第30話、立場(無視)

『グォン・・・』

「ふにゃ?」


 熊が『起きた方が良いよー・・・』と声をかけるのが聞こえ、賢者はふと目を覚ます。


「ふぁあああ・・・んむ?」


 そこで気持ち良く大あくびをして、くしくしと目を擦ってから目を開いた。


(・・・なんか目の前に美形がおる)


 ぼーっとした顔で目の前の美形を見つめていると、美形は困った様子でニコッと笑った。

 その辺りで賢者は段々と頭が覚醒し始め、自分の状況を思い出し始める。

 目の前に居る美形は王太子の青年であり、食事の為に運ばれていたのだったと。


(おう、やってもうた・・・)


 王子に運ばれるまではまだ良い。だが流石にぐっすりと寝入るのは不味かっただろう。

 とはいえ賢者はそこでふと思った。悪いのは自分ではなく目の前の青年ではと。


 あんな気持ち良いマッサージをされては、寝てしまうのは仕方ないだろう。

 そもそもこちとら子供の身だ。睡眠欲に抗い難いように出来ている。

 つまり悪いのは耳を好きなだけ触っていた青年であり、自分は何も悪くない。


(・・・流石に無理があるの)


 侍女がとても残念な子を見る目を向けている事に気が付き、賢者はその思考を捨てた。

 認めよう。王太子がわざわざ迎えてくれた食事を、ぐっすり寝てふいにしかけたと。

 熊が起こしてくれたから良かったものの、もし寝入ったままならどうなっていたか。


(おそらく誰も起こさんかったんじゃろうなー・・・)


 先の両親や侍女の態度を見るに、寝入っていたらそのまま帰る事になっただろう。

 それはそれで両親は構わないだろうし、むしろ望む所なのかもしれない。

 だが青年に無理をさせてしまっている現状、流石に負い目を感じる結果になったはずだ。


 何よりもお互いの目的を考えると、完全に賢者の落ち度といって良いだろう。


「・・・失礼した。あまりに心地の良い移動だった故、転寝をしてしもうた」

「心地いいと思ってくれたなら何よりだよ」


 本気で申し訳なかったと思い謝罪を口にすると、青年は何でもないとばかりに応える。

 そして膝を突くようにしゃがみ、ゆっくりと賢者を下した。

 賢者もそれ以上謝るのは失礼かと頷いて応え、地に足をつけてから周囲を見回す。


「ここは?」

「私の私室、の一つかな。食事に使っている部屋だよ」

「・・・どこぞの食堂で食べるのかと思っておったんじゃが」

「たった二人で使うには広すぎる食堂しかないからね。ここなら会話も弾む距離だろう?」

「成程・・・承知した」


 つまりは風通しのいい広い部屋で、隠し事の出来ない会話をする気は無いという事だ。

 勿論周囲には護衛や侍女に使用人が居る為、余りにも喋ると不味い事は言えない。

 だが今この場に居るのは、王太子の私室に足を踏み入れる事が許された者のみ。


 ならばある程度の機密は話せる場所だと、そういう意味合いが含まれていた。


(先程変なのに絡まれた事を考えると、この方が確かに良いな・・・思い出したらまた腹が立ってきたぞ、あのクソジジイめ。あの態度である限り絶対名前呼んでやらんからな)


 現状敵対者である者の名前など呼ぶ必要も感じないし、敬意を払う気も起きない。

 それにプライドが無駄に高そうな性格を考えれば、その行為は効果的ではあるだろう。

 しかも相手が一応は上司となれば、何も文句を言えずに黙るしかない。


(さんざん調子に乗って来たんじゃろうからな、しっぺ返しを食らうと良いわい)


 父に見られたらまた叱られるかもしれないが、賢者はどうしても怒りが抑えられない.

 老人が家族や使用人達に向けた視線と言動がどうにも我慢できずに腹立たしくて。

 賢者はこの感覚を持て余している所があり、更に制御する気が余りない。


 今生は好きに生きるという前世の目的と、若干思考が緩くなっている合わせ技のせいだ。

 賢者自身も思考と感情の緩さを段々自覚しているが、どうしようもないと諦めている。

 とはいえ今その怒りを見せて誤解を与える訳にもいかないと、表面上は静かなものだが。


「もう食事は用意してあるんだ。席にどうぞ、ナーラ嬢」

「お、すまんの」


 青年が引いてくれた椅子には足掛けがあり、子供でも一人で座れるようになっていた。

 対面に在る椅子は普通の物である辺り、賢者の為に用意しておいたのだろう。

 気遣いに感謝しながら席に座ると、青年も対面にスッと座る。


 二人が席を着いたのを見計らって、スッと使用人が動き出す。

 すぐにカートがテーブルの傍まで運ばれ、賢者と青年の前に並べられ始めた。


(・・・ちょいと量が多いが、食いきれるかの・・・まあ何とかなるじゃろ)


