第16話、国王(筋肉)
扉を開いて更に奥の扉も開け放たれ、ようやく部屋らしき家具が目に入る。
賢者の目からはベッドが見えており、そこに座る誰かの足元だけが見えていた。
ガウンの様な物を着ているのか、思いっきり素足を晒している。
(国王の足かの? 中々鍛えておるのぉ・・・というか筋肉の塊じゃの)
その足を注視しながら賢者が進むと、一番前に居たリザーロが膝を突いた。
賢者はそれをぽけっと見つめ、ただ背後の両親も膝を突いた所でようやく慌てる。
まだ国王の顔が見えない距離でワタワタと足を止め、三人と同じ様に膝を突いた。
(やってもうたー! 大丈夫じゃよな!? これぐらいで悪印象とか持たれんよな!?)
賢者としては面倒事はなるべく避けたく、その為に王族を味方に引き込むが得策。
その為にも『陛下』を敬っているらしきリザーロに付き、さっきも怒りを我慢したのだ。
勿論自分の為の我慢でもあったが、折角の頑張りを無駄にしたくは無い。
大焦りしつつ国王の言葉を待つと、クスクスと笑う声が賢者の耳に入った。
「面を上げよ」
静かで優しさを感じ、けれど何処か威厳のある声音が響き、それに従って顔を上げる。
すると先程まで足元しか見えていなかった位置に、老人が座って賢者を見つめていた。
ただその体格は先程見えた足と同じで、老人とは思えない程に筋骨隆々である。
(なんじゃこの爺さん。年齢と体があっとらんぞ。どういう鍛え方したらこうなるんじゃ)
賢者は思わず固まって見つめてしまい、過去の自分と比べたりもした。
それ程に目の前の老人はインパクトが強く、また呑み込まれる何かを持っている。
それに何故かは解らない。解らないが、この老人には余り逆らわない方が良いと感じた。
「聞いていた通り可愛らしいお嬢さんだね。リザーロの報告では既に山神の力を使いこなせると聞いているが、余りに可愛らしくて信じるのが難しいな。フフッ、耳も似合っている」
「陛下。それに関しまして追加報告がございます」
「聞こうか、リザーロ」
「彼女は山神の力を使えるだけでなく、精霊術師の深奥に届いております」
「・・・精霊化を自在に使えると?」
「つい先ほども精霊化を持って、キャライラスの小娘を容易く捻り潰しました」
あの小娘の事が気に入らないのは解るが、国王に対しその報告で良いのか?
賢者は思わずそう突っ込みそうになったが、ぐっと堪えて黙っている。
ただ国王は『キャライラスの小娘』の所で苦笑していたが。
「そうか、精霊化を自在に使うか。それは凄いな。まるで初代の精霊術師の様だ」
(ほう、初代の頃は精霊化を普通に使えたのか。いや、そういえば元々は反目した魔法使いも絡んどるんじゃったか。となれば本当は魔法使いだった精霊術師も居るのかもしれんの)
父に聞かされた国の歴史を思い出し、そういう事も有るのだろうなと賢者は思った。
またその後同じ様な人間が現れていない事も、それなりに想像は付く。
魔力が多ければ精霊術には有利だが、魔力が多くても精霊が契約してくれるとは限らない。
特に『魔法使い』として鍛練を積めば積むほど『精霊術師』にはなり難いからだと。
自分が卓越した魔法使いであったからこそ、賢者はその事実に違和感はない。
単純に面倒臭いのだ。精霊の機嫌を取って魔法を使うのが。
なので基本的に、潤沢な魔力を持つ精霊術師、というのは稀なのである。
「ナーラ・スブイ・ギリグよ、こちらに」
「はっ」
突然国王に名前を呼ばれて少々驚きつつも、素直に答えて立ち上がる賢者。
そしてゆっくりと国王の下へ近付くと、尚の事威圧感を感じて気圧される。
明らかに老人の覇気ではない。実はただの老け顔なのではと思い始めていた。
そんな失礼な事を考えている賢者に対し、国王はニコリと笑って手を伸ばす。
国王の手が賢者の額にそっと触れると、賢者は一瞬何か体に違和感を感じた気がした。
「貴殿を正式な精霊術師として認める。今後も国を、民を守る為によろしく頼む」
「はっ」
――――――今、何かされた。賢者はそう感じた。魔法的な何かを。
即座に体内の魔力を操り精査して、取り敢えず自分の魔力に異常はない事を確認。
だが明らかに何かしらの違和感を体に感じていて、けどそれが何か解らない。
(不調の様なものは無いし、異変らしきものも無い。だが、何じゃ、この違和感は)
せめて不調でも有れば解り易いのだが、在るのは言葉に出来ない違和感だけ。
意味が解らず頭には疑問符が飛びまくり、同時に国王への不信感も少々芽生えていた。
とはいえそれを表情に出すのも不味いかと思い、表情は取り繕ったすまし顔だが。
「―――――君は、まさか」
ただそんな賢者に何を感じたのか、国王の方が賢者より驚いていた。
そしてガッと顔を両手で掴み、ぐっと顔を近づけて来る。
(何じゃ何じゃ!? まさか国王は幼女趣味か!?)
