第53話、領域(結構広い)
護衛の為に来た。その言葉に納得しつつ、賢者はそれだけではないだろう気がした。
「お主の事じゃ、儂の耳を公的な理由で触りに行ける、とか思っておらんかったか?」
「思っているね」
「・・・正直であれば良いってもんじゃないんじゃぞ」
「ナーラに嘘は付けないからね」
「よく言うわい」
流石に能天気な賢者とて、青年が何かを黙っている事ぐらいは解る。
とはいえ問い詰めても藪蛇にしかならないだろうと、下手に問う事はしないつもりだが。
賢者としても約束通り、家族を守る手段の一つになってくれればそれで良い。
ただその『黙っている事』が、何時か賢者の首を絞める事になる可能性は高いだろう。
今の賢者には察する術も無ければ、青年も見せる気が無いのでどうしようもない。
その何時かはまだまだ未来の話なので、この話はここまでとなるのだが。
「それで、良いかな?」
「・・・まあ、触って良いと約束したのは儂じゃし、仕方ないの」
「ありがとう!」
もう真面目な話は終わったと告げる様に、青年は賢者の隣に移動する。
そのまま耳を触るのかと思ったら、ひょいと持ち上げて抱きかかえた。
城に居た頃は何時も抱えられていた賢者は、最早全く動じない。
「お主、この体勢好きじゃの」
「君を独り占めしている感じがするからね」
「・・・ここには奪い合う相手なぞ居らんがな」
城に居る間取り合いをしていた三人を思い出し、思わず呆れた声になる賢者。
三人とも賢者の意思を無視する事は無かったし、迷惑と言う程ではなかったが。
ともあれその記憶がある青年としては、機会を逃がすまいという意気込みである。
「別に儂は逃げやせんぞ」
「そうかな」
「そうじゃ」
「そっか」
今の会話の何が面白かったのか、青年はフフッと嬉しそうに笑った。
勿論賢者にその理由が解るはずもなく、怪訝な顔で返してしまうのだが。
まあ満足そうならそれで良いかと、一切を気にする事を止めた賢者である。
「久々の感触だ。本当に素晴らしい。君が居なくなって寂しくて厩舎の子達を触りにも行ったんだが、この感触に勝るものは無かった。ああ、なぜこんなにも私を魅了するのか・・・!」
青年のだらしない顔と早口を見てしまえば、細かい事などどうでも良くなると。
暫く賢者の耳を触れない期間があったせいか、城に居た時よりも酷くなっている。
そんな王太子殿下の様子に、使用人達もちょっと引き気味だ。
「君とは婚約者だというのに自由に会えない身がどれだけ恨めしかったか・・・!」
「耳を見つめながら言うな耳を」
そうして賢者の耳を堪能した青年は、満足したのかニッコニコの笑顔を見せる。
ただその間も先程ほどではないものの、片手はずっと賢者の耳にあるのだが。
「自由に会えんと言っても、何十日かという程度じゃろう。世の中には年に一回程度しか会う事は無く、後は手紙のやりとりしかせん婚約者も居ると聞いておるぞ」
「勿論そういう形もあるだろう事は否定しない。けれど私は君に会いたいんだよ」
「儂の耳にじゃろう・・・」
この返答中も耳を揉む青年に対し、ジトッとした目を向ける賢者。
未だ尻尾の事はバレていないが、やはりこのまま黙っていようと思う賢者。
「精霊化した時の君も可愛かったが、あの状態だと君の体の方が心配だからね。君の言葉を信じて短時間なら何も言わないけど、余り長時間は使って欲しくない」
「あー・・・まあ、そうじゃな。儂も疲れるしの」
今が賢者は精霊化について、誰にも詳しい話はしていない。
(アレは言ってしまえば、わしの『弱点』とも言えるしのう)
精霊化しなければあの魔法は使えない、と思われるだけなら別にいい。
素の状態の賢者は弱いと、その事がばれる事が問題だ。
