第47話 一つの転換点



 フランシス達の歌と踊りと、樽いっぱいのぶどう酒と、マヤ婆さん達の作った砂糖と小麦の菓子により大いに盛り上がった宴が終わり……夜が明けて、翌日。


 身支度を整えて、さて朝食だと向かった広場の、皆が勢揃いする食卓に見慣れない白い液体の姿がある。


 木の器になみなみと注がれたこれは一体何なのだろう? と首を傾げていると、朝食の支度をしていたアルナーが、


「それは馬乳酒だ」


 と、声をかけてくる。


 どうやら昨日の宴で飲んだぶどう酒に何か思うところがあったアルナーが、朝早くに鬼人族の村へと足を運び、分けて貰って来たのだとか。


「……兎に角一口飲んでみてくれ」


 そうアルナーに促されて食卓についた私は、木の器を持ち、アルナーに見つめられながら馬乳酒を一口飲んでみて……、


「これは本当に酒なのか……?」


 と、思わず呟いてしまう。


 そうやって初めて口にした馬乳酒は、なるほど、これなら一口二口程度なら赤ん坊に飲ませても問題無さそうだと思ってしまうようなもので……つまりは、まぁ、酒精がとても弱い酒だったのだ。


 飲んだ時にほんの僅かに酒精を感じるだけで……果たしてこれを酒と言って良いのかと思う程に酒精が弱い。


 大量に……山程飲めば酔えるのかも知れないが、この馬乳酒で深く酔うには相当の量が必要となるだろう。


 私のそんな様子に興味を持ったクラウスやマヤ婆さん達が、自分たちもと飲んでみて……その口から出て来た感想は私と全く同じ内容のものだった。


 昨日の宴では僅か一滴のぶどう酒でぐでんぐでんに泥酔していたエイマも、エイマ用の食器として用意された、木さじに入れられた一杯の馬乳酒を飲み干して……それでもほろ酔い程度で済んでいるようだ。


 ……なるほど、アルナーにとってはこの馬乳酒が『酒』で、それで酒は体に良いと言っていたのか。

 そして私にとっては、これよりも何倍も酒精の強いぶどう酒が『酒』な訳で……。

 うぅむ、意見がぶつかり合ってしまう訳だ。


 アルナーによると、馬乳酒を飲んでいるとそれだけで体力が付き、骨が丈夫になり、また便通なども良くなるそうで……その上病を祓う効果もあるとのことだ。


 うぅむ、凄いな馬乳酒。


 元々色々なことを話し合うようにしようと考えていた私は……この馬乳酒の件で改めて話し合いの必要性を痛感することになった。


 アルナーもアルナーで色々思う所があったようで……この時を契機に以前よりも積極的に私に話しかけてくるようになってくれた。


 そうやって私とアルナーは自分達の習慣のことや、自分達の過去のことを、暇を見つけては話し合うようになり……そんな私達の空気は自然と村の皆にも伝っていったようで、私と村の皆との会話をする機会も自然と増えていったのだった。




 そしてそれは宴の日から5日程が過ぎた日の昼下がりのことだった。

 昼食を終えて食器を片付けていると、婆さん達の一人、あまり私と会話することの少なかったセリア婆さんが恐る恐ると言った様子で声をかけてくる。


「ディアスさん、わたしね、あれはね、いけないと思うの」


「うん……?

 セリア婆さん、あれとは一体何のことだ?」


「えっとね、ほら、犬人族さんとエイマさんの件の時に、わたし達皆に意見を聞いてたでしょう?

 あれはね、駄目だと思うの」


 胸の前で手を組み、それをもじもじとさせながらセリア婆さん。


 細面で、長い灰髪を持つセリア婆さんは真面目な性格の口数の少ない人で……こうして積極的に私に話しかけてくる姿はとても珍しい。


 どうやらセリア婆さんもまた、最近の村の空気に触発されているらしい。


「……そう、なのか?

 私としては皆の意見を聞いてから決めた方が良いかと思ったのだが……」


「意見を聞いてくれるディアスさんのその気持は嬉しいんだけどね……でも、あれじゃぁ駄目だと思うわ、わたし。

 今は村人の数が少ないから良いけど……村人が100人1000人になっても同じことをするの? そんなの絶対に無理だわ。

 村の皆がディアスさんがそうしたいのであればと、深く考えずに賛成しちゃってるのも問題よ。

 あれじゃぁ意見を言ってないのと一緒だもの。

 それにね、ディアスさん……もし皆の意見が割れたらどうするかは決めてあるの?

