吹きだし以外の台詞はしゃべるな
@kyoubokumeikin
吹きだし以外の台詞はしゃべるな
なぜだ。
どうして漫画を読むときに現実の物理法則を気にするんだ。もっとのめりこめよ。漫画の世界にニュートンはいねえんだよ。
叔父の言葉が頭の中で重く響く。北条高校漫画研究部の部室の床に額をこすりつけ、
「ようやく現実を知ったようね。約束よ。チェリー男爵にキスをなさい」
残酷な宣告に体が震える。周囲から息をのむ気配がする。
透は頭をあげ、声の主を睨みつける。
「改心すれば、退部はとり消してあげる」
透は拳を握りしめる。
「一度やったもんだ」
「予想どおりのセリフね」麗香が白いマントを払う。墨色の縦ロールヘアに載った金冠が、蛍光灯の光を照り返す。「狭い世界の男」
氷柱のような言葉が胸を貫く。透は唇を噛んだ。後悔の念が目からこぼれそうだった。
「男爵をここへ」
壁際に控えていた部員が動き、無言で透の前に一枚の原稿用紙をおく。独特の光沢がある。ケント紙だ。
透は手で口を覆った。紙面には男の顔が描かれていた。目の上でコブを腫らし、頰はニキビ穴だらけで、垂れたぶ厚い唇の間から血を吸ったヒルのような舌をとぐろ状に突きだす中年薄らハゲの顔面だ。
あああっ! 透は奇声をあげかけた。体中に嫌悪感が駆けめぐり、本心があふれ返った。
いやだ、いやだ! こんなおっさんとキスなんて死んでもしたくないぃぃい!
「きなさい神父」
麗香があごをしゃくる。猫背の副部長が気だるげに前にでてくる。寝癖頭をかき、彼は透に用紙をもたせた。ぼそぼそと口上を述べはじめる。
「良きときも悪きときも、富めるときも貧しきときも――」
やる気のない声に楽しげな電子音がまざる。
麗香がスマートフォンを構えていた。
動画撮影をしている。
残す気だ。未来永劫。男爵との愛の証を。
透は胸の中でなにかが崩れる音を聞く。こみあげてきたもので目の前がにじむ。
「誓いますか?」副部長が淡白に尋ねる。
「ぢがいまずっ」透は泣きじゃくりながら答えた。目元をきつくしぼり、唇を男爵に近づける。
女子部員の一部から黄色い声があがった。
「あら。まんざらでもなさそうね?」麗香が口元に手をあてて目を細める。冷ややかにいい放った。「わたしに歯向かったことが間違いよ」
よろめきながらたちあがり、透はふらふらとドアへ向かった。もうここに居場所はない。
どちらがより面白い漫画を描けるか。部長である麗香にその勝負をふっかけ、返り討ちにあったのだ。勝てば部長。負ければキスと退部。そういう約束だった。
ドアノブに手をかける。そのとき、冷酷な言葉が背後から体を穿った。「二度とペンをもたないことね。死体製造機さん」
扉が轟音をたてた。
廊下に飛びでた透は、振り返って声を張りあげた。感情のうねりが口からほとばしる。
口角を吊りあげ、麗香が茶封筒を破りすてる。「約束したわよ?」
踵を返し、透は駆けだした。
「ああっ! ああああ!」
手足を振りまわしながら校舎を走る。壁に体をこすりつけ、あらゆるドアに体当たりし、踊り場のゴミ箱を巻きこんで階段を転がりおりる。
渡り廊下にでる。日は落ちかけていた。春風が冷たい。桜の花びらが頰をかすめて吹きすぎていく。
だれかとぶつかる。しかしそのまま走り去った。通路を渡りきって反対側の校舎棟に入る。ドアを蹴破る勢いで合同文化部の部室に飛びこんだ途端、足がなにかに打ちあたった。
「ひあッ⁉︎」
足元で声があがる。上体が前に倒れこむ。透はとっさに手をついて首を丸めた。前転して正面を向く。視界いっぱいにむきだしの尻が映り、悲鳴をあげて尻たぶをはたき払った。
「ウオォッ!」
叫び声を無視して部屋の奥へ進む。床に積まれた青年誌を蹴倒す。半紙を踏みつける。おき時計を足で轢く。猫は避けて撫でる。本棚から漫画を引きぬき窓際のパイプ椅子にどかりと腰をおろした。漫画を開く。机の上のインクペンを掴む。ペン先が獲物をとらえた。
肉! 肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉!
