第253話 各地の男達



――――とある町の自らの部屋で 元大工のジョー



 木造の質素ながら掃除の行き届いた部屋の中で、一人の男がベッドに乗せたカバンを前に荷造りをしていた。


 地味な麻服に革のズボン、革のブーツに革のマント、目立たないくすんだ茶髪を長く伸ばし、少しでも目に留まるようにと丁寧に編み込んだ、ゴツゴツとした長面の40歳。

 その茶色の瞳は膨らむ期待でキラキラと輝いていて……まるで吟遊詩人の冒険譚を聞く少年かと思うような楽しそうな表情をしている。


「兄さん、どうしても行かなきゃ駄目なの? ここでずっと暮らしても良いんじゃない?

 旦那や子供達だってそうして欲しいって言ってるんだし……」


「ん、最初から家族孝行は一年と決めていたからな……。

 お前達には十分過ぎる程に良くして貰って感謝もしているんだが……もうな、我慢が出来ないっていうか、行きたくて行きたくて仕方ないんだよ」


 部屋の入り口の木のドアに背中を預けた女性にそう声をかけられると、元大工のジョーは荷造りの手を止めることなく、笑みを浮かべてそんな言葉を返す。


「ならせめて、もうちょっとで良いからお金を持っていってよ。

 うちにあるお金のほとんどが、兄さんが持ち帰ったものなんだし……」


「いや、置いていくよ。

 金はまた稼げば良いし……お前達が金に困ることが無いんだって分かっていればこそ、憂いなく旅立てるんだしな」


「もー……そんなに会いたくなるものなの? ディアスさんって人は」


「そりゃぁそうさ、俺が今こうしていられるのはディアスさんのおかげで、大金を持ち帰る事が出来たのも、町の皆に戦争の英雄だなんてチヤホヤされたのも……何もかもがディアスさんのおかげなんだからな。

 ……それに、あれだ、楽しいんだよ、まっすぐに走ってくディアスさんの後を追いかけていくのって……。

 世の中にこんなにワクワクすることがあったのかと思うくらいにな」


「はぁぁー、もう……志願兵なんてものになって、ようやく帰ってきたと思えばこれなんだから。

 帰ってきた兄さんを初めて見た時、正直誰だか分からなかったんだからね? それだけ会えてなかったんだからね?」


「ははは、ごめんな」


 そう言ってジョーが荷造りを終えるとジョーの妹は深い溜め息を吐き出し、全てを諦めたような表情をする。


 目の前のこの兄が家を建て替えても余る程の金貨を持ち帰ってくれて、この兄の名声のおかげで町の皆から敬意を示されるようになって、夫が町長に選ばれたりもした。


 そのことに深く感謝している妹は、その恩返しをいつかしたいと思っていたのだが……どうやらその機会はもう訪れないようだ。


「……たまには手紙を出してね」


 そうして妹がそう声を上げるとジョーは「おう」とだけ返して、カバンを背負い……40歳とは思えない健脚っぷりを見せつけながらズンズンと、部屋から、家から、そして町から出ていくのだった。



――――寂れた岩場の一画で 元石工のロルカ



 自らが作り直した両親の墓石の前に跪いて、地味な麻服に革のズボン、革のブーツに革のマントという旅装の男が一人、静かに祈っている。


 目立たないくすんだ茶髪を短く切り、それを包み込むように布を巻いて隠し……そうすることで最近、全体的に薄くなり始めたことを悟られないようにしている41歳。


 何でもない石工の夫婦の墓とは思えない程に立派な、これ以上無いだろうというくらいに手間と金と時間をかけた墓石に十分に祈ったなら、茶色の瞳をカッと見開いてから立ち上がり……背中に背負っているカバンを背負い直してから周囲をぐるりと見渡す。


 山間の石切り場で栄えた町の……跡地。


 もっと良い場所が見つかったとかで、あっという間に寂れて無人となってしまって……そんな場所でずっと、戦争が始まる前に亡くなった両親の墓を作り続けていたロルカは、行き来だけでかなりの時間がかかる、最寄りの町では知らぬ者のいない変人として名が知られていた。


「いやー、遊びに遊んでたせいで一年もかかっちまったなぁ。

 ……ま、一年も親孝行したって言えば、ディアスさんも側にいることを許してくれるだろ」


 墓で眠る両親にそう言っているのか、それとも独り言なのか……そうしてからロルカはゆっくりと歩き出す。


「この一年、さんざん遊び回って金を落としてやったけど、最後の最後まで変人扱いしてくれやがって……あの町には顔を出さなくていいかな」


 更にそんなことを言ったロルカは懐から地図を取り出し……太陽の位置を確認しながら西へと足を進めるのだった。


 

――――ある街道沿いの町の自宅で 元鍛冶職のリヤン



 ジョーとロルカが旅立ったのと同時期、リヤンもまた旅に出ようと準備を整えていた。


 目立たないくすんだ茶髪を油でぴっちりと固めて、切れ長の茶色の目でじぃっと、テーブルの上に置いたカバンの中を見やって……地味な麻服に革のズボン、革のブーツに革のマントの39歳。


