第十六章 新たな春風

第457話 お祝いの興奮が覚めやらぬ隣領

登場キャラ解説


・エルダン・マーハティ

 隣領、マーハティの領主で若き公爵、象人族と人間族のハーフ。

 部下の各種族から妻を迎えていて多妻家、平等に愛し、家族仲は良い


・ジュウハ

 エルダンの部下で、自称王国一の兵学者、中年の人間族。

 ディアスの戦友でもあり……ディアスとは悪友的関係、お互いに嫌いな訳ではないが、色々な部分で趣味が合わない


・カマロッツ

 エルダンの部下で老齢の人間族、エルダンの執事として家の中のこと一切を取り仕切る。

 セナイとアイハンと仲が良い


・ネハ・マーハティ

 エルダンの母で元奴隷、エルダンのことを深く愛しており、誰が相手でも母親として接しようとする癖がある。

 料理上手





――――





――――マーハティ領 西部の街メラーンガルの領主屋敷の一室で ジュウハ



 これまでジュウハが使っていた執務室ではなく、新しく用意された一室……整然といくつもの座卓が並ぶ一室の、最奥に置かれた座卓で今日もジュウハは、書類仕事に精を出していた。


 ただその仕事は、これまでのものとは全く違っていて、並ぶ座卓で仕事をしていた部下達が仕上げた書類を確認していくといったもので……様々な種類の獣人達が緊張した面持ちで視線を送る中、ジュウハは次々に確認を終えていき……確認を終えたなら書類の束を脇に置いてあった木箱にしまい、口を開く。


「よし、問題なしだ。

 これで今日の勤務は終わり……明日もいつも通りの鐘で開始となるから遅刻しないように」


 それを受けて部下達は笑みを浮かべながら安堵のため息を吐き出し……ジュウハに軽く頭を下げてから立ち上がり、雑談をしながらの帰路につく。


 それを見送ったジュウハは、木箱の箱をしっかりと閉めてからペンやインク壺の片付けを始め……それが終わったなら部下達の座卓を一つ一つ確認していき、インク壺の蓋の閉め忘れなどがあれば、しっかりと閉めておく。


 そういった確認作業を終えて、さて自分も帰るかと背筋を伸ばしていると、入口にある布をめくりながらカマロッツが入室してきて……その表情を見たジュウハは何か話があると見て、カマロッツの分のクッションを用意してから、自分の席につき、カマロッツに座るよう促し、口を開く。


「で、今日は何のようだ? 一人で来るなんて珍しいじゃないか。

 一緒に酒場にでもいきたくなったか?」


「……改めてお話をと思いまして……。

 エルダン様のご嫡男が産まれたこの折に、ジュウハ様が胸に抱く方針を教えていただきたいのです」


 するとカマロッツがそう返してきて、ジュウハは顎を撫でながら唸り声を上げる。


 最近になってジュウハは部下を集め、それまで自分一人でこなしていた仕事全てを部下達に任せていた。


 ジュウハはあくまで監督役で、指示と確認だけをし、全てを部下に任せ……それで新しい仕組みが上手くいくかどうかを確かめていたのだ。


 まずジュウハ自身が完璧だと思う仕組みを構築し、自分の手でもって実践し……それが効果的であることを確認したなら、その仕組みを出来る限り簡略化し、分割していった。


 自分のような天才でなくても運用出来るように、凡庸な人間であっても数を揃えることで問題なく内政を回せるように。


 それは事情を知らずに端から見ると、逆行的かつ非効率的なことをしているようにも見えることで、カマロッツはそういった疑問を抱いたに違いないと考えてジュウハは言葉を返す。


「あ~、端から見るとおかしなことをしているように見えるかもしれねぇが、これも必要なことでな……。

 確かにオレ様だけでやっちまった方が早いし、良い結果になるかもしれねぇが……それじゃぁオレ様が引退した後どうするんだって話になっちまう。

 天才だけが運用出来る仕組みでいくら良い内政をしたって意味はねぇんだ、長続きしねぇからな……長続きしねぇとなると全てを台無しにするような結果を招くこともある。

 以前はあれだけ良かったのに、なんで今はこうなんだって不満が爆発して……なんてのはよくある話だからな」


「……後任をお育てにはならないのですか? 

