第119話、予測(正解)

「は~~~~~、めんどくさいのう」


 ガタゴトと車に揺られながら、賢者は大きく深い溜め息を吐く。

 あの後家族会議が行われ、王家にも相談しようという事になった。

 とはいえその結論がどうなるかは皆予想のつく所ではある。


 ほぼほぼ間違いなく賢者は式に出る事になり、他国への旅路を準備せねばならない。

 のんびりと田舎に引き籠っていたい賢者としては、正直面倒でしかないと思っている。


「すまないね、面倒をかけて」

「ローラルが謝る事では無かろう。むしろ原因は儂なんじゃし」


 賢者に誘いの手紙が来たのは、間違いなく戦場で張り切った事が要因だ。

 ならば青年が謝る事は無かろうと、ポンッと青年の胸に拳を当てる。


「そう言ってくれると助かるよ」


 青年は賢者の言葉にホッとしつつ耳を撫で、幸せな時間を堪能していた。

 今車には賢者と青年の二人っきりであり、久々に熊耳をめいっぱい堪能しているので。

 本音を言えば山神にも突撃をしたかったが、流石にそこは自重するしかなかった。


(・・・アレを我慢はちょっと辛かったんだよなぁ)


 目の前に全身モフモフの、精霊だからなのか凄まじく良い毛並みの獣が居る。

 なのに触る事は出来ないし、何なら熊自身が青年から逃げている。

 傍に極上のモフモフが在るのに触れない。その事が地味に青年のストレスになっていた。


 そういう意味では、内に意識を集中させる鍛錬は都合が良かったと言える。

 意識を内に向けている間は外界への認識をせずに済むのだから。


(ただ気になるのは、やはり精霊には呪いが通じている様子な事か。やはり山神が特別と言うよりも、山神と契約したナーラが特別なのか。いや、だからこそ山神が契約をしたのか?)


 それでも多少熊の様子を観察していた青年は、真実に近い事を考えていた。

 実際はただ『賢者だから』契約したのではあるが、それでも真実には近い。


(・・・父には伏せておくか)


 本当は報告する義務がある。王族としてこの件は報告しておくべきだ。

 けれど青年はそれを伏せようと結論を出し、賢者の頭を優しく撫でる。


「・・・触りたかったなぁ」

「む、何にじゃ?」


 そして未練が残っていたのか、青年は熊の毛皮を思い出してポソリと呟いてしまった。

 当然膝の上に居る賢者はその呟きを耳にして、首をひねって青年を見上げる。


「・・・山神様の毛並みが凄く良かったからね。野生動物の毛並みじゃなかった。アレはきっと精霊だからなんだろう。あの毛並みを堪能できないのは残念だなって、思ってしまったんだ」

