クラスメイトが死んだ

aninoi

クラスメイトが死んだ

 そのニュースを知ったのは、俺がゲームをしている最中だった。


 二千二十年が始まってようやくといった年、俺は就活で都市部に行って、某流行病の影響で学校から一週間の自宅待機を言い渡されていた。その自宅待機最終日だ。俺が就職試験に落ちたという通知を受けた日、四月某日。その夜のことである。


「おい、あいつ死んだってよ!」


 一緒にオンラインで遊んでいた友人が言った。その友人は訳あって既に学校を退学している身であり、訃報に上がった彼との繋がりは一年以上絶たれている状態だ。冗談にしては脈絡がなくて笑えないな、と思った。


 グループを見ろ、と、友人に勧められる。軽い困惑を感じつつ、仲の良い四人で組まれたグループラインを開いた。

 そこにはネット記事のスクリーンショットが雑に張り付けられていて、『奴が事故った』と。確かにそこには、その日の午前中に見知った名前の青年が学校近辺でバイク事故を起こして死んだと書いてある。


 それを見た瞬間も、俺は少し懐疑的だった。コラ画像とかそういうのだって考えられる。だとしたら、あまりにも質の悪い冗談だが。

 だから俺はすぐにChromeを立ち上げて検索をかけた。検索ワードは、彼の名前、オートバイ、事故、死亡、それから学校名。一番上に、あのスクリーンショットと同じ記事が出てきて、俺はようやくそれが事実であると認識できた。


 ああ、彼は死んだのか、と。スッと心が冷める感覚。そう、その時の感覚は正に、午前中に就職試験に落ちたと連絡を受けた時と全く同じだった。『そうか、そういう結果になったか』と、俯瞰的な感想が湧き出る。


 結果は結果だ。過去は過去だ。死は死以外の何でもない。特別親しいわけではなかったクラスメイトの死は、さほど衝撃のある話ではなかった。


 俺は、常に思っていることがある。それは、『生とは、常に不発弾を抱えて歩く事と同義である』という事だ。格好つけていると思われるかもしれないし、実際さらけ出すのは恥ずかしいのだが、事実として俺にはそういった思いがある。

 俺は生きるのが好きではない。幼少期に大きな過ちを犯し、親を泣かせたことがある。それ以来、どうにも生きることが苦手だ。死にたい、とまでは思っていないが、積極的に生きようとは思わない。きっと今まで、『死にたくない』と願ったことはあっても『生きていたい』と願ったことなどない。まあまあ本気で、俺のようなクズは社会のために死ねばいいと思っている。だが、俺が死ぬと母親はきっと鬱になるだろうし、母のフォローで兄も潰れるだろうし、何より死ぬのは苦痛が大きそうで、結局死ねないままでいる。

 そんな自分だから、死という結果を比較的スムーズに受け入れられたのだと思う。

 そうやって、俺は彼の死を早々に納得して、自分の中でただの結果として片づけた。


「おい、今日はもうゲームする気分じゃねぇや。寝ようぜ」

 俺は彼の死に納得すると、一緒にゲームをしていた友人にそう言って通話を切った。




 布団の中、一人の時間になった。その間、いろいろ考えた。

 本当はゲームを続けても良かった。だって彼が死んだという結果は何をどうやっても変わらないことだからだ。

 だが、通話をしている友人は想像以上に衝撃を受けている様子で、とても『んじゃ、次のクエスト行こうぜ』なんて提案する雰囲気ではなかった。


 俺はこの時、人生で初めて自身の『生と死』の概念が他者と比べて歪なのかもしれない、と疑った。


 小説とか漫画でよく見る、仲間が死んで悲しむ主人公。気持ちはよく分かる。誰かの死は辛く悲しく、深い絶望になり得るものだ。

 だが、まさか本当にそうだなんて。いや、家族や親友が死んで深い悲嘆に明け暮れるのは当然だ。そりゃそうだ。だが、たかがクラスメイト、ましてや通話越しのコイツは一年以上会っていないんだぞ! そんなに驚くことかよ。


 なんて。そんなことを。


 だって、考えてもみてくれ。交通事故で年間何人が死んでいると思う。いや俺も詳しくは知らないけれど、交通事故に遭って死ぬなんて宝くじを当てた人間より多いだろうことは容易に想像がつくだろう。多分一日当たり五人か十人かくらいは死んでいるんだ。毎日国内からそれだけ抽選されているなら、別に隣のやつに当たったっておかしくない。そりゃ、多少は珍しいけれども、その程度だ。毎日ニュースに上がっているのだから、その普遍性は誰もが知っていることだろう。


