歌は星降る夜に

カズき

第1章 誰もいない

 僕の無意識がギターの音色と歌声を捉えた。耳に入ってくる一音一音が、好きだと思った。徐々に意識がはっきりしてきて目を覚ます。

「あ、起きたんだ。」

ギターを弾くのを止めて彼女はそう話しかけた。

「どれくらい寝てたかな。まあ、時間はいくらでもあるしいいか。」

僕は答えた。本当にこの時間は続くものなのか疑問に思いながら視線を上にやった。その日の空は作り物だと錯覚するほどに青かった。このビルと呼べるかもよくわからない田舎のちょっと周りより高い建物の屋上で2人は、ゆったりとした時の流れの中を過ごしていた。

 僕がこのビルがある町に来たのは、自分でもなぜだかよくわからない。本当に言葉の通り、気づいたらここにいたのだ。僕はもともと大学を卒業して働きはじめたばかりだった。みんなが知っているような大企業にも入れたし、自分が志望した技術職を任されることにもなった。

 そんな日々の途中、この町にいつの間にか来ていた。ここまで来た道のりなどの前後の記憶はない。気づいたら自分がここに存在していた。突然のことで何が起きたか分からなかったが少し冷静になって町を観察してみると、自分の地元に似ていた。似ていたという表現になるのは、大部分は同じであるが少し地形や建物が異なっている場所があったからである。それよりなにより僕がかつて過ごした町と違うといえる理由は、その町には人が1人としていなかった。最初はもちろん気のせいだと思ったが、3日くらいこの町で過ごしても誰にも会わなかった。僕の地元は田舎だったけど3日も人に会わないなんてことはさすがになかったので確信となった。電気も水道も通っていなかったけど、スーパーに行けばさっきまでそこにだれかいたみたいに商品が規則的に陳列されていた。もちろん、商品を貰うときはお金を誰もいないレジに置いてからそこを後にした。

 最初は知らないうちに立入禁止区域みたいな場所に侵入してしまったのではないかと考え、なるべく生活の痕跡を残さないように過ごしていた。しかし、待てども人は来ず、人の気配すらなかったから、僕の地元に似たその町を人探しを兼ねて探索なんかしたりするようになった。そんな時だった。彼女に出会った。日課になりつつあった散歩の道中だった。彼女がこの立入禁止区域かもしれない場所を取り締まる警備員かその類ではないことはすぐに分かった。自分の体格に全然あっていないオーバーサイズのパーカーにスカートを身に着け、その後ろにはギターケースを背負っていたからである。

「え!人がいる。」

これが彼女が僕に対して発した最初の言葉だった。

「それはこっちのセリフでもあるけど。」

「びっくりだね。でも、ダメだよ。こんなところふらふら歩いてたら。私がここの番人みたいな人だったら捕まっちゃうよ。」

「いくらなんでも、そういう人がこういうタイプの恰好しないと思って。」

ということを伝えるとなぜかちょっと機嫌が悪くなった。感情の起伏がそのまま顔に出るタイプの人だった。

「それよりこの町について知っていることある?私気づいたらこの町に迷い込んでいて。それに誰もいないんだよ。不思議すぎるよ。」

「いや、僕も全く同じ状況だよ。こっちへ来てから3日くらい経ったことくらいしかわからない。あ、あと僕が昔住んでた町とほぼ同じことくらいかな。」

 それからしばらく会話をした。新たに分かったことは、2人が同じ年齢であることとこの町を出ることは不可能であることだった。彼女が言うには

「同じ方角に向かって歩き続けてもね、2時間くらいでまた同じ場所に戻って来ちゃうんだよ。」

「本当かな。まあ、ここに誰もいない時点で何が起きても不思議にじゃないか。そういえば、この町から脱出することを試すのを忘れてた。」

「疑うなら2時間歩いたら、分かるよ。」

と彼女は言うが、僕は2時間歩くの大変そうだし何回も試したらしいので信じることにした。

 情報共有を一通りした後、彼女が

「私の生活拠点紹介してあげるよ。分かってた方が何かと便利でしょ。」

と言って連れられたのがあのビルとも呼べるか分からない建物だった。外壁は、レンガが敷き詰められた模様をしていた。むき出しの柱が建物を支えている。屋上へは外と直接面している螺旋階段を登っていく。屋上と階段の入口を隔てるのは屋上へ続くドア一つだけだった。そんな階段を上がって着く彼女の拠点は、簡易的な屋根はあるものの外気が直であたる住みやすいとは呼べないものだった。この建物も僕の地元には存在しないものだった。

この屋上をなぜ拠点にしたのか聞いたら彼女は

「屋上に住むってなんかわくわくするじゃん。せっかくこんなにまわりにあわせなくてもいい世界になったんだからやりたいようにしないともったいよ。

それに虫はいないし、今は外でも過ごしやすい季節だから。」

と答えた。それから、2人で過ごすことが多くなった。こんな人が一人もいない町で出会えばどんな人間同士でも仲は良くなる。

 そんな僕たちの日常は、朝起きてその日あるいはその先の食糧と水の確保から始まる。食糧は近くのスーパーにあるけどいつまで続くか分からないから、少しずつ食べることにした。水は飲み水以外は近くの川から持ってきたものを使った。自分たちが来てしまった町の川の水がきれいでよかったとつくづく思った。

 この一連の作業が終われば、あとは気ままに過ごすというのも日常の一部だった。彼女はいつも出会った日に背負っていたアコースティックギターを取り出して、

弾き語りをしていた。彼女が演奏する歌はジャンルも年代も多種多様であるようだった。僕は知らない曲がほとんどだった。

「ねえ、一緒に歌おうよ。」

「いやだよ。知らない曲ばっかりだし、それに歌下手なんだよ。」

すると彼女は少し残念がりながら歌い始める。そんな彼女の歌声は透明という言葉がぴったりだった。こんなありふれた言葉では表現しきれないけど

これ以上に彼女の歌声を形容するのに相応しい言葉を僕は知らなかった。耳が聞いていることを忘れさせてくれるくらい澄んでいて、時の流れをゆっくりに感じさせた。

 僕はそんな贅沢なBGMを聞きながら本を読むのが日課になっていた。本は近くの小さい町の本屋さんから彼女が貰ってきてくれた。いつも水などの重いものを運んでいる分本は持ってくるよと彼女が言うので、その言葉に甘えさせてもらっていた。

歌い終えた彼女は言う。

「この町に来たばかりの頃は、何となくサウンドホール塞いでたけど、やっぱり大きい音で演奏できるのは幸せ。本当に2人ともこんな世界でも楽しめる趣味でよかったよね。それに、本屋さんにもまだまだ本たくさんあったし。」

彼女とそんな他愛もない会話をしながら日々を過ごしていた。僕たちは、意外と他に誰もいないこの町を楽しんでいたのかもしれない。2人ともこの町や状況に対して不満を溢すこともなかったし、もともとここに住んでいたのかと思える程毎日を淡々と過ごしていた。

 夜になると僕は徒歩5分もかからないところにある自分の寝床に帰り、睡眠を取って昼過ぎくらいの時間になるとそのビルに向かった。こんな誰もいない世界でも、1人の時間が必要だろうという気遣いからだった。

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