第138話、移動(予定通り)

 領主一家の長男が迎えに来た翌日の早朝、賢者の姿は出発準備を終えた車の前に在った。

 そして出発する賢者を見送る為に、領主一家と主要な使用人も揃っている。


「では領主殿・・・いや、皆には世話になった。この屋敷に居る間居心地よく過ごさせて貰えたのは、領主一家のみならず使用人の者達も良くしてくれたからじゃ。心から感謝する」


 賢者は居並ぶ全員に対して、礼儀としてだけではない感謝を述べた。

 事実賢者はこの数日間とても楽しく過ごし、それはこの家の者達全員のおかげだ。

 細やかな気遣いを幾度も感じていた賢者の礼は、ただの礼儀だけではない気持ちが見える。


「心地良く過ごせたのであれば何よりです。とはいえ、むしろ私共の方がが貴女のお世話になったのでは、と少々思う所も無いでは無いのですが」


 領主は妻と息子達をチラッと見て、賢者に視線を戻すと苦笑で返す。

 恐らく夫人の願いや三男の想い、そして次男の鍛錬の事を言っているのだろう。

 領主は全て把握していた上で、皆の好きなようにやらせていたらしい。


 それも賢者を見定める一環だったのかは、結局語られずじまいではあるが。

 どうあれ賢者にとっては構いはしない。この数日楽しかったのは嘘では無いのだから。


「機会があればまたお越し下さいね」

「ああ。必ず、とは言えんが、機会があれば」


 そんな夫の態度を理解してかしないでか、夫人はにこやかに笑って別れを告げる。

 約束が果たされる事があるかどうかは、現時点ではお互いに解らない。

 だが賢者が下手な立ち回りさえしなければ、高確率で果たされる事だろう。


 夫人の言葉はその願いを込めて、という部分があったのかもしれない。


「お、お元気で・・・」

「お主もな」


 三男への返事は簡素なもので、けれどその声音には優しい思いが詰まっていた。

 もし許されるのであれば、わしゃわしゃと頭を撫でてやりたい程度には。

 だが思いに応える事の出来ない賢者としては、このぐらいが精いっぱいだ。


「この数日間、いい勉強をさせて頂きました」

「そうですか。それは何よりです。我が主の命に従った甲斐があります」


 尚その間に次男と青年が挨拶を交わし・・・どう見ても青年はまともに会話する気が無い。

 とはいえ賢者の護衛の体を止めるつもりが無いので、最低限の返答だけはしているが。

 そうして領主一家との挨拶を済ませ、使用人とも多少の挨拶を済ませた。


「では、お乗り下さい」

「うむ、宜しく頼む」


 頃合いを見計らった長男の言葉に従い、賢者は頷いて車に乗り込む。

 車の中を見回すと、外観に負けぬしっかりした作りに見えた。

 そして何より素晴らしいと思うのは座席部分だろうか。


 クッションらしきものが詰められており、多少の揺れは平気そうな座席だ。

 これならば王都が多少遠かろうと、最悪寝て過ごす事もできそうだ。

 そんな事を考えながら座席に着くと侍女と青年、そして長男も同じく乗り込む。


「しっかりとお届けするんだぞ」

「そうですよ、失礼の無い様にね」

「解っております。父上、母上」


 乗り込む際に長男に声をかける夫妻の様子に、賢者は一瞬両親を幻視した。

 同時に何だか少し寂しくなった気がして、そんな自分に苦笑してしまう。

 自分はこんなにも寂しがり屋だったかと思って。


「出発しますね」

「うむ」


 両親との会話を終えた長男がそう言って扉を閉めると、ほぼ同時に車が動き始める。


「ここから王都までまた数日かかりますが、道中の宿は既に予約を入れておりますので、野宿になる事はございません。その辺りはご安心ください」

「ふむ、それは有難いが、儂らは大所帯じゃ。大丈夫かの?」


 単純に宿に泊まれるのかどうかという点もそうだが、移動が問題無いかという点もある。

 実際今車はかなりのんびり走っており、どう考えても移動速度は遅い。

 それは車だけの移動ではなく、周囲に徒歩の護衛が大量に居るからだ。


 勿論のんびり歩いてはいないので、普通に歩くよりは移動速度は速い。

 それでも徒歩と車の本気の移動では雲泥の差だ。走った程度では埋められない差がある。


 目の前の男性はその辺りも考えているのかと、少し不安になりながら問いかける賢者。

 だが長男は特に気にする表情を見せず、むしろ安心してほしいと笑顔で口を開いた。


「問題ございません。お任せ下さい」

「・・・ならば良いが」


 本当に大丈夫なのだろうか、と賢者は思いつつもその言葉を飲み込んだ。

 あの領主夫妻の息子なのだと思えば信用できなくはない。

 実際どうなるかは解らないが、問題が起きるまでは任せて良いだろう。


 そうして移動をする事一日、長男の宣言が間違いで無い事が解った。

 そこは街というよりも宿場町であり、普通ならば賢者達全員が止まれるはずもない。

 けれど先に話していたと言う通り、なんと騎士団も全員宿に泊まる事が出来た。


 しかもそれは初日だけの話ではなく、王都までの移動の間ずっとそうだった。

 これには青年も少々驚き、同時に少しだけ考えを改める事になる。

 賢者を迎えに来た人間は、少なくとも指示を出した人間は、本気で賢者を客と見て居ると。


 担ぎ上げられた小娘を見てやろうという態度ではなく、本当に国賓に対する行動。

 それはつまり、考えようによっては賢者を懐柔に来ているとも言える。


(・・・そういう意味では、ある意味既に成功していると言えるね。領主一家とナーラの相性は抜群だった。ここから何かを選択する際、一家の顔が頭にちらつく可能性は大きい)


 それが人質か、それとも好意を持って仲間とする為か、そこまではまだ解らない。

 だがどちらによ賢者には効果があるだろうと、青年は心の中だけでため息を吐いた。


 賢者は心優しい女児だ。苛烈な所もあるから勘違いされるかもしれないが。

 けれど苛烈な所はせざるを得ない時で、基本的に賢者は穏やかで優しい。

 そんな彼女が気に入った人間を蔑ろに出来るかといえば、難しいと言わざるを得ない。


(滞在期間が長い理由があるとは思ったけど・・・そういう事かな)


 真実はまだ解らないが、それでも青年はその可能性が高いと感じている。

 勿論道中でその事を賢者に告げたが、賢者はそこまで気にした様子が無かった。


「まあ、その時はその時じゃろ」


 緩ーい調子で応える賢者に、青年はやはり不安を隠せない。

 けれど目の前の女児がただの子供で無い事は、今までの経験で良く解っている。

 である以上はもう言葉が浮かばず、ただ見守る事しか青年には出来ない。


 そして長男が経てた予定通り、とうとう王都に辿り着いた。


(やっと着いたわい。長かったのー)


 賢者としては長旅過ぎて、やっとか、という感じが強かったが。

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