第226話 家族旅行 三日目、まさかの結果


 アルナーが軍馬を一頭一頭をじっくりと見極めていって、良いと思ったものは即決で買っていって……ジュウハの支払いということで特別高そうな一頭を買ったりもした。


 カマロッツを始めとしたジュウハの名を知る者達は突然出てきたジュウハの名前に動揺し始め……そんなカマロッツ達にアルナーは、事も無げにすっぱりと言い放つ。


「以前顔を合わせた時に、市場を案内してくれるだけでなく支払いまでしてくれるとのなんとも豪気な約束をしていてな、案内の方は残念ながら叶わなかったようだが、あの御仁であればこの程度の支払いであればきっちりとしてくれることだろう。

 友人との久しぶりの再会だからとここまで気前良くしてくれるとはな! いやはや、まったくディアスは良い友人を持ったものだな!」


 アルナーが言い放った言葉はジュウハが言っていた『表向きで良いから仲良くして欲しい』との意を汲んだものとなっていて……怪訝な表情をしていたカマロッツも、そういう約束があるならばと納得した様子を見せて、手元の書類に何かを……恐らくは『この馬の支払いはジュウハに』とかそんな内容と思われる文章を書き記していく。


 そんなアルナーに私は何かを言うべきかと一瞬悩んだりもしたが……迂闊な約束をしたのはジュウハなのだからと何も言わないことにして、静かに成り行きを見守ることにする。


 全ての支払いをジュウハに、とかなら流石に止めるべきだろうが、一頭だけに留めている辺りに自重というか気遣いが感じられるし……ジュウハならばこの程度の支払い、なんとでも出来るはずだし、問題はない……はずだ。


 戦場にいた頃は、敵から奪った装備はもちろん、そこらの農村で買った麦やら毛糸やらを他所で売ったりすることで大金を稼いだりしていたし……きっと今もそういった方法で結構な金を稼いでいるのだろう。


 ……と、そんなことを考えていると、私達のために用意してくれた軍馬の、最後の一頭が会場に入ってくる。


 その軍馬は全身が黒い毛で覆われていて、口の周りだけが茶色の毛で、大柄で……鼻息荒く視線鋭く、今までの軍馬とは比べ物にならない程荒々しいというか、猛々しいというか……ベイヤースの持つ力強さとはまた別の強さを持っているような、そんな印象を受ける馬だった。

 

その軍馬を見てアルナーは、少しだけ苦い表情をして……今まではすっぱりと即決といった感じで買うか買わないかを決めていたのに、今回は判断を迷っているのか、即決せずに押し黙ってしまう。


 それからしばらくの間アルナーは、何も言わずにじぃっとその馬を見つめ続けて……そんなアルナーの様子を受けて、手綱を握っている者やカマロッツが怪訝そうな表情をし始め……そんなカマロッツ達の声を代弁をする形で、私がアルナーに声をかける。


「……あれは悪い馬なのか?」


 するとアルナーは、馬を見つめたまま、視線を動かすことなく言葉を返してくる。


「体付きは良い馬……なんだがな。

 性格というか、あの目がどうにもな……何か悪いことを企んでいるように見えるというか、私達のことを舐め切っているというか、そんな風に見えてな……。

 アイーシアも似たような目をしていたことがあったが、それを更に悪くした目とでも言うべきか……。

 鍛え上げられた軍馬なだけに、変にこじれて暴れ馬になってしまうと面倒だからな、どうしたものかと思ってな……」


「ふーむ、なら今回は止めておくか?」


「……うぅん、良い馬ではあるんだ。しっかり訓練されていて手綱には素直に従っていて……。

 今日見定めた馬達はどの馬もカマロッツ達がわざわざ用意してくれただけあって、この機会を逃せばもう二度と出会えないような良い馬達ばかりで……なんとなくの勘というか、私の直感だけであの馬との縁を切ってしまって良いものなのかと悩んでしまってな……」


 そう言ってアルナーは、その馬のことを見つめたまま黙り込む。


 今の会話はカマロッツ達にも聞こえていたようで、カマロッツ達は存分に悩んでくださいと、そんなことを言いたげに微笑んでいて……時間とカマロッツ達が許してくれるなら、それも良いかと、私もまたそれ以上何も言わずに黙り込む。


 後はアルナーが十分に悩んだ上で良いと思う結論を出せば良い。

 それであの馬と二度と会えなくなったとしても……あの馬が凄い活躍をする名馬になったとしても、それはそれで運命だったのだと割り切れば良いと、そんなことを考えていると……そこで急にくわりと目を見開いた馬が全身を強張らせ、その首を大きく上下に振り始める。


 それを受けて手綱を握っていた体格の良い男は、慌てて馬から距離を取りつつ手綱を制御しようとするが、首を振っていた馬はくわりと大きく口をあけて、その歯でもって男に噛みつこうとし……それを受けて男が一瞬怯んでしまうと、待っていましたとばかりに前足というか上半身を大きく振り上げ、その勢いでもって男から手綱を奪ってしまう。


 そうして会場の中で自由になってしまったその馬は、そのまま力いっぱいに暴れ始めてしまい……すぐさまに私とアルナーが立ち上がり、馬をなんとかしようと駆け寄ろうとする。


