第159話 ヒューバート



 ――――不思議な幕屋のような空間で ヒューバート


 

 確かな温もりと、香辛料のような独特な香りに促されてヒューバートが目を覚ますと、布製の屋根が……戦場で見た幕屋のような空間が視界に写り込む。


 幕屋にしては随分としっかり作られていて、冬の幕屋とは思えない程に周囲の空気は暖かで……ここは一体何処なのだろうか? と、頭を起こし、周囲に視線を巡らせると、気を失った時にも見た、犬によく似た獣人達の姿が上下左右、自分の体を囲うようにして寝転がっている姿が視界に入る。


 どうやら彼らがここまで自分を連れてきてくれて、冷えた自分の体を温めてくれたようだと理解したヒューバートは、彼らに礼の言葉を言わなければと、どうにかこうにか上半身を持ち上げて起き上がり……そうしてぎょっとするような光景を目にして「うおっ!?」と声を上げてしまう。


 明らかに男の体型をした女装と言っていいような格好をした何者かが幕屋の中央に居て……そこに置かれた壺で怪しげな何か……薬か何かを調合をしていたのだ。


「あら、起きたの?

 ……アルナーちゃん、拾い物が目を覚ましたわよ。薬湯も良いけどまずは話を聞きましょう」


 その男? が思っていたよりも高い声でそう言うと……幕屋の奥から、これまた気を失う前に見た額に角を生やした女性が姿を見せる。


「なぁに? まだあれこれ悩んでるの?

 確かに魔法に頼りっぱなしというのは良くないし、ナルバントさん達みたいなことが無いように気をつけるのも大事なことだけど、だからって便利なものを全く使わないというのもおかしな話じゃない?

 持ち物を調べた限り怪しいものは持ってなかったし、これといって魔法を使っている様子もない。

 ならここはしっかりと鑑定しちゃいなさいな、色が分かればそれによって対応を決められるんだしね」


 角を生やした女性に女装をした男がそう言うと、女性は渋い顔をしてから何かを呟き……その角を青く光らせる。


 鑑定と色。先程男が口にした中で引っかかった二つの単語。

 その単語と女性の角が放つ光に、何か関連はあるのだろうかとヒューバートが悩んでいると、男がずんずんとヒューバートの下へとやってきて、しゃがみ込み、声をかけてくる。


「アナタ、ここには……領主であるディアスを支える為に来たって話してたみたいだけど、それは本当?」


「は、はい、本当です」


「ここには王様の命令で来たのよね?」


「その通りです」


「他の誰かに何かを命じられたり、個人的に何か企んだりしてるってことはある?」


「あ、ありませんよ、そんなもの……!

 自分はただ陛下の命に従っただけで……そもそも自分はただの宮仕えの文官なのですから、企みなんてそんなこと、出来る訳ないでしょう!」


「なら当然ディアスとその一行には悪意は無いのよね?」


「ありません。まだ顔を合わせてもいない相手に、悪意を抱くなんてそんなこと……。

 自分は本当にディアス殿を、文官として支えようとしているだけで……」


 男はそんな会話の間も、女性の方をチラチラと確認し、女性はその角を青く輝かせ続けて……そうして二人同時にため息を吐き出す。


「やっぱり取り越し苦労だったようね」


 と、そう言って男はヒューバートにエリーという自分の名前と、自分が何者であるのかと、ここが何処で今どういう状況で……領主であるディアスがこれまでどうしてきたのかを話してくれるのだった。





「……なる、ほど。

 大体の事情はわかりました。……話を聞いて改めて自分の無能さと迂闊さを悔いるばかりです。

 ……そして今の話からすると、この集会所……でしたか、の奥に見える、あちらの方がディアス殿ということに……?」


 話を聞き終えて、用意された寝床の上に行儀よく座り直したヒューバートが、エリーとアルナーと名乗った少女が調合してくれた薬湯を口にしながらそんな言葉を口にする。


 ヒューバートの視線の先にはディアスと二人の少女と、ディアスが連れ帰ってきたという羊のような獣達と、子連れの獣達の姿があり……どうやらディアスは野生の獣達との会話に夢中になっているようだ。


