第85話 自称王国一の兵学者


――――エルダン



 この日、王都から帰還したばかりのエルダンは、ある男との面会をする為にカマロッツと共に領主屋敷の応接室へと向かって足を進めていた。


 その男の名前はジュウハ。


 自らを王国一の兵学者であり、王国一の色男であり、王国一の文化人であると自称するその男は……カスデクス領の公営娼館で散々飲み食いし、遊びに遊んだ挙げ句の果てに銅貨の一枚すら持っていないと判明し、無銭飲食の罪で捕縛されてしまうような……そんな低俗な男だった。


 本来であればそんな男、領主であるエルダンがわざわざ会うなどあり得ないことなのだが……しかしジュウハは取り調べの中で、かつての戦争でディアスと共にあり、ディアスの片腕として、あるいは頭脳として活躍したディアスの陰に埋もれた英雄であったとも自称していて……その話を耳にしたエルダンは、まさかと思いながらもジュウハと会うことを決めたのだった。


 

 そうして応接室に到着したエルダンとカマロッツが中へと足を踏み入れると、絨毯の上に胡座をかいていたジュウハは、くだらない罪状で牢屋に入れられていた罪人とはとても思えない、上品で気品に溢れた洗練された所作で、王国式では無いこの辺りに伝わる伝統に則った挨拶をしてみせる。


 そんなジュウハの挨拶を受けて予想もしていなかったとエルダンは、驚きのあまりに言葉を失ってしまう。


 エルダンのそんな反応を見たジュウハは、自らの顎を一撫でしてから口を開く。


「あ~あ~、さてはこの割れ顎が気になるのか?

 いやいや、どうしてどうして。この顎のこの形がぁ良いんだよ。

 出会った女達は皆が皆、この形が良いと、この形が男らしいと目を輝かせながら褒めてくれるからなぁ。

 この太い眉も割れた顎も黒い眼も、そしてこの女神のように美しい長い黒髪も……傍目にはどうだと思うかも知れねぇが……このオレが身につけると、どういう訳だか煌めいてしまうんだよなぁ」


 一枚の大きな黒布を複雑に折りたたんで身に纏ったような、そんな不思議な格好をしたジュウハは、そう言って大仰な仕草で両腕を開いて自らの長い髪を撫で広げる。


 そんなジュウハの言動に警戒心と毒気を抜かれてしまったような気分になったエルダンは、ふぅっと息を吐いてから上座へと進んで……ゆったりとした仕草で腰を下ろしてから口を開く。


「丁寧な挨拶痛み入るの、僕が領主のエルダンであるの。

 ……では早速本題に入らせて貰うとして……ジュウハ殿、貴方は一体何者であるの?

 あの戦争でディアス殿と共にあり、ディアス殿の頭脳として活躍したという話は本当であるの?」


「あ~あ~、残念ながら本当だとも。

 何だったらあの馬鹿面ディアスに確認してみたら良い。

 まぁ……あの馬鹿とは酒と女をどう扱うかの違いで何度も殴り合った仲だから、オレのことを褒めはしないだろうがな。

 ……そうだな、この黒くて長くて美しい髪の事と顎の事と『戦地で女を抱きたけりゃ、まずは結婚しろとかいうお前の作ったあの軍規は、歴史に残る最悪最低の軍規だ』って言葉を伝えてやりゃ、それでオレの言っていることが本当だと分かるはずだ」


 そんなジュウハの言葉を受けて、エルダンがカマロッツの方を見ると、カマロッツは頷き「すぐにゲラントを発たせます」と小さく呟いて応接室を出ていく。


 そんなカマロッツを見送ってからエルダンは、ジュウハの方へと向き直って口を開く。


「……では、その話が本当だという仮定で話を進めるとして……ジュウハ殿は一体何をしにここに来たであるの?

 わざわざ公営の娼館で無銭飲食したり、取調官にディアス殿の名前を出したり……そこには何か狙いがあるように見受けるの」


 エルダンがそう言うとジュウハはたちまち良い笑顔となって、大仰な仕草でその手をパンと叩き合わせて、なんとも嬉しそうな声を上げる。


「お! 良いねぇ、あの馬鹿と違って話が早いねぇ!

 ま、オレも最初はあの馬鹿の所に行くつもりでここまで来たんだが……ここらの街を見て気が変わってな。

 旨い酒と旨い飯が山程あって、街の何処を見ても女子供の笑顔に溢れていて……特にあれだ、街のど真ん中にあったアンタが作ったっていう『公園』……だっけか? アレが決め手になったな。

 あれだけの金をかけて民の為の、子供達の為の遊び場を作ってやるってのは中々どうして……そう簡単にはできねぇし、そう簡単に思い付けることじゃねぇよな。

 文化ってのはまず遊びから花開いてくもんだからなぁ、文化人のオレとしてはあの公園の持つ価値は見逃せねぇよ。

 ……そういう訳で、まぁここに仕えるのも良いかと思ったんだが……コネもねぇんじゃ正面から行っても相手して貰えそうになかったんで、アンタの目に留まるだろう手段を取らせて貰ったって訳だ。

 結果ここでこうしてアンタに会えているんだから、悪くない手だったろう?」


 なんとも自慢気にそういうジュウハに対し、エルダンは半目になりながら言葉を返す。


「……正面から仕官を望むと、ディアス殿の知人だとそう言ってくれたらそれで良かったであるの。

 折り悪く僕に会えずに罪人として処される可能性があったことも考えたら……はっきり言って悪手であるの」


 んぐっと一声上げて、エルダンの言葉を受けて唸ったジュウハは、自らの髪を一撫でし……そうしてから口を開く。


「……普通の王国領主様はオレみたいなもんに直接会おうだなんて、そんなことはしねぇもんなんだがなぁ。

 まぁ、そんなアンタだからあの公園なんてものを思いつけたのかもな。

 ……で、どうよ、アンタはオレにいくらの値を付ける?

 ディアスは戦争を終わらせる為だとか言って、オレをタダで買い付けたひでぇ奴だったが、アンタはディアスとは違うだろ?

 地位も金もあって……そして何より何人もの美人の嫁さん達が居る色男だ。

 そこら辺の柔軟さも……お固いディアスと違う辺りも、高値を付けた理由なんだから頼むぜ?

 さぁさぁさぁさぁ……良い値を付けてくれや」


 そう言って大きく手を広げて、顎をくいと上げてポーズを取るジュウハを見て、エルダンは悩み、唸り声を上げる。


 仮にジュウハの話が全て本当だとして、このジュウハという男をどう評価すべきか、どんな値段を付けるべきか。



 そうしてあれこれと考え、思考を巡らせて悩みに悩んだエルダンは、あくまで仮のことだとの前置きをしつつ、ジュウハという男に破格の値段を付けるのだった。

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