失礼この上ない事を考えている賢者に対し、国王は最早睨んでいると言える表情だ。
一体何が起きているのか混乱する賢者は、それでも先ずは成り行きを待った。
そうして無言の時間が続く事暫く、国王はおもむろに賢者から手を放す。
「・・・君は、私を恐ろしいとは思っていないね?」
突然何を、と思いつつ賢者は頭を回す。これはただ容姿や立場の事ではない。
先程目の前の人間からは、国王陛下からは何かしらの威圧感を感じていた。
それは彼という人間の放つ威厳のせいかと思っていたが、もしや違うのではと。
下手な返答は本来なら不敬だろう。だが賢者は、確かめる為にも一歩踏み込む。
「ええ。恐ろしくはありません」
言葉だけを聞けば、国王の権威など何とも思っていない、という意味にも聞こえる。
だがその真意は当然別の所にあるし、おそらく訊ねた国王も解っているだろう。
威圧感は有る。不思議な脅威を感じる。逆らわない方が良い相手だと思ってしまう。
けれどその彼を怖いかと言われたら、特に恐怖の類は感じない。
さてこの返答に対しどう反応するか、少し警戒しながら賢者は答えを待つ。
「リザーロ。席を外してくれ。彼女と二人きりで話がしたい」
「へ、陛下!? しかし・・・」
「頼む」
「・・・畏まりました」
リザーロが恭しく頭を下げて応えると、部屋に居た者全員が外に出て行った。
そして扉がばたりと締められ、国王と賢者の二人きりとなる。
ただ賢者としては『父上と母上大丈夫かのう』と両親の事が気になって仕方ない様だが。
「君は君の父の言う通り、年齢にそぐわない理性と知性を持っているね」
「歳の割に賢い自信はありますな」
「それも山神の祝福の力という事かな?」
「否定は致しません」
むしろ否定して、本当の事を説明する方が面倒じゃし、と賢者は思う。
なにせ真実を信じられたとして、じゃあ転生術を教えろとなりかねない。
しかも今の賢者には転生術が使えず、なら余計にややこしい話になる。
「ならばこれも、山神の祝福が原因か・・・それとも、君が特別なのか」
「・・・一体何の話をされているのか、儂にはさっぱり解らんのですが」
「ああ、そうだね。その通りだろう。これは、困ったな」
国王は困ったと言いながら、スッと脇に置いていた剣に手をかけた。
それは余りに自然な動きであり、まさか剣を抜くなど一切感じない滑らかさ。
だからなのか賢者は自分の首筋に刃が当てられ、そこで初めて武器に目が行った。
(なっ・・・!? う、嘘じゃろ、全く反応出来んかったぞ!?)
賢者の過去は魔法使いであり、体術に関してはからっきしであった。
だが体術の鍛錬を続けた者に絡まれた事は有り、その対処の技術は持っている。
けれど目の前の国王は、過去の記憶の中でも類を見ない技術の持ち主であると思えた。
たとえ賢者が万全だとしても、国王が今その気であれば死んでいたと感じる程に。
その事実を理解すると同時に、背筋に寒いものを感じる。死の恐怖を。
「最善を考えるのであれば、君はこの場で殺しておいた方が良いな」
「―――――、では、全力で抵抗させて頂きますが、宜しいか?」
今は闘う気になっているから、ここからなら反応は出来るだろう。
だが先程の技量を見る限り、今の賢者ではこの距離からの戦闘開始は不味い
そう感じながらも、賢者は引かずに睨み返す。
暫く老人と女児がにらみ合う時間が続き、けれど唐突に国王が剣を引いた。
「やはり君は、聡いな」
「じゃろう?」
「くくっ、謙遜はしないのか」
「事実ですからな」
「くっ! 確かに! はははっ!」
胸を張る賢者を見て、国王は更に楽しげに笑う。大人ぶる子供姿がツボに入ったらしい。
その様子に賢者は小さくため息を吐き、生きている事に安堵している。
半分博打ではあった。だがその博打に勝ったのだと。
(やはり、最初から殺す気など無かったか)
本当に殺す事が最善と思っているのであれば、あの場で賢者の首を切り落としていたはず。
彼にはそれを成せるだけの力が在り、権力としても何の問題も無い。
それでも態々あんな言い方をしたのは、賢者の対処を見たかったのだろうと思った。
だから賢者は『本当にその気なら、抵抗はする』と答えたのだ。
「それで、国王陛下。流石にご説明は願えるのでしょうな」
「くくっ、ああ、くくくっ、ちゃんと、話すさ、ふふっ、あははっ」
けれどそう言いながら、国王が話せるようになるまでは暫くかかった。
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