 繰り返すが、家族や親しい者が死んで悲しいのは当たり前だ。本当に、本当にそうだと思う。大事なことなのでまだ言うが、親しい者が死んだら悲しい、それは当たり前なんだ。


 だが同時に、多少親しいだけの人間が死んだ程度で普段の行動ができなくなるほど取り乱すのはおかしくないか、と思う。これも本気で思っている。


 縁がある者が死ぬのは、初めてではない。俺は二十歳にも満たない若造だが、通夜も葬式も出たことくらいはある。でもその時は小学生や中学生で、『俺が死に対してすべてを忘れるほど悲しくなれないのは、俺がまだ幼いからだ』と思っていた。死という概念を真に理解できていないからだ、と。


 だが違ったのかもしれない。俺は、元来よりそういう人間だったのか。

 俺は、こんなにも冷たく、乾いた人間だったのだろうか。


 俺は今までずっと思っていた。死は誰にでもあり得るし、誰がいつ死んでも当然だ。そしてそれに対して常に覚悟をしているのは当たり前だ。誰もがそう思っているし、そんな覚悟を持っているのだ、と。


 だが、違うのかもしれない。通話越しに狼狽した声の友人。グループラインでは『信じられない』『手が震える』『死んで良いような奴じゃない』と、次々に上がる困惑の声。俺はそれに『信じがたいな』なんて、適当に合わせるだけ。


 皆はどうなのだろう。もしかして、事実を受け止められていないのか。あるいは、受け止めたくないのか。そんな……、まさか、本当に?


 もしかして皆、今、すごく悲しいのか?


 じゃあ、この中で、俺って、何?


「ああ、寝よ……」




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 次の日だ。

 俺は車を運転して、学校に向かっていた。今日、寮に帰り、明日から登校が許される。

 だから今日は寮に帰るだけ。授業に出なくていいので気楽なものだ。


 道中、彼の事故現場の近くを通った。車を持って帰るために同伴している母が、


「ねぇ、事故現場、行く?」


 だが俺は、


「……いや、別に行っても結果は変わらんだろ」


 少し悩んで、断る。俺の声は自覚できるほど弱弱しい声だった。だが、それは確かな俺の本音だ。

 正直な話、行くのは面倒くさい。まだ免許を取ったばかりで、知らない道を運転するのは気力を使って疲れる。ただでさえ自宅から学校までは長距離なのに、そんなことをしていられるか、という思いもあった。


「そう」


 母はそう言って、不満そうにしながらもそれ以上は何も言わなかった。

 俺は、オーディオから流れているお気に入りの歌を歌いながら運転を続けた。




「よう、お前ら。久しぶりだな!」

「おう、帰ったか。久しぶり」


 夕方、寮について、すぐ仲間に挨拶した。

 いつも通りの雰囲気で、いつも通りの挨拶だった。


 俺は少し安堵した。

 なんだ、やっぱ皆も受け止めてんだな、と。

 俺も、……まぁ多少はドライなところもあるかもしれないけど、こんなもんだよな、と。


 だが、その安堵もすぐにかき消えた。

 と、言うのも、クラスの現状の話になったからだ。

 その詳細は、あまりよろしいものではなかった。


「マジで地獄みたいな雰囲気だったぞ」




 仲間は語る。

 まず、事故当日は学校で騒がれることはなかった。だがその次の日──つまり、今日。これが大変だったそうだ。


 今日の朝、クラス内は二つに分かれていた。それは、訃報を知らない者と、知る者だ。大体半々という印象だったらしい。朝、知らない者は普通に話をして、笑って、冗談を飛ばす。そんな中、『あれ、あいつは? 来てないの珍しいな』と話に出ると、知る者は顔をこわばらせて微妙な返事をする。

 そしてその日の昼前、緊急で放送が入り、ホームルームが開かれた。この時の様子は詳しく聞いていないが、知らない者は困惑し、知る者は身を固くしただろう。教室に担任と、学生主任と、系長が入ってきて、そこで、クラス全体に向けてその通知がされたそうだ。


