第8話
「ダリルと結婚?」
セシリアの言う通り、親戚筋の子爵家であるダリルとミランダの結婚話が持ち上がった。
咎めるようなミランダの声音に、父の肩が小さく萎むように見えた。
「君の怪我の話は広まってしまって……親戚以外いないんだよ……流石に未婚を通すのは外聞が……ラウルの縁談にも支障があるから。それに気心の知れたダリルなら君もいくらか気が楽だろう?」
そう言って下がる視線の先にはミランダの足がある。
崩れ落ちる建物の下敷きになり、逃げ遅れた際に負った傷……傷は生涯残り、季節により痛みや痺れがあるろうと言われている。
兄──ラウルの縁談、家の醜聞。それに父は口にしないが、恐らく侯爵家からの圧力があったのだと思う。
貴族として優先すべきは何なのか、分からないミランダではない。本心はフィリップが起きるまで待っていたい。
けれど彼は二年後に目覚めると言ったところで、誰も信じはしないだろう。
自分たちは、失う事が怖かったからセシリアの話を信じられた。
けれど目の前にいる父はきっと、娘が醜聞に塗れる事を恐れ、懸念していて、家名を守る大義の方が大きい。
だからミランダの願望が混じったような話が通じるとは思えない。
フィリップを溺愛している侯爵には言うべきか悩んだが、それはフィリップに止められた。理由は分からなかったが、彼には彼なりの目的があるように見えた。
「ガルシア侯爵家はもう駄目だよ。侯爵が失意のどん底で、代理と称して親戚が好き勝手にやっている。こうして侯爵の印章を勝手に使い、君とフィリップ君の破婚を威圧的に言い渡す程にね」
そう言って紙切れをひらひらとさせながら、力無く笑う父も疲れているように見えた。きっと印章に逆らう気力も無いのだろう。
セシリアの話では、侯爵がミランダの傷を嫌ったとの事だったが、実際はフィリップの父ではなく、代理の意見だったのかもしれない。
具体的には侯爵の妹の夫──レドル。今彼が侯爵代理としてその座に居座っている。
フィリップと同席した舞踏会で顔を合わせた事があるけれど、他人を値踏みし見下すような輩で、面倒そうな人だった。
貴族ではあるが今の爵位は準男爵らしいから、侯爵家が自分のものになるのなら、彼なら形振り構わないのではなかろうか……
ミランダは両手をぎゅっと握った。
(……フィリップ様はちゃんと目覚める)
だから大丈夫。
そう思っても我儘を通せば父や兄、きっと母にも迷惑を掛ける事は分かっていた。だから……
ミランダは小さい笑みを漏らした。
セシリアから未来を聞いていなかった自分がどんな気持ちでこの話を受け入れたのか、嫌でも分かってしまう。
きっと自分はフィリップに会いたがった。
侯爵家に行って、彼の身柄を受け入れたいと懇願もした。
けれど何も叶わず時間が過ぎる中、見通しの立たない未来と周囲の圧力に耐えられず、負けてしまったのだ。
──『だから、僕を、待ってて』
それはいつも表情を表さないフィリップが見せた、優しい笑みだった。
驚きに目を見張るのはミランダだけでなく、セシリアやイーサンもまた、限界まで目を見開いていた。
けれど今はフィリップのその言葉があるから、待っていられる。
彼が来るまで──だから、
「行きます。ダリルとの結婚式に」
ミランダは父に向かい、頷いた。
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