 ジュウハ様がその才でもって、才ある者を育てたならきっと、今よりも良い結果につながるのでは……?」


「……才ある者が必ずしも善良とは限らねぇ、エルダン様に仕えてくれるとも限らねぇ。

 それに才ある者ほど自惚れ、傲慢になり、驕り高ぶるもんだからな……良い結果になるなんて、誰にも……オレ様にも神様にも保証できねぇよ」


「……かつてのジュウハ様もそうだったのですか?」


 と、そんなカマロッツの言葉には色々な意味が込められているように思えた。


 ジュウハは自分で自分のことを、自惚れ屋で傲慢で驕り高ぶっている嫌な人間だと考えていたが、カマロッツはそうだったのかと過去形の言葉で……今のジュウハはそうではないだろうと、そう伝えてきていた。


 自分のような人間なんてのは嫌われるのが当然で、カマロッツにも好かれてはいないと思っていたのだが……どうやらそうとも言い切れないようだ。


「そうだった……か、そうだな、ディアスに出会うまではそうだったかな。

 かつてのオレ様には誰も彼もが馬鹿に見えた、両親ですら馬鹿に見えた……ひどい馬鹿だとしか思えなかった。

 オレ様がこの知恵で稼いできた金をすぐに使い切る……いや、良い使い方で使い切るなら良いんだが、馬鹿な使い道ばかりで浪費をする。

 金で自分を育てることもしねぇ、本を読むこともしねぇ、あの金で商売をしたならもっと稼げていただろうにそれすらもしねぇ……なんて馬鹿なんだと見下してたもんさ」


 そう言ってジュウハは窓の外を見て、小さなため息を吐き出してから言葉を続ける。


「王城に勤めてからもそうだった、周り全部が馬鹿ばかり、上司や大臣達も馬鹿ばかり……何度も何度も忠告してやったのにそれを無視して、戦況をどんどん悪化させて……何を言っても何をしても取り合いやしねぇ。

 そのうちまともに相手するのが馬鹿らしくなって、早く講和しろとばかり繰り返すようになって……結果、王城を追い出されたが、それすら馬鹿な判断だとしか思えなかった。

 そうしてオレは……あの馬鹿に出会った、あいつこそが本物の馬鹿だった。

 決して賢くない訳じゃねぇ、基礎的な学問は修めているし、それなりの地頭はあるのにあえて考えるのを放棄して馬鹿な直感に従って……だってのに道を間違わねぇ。

 善良だからか? それともそういう運命なのか? あいつはいつだって道を間違わず……オレ様という超天才を見出し、見事な文句でタダで雇いやがった。

 ……あの時からオレ様は馬鹿も悪くないもんだと思い始めたんだろうな」


 そんなジュウハの言葉にカマロッツは何も返さない、ただ静かにジュウハのことを見やっていて……ジュウハは更に言葉を続けていく。


「だから馬鹿でも運用出来る仕組みを作っていく、オレ様みたいな天才は二度と現れないかもしれねぇ、現れても別の道を行くかもしれねぇ。

 ご嫡男まではオレ様が面倒を見てやれるが、その先は分からねぇ、更にその先、その先の先にどうなるかなんてのは、誰にも分からねぇ、オレ様の頭でもっても読み切れねぇ。

 だから、どんな馬鹿が王になっても、何代先になっても大丈夫なようにしねぇとな……幸いにして今の状況は良い。

 西側がディアスで、その向こうが獣人国で……安定した味方が治めているってのはありがたいもんだ。

 しかもあの神殿……全く、あの馬鹿は本当に良い道ばかりを選んで進むよなぁ」


「……やはりエルダン様を王にするという考えに変わりはありませんか。

 わたくしとしても反対はしませんが……それが本当に正しい道なのでしょうか?」


「……さぁなぁ、例の反乱騒動のようにオレ様だって道を間違えることはある。

 やってみなけりゃ分からねぇが……今のとこは悪くねぇ結果が出ている。

 あえて経験の足りねぇやつや、読み書きに不慣れなやつを集めてみたが、問題なく仕事をこなせている。

 ディアスにも伝わるようにって手引書を作ったのが良かったようだ……まぁ、あいつの方が物分りも物覚えも良いがな。

 ……そんでまぁ、こうやって王への道を整えていけば、今までにない良い結果が待ってるはずさ」


 と、そう言ってからジュウハはゆっくりと立ち上がり……背後の棚に隠しておいた、装飾のされた木箱を取り出す。


 その木箱を机の上に置き、蓋を開くと中に酒瓶とコップが二つ入っていて……その一つをカマロッツに差し出すと、カマロッツは何も言わずにそれを受け取る。


「オレが酒だ遊びだと人生を楽しみ始めたのもディアスと出会ってからだったな。

 ……あいつのように馬鹿になれたらと思って始めたことが、こうまで人生を変えるとはなぁ」


「……生粋の酒好きではなかったのですね」


 なんて会話をきっかけに始まったジュウハとカマロッツの話はまだまだ終わらない。


 エルダンをどんな王にするのか、どうやって王にするのか、王にした後はどうしていくのか……。

 

