第98話 再来訪者エルダン
兎にも角にも体の調子を確かめようと、寝床から立ち上がり、肩を回し、腰を捻りと傷に気を使いながら体を動かしてみるが特に問題は無いようだ。
傷が痛むことも無く、熱が上がることも無く、呼吸が乱れる様子も無く……たっぷり寝たおかげなのか疲れも残っておらず、普段よりも明らかに調子が良い。
完全に回復したと言って良いそんな体調を受けて私は、アルナーの方へと向き直り恐る恐る口を開き、
「……体調が悪いままならまだしも、こうして回復した以上はエルダンの来訪を歓迎したいのだが……どうだろうか?」
と、そんな声を上げる。
病み上がりの立場でこんなことを言ってしまって怒られるだろうか? と、身構えていると、意外にもアルナーは柔らかい表情を浮かべて頷いてくれる。
「エルダンにはこれまで色々と世話になっているんだ、余程のことが無い限りは無下には出来ないだろう。
それに遠出をしようという訳でも無いんだ。体調が優れないようならすぐにユルトに戻って休むことも出来る……しっかりと準備をしておけば問題は無いだろう」
そう言ってユルトの壁に下げてある袋へと手を伸ばし、何かの支度を始めるアルナー。
そんなアルナーの言葉を受けてクラウスは「来訪を歓迎する旨、早速知らせて来ます!」と一声上げて、ユルトから駆け出て行く。
クラウスの背中を見送りながら「頼んだぞ」と一言かけて……さて、服を着ようかと枕元に置いてあった着替えへと手を伸ばすと、そんな私の手をアルナーの手がはっしと掴む。
「ディアス、服を着るにはまだ早いぞ。
……今しがたしっかりと準備をすると、そう言っただろう?
まずは薬湯をたっぷりと飲んで、次に乾燥させた薬草を頬の内側に貼り、焚いた香をたっぷりと吸い、そうしてから竈の火の熱を全身で浴びるんだ。
そうやってたっぷりと汗をかいたら、その汗を綺麗に拭い取ってやるから服を着るのはそれからだ。
病み上がりで弱った体を守るためだ、徹底的にやるぞ」
と、そう言ってアルナーは、袋の中から取り出したと思われる薬草の束を私に見せつけながら、なんとも良い笑顔になる。
アルナーのその笑顔には、なんとも言えない独特の迫力が込められていて……私はただ頷くことしか出来ないのだった。
それから少しの時が経って、夕陽が傾き始めた頃。
イルク村の東の外れでアルナーと二人で待機していると、まずは何人かの犬人族達と共に歩くクラウス達が見えて来て、その次に馬上のカマロッツと何人かの護衛達の姿が続き……そうして最後に以前に見たあのベッド型馬車が姿を見せる。
「ディアス殿~! もっと早くお邪魔するつもりが、色々と騒動があってこんな時間の到着になってしまったであるの。
申し訳ないのであるの~~!」
ベッドの上に立ちながらそんな声を上げているエルダンに、私はなんとか笑顔を作り「構わない、歓迎するぞ!」と声を上げて手を振ってやる。
すると声を上げたせいなのか、体を動かしたせいなのか、喉の奥からあの薬湯の匂いがせり上がって来てしまって……私は作り笑顔のまま「うっ」と呻き声を漏らしてしまう。
そんな私の横顔をアルナーが心配そうな表情で見つめてくるが……すぐに私の表情からどうして呻いたのかを察したらしく、笑顔になり小さな笑い声を上げ始める。
そうやって片や苦く、片や柔らかく笑い合う私達の下へとクラウス達が到着し、カマロッツ達と馬車が到着し……馬車が停止したのを見るなりカマロッツと護衛達が慌ただしく動き始める。
馬車の車輪に輪止めをし、馬達を休ませ世話をしてやり、馬車から荷物やら何やらを下ろし始めるカマロッツと護衛達。
「日が沈む前に下準備を済ませるんだ! 手早く動け!」
とのカマロッツの指示の下、周囲が騒がしくなっていく中、ベッドの上の妻達といくつかの言葉を交わしたエルダンがベッドから飛び降り、そのお腹を揺らしながらこちらへとドタバタと駆けてくる。
「改めて突然の来訪をお詫びするであるの。
事前に連絡しようと思ったものの、騒動のゴタゴタの中でゲラント達の都合がつかなくなってしまってこんな形になってしまったであるの、申し訳ないであるの!」
駆けてくるなりそう言ってくるエルダンを見て、最初に会った時もこんな風に謝罪されたなと、そんなことを思い出してしまい思わず笑ってしまう。
「いやいや、エルダン達であればいつ来てくれても全然構わないさ」
笑いながら私がそう言うと、エルダンはにっこりと大きな笑顔を浮かべて、ほっと胸を撫で下ろす。
「そう言って貰えて嬉しいであるの!
