ネバーランドの籠

@kyoubokumeikin

ネバーランドの籠

 身を揺すられて目をさますと、うす暗い部屋のなかに人の顔がぼんやりうかんでいた。妹だった。妹がなにかいうまえに、あたしは彼女のこわばった顔つきから察した。なにかがおこったんだ。さざめの身に。そして死んだんだ。大人か子供のどちらかが。

 いそいで家をでると、やっと朝日があたりを照らしだしていた。すこし肌寒い。近づいてくる秋の気配を感じながら、あたしはまだ静かな住宅街の道を歩きはじめた。さざめの結末をたしかめるために。




 相妻あいづまさざめが教壇の前で、

「今日からこの学校に通うことになりました、よろしくね、みんな!」

 と元気いっぱいに笑顔で挨拶したとき、あたしは、変なやつがやって来た、とおもった。きっとあたしだけじゃなくて、五年二組の全員がそうおもったとおもう。

 まず、さざめって名前が変だ。それから、日本人の名前をしてるのに金髪に青い目なのも変だ。なにより変なのは、彼女が転校してきたのが一学期の最終日だということだ。

 明日から夏休みだけど。

 と、そのときクラスのだれもが心のなかでつっこんでいたにちがいない。

「相妻の席は、あー、藍野のとなりがあいてるな」

 担任の高崎先生がおだやかな声でいって、まだポカンとするみんなの視線を一身にあびた相妻さざめが机のあいだをこっちへ歩きだしたとき、あたしは「ゲ」という言葉がもろに口からでそうになった。

 かんべんしてよー……。明日からあたしの「大人の夏休み」がはじまるっていうのに。あんな、まだサンタクロースを信じてそうな笑顔のやつを間近にしなきゃいけないなんて。

 がっくりうなだれているうちに足音はとなりにやって来た。しかしそのあと椅子に座る気配がしない。

 チラ、ととなりのようすをうかがうと、パチ、と目があった。青い目と。

 クーラーの効いた空気とクリーム色のカーテンに窓からの日差しはだいぶ弱められていた。それなのに相妻さざめの金髪も青い目も光をうけてキラキラと燃えるようにかがやいて見えた。

 あたしたちは無言で見つめあった。何秒くらいだったかわからない。

 このあいだにあたしの頭にうかんだことといえば、おもに相妻さざめの顔への感想で、それは「近くで見るとますます人形みたいだな」とか「宝石みたいな瞳ってこういうのをいうんだろうな」とかのありきたりなものにすぎなかった。