『非常に残念なお知らせですが』と、そういうやつだったそうだ。


 そこから、なんだか死因やら何やら聞かされて、ではホームルーム終了の号令を、となったとき、これが苦痛だったと仲間は語る。


 と、言うのも、今は亡き彼はクラスの取りまとめをしていた存在だったのだ。授業始まりや終わりの号令、先生とのクラス代表としての連絡係を担っている存在だったのだ。

 その一瞬、多分その場の全員が『この号令、次は誰がやるんだろう』、そう思ったに違いない。

 結局、誰かが適当に号令をして、そこから……。


 そこから、誰も動かなかったらしい。


 俺はその光景を知らない。

 ただ、号令が終わっても全員が席に座って、茫然としていた。重い沈黙があった。そして、誰かが動き出す音がすると、それを皮切りに全員一斉に席を立って、逃げるように教室を出た。……らしい。




 俺は、それを聞いたとき、何とも言えない気持ちになった。

 先に思うのは、彼の死に心を痛める級友たちの心配──では、なく。

 『俺はやはりおかしいのではないか』という不安だった。


 苦い思いが胸を支配する。


 一応弁明しておくが、悲しいとか、残念だとかって思いがないわけではない。誰かが死んだのだ、そりゃ俺だって悲しい。特に彼は優秀で気のいい人間だった、本当に惜しい人が死んだと思っている。


 ただ、どうして皆はもっと冷静に受け止められないのだろうか、と。

 特別仲が良かった人がひどく焦燥するのは理解できる。俺だって家族や親友が死ねば、大きなショックを受けるだろう。

 でも、どうしてクラス全体がそんな雰囲気になるのか。そんな純粋な疑問を抱いた。


 そして、そんな疑問を思う自分が嫌になった。


 どうしても何もない。クラスメイトが死んだんだ。悲しくないわけがない。それが理解できないなんて、あまりに薄情だ。

 恥ずかしながら、俺は今まで誰かの笑顔のために生きてきた。身の回りの人が笑っていて、面白おかしい日常があればいいなと思って生きてきた。クレイジーで底抜けに明るい自分がいて、それを誰かが笑うならそれでいいと思っていた。

 だが、俺の実態はどうだろう。他人の不幸を心から悲しめず、悲しむ人に疑問を感じている。こんな不躾な人間が他人の笑顔を望むだなんて、馬鹿な話があったもんだ。


 様々な疑問が思考を巡り、結局、その日の俺はいつも通りのハイテンションでやり過ごすことにした。




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 寮に帰った次の日、一週間ぶりの登校である。

 一、二時間目は選択科目で、クラスメイト全員と顔を合せなかった。

 そして、三、四時間目の始まりで、クラスメイトと再会することになった。

 そこで、俺は少し大きな衝撃を受けることになった。


「おお、生きとったか」


 軽い挨拶のようなノリで、そう言われた。


 信じられない、と思った。

 決して、男に対して『こんな状況で言う冗談じゃないだろ』と怒りを感じたわけではない。


 その男は、死んだ彼の親友だったのだ。


 どんな思いなのだろう。

 その言葉が、俺にいつも言うような言葉が意図せずして出てきてしまったのか、それともいつも通りの自分を心掛けるためにあえて言ったのかは、俺には分からない。


 でもコイツがとんでもなく辛い精神状況であることは間違いない。そんな中で俺にそんな冗談を飛ばすなんて、この男は……。

 意図せずして言ってしまったのなら、今、後悔しているのだろうか。意図して言ったのなら、今は……。


 俺は、どう答えるか悩んでしまった。『あったりめぇよ!』『ああ、なんとかなぁ……』と、順に頭を巡らせて、結局、


「おう」


 なんて、つまらない事しか言えなかった。

 どうあれ、この時、俺は初めてクラスメイトとの精神的ギャップを強く意識した。




 どうやら、通夜が明日、葬式が明後日にあるらしい。


 俺は悩んだ。

 通夜に出るほど仲が良かったわけではない。葬儀も堅苦しくて面倒だ。

 葬儀と言うのは、つまるところ自分の中できちんと物事を終わらせるための儀式だと思っている。葬儀を語る際に『会えるのは最後だ』とよく言われるが、俺はそれには賛同できない。