……まーったく、お母様が僕達だけ何度もディアス殿にお会いするのはずるいとか、自分も会いに行きたいとか大騒ぎしてくれたせいで大変だったであるの。
遊興では無く大事な公務での出張りだと言うのに本当に困ったものであるのー……」
胸を撫で下ろし、そうして気が緩んだのか母の愚痴をこぼすエルダン。
以前に聞いた話からなんとなく強い女性というか強い母というか、立派な女性を想像していたのだが……どうやら自由な一面も持ち合わせた人物であるらしい。
「私としては、エルダンのお母さんに来て貰っても全然構わないぞ。
一度挨拶をしたいと思っていたところだしな」
と、私がそう言うとエルダンは凄まじい勢いでその顔を左右に振って否定の意を示す。
「ダメであるの! ダメであるの!
お母様は慈愛と優しさに満ちていて敬愛出来るところもある反面、自由過ぎる所もあってお仕事の場にはとっても向いてないであるの!
自由過ぎる程に自由で、豪然で豪快で、厚かましいくらいに厚かましい、それがお母様であるの!
お母様とディアス殿の面談はお時間のある時……余裕のある時にお願いするであるの」
勢いそのままにそう言ってくるエルダンの迫力に押されてしまった私は、
「わ、分かった。
そこら辺はエルダンの判断に任せるよ」
と、短い言葉を返す。
するとエルダンはにっこりと笑い、満足げな表情で大きく何度も頷く。
「あー……それで、公務で来たという話だったが、何かあったのか?」
話題を切り替えた方が良さそうだなと考えて私がそう切り出すと、エルダンはハッとした顔になり、そうして神妙な態度で言葉を返してくる。
「……公務のお話の前にディアス殿にいくつかお願いしたいことがあるの」
「うん? どんなお願いだ?」
「まず数日の間、こちらに滞在する許可が欲しいであるの。
この公務と言うのが……簡単に終わる話では無いので、その為であるの。
それに関連して、この場所に僕達の外泊用幕屋を設営する許可が欲しいであるの。
食料他、必要な物は追々に荷馬車が持って来てくれる予定なのでご迷惑はかけないであるの」
「なんだ、そんなことか。
勿論何日でも滞在してくれて構わないし、幕屋に関しても好きにしてくれて構わないぞ」
と、私がそう言うと、エルダンはその顔をより神妙に……より深刻なものへと変えて言葉を返してくる。
「そしてもう一つ、もう一つの大事な……一番大事なお願いを聞いて欲しいであるの!」
そんなエルダンの態度に一体何事だろうと、私と隣で話を聞いていたアルナーの表情が緊張し固くなる。
そんな私達のことをじっと見つめて大きく息を呑んだエルダンは、凄まじい勢いでもって言葉を吐き出してくる。
「村を! ディアス殿の村を見学させて欲しいであるのー!
カマロッツ達は見るどころか泊まりまでして、全く全く羨ましいったら、けしからんったら無いであるの!
いつかいつかこの目で見ることを願い、その日が来ることを楽しみにして……そしてようやく目の前まで来られたというのに、このまま見学すること無く寝床に入るなんて無理であるの! 気になって気になって眠れないであるの!
暗くなってしまう前に、簡単で良いから見学させて欲しいであるのーーー!!」
今日一番と言って良い物凄い勢いでそう言ってくるエルダンに、私とアルナーは思わずといった感じで、
『好きにしたら良い』
と、異口同音に言葉を吐き出してしまうのだった。
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