第153話 一方その頃



 ――――イルク村 クラウス



 ディアスとナルバントが討伐したトレントの素材を回収していた頃、イルク村では領兵達を竈場に集めてのいつもとは様子の違う、特殊な訓練が行われていた。


「エリーさんが皆に支給してくれた冬服は、それぞれの氏族の毛の長さに合わせて造りと防寒能力が違っている!

 短毛のセンジー氏族には厚めの生地を使ったしっかりとした冬服を! 長毛のマスティ氏族には薄めの生地を使った通気性を重視した冬服を!

 その気遣いにしっかりと感謝しながら、どう扱ったら良いのか、どう洗ったら良いのかをしっかりと学んでおくように!

 いざ戦時となったら自分の服の世話をするのは自分の仕事! どんなに水が冷たくても手洗い出来るようになるんだぞ!」


 そうクラウスが声を上げると、クラウスの部下として、領兵として働く犬人族達が「わふん!」との返事をし、それぞれの洗い桶と、それぞれの種族ごとの身体、顔の形に合わせてあるフード付きのセナイ達のそれによく似た形の冬服を手にし、洗い方を教えてくれるエリーの下へと駆けていく。


 そうしてエリーから洗濯の仕方を、洗濯でやってはいけないことを学びながら、犬人族達が懸命に洗濯をしていく中、少し離れた場所で様子を見守っていたカニスが近寄ってきて、クラウスへと声をかける。


「これが終わったら食事作りの訓練もするんですよね?

 ……兵士ってそんなこともしなくちゃいけないんですか?」


 妻からのその質問に厳しく顔を引き締めていたクラウスは、その表情を緩めながら答えを返す。


「勿論さ。自分のことは自分でする。しっかり食べてしっかり眠って、出来るだけ清潔に病気にならないように。

 少なくとも俺達、ディアス様の下にいた連中は一人の例外無く欠かすこと無く、ディアス様のその方針をしっかりと守っていたよ」


「……戦争中にそんなことをしていたら、色々と問題があるっていうか、行軍速度とか遅くなっちゃいませんか?」


「いや? そんなことはないさ。

 しっかりとした生活をするからこそ健康でいられるし、健康だからこそ戦場で活躍が出来る。

 むしろ俺達、ディアス様の下にいた連中は、王国の中でも最速といって良い行軍速度を誇っていたよ」


「さ、最速? 

 なんだか想像できませんね……?」


「……ディアス様が自ら先頭に立って皆をぐいぐいと引っ張っていく人っていうのも理由の一つだけど、一番の理由は略奪をしなかったことにあるかな。

 略奪って一度始めてしまうと、かなりの時間……下手をすると数日続くものだから……それをしない俺達は結果として速い行軍が出来ていたんだよ。

 そこにある生活を壊さないまま、稼いだお金で購入したり狩りをしたりで食料を手に入れていた関係で、いつまでも同じ場所に居続けると、辺り一帯の食料を食べ尽くしてしまうというのがあって、移動し続ける必要があったというのも大きかったかな」


 との説明を受けてカニスは、クラウスの言葉を疑っている訳ではないのだが、どうにも思考が追いつかず、首をくいと傾げる。

 

 その様子を見てクラウスは、


「分からないなら分からないでそれで良いと思うよ」


 と、そう言って柔らかく微笑むのだった。



 ――――エルダンの自室 エルダン



「しかしジュウハ殿、それでは一体どうやって兵士達の士気を保っていたであるの?

 略奪を良しとしないにしても、時にはそうする必要もあるのでは……?」


 同時刻、偶然にもクラウス達と同じ話題に花を咲かせていた……いつものようにジュウハから様々なことを学んでいたエルダンがそんな問いを投げかける。


 するとかつてのことを……戦争中のことをとくとくと語っていたジュウハは、少しだけ苦い表情になり、ゆっくりと言葉を返す。


「そこは英雄様だけに許された特権というやつになるな。

 略奪をしない兵はひどく飢える……これは腹具合の話ではなく心の話だ。

 戦争という非日常の中で疲れ果てて枯れ果てて、飢えきった心を満たし、癒すにはどうしたら良いか……その答えの一つが略奪なんだが、ディアスはそれを言葉だけで癒しやがったんだ。

 よくやった、頑張ったじゃないか、次もその調子でいこう。

 たったそれだけの言葉でな……」


 その言葉にエルダンはそんな馬鹿なと訝しがる。

 ただ褒めるだけで上手くいくなら誰も兵士の士気をどう維持するかで悩みはしないと、エルダンがそんな言葉を返そうとすると、ジュウハは分かっていると言わんばかりに手を上げて制止し、言葉を続ける。


「ディアスは嘘をつけない男だ。

 ディアスに……稀代の英雄と呼ばれている男に、心の底から偽りなしに褒められたなら、誰だって心を震わせるものだろう?