 死んだ者とはもう会えない。

 葬儀とは、生きる者が勝手に行うものだ。死んだ者は何ら関与しない。

 自分の中で完結できるなら葬儀に出る必要はないと思っている。


 だが、クラスメイトは大半が出席するらしい。

 それを聞いて、俺は葬儀にだけ出席することにした。

 周りに合わせる気持ちが半分と、純粋に弔ってやりたいという思いが半分だ。

 親御さんに対しても葬儀に何人出てくれたかというのは励みになるかもしれないし、まぁ悪い事ではない。

 こんなことを考えながら葬儀に出るのは失礼だろうか、なんて思いながら、俺は葬儀の出欠に関するアンケートに答えた。




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 次の日。通夜の日である。

 俺は通夜帰りの友人に車を出してもらって、黒いネクタイを調達しに出かけていた。

 友人は、通夜で会った親御さんの様子を聞かせてくれた。




 曰く、親御さんは気丈に振舞っていらしたらしい。

 息子を弔うためにやってきた数多くのクラスメイト達を笑顔で迎え入れ、明るい声色で歓迎して下さったとのことだ。

 さらには、『ついでだからコイツに愚痴とかも言っていきなよ!』『大丈夫、死人に口なしだから!』とまで言っていたと。

 本当に明るくて、むしろ通夜に参列したクラスメイトの方が困惑したらしい。

 しかし、とうとう彼を棺桶に納める際には動揺して過呼吸気味になり、少し外で休まれたのだとか。




 俺は、何とも言えない微妙な気持ちになり、顔をしかめてしまった。

 親御さんは──おそらく彼の死を最も悲しんでいる人は、こんなにも気を張り詰めているというのに。


 俺は明日、そんな人の前で、どんな顔で彼の亡骸を見ればよいのだ。

 こんな中途半端な気持ちなら、葬儀には出ない方が良いのではないか。

 どうして俺はこんなことで悩むような、下種な人間なのだ。


 ああ、くそ、消えてしまいたい……。

 こんなことなら葬儀なんか出席しないほうがいいに決まってる。

 憂鬱だ。

 それでも明日の葬儀に備えなければならないのは変わらない。アンケートで行くと答えた以上、今更行かないなんて無理な話だ。

 俺は陰鬱な気持ちのまま、結局数千円と引き換えに黒いネクタイを入手した。



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 葬儀の当日だ。


 俺はネクタイだけ黒いリクルートスーツで寮を出た。さすがに学生の身分で──特に寮生だとなおさら、急に喪服は用意できなかったし、そのあたりは親御さんもご理解してくださっている。


 集合場所にはもうバスが来ていて、点呼を受けてからすぐに乗り込んだ。中にはアンケートで葬儀の出席を断った者もいたが、悩んだ末にやはり出たくなって当日担任に頼んで出席させてもらったらしい。

 『なんだ、あのアンケート、結構適当なんだな』なんて思って、その発想が嫌になった。どうやらまだ俺は尻込みしているらしい。むかつく野郎だ。


 バスが出発して、しばらくは和やかな空気だった。さすがに数日たつといくらか雰囲気もおちついてくるというものだ。


 だが、その雰囲気もすぐに変わった。


 ようやく葬儀の会場が近づいてきた。

 そして必然的に見えるのは、葬儀場の案内板。それが見えたとたん、バスの中は重たい空気に包まれた。


 俺自身も、あまり平静ではなかった。

 看板には彼の名前の上に『故』と書いてあって、それを見た俺は……、俺は。それは、なんというか、よくわからない感情だった。ただ、よく覚えているのは、『故ってなんだよ』って言いそうになったことだ。周りの暗い雰囲気から、その言葉をぐっと飲みこんだ。じゃあ『故』以外に何があるんだよ、とか、そこ突っ込むところじゃねぇだろ、とか、言うべきことはいろいろあるが、とにかくあの時の俺はそんなことを言いそうになった。意味が分からないけど、そうだった。


 その看板を見た衝撃に、当時の俺は『別にこれは、「その瞬間にようやく俺は彼が死んだことを実感して……」とか、そういう小説でいい感じに書けそうな感傷だったわけではないな』とか思っていたが、今ではそれは違うと思う。あれはまさしく、『彼の死を実感した衝撃』だった。当時の俺がそんなスカしたことを考えているのが良い証拠だろう。