とはいえ賢者が鍛錬場で訓練していた光景は多くの者が見ている。
当然キャライラスも見ており、その魔力操作に息を呑んでいた。
タダ大火力を討ち放つのではなく、繊細な魔力操作による広域術式を。
実際は小規模な術式を大規模に広げているのだが、それはそれで難しい。
あの時の賢者の真似を出来るのは、かろうじて老人ぐらいのものだろう。
ただし魔力量の差が原因で余裕は無い。一度なら兎も角短時間に何度もは無理だ。
「疲れる、で済むのが本来はおかしいんだけどね。記述には、命と引き換えの技、とまで書かれているんだから。普通はもう何度も死んでるんだよ?」
「もしそうなら山神様が止めてくれるじゃろうよ。かの精霊は儂の事がお気に入りじゃし」
『グォン!』
勿論! と答える様に鳴く熊に、賢者は苦笑しながら頭の中で撫でる。
熊も嬉しそうに声を出さない泣き方をして、賢者にすりすりとすり寄っていた。
「そうじゃお主、肝心の所を聞いておらんかった」
「何かな」
「お主が儂の護衛に来た、という事は承知した。じゃが期間は?」
「とりあえずは戦争が始まるまで、かな?」
「・・・それは何時じゃ?」
「未定だね」
「えぇ・・・」
戦争を仕掛けるのは他国なので、青年が悪い訳ではない。
ただ彼が居ると熊との訓練に支障が出るのだ。
何日もずっと訓練に費やしたおかげで、熊の精度はどんどんと上がっている。
このまま続ければもっと上手くなるだろうし、出来れば戦争前には仕上げたい。
とはいっても、その事を正直に話すのは不味いだろう。
(熊が儂を鍛えているなら兎も角、儂が熊を鍛えておるしのう・・・熊が儂に劣る魔法を見せるのも問題じゃし、どうすりゃいいのか)
『グォ・・・』
熊としても賢者に毎日会う事が出来なくなるのは、唸ってしまうような問題だ。
けれど青年は建前上は真面目に仕事に来ている訳で、要らないと突っ返す事も出来ない。
そもそも仲のいい婚約者を演じる必要もあり、余計に無下に帰す事も出来ない。
『グォン!』
(む、そ、そうか。そうじゃな。お主土地神じゃもんな!)
そこで熊が賢者に声をかけた。それは単純明快に、不意打ちなどさせないという内容だ。
熊自身は人里に降りてくることは無い。だが土地神としての力は領地全体にわたる。
更に地脈の力も使える熊であれば、接近してきた敵に気が付くなど造作も無い。
少なくとも『山の中』で山神に気が付かれずにいるのは不可能だと。
(まあ、領地内限定じゃろうが)
『グゥ・・・』
(あ、すまん。落ち込むとは思わんかったんじゃ。それでも助かるぞ。そもそも今の儂じゃと、隠匿系の魔術を見破るには少々手間がかかるからの)
『グォン!』
痛い所を付かれたとばかりに唸る熊に、慌てて弁明をする賢者。
おかげですぐに機嫌を直し、ほっと息を吐いた所で青年と目が合う。
「精霊と話していたのかな」
「まあ、そじゃな。毎日の訓練をどうするか、とか」
「勿論山に私もついて―――――」
「ダメじゃぞ」
「―――――何故かな?」
「山神様が嫌じゃというとるからじゃ。機嫌は損ねられんじゃろう?」
「それは、そうかもしれないが・・・」
青年の目に本気で心配そうな様子が見え、賢者も少し申し訳ない気持ちになる。
護衛の為に来た彼は、きっと仕事の為だけに来たのではないだろう。
その程度が解るぐらいに関係は築けているし、だからこそ賢者は彼の頭に手を伸ばす。
「大丈夫じゃよ。少なくとも山の中は山神様の領域じゃ。お主は山以外の所で共にいてくれ」
「・・・仕方ないね」
青年は賢者が撫でやすい様に頭を下げながら、優しく笑って了承を返すのだった。
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