第245話 ディアスとその側に立つ者達



 ――――迎賓館の入り口を見やりながら ディアス


 

 エーリングが硬直から復帰する直前……エーリング達の背後にある迎賓館の入り口でちょっとした動きがあった。


 一瞬戸が開き、そこから誰かの顔が覗き……そうしてすぐに戸が閉められたという動きが。

 それからすぐに迎賓館の壁……というかユルトの布の向こうで誰かが会話するような声が聞こえ、それから少しして私の背中を駆け上って襟首の辺りに飛びついたエイマから『青だそうです』との小声が上がる。


 つまりはまぁ先程の誰かはアルナーのようで、扉を開いたのは魂判定の魔法のためのようで、耳の良いエイマがユルトの外で語られているらしいその結果を伝えてくれたようで……それを受けて私は『ああ、分かったよ』と、そんな言葉を胸中で呟く。


 どういう意図で私に結婚を勧めてきたのかは知らないが、どうやら悪意あってのことではないらしく……魂鑑定の結果が青であるならばひとまず彼の話を最後まで聞いてみるかと、そんなことを思うのだった。




 ――――硬直しながら エーリング



(参った、完全に予想を外してしまった……。

 孤児出身の平民でありながら志願兵となり、救国の英雄となり、更に王に尽くすことで公爵にまで成り上がったからには、更に上……王族との縁を望んでいるものとばかり思っていたのだが……。

 まさか婚約しているからと、それだけの理由でこんなにも良い話を断られてしまうとは、結婚の噂は聞いてはいたが……。

 人物評それ自体が間違っていたとなると、作戦を立て直す必要がある訳だが……話を進めながらそんなことをする羽目になるとはなぁ……)


 硬直しながらそんなことを考えたエーリングは、側に立つ仲間に肩を揺らされたことをきっかけに硬直から復帰し……目の前の公爵、ディアスへと声をかけていく。


「どうやら話を急ぎすぎてしまったようで、申し訳ありません。

 まずわたくし達がどうしてこの地に足を運んだのか、メーアバダル公との会談を望んだのか、そこからお話させていただきます―――」


 エーリング達の派閥……第二王女ヘレナが率いる者達が目指しているのは一言で言えば平和である。

 大陸を文化芸術の力で統一し、争いの無い平和な日々を作り出し……余る武力は人ではなくモンスターに向けて、人の版図を広げていくことで得た豊かさを、大陸に住まう人々に分け与えるというものだ。


 かつて建国王は武力でもってこの大陸に住まう人々を救い、大陸全土を統治するサンセリフェ王国を作り出した。

 しかし時が経つと人種が違う、文化が違う、住む地域が違うと王国は分裂することになり……帝国などという化け物を作り出すまでに至ってしまった。


 武力では駄目だった。


 だから別の方法を目指すという単純にも思える思考でもって考え出された方針に賛同する者はそう多くは無いが……それでもエーリング達は本気で人の世の平和というものを願っていた。


「―――文化芸術で世界を平和にするなど、本当にそんなことが可能なのかは……正直わたくしにも分かりません。

 仮に可能なのだとしてもそれは百年二百年……もしかしたら千年先にならなければ出来ないことなのかもしれません。

 ですが……だからと言って何もしないというのは違うように思えるのです、とても小さな意味のないような一歩であってもまずは踏み出し、後の世の礎となることが肝要で―――」


 自分達の意図をそう語りながらエーリングはディアスのことをじぃっと見やり、観察していた。

 

 この話をすると大体の人物はエーリング達のことを侮るか馬鹿にするかなのだが、ディアスにそういった様子は見られない。


 平和を望むことは良いことだと同調し、文化芸術にそんな力があるのかと驚き、後の世のことを本気で考えているエーリング達に感心し……とても素直に、そして好意的に、エーリングの言葉を受け止めてくれている。


「―――そういう訳でヘレナ様とディアス様が婚姻したなら、その繋がりが……ディアス様の武名がきっとわたくし達の目的……いや、夢に大きな力をもたらしてくれるはずで―――」


 だがそうやって婚姻の話へと踏み込むと、途端にディアスは渋面を作り出し、エーリングの言葉を拒絶する態度を作り出してしまう。


 どうしてそんなにも頑ななのか、それ程にも大事な婚約者なのかと思い、どんな婚約者なのかと問うてみれば……この辺りに住まうなんでもない平民の娘が婚約者であるらしい。


「―――であれば側室という形にしても良いのではないでしょうか!

