて下さい。」


 すこしいたずらっぽい笑顔を浮かべる王子にリリーは顔を寄せる。そんなリリーに王子が伝えたのは逆転の発想だった。

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