 別に、今までずっと彼の死に実感がなかったわけではない。ずっと彼の死は本当にあったことだと認識していたし、真剣に彼の死について考え、納得していた。

 しかし、俺は改めて、あの瞬間、あの『故』という一文字に、強く『彼が死んだ』という事実を突きつけられたのだ。


 まだお香をあげるどころかバスを降りてすらないのに、俺の内心はめちゃくちゃだった。


 バスが止まって、葬儀会場に着いた。

 参列の順序は大まかにだが出席番号順とのことで、俺は二番目に彼にお香をあげ、遺体を目にすることになった。


 お香をあげ、彼の棺桶のまえに並ぶ。


 前の奴は、彼の棺桶をのぞき込んで、それから、少し上を向いて、また棺桶の中に視線を落としていた。


 前の奴は、何を考えているんだろう。悲しいだろうか、つらいだろうか、それともまだきちんと納得できないままなのだろうか。


 そんなことを考えていると、すぐに俺の順番はやってきた。


 前の奴は大きく息を吐いてから、横の通路から退場した。


 そして俺が、彼の棺桶のすぐ前に立つ。

 奥には花がたくさんあって、華やかだな、とか思った。


 前の奴が視線を落としていたのを思い出して、俺もそれに倣う。棺桶に窓があって、そこから彼の顔が見れた。

 青白くて、顔に小さな擦り傷とあざがある。擦り傷とあざは事故でできたものだろう。痛々しくもあったし、同時に、『もう痛くないんだな』と思った。


 そう思ったとたん、目の前のそれがただの肉の塊のように感じた。当然のことだが、そこに彼の意識はもうないし、動くこともない。


 お前はもういないのか、ここにはいないのか、ここからでられないのか、動かないのか、しゃべらないのか、笑わないのか、飯は食えないのか、バイク好きなやつだったな、学校では世話になったな、もうお前に恩を返すことはできないのか、進学目指してたのにな、あぁそこにいるの俺じゃねぇんだな、お前いいやつだったよなぁ、いやこれはもうお前じゃない、ここにお前はいない、ヌケガラ、俺が代わってやりてぇよ、悲しい、これはもう肉の塊だ、感傷を抱くな、もう瞼は開かない、なんで俺じゃなくてお前みたいなやつがそこに入るんだろうな、急に殴ったらキレて起き上がったりしねぇかな、もう痛くないのうらやましいな──


 俺は、いろんな感情で、足が一歩後ろに引きそうになって。

 横に親御さんがいるのに気がついて、下がるのをこらえた。


 一度視線を外し、上を向いて、目を閉じ、大きく深呼吸。これも、前の奴に倣った。存外に落ち着ける。


 瞼の暗闇に、思う。


 なるほど、これが葬儀で『会うのは最後』ってやつか。くそったれ、こういうことな。一時間前の俺はただの悟ったつもりのクソガキだ。馬鹿が。

 俺は、嫌な奴だ。ただ悲しいだけならいいのに。失礼な野郎だ。死ねよ。なんでここに立ってんだよ。純粋に弔うことができないやつが、来るんじゃねぇよ。


 あぁー、俺も死にてぇなぁー。


 目を開け、もう一度彼を見る。

 どうしてか近づきたくなった。さっきとは反対に一歩前に出そうになって、手を伸ばしそうになって、また、自制した。


 無様だ。俺は情けない奴だ。

 結局、俺はここにきてすらクズ野郎なだけだ。


 どうして彼の遺体を見て一番に思うことが『悲しい』じゃないんだ。


 他人から見て、俺は今どんな風に見えているんだろう。さっき俺の前にここに立っていた奴と同じように見えているだろうか。そうだったら良いな。こんなことを考えているなんて、何があってもこの場で悟らせてはならない。


 ああ、俺はどうしようもないやつなんだ。ずっとこうだった。お前が死んでも、俺が得られたのは俺自身がそうであることの自覚意識が強くなることだけだ。


 なぁ、おい。お前の顔を見ても、俺にはもう肉の塊にしか見えないよ。

 俺は本当のクソだった。

 俺はここにいるべきじゃない。

 そろそろ、出よう。もう十分だ。

 すまない。ごめん。本当に。

 じゃあ。


 俺は、横の通路に向かって、歩き出した。

 その時、通路のすぐそばにいた親御さんが、


「ありがとう」


 と。


 俺は叫びだしそうになった。

 必死に我慢して、喉の奥がウぅっと低く鳴ったのを感じた。


 ありがとう、なんて。こんな俺に対して、息子の葬儀に出席したことにありがとうなんて!