「あー・・・お主山神様から避けられとったもんな」

「そうなんだよね・・・」


 下手に誤魔化しはせずに正直に告げる青年に、賢者は苦笑しながら返すしかない。

 賢者も熊がなるべく青年から離れた位置にいた事には気が付いている。

 青年とて気が付いているだろうし、ならば熊が嫌がる事はしないだろうと思って放置した。


「その代わりここに有るじゃろう。儂の耳は山神様と同じ物じゃから、山神様を触っているのとほぼ変わらんぞ?」

「勿論ナーラの耳を触らせて貰えるのも幸せなんだけどね・・・」


 青年は周囲に獣狂いの様に思われているが、その本質は獣の毛皮を堪能するのが好きなのだ。

 故に至高の毛並みとも言える精霊の毛皮を全身で堪能できればと思わずにはいられない。

 とはいえこの熊耳を触れるのだから、これ以上を求めるのも贅沢かとは思ってもいる。


「うん、この耳を堪能できるんだから、それ以上を求めるのは贅沢だし君に失礼だね」

「ふむ・・・」


 青年は本心からそう結論を出して告げると、賢者が少し考えるそぶりを見せた。

 もしや何か不機嫌にさせたかなと、青年は少し心配な気持ちにで答えを待つ。

 勿論その間も耳を堪能する手は止まっていないが。


「精霊化すれば儂も熊とほぼ変わらんし、その儂を抱きしめてみるか?」

「っ、それは・・・!」


 賢者の提案に青年は一瞬目を見開き、そして固まって動かなくなった。

 けれど少しして葛藤する表情を見せ、耳から離れた手が拳を握り締めている。


「これ以上ない程に頷きたい提案だけど、それは断らせて貰うよ」


 そして絞り出すような声音でそう答えた。本当に苦しい答えだと言わんばかりに。

 賢者は思わず首を傾げてしまうが、そんな様子に気が付いた青年は溜息を吐いてしまう。


「ナーラ。精霊化して見た目は子熊だとは言え中身は人間、しかも年端も行かない幼女のお腹に顔をうずめて呼吸をする男ってどう思う?」

「・・・大分不味い絵面かもしれんな」

「理解してくれて嬉しいよ」


 やらなければ良いのではと思ったが、苦しそうな表情の青年にそれ以上言えなかった。

 何より余りにも真剣な表情と声音であり、下手な事を言うのが若干怖かったのもある。


「そもそも精霊化は君に負担があるだろう。尚の事私の我が儘で願う事は出来ないよ」

「・・・そうか。そうじゃな。余計な事を言った。すまぬ」

「それこそ君が謝る事じゃないさ」


 ただし根っこにある物は気遣いだと知り、賢者はその気持ちに感謝の謝罪を告げる。

 勿論我慢しなくて良いと言われて暴走する自分が危ないと、青年がそう思ったのも確かだが。

 間違いなく腹に顔をうずめて毛皮を堪能してそのまま呼吸をする未来が見えている。


(そんな事をしたと知られたら、ギリグ家の面々の対処が恐ろしいのもあるけどね。特に彼女の侍女が。あの目は怖いからね)


 まるでいざとなれば暗殺も辞さない、と言わんばかりの目で見られている。

 青年はその緊張感の中で賢者を愛でており、だからこそ下手な事は出来ない。

 この婚約は双方にとって大事な物だ。それを一時の欲望で壊す訳にはいかない。


 勿論先程の提案をしたのは賢者だが、それは幼児の思い付きの提案だ。

 ならば提案を受けた側が理性と良識を持った対応をしなければならないだろう。

 青年は自分にそう言い聞かせ、本当に残念でならない想いを抱えながら却下する。


(いつか彼女が大人になったら・・・いや、それこそありえない未来か)


 大人になったナーラと自分が抱き着いている未来が想像できない。

 むしろ成長した彼女が自分以外の者に心惹かれる可能性すら感じる。

 この婚約は契約なのだから。お互いに心惹かれての婚約ではないのだから。


(それでも・・・その時までは)


 未来がどうなるかは解らない。どれだけ努力したとていい結果が出るとは限らない。

 そんな事は解り切っているのだから、その時までは彼女と共にいる事を許して貰おう。

 彼女が淑女と言える歳になれば、こうやって気軽に熊耳を触る事も咎められるかもしれない。


 それどころか二人っきりで会う事すら許されるかどうか怪しい物だ。

 けれどそんな事は全て解っている。解ってい私は彼女と契約をしたんだ。

 ならば役目は果たさなければ。私の為にも、彼女の為にも。


 青年はその想いを静かに決め、賢者の耳を撫でながら力を抜く。


(とりあえずは式への同行かな。あの手紙は一旦王家を経由してるだろうし、父も内容は既に把握しているはずだ。なら父は確実に私に行けと言うだろう。彼女の助けになる様に)


 自分の出来る限りでこの幼い英雄を守る。それが今自分の出来る事だ。

 青年は揺れる車の中でそう決意し、膝の上の婚約者の熊耳を堪能するのだった。

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