 たぶん背はあたしより頭一つ分低い。胸元にふくらみがいっさいない。ストンとしている。髪が短く、腰もお尻も腕も脚も、うすくてほそくて、まるで男の子と変わりがない。

 ふいに相妻さざめは、あたしの顔を指さしたかとおもうと、

「すごい美少女! すごい目つき悪いけどっ」

 一瞬、あたしはおどろきで頭が真っ白になってしまった。

 ……なに、こいつ、いきなり。内心ムッとしたけど、あたしはとりあわないことにした。きっと大人なら、こういうときはうまく受け流す。

 そのうちにさざめは、あっという顔をした。たぶんいまの言葉のまずさに、いってから気がついたんだとおもう。

「ごめんね」

 と、すぐに両手をあわせてぎゅっと目をつむってあやまった。

「いいよ。べつに」

 あたしは前に向きなおりながら、なるべくしずかな調子でこたえた。

 しかしまださざめが席につくようすがない。

「なに?」

 といってまたとなりをふり向いたあたしの目の前に、さざめが手をさしだしてきた。そしてさっき教壇の前でしたのとまったく同じ笑顔で、

「藍野さんだっけ? よろしくね!」

 あたしはその手をとるかわりに、さざめに横顔を向けて、いった。

「こちらこそ。よろしく」



 あたし藍野志保は、クラス委員長である。クラスの十五人いる女子のなかで、背の順はちょうど真ん中。苦手なものは水泳、ということになっている。今年から。友達からの

「なんで急にクラス委員長なんかやる気になったの?」

 という質問には、

「ちょっとやってみたくなっただけ」

 と最初のころはこたえていたけど、だんだん、

「だれもやろうとしないじゃん。じゃんけんとかで決めても泣く子とかでるし。めんどうじゃん。だったらやってもいいかなって」

 とつけたすようになった。

 朝のホームルームがおわると、明るく元気な転校生をあっという間にクラスメイトがとり囲んだ。

 同級生に埋もれたさざめは、簡単にそこに溶けこんで集団の一部になった。まるで元からそうであったみたいに。

 それを見て、やっぱりとおもった。やっぱり「モノ」だ。相妻さざめも。

 あたしはさざめを囲う輪には参加せず、生徒を廊下へ誘導することにした。このあと体育館で終業式があるのだ。整列して時間までに移動しないといけない。

 けど、あたしがいくら大きな声で呼びかけても、皆なかなか移動しようとしない。困っているとこへ、

「おーい、はやくしろー」

 と高崎先生が廊下から顔をだし、のんびりした声でいった。けど、どこを見るともない目だった。

 すると教室にのこっていた生徒がぞろぞろ廊下へ動きだした。

 背の順に並んだ列のなかで廊下を歩きながら、あたしはもう何度目かの誓いをした。

 この夏休みに大人になるんだ。

 あたしはまだ、子供だ。すくなくともそうみなされている。まわりから。

 子供は軽い。体も、意思も、言葉も。そうあつかわれる。大人から。弱くて、守ってもらうかわりに「モノ」あつかいを受ける。

 だから大人に思いをとどけるには、大人にならないといけないんだ。

 あたしは顔をあげ、先頭を行く高崎先生の背中を見つめつづけた。




 放課後、といってもまだお昼ごろに、あたしは職員室へ向かった。手には通知表をひらいていて、その隅にある「担任の先生からのコメント」という欄にじっと視線をそそいでいた。

 教師になって二年目だという先生の文字は、大きくて丁寧だった。でも内容はあたりさわりがない。一見あたしのことを褒めてくれているけど、よく考えてみると「藍野」のところをべつの名前にとりかえても成立する文だ。

 あたしは眉間にしわを寄せながら、もう何度も読んだその文章をもう一度目でなぞった。

 階段を二階まで下り、職員室前の廊下にでた。ちょうどそのとき、職員室の扉があいてなかから生徒がでてきた。さざめだった。

 一瞬あった目を、あたしはすぐにそらした。バイバイとか、適当に挨拶だけしてすれちがってしまおう。

 ところが、さざめはあたし目がけて直進してきた。いや、ほとんど突進だ。

「……なに?」

 と、前に立ちはだかったさざめにしかたなくあたしは訊いた。

「どこ行くの?」

「職員室」

「なにしに?」

「クジラ教室の申しこみ」

「クジラ教室?」

 そういって小首をかしげるさざめの姿は、まるで本物の西洋人形に見えた。しゃべる人形。でも、そんなもの小学校にはたくさんいるか。あたしだっていまはその一つだ。

「夏休みに水泳教室があるんだよ。泳げない子限定の」

「へええ」

 あたしは歩きだした。なぜかさざめも横をついてくる。しかもにこにこ顔で。

「じゃあその申しこみを高崎先生にしに行くんだ?」

 あたしはうなずくだけにした。

「相妻さんは……」

「さざめでいいよ! ねえ、私も藍野さんのこと名前で呼んでいい?」

「……いいよ。志保ね、あたしの名前」

「しってるよ。皆に聞いたから」

 職員室の前まで来た。なんだかひどく長い道のりだった気がする。

 扉をノックしようとしたら、さざめが、

「あ、高崎先生ね、職員室にいないみたいだよ」

 あたしはかたまった姿勢のまま、まじまじとさざめの顔を見た。

「もっとはやくいってよ。そういうのは」

「えへへ」

 照れくさそうに、ばつが悪そうに頭をかくさざめにあきれて、あたしは廊下を引きかえすことにした。当然のように並んで歩くさざめに、

「あんたも先生に用があって来たの?」

 と訊くと、なにもいわずに首を横にふった。なんだか急にそっけないような、つまらなそうな表情になった。話題に乗り気じゃないのか、あからさまに反応がうすい。

「用がないなら帰れば? いつ先生が見つかるかわからないし……」

 といっても、あいまいな返事をしてついてくる。

「あんたさ、なんでこんな時期に転校してきたの?」

 と訊いてみても、今度は返事さえくれず、窓の外をぼーっと見あげている。

 なんなんだ……。

 心のなかでため息をついて、あたしは校舎のなかを探しまわった。途中行きあったとなりのクラスの先生にたずねて、高崎先生が理科室にいることをつかんだ。そのころにはさざめは、どうやらこの徘徊に探偵のようなたのしみ方を発見していたらしく、

「ついに手がかりをつかんだね!」

 とおどろくほどうれしそうにはしゃいで、あたしをげんなりさせた。

 理科室は西校舎の一階にある。いまあたしたちがいる東校舎とは中庭をはさんで反対側だ。

 あたしは早足で廊下を進んだ。そろそろ空腹でお腹が痛くなって来ていたし、つかれたし、なによりさざめと別れたかった。

 渡り廊下を渡っているときだった。向こうから歩いて来た二つの人かげに、あたしは立ちどまった。となりを見ると、さざめがびっくりした顔で目をしばたたかせていた。

 ほどなくして、男の子と手をつないだ妹が「あっ」とあたしに気がついて、にっこり笑って空いているほうの手をあげた。

 するとそれまであたしと妹の顔を見比べていたさざめが、両手で二人の顔をそれぞれ指さして、さけんだ。

「ぶ、分身の術!」

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