 あなたが言うことじゃない! もっと他にあるだろう! 息子が死んで悲しいだろう、つらくてもう無気力になりそうなんじゃなかろうか、体調だって崩してるだろう、なのに、なのに……。


 俺は本当に、この場にそぐわない人間なんだ。ごめんなさい。本当に。きっとこの人たちはクラスメイトが我が息子を弔うために訪れ、誠心誠意込めて彼の成仏を祈ってくれたと思っているのだろう。違うんだ、俺は違う。俺は、彼の死を通して俺を見ているだけだ。


「……いえ」


 なんとか小さく返答をして、頭を下げた。


 とてもじゃないが、親御さんの顔なんて見れない。


 俺はさっと外に出て、バスの前に待機した。

 そこから、出てくる奴らの様子をうかがっていた。


 みんな、外見上は落ち着いているように見えた。泣いてるやつもいたような、あるいはいなかったような気がしないでもないが、大体冷静そうには見えた。

 何を感じただろう。

 何を思っただろう。

 何を思い出しただろう。

 どうか、俺よりも邪な奴がここにいませんように。みんなが、彼のための何かを思っていますように。




 バスの中、揺られている。

 少し冷静になれた。


 来なきゃよかった。後悔している。


 こんなに苦しいとは思っていなかったが、周囲とのギャップに悩むのは目に見えていた。場違いで失礼な感情を抱くであろうこともだ。

 くそったれめ、あんなに情緒がめちゃめちゃになって間抜けをさらすだけなら、本当に葬儀に出た意味がないんじゃないか。

 葬儀の本懐である弔うことができるどころか、故人を思うことすらまともにできないなんて。


 いや、駄目だ。考えても仕方ない。


 結局のところ、どうしても大きな『うらやましい』とちょっとの『悲しい』がごちゃまぜになった感情がドブ川の底にも劣る穢れだってことにたどり着くんだ。

 悲しい、じゃねぇんだよ。白々しい。クソが。

 あぁー、もう、楽になりてぇよ。

 誠実な人間だったら、良かったのに。




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「みんなでラーメンでも食いに行こうぜ」


 葬儀が終わり、仲のいい奴同士で集まった。

 彼はラーメンが好きだった。ささやかながら、俺達から献杯だ。


 人数分より一杯多いラーメンが来て、全員で手を合わせた。

 それから、思い思いに話題を振り合って、彼のことを懐古した。


 決まって、みんな、「いい奴だったな」と言った。


 言った、というより、言ってしまう、のほうが近いかもしれない。俺達は全員、彼と特別仲が良かったわけじゃなく、ただクラスメイトだったってだけだ。だから、具体的なエピソードとかはあんまりなかった。でも彼が良いやつだったってことだけは全員共通で確信してたことだから、全員でそれを言い合った。記憶に刷り込むように言い合った。


 クラスのまとめ役で、人気者で、いつだって俺たちは彼に助けられてた。授業の時間割を表にして配布したこと、毎日授業の号令をかけていたこと、よく実験実習の考察を参考にさせてもらったこと。


 そんな彼のことを、忘れないように。


「あ、そういえば」


 俺は思い出した。

 そう、確か三年前くらい。

 俺は彼とラーメンを食いに出かけたことがあったんだ。

 あの時は確か、ここにはいない別の奴を交えて三人で食いに行ったんだ。


 俺のクソつまらん冗談に、「おーぅ、せやなー」なんて棒読みで百点満点の返事を返してくれたのを覚えている。クソつまらん冗談の返し方を知ってる、ユーモアのあるやつだったな。


「なにそれ、いい話じゃん」

「あいつと一緒にラーメン食いに行ったとかうらやまし」

「はは、だろ。俺もホンマに今思い出したわ」


 そうか、俺のクソつまらん冗談にいい反応を返してくれる奴が減っちまったのか。

 そりゃ、随分と、寂しいことだ。


 ああ、寂しいな。

 もうちょい仲良くなりたかったな。

 お別れはもうちょっと待ってほしかったよ。

 就職したら忙しくて、お前のこと忘れちまうのかな。

 生きてたら同窓会の幹事とか、お前がやったんだろうなぁ。


 寂しいな。

 もうお前に会えないのは、悲しいな。


 どうかこの心の傷跡が、少しでも長く残りますように。

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