第117話 冬備えの景色


 冬備えが始まってから十日が経ち、イルク村はすっかりと冬備えの景色に包み込まれていた。


 干し草と干し肉が整然と吊るされた大量の干し竿に、キノコとくるみとベリーが並ぶいくつもの干し棚に、売り物にする為にと洗濯され干された大量のメーア布に……氏族長のシェフ率いるシェップ氏族の若者達が数人がかりでバフバフと踏みつける革袋に。


 あの黒ギーの革で作った革袋には大量の草が詰め込まれているのだそうで……薬湯で煮てから獣脂から作った軟膏をたっぷりと塗りつけた革袋に、いっぱいになるまで草を詰め込んで、ああやって踏みつけて空気を抜いてから革袋の口をきつく縛り、後はそこらに投げておけば、詰め込んだ草が良い香りのする美味しい草になってくれるんだそうだ。


 一体どういう仕組でそうなるのやら……アルナーが言うには「草のチーズ」のようなものだと思っておけば良いとのことだ。


 良い仕上がりになると杏の香りがしてくるらしい草のチーズは、フランシス達にとって厳しい冬を乗り越えるための滋養がたっぷりと摂れるご馳走なのだそうで、その美味しさもあってとても重要なものであるらしい。


 そういった理由からなのか草のチーズ作りに勤しむシェフ達の側には、その作業を厳しい視線で見張るエゼルバルド達の姿がある。


 そんなことをしなくとも真面目なシェフ達であればしっかりとやってくれると思うのだが……エゼルバルド達としても気が抜けないというか、見張っておかないと気が済まないようだ。


「メアァー! メアァー!」


「分かってます! 産まれてくる赤ちゃん達の為にもしっかりがっちり頑張ります!!」


 太く響く声でそう言ってくるエゼルバルドに対し、元気いっぱいの力のこもった返事をするシェフ。


 ……そうか、もう間もなく産まれるだろうフランソワ達の赤ちゃんのこともあって、エゼルバルドは見張りをしてくれていたのか。

 

 後でシェフ達とエゼルバルド達の両方に礼を言っておかねばなと、そんなことを考えていると……村の北側からクラウスとマーフ率いるマスティ氏族達が、狩りの成果でいっぱいにした荷車を引きながら姿を見せる。


「戻りましたー! 今日も大猟ですよー!」


 と、クラウスが元気に声を上げると、カニスと、セドリオ率いるセンジー氏族達と……干し肉作りが大好きというか、強い拘りを持っているらしい小柄でふくよかなアリダ婆さんと、おしゃれ好きのチーマ婆さんが村のあちこちから姿を見せて、荷車へと一斉に群がる。


「よぉしよし、今日も大猟じゃぁないか! 良ぉくやった良くやった!」


「塩もハーブもまだまだたっぷりとあるからねぇ、感謝の祈りを済ませ次第、みぃんな美味しい干し肉に仕上げてやろうねぇ」


 そんなアリダ婆さんとチーマ婆さんの言葉を合図にそれぞれの仕方での感謝の祈りが行われて……そうしてなんとも賑やかな様子での解体作業が開始となる。


 その様子を見るに、今日の獲物はそのほとんどが山鹿であるようだ。


 山鹿は普段、北の山の中腹辺りで暮らしているらしいのだが、この季節になると山の上からやってくる寒さに追いやられて山を降りてくるのだそうだ。


 その肉の味は黒ギーに比べるとかなりあっさりとしていて味気ないというか……正直に言ってしまうとあまり美味しくはない。


 だと言うのにそんな山鹿ばかりを狩ってきているのは……犬人族達の好みが理由なのだろうなぁ。


 犬人族達にとって山鹿……というか、山鹿の角は、狩りの成果を示す格好良い部屋飾りであると同時に、美味しくて食べごたえのある良いおやつであるらしく、肉よりもその角の方が狩りの目的となっているようだ。


 ……まぁ、その美味しくない肉も、むしろその味気のなさと独特の肉質が干し肉に向いているのだとアリダ婆さん達が喜んでくれているし、毛皮の方も良い防寒具になってくれるらしいので、当面は犬人族達の好きにさせてやるとしよう。




 と、そんな山鹿の解体作業を、地面に突き立てた戦斧に体を預けながらぼんやりと眺めていると……いつも通りの表情の端っこに、隠しきれない疲労を浮かべたアルナーがこちらへとやってくる。


「ディアス、薪割りは終わったか……っと、クラウス達が帰ってきたのか」


「ああ、今日も大猟のようだ、薪割りの方も大体終わったよ。

 ……それで、だ。……セナイとアイハンの方はどうなった?」


 そのほっぺたを限界まで膨らませていたセナイ達の顔を思い返しながら私がそう言うと、アルナーがため息まじりの声を返してくる。


「エイマの協力もあってどうにか納得して貰えたよ。

 倉庫に山のように積まれた収穫物の下処理なんかもあるし……二人には当分の間、そっちで頑張ってもらおうかと思う」


 そう言って苦い笑いを浮かべるアルナーに、私も苦笑いを返して「分かった」と頷く。


 ……昨日まで毎日のように行われていた森での冬備え。


 その日々の中でセナイとアイハンは、その手際の良さを私達が驚いてしまう程に上達させていって……そうしてアルナーが考えていた必要量をゆうに超える量を、予想もしていなかった短期間で集めきってしまっていたのだ。


 これ以上は穫り過ぎになってしまうと考えたアルナーが、今朝になってもう森には行かないぞ、との宣言をしたのだが、そこでセナイとアイハンが猛反発。


 皆の為にと一生懸命に頑張ったのに、どうして大好きな森に行けなくなるのかと納得がいかなかったらしく、そのほっぺたをいっぱいに膨らませての猛抗議をしてきた、という訳だ。

 ……ちなみにだが私は、余計なことを口にしてセナイ達を余計に怒らせる可能性があるとのアルナー達の判断で、薪割りでもしてこいとその場から追い出されてしまっていた。


「……まぁ、時間に余裕が出来たら私の方でセナイ達を森に連れていくとするよ。

 セナイ達が言っていた悪い木の伐採もまだ終わっていないし、何かを穫るのではなく、遊び回るだけならば問題はないだろう」


 と、私がそう言うとアルナーがどこかほっとした表情になりながら声を返してくる。


「そうだな、森で思いっきり遊べばあの二人の気も晴れてくれるだろう。

 ……だがなディアス、それをするには冬備えをきっちり終わらせないとだぞ。

 ユルトの冬囲いもあるし、薪をしまっておく薪棚も作らなければならない。

 まだまだ冬備えはこれからが本番だ」


 人差し指をピンと立てて、そう言うアルナーに、もう一度「分かった」と頷いていると……バッサバッサと異様に重い羽音が上空から響いてくる。


 その音に引っ張られる形で私達が顔を上げると、そこには必死な様子で空を舞い飛ぶ鳩人族のゲラントの姿があり……そんなゲラントの首には、一体何が入っているのか、大きく膨らんで重々しい様子の鞄がかけられていた。


 重い羽音と疲れた様子はその鞄のせいなのだろうと察した私が、両手を振り上げながら、


「ゲラント! こっちだ!」


 と、大声を上げると、すぐに反応を示したゲラントが半ば落下するような形で、私の両手の中へと飛び込んでくるのだった。

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