「そ、あそこにいるのがお父様……この地を治めるメーアバダル公ディアス様って訳。

 ……どうやら今はあなたより野生のメーアのことが気になって仕方ないみたいね。

 まぁ、メーアが増えればメーア布の生産力がぐんと上がるんだし、あなたよりメーアとの交渉を優先するのは当然のこと。お父様と話をしたいならもう少しお待ちなさいな。

 しっかし、宛もなく狩りに出かけて見事にモンスターと出くわして、ついでにメーアまで連れ帰ってくるんだから……ほんとお父様の強運は飛び抜けてるわよねぇ」


 その言葉を受けてヒューバートは眉間に皺を寄せて「うぅむ」と唸る。


 自分より優先すべきことがあるのは仕方のないことだ。その間にこうして他の人間が事情を説明してくれているのだから、そのことに文句も不満もない。

 

 そんなことよりもヒューバートは、先程から何度も何度も繰り返されているメーアという単語が……その単語が示すらしい風変わりな羊にしか見えないその存在のことがどうにも気になってしまって……目の前に広がっている光景が気になってしまって、再度「うぅむ」と唸る。


 言葉を理解し、ある程度の会話が可能な、高品質な毛糸を生み出す羊……。

 まさかそんな存在が本当に存在しているだなんて……。


 それにこの集会所のそこかしこに居る犬人族達。

 ……その誰も彼もが暗い顔をしておらず、本当に楽しそうに、幸せそうに生を謳歌していて……この光景はまるで、かつて祖父が話してくれた―――。


 ―――と、ヒューバートがそんなことを考えていると、メーアと会話していたディアスが、頭を掻きながらこちらへとやってくる。


「いやぁ、駄目だった。彼らはどうしても野生のままでいたいんだそうだ。

 フランシスとフランソワも説得してくれたんだが……無理強いをする訳にもいかないし、この話はここまでかな」


 ディアスのその言葉に、ずっと難しい顔でヒューバートのことを睨んでいたアルナーが、その表情を柔らかくしながら言葉を返す。


「本人達が野生でいたいというのなら仕方ない。それはそれで尊重してやるべきだろう。

 ……しかしディアス、たったそれだけの話ならどうしてこんなに時間がかかってしまったんだ?」


「それがなぁ、彼らは野生のままでいたいそうなのだが、それはそれとして食料と寝床を融通してくれないかって言うんだよ。

 村の一員になってくれるならユルトも用意するし、腹いっぱい食べてもらって構わないのだがなぁ……」


「それは……いくらなんでも都合が良すぎないか?

 厳しい冬越えをなんとかしたいという気持ちは分からないでもないが……」


 ディアスとアルナーのそんな会話を耳にしたヒューバートは、先程エリーから聞いたばかりの話を踏まえて、目の前の状況を頭の中で整理していって……そうして思いついたことを、そのまま言葉にする。


「あの……差し出がましいようですが、言わせてください。

 先程して頂いた説明によると、この村はこれから街道を作って交易で稼いでいこうとしているのですよね? ならその……メーアさん達の提案ですか、それも一つの交易……商売なのだと思えば良いのではないでしょうか?

 こちらは春までの食料と宿を提供し、メーアさん達は何か……たとえばその毛の一部、刈っても問題ない程度を提供する……とかはいかがでしょうか。

 交易を始めれば何人もの商人達がやってきて、宿や食事を求めることもあることでしょうし……提供した食料と、受け取ったメーア毛の価値の差がどれくらいになるのか、領外でそれらを売り買いした場合どれだけの差額となるのか……実際に何度かやってみて、そこら辺の確認をしての交易の予行練習という訳です。

 この寒さだとそう毛も狩れないでしょうし、赤字覚悟のことになるかとは思いますが……この寒さを痛感し、死にかけた身としてはそちらのメーアさんを見捨てることが出来ないと言いますか……はい、自分のように救いの手を差し伸べてあげて欲しいのです」


 ヒューバートのその言葉を受けて、ディアス達は目を丸くするなり、腕を組んで睨んでくるなり、それぞれの反応を見せる。


そうして目を丸くしていたディアスは、瞑目してヒューバートの言葉の意味を考え込み始めて……ヒューバートが出しゃばった真似をしてしまったかと緊張していると……その手をぽんと打って「なるほど、それは良いかもしれないな!」との声を上げる。


 その声を受けてアルナーをはじめとした一同が微笑む中、ディアスは更に言葉を続ける。


「ならその方向でメーア達を受け入れて、隣領へ行っての売買も出来る範囲でやってみるとしようか。

 ……あー、それでその、君は誰で、どうしてここにいるんだ?」



 色々とズレたディアスのその発言を受けてヒューバートは、名前も知らずに意見を受け入れたのかと苦笑しながら立ち上がり、ディアスに向かって名乗りを上げ、昔ながらの臣従儀礼を披露するのだった。

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