 高位貴族とは思えない思考の賢者であるが、これは両親の背中を見て育った結果だろう。

 貴族だからと見栄が必要な時はある。だがそれ以外の日はつつましく生きている。

 特に食事関連に関しては、好き嫌いで食べ残しなど以ての外だという考えだ。


 それ故に貴族の家らしからぬ質素な食事も良くあり、そして量もさほど多くない。

 賢者としてもその在り方は好ましく、なればこそ出来れば残さぬ様にと気合を入れていた。


「君の好物が解らなかったから、無難な物だけにしたけど・・・大丈夫かい?」

「そこまで気を使って貰わんで構わんよ。儂は基本何でも食えるからの」

「そうか、よかった」


 ホッと笑う青年に対し思わず苦笑してしまう賢者。

 一体父はどんな条件を課したのか、これではどちらが王族やらと。


「殿下よ、そのじゃな、あまり――――」

「ローラル」

「――――んむ?」


 気を遣わずとも良いぞと声をかけようとして、唐突に名前を口にした青年に首を傾げる。


「私の名前はロ-ラルだ。殿下じゃないよ」

「・・・あー、いやしかしじゃな、殿下」

「ローラル」

「・・・ローラル殿下」

「ローラルだ。君は部下を殿下と呼ぶのかい?」


 確かに青年の主張は一見筋が通っている。一応青年は賢者の部下という立ち位置だ。

 だが貴族の地位としては目の前の青年は王族であり、自分より上の立場である。

 部下としては扱うが敬意を払わなければいけないなら、殿下呼びが一番無難だ。


(・・・婚約者と仲が良いですよー、という風に見せる為なんじゃろうな)


 勿論賢者は意図に気が付いており、小さくため息を吐いてから口を開く。


「ローラルと、これからはそう呼ぼう」

「うん、お願いするよ、ナーラ嬢」

「ナーラじゃ」


 だがそれならばと、賢者は自分も同じように呼べと告げる。


「・・・ナーラ」


 すると青年は一瞬の沈黙の後、何が嬉しいのか優しい笑みで名を呼んだ。

 それもとても柔らかい声音で、本当に恋人に向けるかの様に。


(・・・すげーの。この表情ならば本気で想いあっていると勘違いするじゃろうな)


 賢者は目の前の背年の渾身の演技に、心からの称賛と尊敬を抱いていた。

 自分の目的のために全力な人間は嫌いではなく、思わず口の端が上がる。


 これはお互いに利用の為の関係だ。それでもその利用に全力を尽くす。

 青年のその姿勢を見て賢者は自分の考えを改め、優しくニコリと笑った。

 目の前の相手を慈しむ様に、可愛い子を見つけた老人の様に。


「ローラルよ、長い付き合いになると良いな」

「っ、そうだね。そう望んでいるよ」

「儂もじゃ」


 その会話に周囲は何を思うか、そんなものは考えるまでも無いだろう。

 特に侍女は少し驚いた様子を見せ、けれど諦めたようにため息を吐いた。

 そして優しい目を賢者に一瞬向けてから目を瞑り、開いた目は鋭い物に戻った。


 王子が傍に居る事は認めよう。だが可愛い姫様を泣かせたら許さんぞと。

 青年は目の端にその視線をとらえ、苦笑しながら賢者との会話を続ける。

 暫くは他愛のない会話を続け、けれど途中で肝心な事を思い出す賢者。


「あ、すまぬ、一つお主に報告しておく事があるんじゃ。いや相談かの?」

「ふむ、何かな」


 ニコリと笑う青年だが、その目が一瞬で鋭くなった。

 先程までの笑顔と違い、口元しか笑っていない。

 賢者の相談が笑顔で聞ける話ではないと判断したようだ。


「精霊術師を名乗る老人に喧嘩を売られたんじゃよ」

「・・・ヒューコン卿か」


 青年が軽く頭を抱えた事で、やっぱあのジジィは小娘と同類かと呆れる賢者であった。

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