 カマロッツや警備の者達も私達と同時に動き始めて、このままでは怪我をしかねない馬を皆が同時にどうにかしようとし始めて―――そんな私達よりも、誰よりも早く四駆け出したのはコルムだった。


 四足でもって暴れ続ける馬の下へと駆け寄って……振り回されている手綱を掴み、なんとも器用に馬の体を駆け上がり、その背にすとんと腰を下ろす。


 すると馬はそんなコルムを振り落としてやろうと一段と激しく暴れるが、コルムは小さな体ながら驚く程器用に暴れる馬を乗りこなし、小さな手で見事過ぎる程に見事な手綱さばきを見せて……そうしながら力強い声で馬に語りかけていく。


「おうおう! 良し良し!

 怖いのか? そんなに怯えて何が怖いんだ? 大丈夫だ大丈夫だ、なんにも怖いことなんかないんだぞ!

 皆がお前を見ていたのは、お前のその体に見惚れていたからなのさ! 大丈夫だ大丈夫だ、ここには怖いオオカミなんかいないから落ち着きなさい!」


 いななき、激しく地面を踏み鳴らし、これでもかと暴れまわる馬に対し、そんな騒ぎの中でもしっかりと聞き取れる程に大きく力強い声で語りかけ続けるコルム。


 そうしながらコルムは上手く馬を乗りこなし、いくら馬が暴れても落馬することなく、馬が暴れすぎないようにと見事な制御をしてみせて……それが良かったのか、段々と馬が落ち着いていく。


 暴れさせていた足を落ち着かせて、荒く息を吐き出して……どっと滝のような汗を流して、流れ出た汗が泡立って。


 そうやって馬が静かになると手綱を引いていた男が慌てて駆け寄ってきて……コルムに変わって手綱を握り、それを受けてよしよしと馬の首を撫でたコルムがその背中から飛び降り……今日はもう取引どうこうという状態ではないということで、そのまま扉の向こうへと退場していく。


 そうして事態が落ち着いた所で、会場に一歩踏み込んだといった辺りの場所でコルムの手際を見守っていた私とアルナーが、


「おお、見事なもんだなぁ。

 暴れ馬を見事に乗りこなして、すんなりと落ち着かせて……中々あんな風には出来ないんじゃないか?」


「確かに、見事な手際だったな」


 なんて声を上げると……馬が去って行く様子を静かに見守っていたコルムが、その尻尾を振り回しながらこちらに駆け寄ってくる。


「我輩、馬のことは羊と同じくらいに好きでしてな! エルダン様のお屋敷で暇を見てはお世話のお手伝いをしていたのですよ!

 先程のあの馬……可哀想なくらいに怯えてしまっていて、あんまりにも哀れで思わず手を出してしまったのですが……いやはやお恥ずかしい所をお見せしてしまいましたな」


 駆け寄ってきてからそう言って、がしがしと自分の頭を掻きながらなんとも嬉しそうな笑みを浮かべるコルムに、私は感心しながら言葉を返す。


「いやいや、謙遜する必要はないぞ。

 あんなに見事だとエルダンのことが羨ましくなってしまう程だよ。

 私達の村にもこれからどんどんと馬が増える訳だからなぁ……コルムのような名人に居てもらえたらと思ってしまう程だ」


 そんな私の言葉を受けてコルムは、目をくわっと見開いて、今までに見たことのない一番の笑顔になって大きく頷く。


「ディアス様にそうまで言われたのであれば、お任せあれ! ご満足いただけるように励まさせていただきます!

 もちろん我輩だけでなくアイセター氏族一同、ディアス様のお力となってみせますとも!」


 頷いたと思ったらそんなことを言ってきて……突然のことに私は「うん?」と首を傾げてしまう。


「例の領民募集の看板はまだ有効なのでしょう? 

 カマロッツ殿、以前お聞きした移住話、我輩達の意思で自由に行って良いとの言はまだ有効なのでしょう?

 であれば、何の問題もありませんな! 昨日からずっと正しき人の下で働きたいと思っていたので、全くもって良い機会となりました!」


 更に続いたコルムの言葉に私だけでなくカマロッツもまた軽くではあるが首を傾げてしまう。


 話があまりにも唐突というかなんというか……私としてはただ褒めただけのつもりだったのだが、どうやらコルムを領民に勧誘したということになってしまったらしい。


 更にコルムは、本人だけでなく氏族全員でイルク村に来るつもりのようで……領民が増えること自体は嬉しいのだが、コルム達を引き抜いたような形となってしまった私は、カマロッツに向けて、なんと言ったら良いか分からないというか、精一杯の申し訳なさを込めた視線を送る。


 するとカマロッツは、気にしなくて良いとでも言いたげな表情で苦笑に近い表情をこちらに送ってきて……穏やかな声でぽつりと呟く。


「本人達が望むようにするのが一番かと」


 そんな言葉を受けて私は……後でエルダンと話し合いをする必要はあるものの、こうなった以上は受け入れるべきだろうと大きく頷き……そうして全く予想もしていなかった形で新たな領民を得ることになったのだった。

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