第160話 ヒューバートの仕事
新しくイルク村の一員となったヒューバートと、冬の間だけ滞在することになったメーアの夫婦達がイルク村に住み始めてから三日が経った。
メーアの夫婦達は昼の間はイルク村の、私達の目の届く範囲を歩き回り、雪の下に埋もれた草を探したり、その毛をマヤ婆さん達に刈って貰ったりして過ごし、夜の間はかなり小さめの、荷物置きなんかに使うらしいユルトの中で、何もせずに大人しく過ごしている。
あくまで自分達は野生であり、イルク村の人々と馴れ合う気はないとかで、会話を交わすことは無いに等しいが、それでも人の言葉を覚えた上で「メァーメァー」と朝晩の挨拶などはしてくれて……村の皆はそういった好ましい態度のメーアの夫婦達のことをすっかりと受け入れていた。
同じ日にイルク村へとやってきたヒューバートは、毎日毎日忙しそうにイルク村中を駆け回っている。
本人曰くそうすることでイルク村に何があるのか、自分がここで何をすべきかを把握しているんだそうで……休む間もなく駆け回り、村の皆に懸命に声をかけ、あれこれと言葉をかわし合っている。
中でも特にエイマやエリーと言葉を交わしている姿を見かけることが多く、遠目でも分かる程に会話を白熱させていて……。
……もしかして、ヒューバートは二人のことが……?
なんてことを、丸太に張り付けた狼型のモンスターの毛皮を鞣しながら考えていると、エリーがやってきて声をかけてくる。
「違うわよ、そんな色っぽい話じゃないから」
また考えていることが顔に出ていたのだろうか、エリーはそんなことを言ってきて……私は手を動かしながら言葉を返す。
「いや、それでもこう、クラウスとカニスのように私の知らない所で、全く予想外の形でこっそりとそういう関係になっているとか……」
「無いわよ。そもそもあんな細っこいのは私の好みじゃないし……。
私やエイマちゃんとよく話し合っているのは、ヒューバートが自分の仕事……文官としての仕事を全うしようとしているからよ」
エイマはこれまで村の教育係を務めてくれていて、同時に村で起こった様々なことを記録してくれていた。
エリーは主に商売や、倉庫の管理、品物の管理、金貨の管理などをしてくれていた。
そしてそういった仕事は文官の、ヒューバートの仕事であり……それらを引き継ぐ為にヒューバートは、エイマとエリーがこれまで何をしてきたのか、どんな結果を出してきたのか、その詳細を聞き取っているらしい。
「私は商売にしか興味がないし、エイマちゃんは文官らしい仕事をしてくれてはいたけども、教育方面に偏っちゃっていて文官としては今ひとつ足りなかった。
そんな状態だったのをヒューバートはしっかりとした形にしようと頑張っているのよ。
文官はお父様のお手伝いをしたり、様々なことを記録として残したり、事務や税務をこなしたり、技術や土地の開発をするのがお仕事。
私やエイマちゃんの上司って言うか、まとめ役って言うか……私達下っ端と、お父様をつなぐ、間に入る存在ってことになるわね」
と、そう言ってエリーは、皮鞣しの作業を手伝い始めてくれて……二人で革に残った肉や汚れを落としながら会話を続ける。
「……えーっと……それはどうしても必要な仕事なのか?
私は別に今のままでのやり方で問題はないような気がするのだが……」
「現状はその通りなのだけど、もっと人が増えたり、村が大きくなったり……免税期間が終わって税を国に納めなきゃならないってなったらそういう訳にもいかないでしょう?
それともお父様、どんな風にどのくらいの税を集めて、どうやって国に納めたら良いとか、そこら辺のことをしっかり理解しているの?」
「あー……確かそこら辺のことは、エルダンの勉強会で教わったような……気がするな」
「勉強会をやったはずなのに覚えきれていない『そこら辺のこと』をお父様に代わってやってくれるのがヒューバートってことよ。
今までは私の方でやるつもりだったけど、十分な経験がある文官がやってくれるっていうなら、そっちに任せちゃった方が効率良いし、楽だし……私がやるよりも良い形にしてくれるはずよ」
「なるほど……」
エリーの言葉にそう言って頷き……そういうことなら面倒事というかなんというか、頭を使う仕事はヒューバートに任せることにしようかと、そう考えていると、エリーが更に言葉を続けてくる。
「それにあの子、とっても普通なのよ。
普通っていうか常識人っていうか……当たり前の、常識的なことしか言わない、まっとうな文官でー……お父様は色々と常識外というか、ぶっとんだことばかりやっちゃう人だから、ああいう普通の人が側にいるっていうのは、悪くないことだと思うわよ」
「い、いやいや、私はそんな言われ方をするような、変なことはしていないはずだが……?
