物書きなんて要らない
「どうにかなりませんか」
どうにもならないのは彼自身わかっている癖に、バグを起こしたアプリのメッセージ表示のような繰り言に囚われている。こんな彼に対して上司は馬鹿丁寧に説得を続け、そうこうしている内に二人がこの居酒屋に入ってから一時間たった。
「なあ古地。うちの会社に俺たちの居場所がなくなってきてるのはお前もよく知ってるだろう。俺だってもう危ないんだ」
店内はガヤガヤと騒がしいのに空席が目立つ。不釣り合いの原因は音響システムで流されている雑踏の音。録音とはいえ往年の賑やかさは人の少なくなった街のさみしさを散らしてくれ、会話の盗み聞きを防ぐ効用もある。高級店にはホログラム映像で見せかけの混雑を提供しているところもある。世界から人が減った分こういう工夫がいるのだ。
入店二時間後、喧騒の中での粘り強い説得はついに功を奏して行生は、
「そうですか。そうでしょう。試験を受けます」
と、呟きうなだれた。
対象者が整理解雇に該当するかを判断するために会社がおこなう試験は最新AIと一対一の試合形式で、とても難度が高い。五十五歳の彼の頭の中では再就職先の思案がはじまったが、それもすぐ立ち消えた。次の仕事を探すのもAIが障壁になるのに気づいたのだ。
ひと昔前なら建設・運送・介護・飲食などの不人気業種であれば続くかどうかは別として就業できる可能性はあった。深刻な人手不足のおかげだ。ところが今ではこれらの業種に就くのは彼でなくともとても難しい。どれもAIとロボットが人間にとってかわってしまった。技術進歩の成果だ。たとえば介護業務は人間以外の機械にさせた方が事故の発生が少なく虐待はゼロで、利用者の心身の負担は格段に軽くなった。もはやどんな業種であろうとも人間の領域は狭まっていくばかり。芸術の分野においてすらAIが勝るようになってきた。
こんな情勢だったから、いくら行生が鈍感でも不安は感じていた。しかし認めたくはなかったのだ。自分の仕事が、芸術性と商業性を兼ね備えた物書きの営みが、AIに奪われるという現実を直視したくなかったのだ。他人から見れば馬鹿げているかもしれないが、彼は怪文書ライターであることに誇りをもっていた。
彼が働いている会社は怪文書の作成・拡散が業務だ。顧客の要望に応じた怪文書を作り上げばらまくまでを請け負っている。根強い人気がある政敵攻撃の紙ビラまきからインターネット上でのフェイクニュース・特定人物への誹謗中傷・バズマーケティング、さらには単に面白くて笑える謎の長文まで、怪文書と呼べるものはなんでもかんでもやっている。
本来の怪文書とは出所不明の暴露・中傷文を指す。しかし今では神聖な文書のことだ。神聖とは?
皆が望むものを同時に存在させるには、五つのパンと二匹の魚を無限に増やし水をぶどう酒に変える力がいる。人類がいまだに手にしていない神の聖なる力だ。しかし我々は
あなたの幸福は隣人の幸福ではないかもしれない。そこで私はあなたの幸福を提示しつつ隣人にもその人のそれを提示するのです。
ぼんやりとした思考の波に流されかけた行生の耳に、上司の野太い声が響いてきた。
「試験期間は28日間。テーマは三つ。フェイクニュース、誹謗中傷、インターネット・ミームだ」
目をぱちくりさせて応える。
「はい。それで準備期間は?」
「明日から六日間だ。その間は自由に過ごして良い。七日目に本社に出向いて試験担当官に完成した怪文書を提出しろ。あとは担当官が確認してネット上に投下する」
「そうすると残りの期間、21日間だから三週間、で拡散具合を確認するということですね」
「そうだ。ま、どうなろうが今後は大変だろう。今夜は好きなだけ飲め。俺のおごりだ」
行生は生返事をしてビールを無理やり一気飲みした。
整理解雇対象者能力査定試験結果
フェイクニュース
古地: 某大物政治家の収賄を目撃した関係者の告発文というデマ。政争に発展しかける。
AI: 某国が秘密裏にエネルギー政策の転換を企図していることを二重スパイが暴露したというデマ。内戦勃発。死傷者は1000人を超えた。
誹謗中傷
古地: 品行方正イメージの某タレントは十代の頃に暴行事件を多数起こし今も番組スタッフを殴っているという根拠のない非難。本人と事務所と番組スタッフが公式に否定し収束。
AI: 某人気ミュージシャンは盗作の常習犯であるとし元曲と称した楽曲群を示して非難 (これらの楽曲はそのミュージシャンの楽曲からその特徴をAIが解析して作曲したものでむしろこちらが盗作である)。本人と事務所が否定するも「元曲」の存在により疑いが晴れないままである。
インターネット・ミーム
古地: 一部のSNSで数百人程度に拡散するも全く定着せず。
AI: 様々なSNSを通じて全世界に拡散し常套句としてもはや古典入りの勢い。
以上の結果から古地行生は整理解雇に相当と判定する。
これを完敗と言わずして何を完敗と言うのか。パーフェクト・オーバーキルを突きつけられた行生はその日のうちに退職届を書いて上司に提出した。
「長いことありがとうございました」
今にも倒れそうなふらつき具合で会社を出ていこうとする元怪文書ライターの背中に声がかけられた。
「おい待て古地。話がある。飲みに行こう」
パーフェクト・オーバーキルから三ヶ月、行生は引っ越し先の社宅にこもって仕事をしていた。以前と同じくパソコンに向き合いキーボードで文字を打ち込んでいる。
「……ということだ。どうだ古地。その子会社にいかないか」
「行けるならありがたいですが、それこそAIの方が良い仕事でしょう」
「ま、正直言って俺もそう思う。だが今のところは最も低コストに『異物混入』するには人間が良いんだと」
「低コストにですか。そう聞くと妙に納得できる話ではあります」
当てもなく路頭に迷うよりはまし。行生は子会社に再就職した。給料は1/3にまで減った。それでもなんとかなっているのは社宅の家賃と水道光熱費が無料なおかげだ。
しかしこの仕事もいつまでやっていけるのか。今までの流れからこの先を推測するなら解雇はすぐに再び訪れる。
「『つまらんもの書くな。機械野郎』と」
投げやりな確かな悔しさのこもったコメントをいくつかSNSに書き込んだ。これが彼の新しい仕事。AIの怪文書にコメントをつけて回って盛り上げるのだ。罵ってもいいし誉めてもいい。指定された怪文書への注目を高めるための書き込みをし続ける。
小休止にペットボトルのコーヒーを口に運んで考える。もしかして今のネットはAIが書いた文章とそれに群がるAIと俺のような人間が書いた文章で埋まってるんじゃないか。だとしたら自分の書き込みに何の意味があるのだろう。石を抱えて少し離れた場所に置き、次にはその置いた先から石を元の場所に戻す拷問と何が違うんだ。
いや、だとしても。
次の給料が振り込まれたら何の本を買おうか。行生はぼんやりと天井を見つめた。
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