 すっかりと片付き、空っぽといって良い程に何もなくなった家のリビングで、先程からずっとリヤンはそんな風にカバンの中を見やり続けていた。


「ほらほら、もう準備は良いでしょ? さっさと出ないと、いつ到着出来るか分かったものじゃないわよ」


 何ヶ月か前に結婚した、黒混じりの赤髪を肩程の長さで整えた、リヤンと似たような旅装姿の妻にそう言われて、ようやく顔を上げたリヤンが言葉を返す。


「いや、だって、こう……女の旅って何を用意したら分かんないっていうか……。

 そもそもあれだ、向こうについても楽な暮らしが出来るとは限らないし……お前はここに残っても……」


「はぁ? 今更何言ってんのよ? 家具も全部処分しちゃったんだし……っていうか、そもそもそんなことを言うなら結婚するなって話よ、私に手出すなって話よ」


「いやだって、戦争中ずっと待ってたとか、そのせいで行き遅れたなんて言われたらさぁ……」


 リヤンが志願兵になった頃、妻のカペラはまだまだ少女で、まさか自分に恋心を抱いているなどと思いもよらず……故郷に帰ってきたなら、少女だったカペラが一人の女性としてリヤンのことを待っていてくれて。


 30歳になるまでそうして待ってくれていたことに感謝し感動し、そうして恋心を抱くことになったリヤンだったが……西の果てへの旅と、そこでの生活にそんなカペラを付き合わせて良いものかという葛藤が今尚あり……そのせいでずっと歯切れの悪い言葉を吐き出し続けていた。


「ディアスさんのとこ行きたいんでしょ? この一年ずっと悩み続けてたんでしょ?

 ならもう良いじゃないの、これ以上悩む必要なんて無いわよ。

 ディアスさんに故郷に戻れと強く言われたからってその通りにして、それで後悔し続けて……私との結婚式でもずっとそんな顔してくれちゃって。

 アンタと結婚した時点でもう、こうなることは覚悟してました、そのつもりで結婚しました、だからほら、さっさと行くわよ。

 足りないものがあったら道中で買い足せば良いんだから」


 そう言われてリヤンは、ようやくすっきりしたような、憑き物が落ちたような顔をし……カバンの口を閉じ、しっかりと背負ってから歩き出す。


 家の外にはこの時のためにと用意した立派な馬車があり、その馬車を牽く立派な体躯の馬の姿があり……カペラは荷台に、リヤンは御者台へと向かう。


 そうしたならカペラは馬車の中に用意してあった大きなクッションへと腰を下ろし、リヤンはしっかりと手綱を握り……そうして馬車を西へと続く街道へと進ませるのだった。



――――マーハティ領 西部の街メラーンガルの高級宿で サーシュス公爵



「いやまさか、君がこんな所まで来ているとはね、驚いたよ」


 マーハティ領西部の街、メラーンガルの中でも特に高級な宿の、絨毯などで飾り立てられた石造りの部屋で。


 柔らかな毛皮のソファに腰掛けて、高級な宿に相応しい値の張るワインの入った値の張るグラスを傾けて……サンセリフェ王国の公爵、フレデリック・サーシュスがそう声を上げると……その前に置かれた安っぽい、この部屋に全く似つかわしくない木の椅子に腰掛けた、後頭部に僅かに残った灰髪を、紐でまとめて揺らす男が酒に焼けた喉を鳴らす。


「あんだよ、好きにして良いって言ったのはアンタじゃねぇか」


 貴族に、それも最上位の公爵に向けるには粗野過ぎるその言葉に、ソファの後ろで控えていたサーシュスの部下達が反応を示すが、当の本人は気にした様子もなく手を上げて部下を制し、そうしてから言葉を返す。


「確かにそうだがね、まさか解放となってその足でここまで来るなんてねぇ……。

 いやはや本当にその足でよくぞここまで来られたものだよ」


 するとサーシュスの目の前の男は、その言葉が気に食わなかったのか、怒りの感情を顕にしながらその身を包んでいた黒い革マントを揺らして立ち上がり、そのマントのすき間から覗く義足をきしませ……そうしてからため息を吐き出し、椅子に座り直す。


「ああもう、まったく王国人ってのはこれだからなぁ……まぁ良い、アンタには迷惑かけるつもりはねぇさ。

 あの街もしっかり統治してくれているみたいだからな……ただ俺ぁ、あの野郎に、ディアスに挨拶してぇだけなんだよ」


「ふむ……まぁ、君は戦場でも彼と仲良くしていたくらいだから、その点は心配してないけどね……。

 彼はもう公爵だ、変な八つ当たりをするのも程々にしておきたまえよ」


「……本っ当にまったく! 王国人ってのはこれだからなぁ……!

 ディアスの野郎も大概だったが、まーだあのボンクラの方がマシだってんだよ!

 ……そもそも俺ぁ、あいつに八つ当たりをしたことなんて一度もねぇよ、あの野郎がしでかしたふざけた真似に、正当な抗議ってもんをしてるだけなんだからよ」


 サーシュスにそう返した男は、もう一度マントを揺らしながら立ち上がり……わざとなのか、その義足で椅子を蹴倒してから、その部屋を後にしようとする。


 歳は50そこそこで長身、鍛えているのか立派な体躯で……その金色の瞳でもって鋭く、部屋の出入り口となるドアの前に立っている騎士を睨みつける。


 そうして騎士が僅かに怯んだ隙に男は、カツコツと音を鳴らしながら歩いていって……あっという間に部屋の外へと出ていってしまう。


 そんな男の後ろ姿を見やりながらサーシュスは……この後あそこでどんな騒ぎが起きるのだろうかと、想像を膨らませて胸を弾ませて、そうして自領へと帰らなければならない自分の立場を少しだけ憎く思うのだった。

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