ここに来てからしたことなんて、せいぜい狩りと畑を耕したことくらいで―――」
作業の手を止めて、私はそんなとんでもない人間ではないぞと、そう弁明しようとしていると、そこにヒューバートがやってきて……手にした紙束に目を落としながら言葉をかけてくる。
「お仕事中に失礼します、ディアス様。
あの牛……白ギーのことについて少し聞きたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
その言葉に首を傾げた私が「ああ、構わないぞ」とそう言うと、ヒューバートはその目を鋭くしながら質問を投げかけてくる。
「あの白ギーの番、隣領から譲って貰ったとのことですが……ほぼ一年とも言える長期間飼育してみて、どうでしたか?」
「……どう、とは?」
質問の意味が分からず私がそう聞き返すと、ヒューバートの目が更に鋭くなる。
「自分は白ギーの市場価値を知りませんが……それでもあの大きさの肉としてみれば、それなりの値段がつくことでしょう。
安くはないだろう家畜を二頭も譲ってくれたということは、つまりあの二頭を試しに飼ってみて、世話をしてみて、その食事量などを把握して……どのくらいの数までなら飼えるのか見当をつけて『注文をしろ』と、そういうことなのでしょう。
この辺りは良質な牧草が生えるそうですし、ならば当然その牧草でもって牧畜を増やし、隣領に売るなり自領で消費するなりすべきで……そのためには二頭では全然足りません、繁殖で増やしていくにせよ、もう5・6頭は買うべきでしょう。
……と、そう考えての質問だった訳ですが、もしかして……その、そこら辺のことは全く把握されていないのでしょうか?」
「あ、ああ……。
もちろんしっかりと世話をしてはいたが……増やすつもりで食事量がどうとかは、全然考えてもいなかったな……。
せ、世話係の犬人族に話を聞いてみたのか?」
「はい、すでに。
ただ彼らは物事を感覚的に捉える癖があるようでして……食事量については『白ギーの体調を見てなんとなく』『大体そこら辺の草をぶわーっと食べさせる』と、そんな答えしか返ってきませんでした。
無闇に数を増やしてしまっては肝心の牧草が足りなくなってしまいますし、しっかりと食事量を把握することは必要不可欠なはずなんですが……。
ディアス様がなさった鬼人族との土地分割、その是非について自分は何かを言う立場にありませんが……手に入る牧草が激減してしまったのは明白な事実。
ならばせめてその総量を把握し、メーア、馬、白ギーがどの程度食べるのかを把握し、それぞれどの程度の数まで増やして良いのかの限界を把握することが肝要です。
もし牧草が余るようなら、白ギーの輸入に関する条約を今から締結すべきで……ああ、そういえば自分が見た限りあの白ギーのメス、妊娠しているようですね?
そうなると妊娠期間はどれくらいなのか、出産に関しての情報と、その後の世話についての情報についても仕入れる必要があります。
つきましてはその毛皮を売りに行く際に―――」
と、ヒューバートはそんな風に……あれこれそれこれと言葉を並べ続ける。
色々と驚く発言があったというか、私はそんな小難しい話よりも白ギーが妊娠したという喜ばしい話について語り合いたかったのだが……ヒューバートはそうする隙を全く与えてくれず、息つく暇もなく言葉を並べ続けてくる。
「それと野生のメーアの夫婦達からの毛刈りが思っていたよりも順調で、余分な分しか刈っていないにも関わらず、かなりの量となっています。ここは一つもう一歩前へ、もう少しこの産業に踏み込んでみてはどうかと思う訳ですが、その件についてのご許可を頂きたく―――」
絶えることなく言葉を吐き出し続ける、その勢いに気圧された私は、これは参ったなと、エリーの助けを求めようとした……のだが、こうなることを察していたのだろう、いつの間にか逃げてしまったらしく、その姿は何処にも見当たらない。
そうして私はしばらくの間、ヒューバートから放たれる無数の言葉を受け止め続けることになるのだった。
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