 確かに王国法は重婚を禁じてはいますが、貴族の多くは当たり前のように―――」


 と、そうエーリングはディアスを説得しようとするがディアスはとても頑なだ。


 王国法を破ることは出来ない、両親の教えに逆らうことは出来ない。


 そう言って腕を組んで顔を背けて、露骨なまでに不愉快そうな表情を作り出している。


 孤児であるディアスにとって両親の教えが特別なものであることは理解出来るが、それにしても拘り過ぎではないだろうか? と、そんなことを思いつつも、それを言葉にすることをぐっとこらえたエーリングは、どうにかディアスを説得出来ないかと、懸命に思考を巡らせる。


 関所で見かけたあの人物達は、その容姿から察するに話に聞くギルドの幹部であるようだ。


 前々からギルドがディアスに好意的だという情報は仕入れていたが、幹部がわざわざ足を運ぶ程だとは驚きで……救国の英雄というだけでなくギルドとの繋がりまで持つディアスをなんとか仲間に引き入れようとエーリングはどんどんと必死になっていく。


 必死になり懸命に考え、言葉を尽くし……そうするうちにエーリングはあることに思い至る。


(そうだ……ディアス様はずっと戦場にいた訳だから、神殿の新道派のことを知らないのかもしれない。

 戦争中に主流となった新道派は重婚に寛容であることを説明したなら、あるいはそれが突破口となるかもしれない。

 会談にわざわざ神官を同席させる程に敬虔であるならばもしかしたら……いや、きっと耳を貸してくれるはずだ)


 そう考えて、新道派についてを語りだすエーリングだったが、今度はそれをディアスではなく、神官服を身にまとった老人が制してくる。


「おっと、儂の前でその話はそこまでにしてもらおうか。ここで連中の話をするのは無しだ」


「べ、ベン伯父さん……」


 続いてディアスがそう声を上げる。


 そしてエーリングは……顔面蒼白になって再び硬直する。


 新道派の話を制した、ということはこの老人は古道派なのだろう。

 今やそんな派閥があったことすら知らない者がいる、廃れきった古道派の『ベン』という名の老人。


 確か去年、聖地巡礼に向かった古道派の神官が無事帰還したとの情報が流れたことがあった。

 その神官は古道派重鎮の……かの大神官夫婦の兄でもあるベンディアという名の神官で……帰還直後行方不明になったと聞き、てっきり死んだものと思っていたのだが……それがまさか生きていて、しかもこんな所に居るだなんて……。


 そしてそのベンディアを伯父と呼んだディアス。

 古道派の教えを頑なに守ろうとする……孤児出身の救国の英雄。


(……孤児というのはそういうことか!? まさかあの夫婦に子が居てそれが生き残っていたとは!?

 ギルドとの繋がりがあるだけでなく、古道派の命脈とも言える存在で、聖地巡礼を成した神官を擁していて……!?

 こ、これでは王家の血筋というだけでは釣り合いが……)


 硬直したままエーリングがそんな風に思考を巡らせていると……香辛料と思われる良い香りが漂って来たと思ったなら、幕家の戸が開かれ、一人の老婆がいくつかの器が載った木製トレイを手に姿を見せる。


「お話の途中に失礼するよ。

 料理が出来上がったんでね……冷めてしまっても勿体ないから、つまみながら話を続けておくれよ。

 お酒も今用意してるからね、まずはこの黒ギー肉のスープからどうぞ」


「マヤ婆さん? ピソン婆さんとジメチ婆さんはどうしたんだ? ああ、うん、忙しいならら仕方ないが……おお、これが料理か、ありがとう……これは美味しそうだなぁ」


 姿を見せるなりそう言った老婆が配膳を始め、老婆と会話しながらディアスが礼を言い……それを耳にしたエーリングは、ぞくりと身を震わせ、まさかその名前を耳にするとはと愕然とし、硬直したまま強く歯噛みをすることになり……ミシリと歯が砕けたかと思うような音がエーリングの口の中に響き渡る。


(マヤ……!? ま、まさかあのマヤか!? 

 年の頃は合っている、顔は……くそっ、絵画で見た顔に似ているようでもあるし似ていないようでもあるし……老婆の顔はどれも同じに見えてしまうな……。

 彼女が大魔女……いや、王佐の聖女と呼ばれその名に恥じない活躍をし、先王への諫言が原因で追放されたあのマヤとなると大ごとだぞ……。

 ただの偶然、同名というだけの別人と思いたい所だが……この流れでわざわざ彼女を見せてきたというのは、どうしても偶然とは思えないというか、意図を感じてしまうな……)


 そんなことを考えたエーリングは……もうこれ以上考えてもどうしようもないとの結論を出す。


 もし彼女がエーリングの知るマヤであるならば、自分達どころかこの後にこの幕家に来ることになるだろうイザベル派閥ですら釣り合うことは出来ないだろう。

 第一王子リチャードの派閥ですら対等とは言い難く……伯爵家の嫡男でしかない自分なんかに出来ることはもう無い。


 イザベルの派閥にどうにか先んじようと今日の日まで駆け抜けてきたエーリングだったが……イザベル派閥にもどうにも出来ない相手なのだと知ることが出来たことにより、その使命感から解放されることになり……そうして彼の意識は、自分の目の前で湯気と良い香りを立てているスープへと向けられる。


 よく煮込まれた肉は大きく、そのスープの色は濃く豊かで、見るからに多くの香辛料を使われていることが分かる。


 近くに立つ仲間達がごくりと喉を鳴らす中、力を抜いたエーリングはすっとスプーンを手に取り……温かく美味しく、体に染み入るそのスープをただただ夢中で堪能するのだった。

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