 話のネタは尽きず、夜更けまで話が続くことは明白で、ならば酒がなければ舌が回らなくなると二人はそれぞれのコップに酒を注いで……それから乾杯し、飲み干し、酌み交わし、そして話のネタが尽きるその時まで、お互いの目が見る未来への展望を語り明かすのだった。



――――同じく領主屋敷の子供部屋で エルダン



 厄除けの刺繍がされた絨毯を敷き詰めて、窓や入口の周囲には虫よけの香を炊き、魔除けの宝石を散りばめたランプに火を灯し。


 ネズミなどが近付かないよう足を長くし、鼠返しがついたベッドの上に眠る赤ん坊のことを覗き込んで、エルダンは静かに微笑んでいた。


 隣には妻であるパティの姿もあり……2人は無事に産まれてくれた我が子の寝顔を見て、今までに感じたことのない、言いようのない幸福感を満足感に浸る。


 医者の見立てでは何の問題もなく健康、エルダンのように生まれつきの病気で苦しむ様子はないとかで……そのこともまた2人の喜びを深くしていた。


 そんな子供部屋の入口には、そっと部屋の中を覗き込む1人の女性の姿もあり……それに気付いたパティが、その女性に声をかける。


「お義母様、こちらに来てください……一緒にこの子の寝顔を見守りましょう」


 するとその女性……エルダンの母であるネハは、どこか申し訳なさそうにやってきて……そしてベッドの中を覗き込むなり涙ぐむ。


「……良かった、本当に良かった……エルダンちゃんと違って健康で……本当に本当に……。

 こんなに元気な子が産まれてくるなんて……なんてなんて言ったら良いのか……」

 

 そんな言葉を続けるうちに涙がこぼれて、滂沱となり……それを見てエルダンとパティは、そっとネハに寄り添い慰める。


「お母様……僕のことを産んでくれたこと本当に感謝しているであるの。

 おかげでこうしてお子を持てて幸せで……毎日が楽しくて、感謝しかないであるの。

 ……今となっては病気であったことも過去のこと、笑い話であるの……だからそう気に病まないで……」


 そう言ってネハのことエルダンが抱きしめるとネハは更に多くの涙を流し……何かを言っているらしいが何を言っているのか分からない、そんな声を上げ続ける。


「うん……うん……お母様の感謝の気持ちは分かったであるの。

 ……そしてこうやって元気なお子が産まれてくれたのは、僕達の頑張りというよりも、大メーア様のおかげでもあるの。

 大メーア様の加護がなければどうなっていたことか……」


 大メーアの加護、サンジーバニー。

 エルダンもパティもその凄まじい薬効を身に受けていて……赤ん坊が元気に産まれてくれたのは、その薬効のおかげに違いなかった。


 混血によって発生したエルダンの病魔、その子も混血となれば更に厄介な病魔が発生する可能性があったが……それすらもサンジーバニーは治してしまう。


 凄まじいとしか言いようがない、深い深い感謝しかない。


 そのことを改めて痛感したエルダン達は、折を見て大メーア神殿に感謝の礼拝をしなければと心に決める。


 特にネハはその想いが強く……尚も言葉にならない言葉を発しながらネハは強く決意する。


 感謝の礼拝……いや、巡礼には全力を尽くさなければならない。


 ネハが持つ全てを投じなければならない……そうやって感謝の意を示さなければならない。


 この子がこれからも健康無事に育つように、未来が明るいものとなるように祈りも込めて……。


 そうやってネハはかなりの騒動を起こすことになるのだが、エルダンとパティはまさかそんなことをしようとしているだなんて、思いも寄らず、ただただネハのことを慰め続けるのだった。



――――



お読み頂きありがとうございました。


次回はディアス達の視点に戻って、鈴やら何やらのあれこれの予定です




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