「尻が腫れたぞ」
透は手をとめない。嫌いなキャラクターへ腹いせをすまし、通学鞄から自由帳をとりだして開く。
「だめだったの……?」気弱な声が寄ってくる。
透はつと動きをとめた。
「悪かったな。完徹までさせたのによ」
震えた声がでた。熱いものが頰を伝う。
「責めてるわけじゃない」伸夫が眼鏡拭きを透に差しだす。
透は肩を震わせた。「いいのかっ、これはおまえが命より大事にしてる眼鏡の次に大事な眼鏡拭きだろ」
「いいさ」伸夫が眼鏡のブリッジを押しあげる。「友の涙と眼鏡の汚れ、比べるまでもない」
「伸夫……!」
透は眼鏡拭きで鼻をかんだ。
「大賞作家に敵うわけないよねぇ」太志が漫画誌に目を落とす。透の肩に丸い手をおく。「透」と二重顎を引きしめると、歴戦の老兵を思わせる声を放つ。「元気だせよ」
「ありがとう太志。おまえのポテチの油染みがトーンミスと勘違いされたけど、ありがとう」
涙はとまった。透の胸に闘志が灯る。「次は勝つ」
「次があるの?」太志が丸い目をますます丸くする。
「さっき申しこんだ」透は壁かけカレンダーを見た。「九月の文化祭だ。漫研の来場者アンケートで勝負する。それに負けたら俺は将来あいつの下でタダ働きだ」
「ええ! やめなよ」
「漫研が私物化されてんだぞ。先輩達もいいなりだ。放っておけるか! それにあの王冠女に負けっぱなしでいられるか」
「腕をあげねばな」伸夫がふんどしを締める。「審査したのは林先生なんだろう? なんといわれたんだ?」
「前と同じだ」透は椅子に沈みこむ。「小せえって」
「辛辣だねぇ」太志が菓子をかじる。
透は頭を抱えた。「わかってるんだよ、自分でも。でもな、描いてるとどうしても、不安になっちまうんだよおぉっ! 話を大きくしちまったら、絶対俺の頭じゃオチをつけられねえって」
「木島さんにはなんて?」
透は腕を組んで鼻を鳴らした。「死んでるだとよ。キャラが」麗香の言葉が蘇る。「そうだ、あいつ、人のヒロインを死体呼ばわりしやがって」ペンを握り締める。激情に腕を捧げた。「
「あああああ! 美鈴ううぅ!」
線が少女を産み落とす。
長い黒髪。二重のたれ目。目尻に浮かぶ小さな黒子。マシュマロを千個詰めこんだような胸と砂時計も驚きひっくり返るほど見事にくびれた腰まわり。桃太郎が「ここから生まれました」と両親を裏切るであろうお尻。
猫好き。世話焼き。清楚人類代表。
胸の前で両手を握り、気恥ずかしげにはにかむ天使。もし現実にこの子がいたら、きっとこういってくれるはずだ。
透は吹きだしを描き足した。中に「ファイト!」と台詞を入れる。
「うわああ美鈴ううぅ結婚してくれええぇ!」
「やめてやれ。美鈴は太志の母親の名前でもあるんだ」伸夫が耳打ちしてくる。
「うちの美鈴はバツイチじゃねえ」透は呟く。
腕を払う。最後の線が走る。ペンが手からすっぽ抜け、開いた窓から外へ飛ぶ。
「ああっ!」
「振りまわすから」太志がいう。「叔父さんからもらったペンなんでしょ。大事にしなきゃ」
「やべ」透が腰をあげかけたとき、部室にノックの音が舞いこんだ。
「だれだ」透は声を落としてほかの二人を見やる。
伸夫も太志も不審そうに扉を見ている。
ここには各部のはみだし者しかいない。滅多なことで人はこない。
用があってくるのは生活指導の教師くらいだ。あのゴリラ顔の男がくると必ず三人のうちのだれかか全員が正座と説教を食らう。
「まさか」太志の顔が青ざめる。「この前の闇鍋カレーパーティーがバレたんじゃぁ」
「オカ研に密告されたか」伸夫がこめかみを押さえる。「やはり肉を分けてやるべきだったんだ」
「肉の恨みかっ」透は右手の壁を睨む。ついで太志に指示を飛ばす。「鍋を隠せ! コンロもだ!」
コクコクうなずき、太志が鍋と簡易コンロを部屋の隅に運ぶ。透は席をたつ。
だれかがドアを叩く。
「これはどうする⁉︎」伸夫が成年雑誌を両手に問う。
「鍋敷きにしろ!」いって透は猫を抱きあげる。ごめんなと鍋に入れる。「周りにものを積め。急げ!」学ランを脱ぎ鍋に被せる。直後、扉が開いた。
透は目を剥いた。
廊下に女がいた。美鈴と同じ容姿の少女がブレザー姿でたっていた。
「やっと見つけた」彼女は透に目をとめてにっこり微笑む。扉をくぐる。肩から一片の桜がおちた。
部屋に一歩入った瞬間、彼女は顔をしかめて鼻をつまんだ。
「なんかここ、ウンコ臭い」
「みっ――」
――美鈴!
ウンコいうな! 思わず口にしかけた次の瞬間、透は腰を抜かした。
赤い液体が彼女から滴っている。
「ち、血⁉︎」
「きみのせいだよ」彼女が透の前にくる。スカートの後ろを押さえて屈み、髪を指ですくって耳にかける。「ねえ、私の最期のお願い聞いてくれる?」
凍りつく透に笑顔を寄せる。
「ここに、六時までに、宇宙人を連れてきて?」
カチ。
割れた時計が五時を指す。
吹きだし以外の台詞はしゃべるな @kyoubokumeikin
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