 ……つまりディアスはその言葉でもって、飢えた兵達の心を、その名誉欲を満たしやがったのさ。

 誰あろう自らが率先して前に立ち、自らを見本として正しい……と本人が思っている行動を取りながら、これ以上ないってタイミングで兵士達を褒めそやす。

 これを一切の計算なしにやるのがディアスの厄介なところでな……そうやって名誉欲を満たされた兵達は、ディアスのようにあろうと、正しくあろうと振る舞うようになったんだよ、なんとも馬鹿げた話だがな」


 そう言われてエルダンは、何度も何度も頷きながら「なるほどであるの」と呟く。

 自分も憧れの英雄ディアスに認められた時は、長年抱いてきたその想いに賛同してもらった時は夢かと思うほどに嬉しく思ったものだ。

 それが戦場であったなら、心が飢えきった状態であったなら尚更のことなのだろうと納得する。


「で、兵達がそう振る舞うようになると、本来なら憎しみの視線を向けてくるはずの敵国の民衆達が、占領地の民衆達までが兵達を褒めるようになって、羨望の眼差しを向けてきて、それがまた一段と兵達の名誉欲を刺激し、満たしてくれたという訳だ。

 敵国民に歓迎されるようになり、味方までしてくれるようになってくると、更にその流れは加速していって……志願兵だったはずの、ただの平民だったはずの、何処にでもいる農民だったはずの連中が、他に見ない程の規律を持つようになり、騎士団をも上回る精鋭へと変貌していった。

 まぁ、これはディアスだから出来た、あの戦争だから出来た例外中の例外だから何の参考にもならないがな」


 そう言って一旦言葉を止めたジュウハは……窓の方を、西方の草原の方へと視線を向けて、実感と力を込めた声を吐き出す。


「あの馬鹿はそうやって、意図せず本人すら驚くような結果を出しやがるから厄介なんだよ。

 これからも色々とやらかすんだろうし……今も何かやらかしている最中なのかもな」


 かつての戦友であるジュウハがそう断言したのを受けて、以前のそれとは違う、細くたくましくなりつつある自らの腕を見つめたエルダンは、自らが受けた恩恵もまたその中の一つなのだろうなと、力強く頷くのだった。



 ――――北の荒野で ディアス



「しかしこのトレント達は、どうしてこんな所に居たんだろうな?

 木に化けて襲うにしては、この荒野は相応しい場所とは言えないだろう?」


 荷車にトレントの素材、ただの木材にしか見えないそれを積み込みながらそう言うと、ナルバントは「ふーむ」と唸り、少しの間考え込んでから……素材を持ち上げながら言葉を返してくる。


「モンスターの考えはモンスターにしか分からんもんじゃが……元々居た場所に何らかの理由で居られなくなったからここに逃げてきたのかもしれんのう。

 トレントの住処である森に何かがあったとか……それかこの山の向こうにあるという、モンスター共が巣食うという魔境に何かがあったのかもしれんのう」


「……森と言うと、冬備えの為に東にある森に何度か足を運んだんだが、それが関係しているとかか?」


「ぬん? 森で坊達を見かけたならさっきも言ったように瘴気に命じられるまま襲って来たじゃろうし……何か別の……ああ、そうじゃな、森の中に誰かが結界を張ったせい、というのもあるかもしれんのう。

 何らかの事情があって北の魔境から森を目指してやってきたが、森に結界があるせいでここに留まらざるを得んかったということも、あったのやもしれんのう」


 ナルバントのその言葉に「結界とは?」と私が首を傾げていると、ナルバントは半目になりながら微妙な顔をし……それ以上は何も言うことは無いとばかりに素材を荷車に乗せて、荷車の持ち手を引っ掴み、そのまま曳き始める。


「ほれ、坊、余計なことを考えておらんで、さっさと村に帰るぞ。

 魔力炉に火を入れたら坊の鎧を作り直してやって、色々な道具を作ってやって、村の生活を豊かにしてやらねばならん。

 オラ共にとってはそれこそが生きがいであり役目であり、生業なんじゃからのう……このまま無駄飯ぐらいのままではいられんのじゃ」


 そう言われて私は考えるのをやめて戦斧を担ぎ直し……そっと荷車の後方に手をやって、ナルバントの邪魔にならない程度の力で荷車を押しながら、帰路につくのだった。

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