 そういうことも前もってちゃんと決めておかないと……きっと喧嘩の原因になっちゃうわ」


 ……堰を切ったように流れ出てくるセリア婆さんの言葉達は、どれもこれも全くの正論だった。

 返す言葉が無い。


「だからわたしね、思うの。

 ディアスさんが必要だと思った時に、意見を聞く為の『代表者』を決めてみたらって。

 例えば私達人間の代表でマヤさんって感じでね。

 これなら村人の数が増えていっても、数人の代表者と話し合えば良いのだから、なんとかなると思うわ。

 皆の代表っていう責任のある立場でなら、きっとちゃんと考えてしっかりとした意見を言うはずだしね。

 それでね、代表者達の意見を聞いて……最後にはディアスさんがしっかりと決断をするの。

 ……妙なトラブルが起きてしまう前に……そんな感じのルールをしっかり決めておく必要があると思うわ、わたし」


 そう言ってじっとこちらを見つめてくるセリア婆さんに、私はしっかりと頷いてから言葉を返す。


「……うん、確かにその通りだ。

 分かった、その方向で考えてみるよ。

 これからも色々と皆の意見を聞くことは多いだろうから、しっかりとしたルールを作っておかないとだな」


 と、そんな私の言葉を耳にしたセリア婆さんはおずおずとしながらも、にっこりとした微笑みを返してくれるのだった。




 そうしてその日の夜……早速私は村の大人達を集会所に集めて、セリア婆さんの提案についてと、代表者を誰にするかについての話し合いを行った。


 セリア婆さんの提案を聞いた皆は、確かにその通りだと言ってくれて……それから皆で、具体的にどうするべきかと意見を出し合った。


 基本的にはセリア婆さんの考えで問題無かったので……細かい部分の摺り合わせを行うといった感じでルールが出来上がっていく。


 夜がかなり深くなるまで皆で話し合い続けて……そうして完成した代表者と会議についてのルールは、こんな内容となる。



 まず基本的には領主が全ての決定権を握る。

 その上で、領民達の意見を聞きたいと私が考えた場合は、代表者を集めての会議を行う。

 代表者は事前に自分が代表する者達と話し合い、意見を集約して、その意見と自らが代表であるとの責任感を持って会議に臨む。

 緊急時には意見の集約を省略し、代表者が自分の考えでもって領主に意見をする。

 

 そして領主は、それらの意見を参考にしながら……最終的な判断は領主自身が行い、領主がその判断の責任を負う。


 

 と、まぁこんな感じのルールだ。


 王国においては、国の方針だとかは王様と貴族達が勝手に決めてしまうもので……私達平民の意見を聞くなんてことはまずあり得ないことだ。


 そのやり方に比べたらかなり良いやり方だなと私は思う。


 このルールについては後で紙にでも書き出して、皆がいつでも見られるように集会所の中に張っておくとしよう。


 代表者については思っていた以上にすんなりと話がまとまり、次の3人が代表者となることになった。


 まず1人目はアルナー。

 私は領主としての立場を優先しなければならないので、私の家と家族を預かる立場として意見を言って貰うことになる。


 2人目はクラウス。

 人間族の代表では無く、領兵隊長として軍事防衛の責任を負う者としての意見を言って貰うことになる。

 

 3人目はマヤ婆さん。

 人間族の代表者だ。本人はあまり乗り気では無かったが……他の婆さん達から推されての決定となった。


 ちなみにエイマにも、学があるそうだし獣人族の代表者にならないか? と声をかけたのだが、


「まだまだ未熟な新参者なので、辞退します!」


 とのことだった。


 これから先、代表者を増やす必要がある場合は、先程の会議のルールに則って決めることになる。

 そろそろ犬人族達がやってくるだろうから、そうなったら犬人族の代表を決めないといけないだろうな。



 そうして夜遅くまで話し合った私達は、疲れを引きずりながら、それぞれのユルトへと帰り、ぐったりと寝床へ沈むことになった。


 アルナーに遅くまで付き合わせてしまったし、明日の朝飯は遅くなっても良いからな、と一声かけて……目をつむって―――



「―――ディアス、起きろ。

 来客だ」

 

 ……眠れたと思った次の瞬間にはアルナーに起こされてしまった。

 いや、薄っすらと空が明るくなっている所を見るとそれなりには寝ていたようだ。


「……誰だ? こんな早くに……」


 目を擦り、モゾリと身を捩りながら……横で寝るセナイとアイハンを起こさないように小さく声を返す。


「……例の犬人族……かもしれないな。

 はっきりと分かる数は1人だ、それと……多分小さいのが多数。

 ……眠っていたので気付くのが遅れてしまった、村のすぐ近くまで来てしまっているな」


「……うん?

 ……その小さいのとやらの数は、はっきりとは分からないのか?」


「……言ってなかったか?

 私の生命感知魔法は、一定の大きさを持った生命で無いと反応しないように調整してあるんだ。

 そうでないと虫達にまで反応してしまうのでな。

 ……それでどうも、今こっちに向かって来ているのは、反応するかしないかの際どい大きさの者達のようなんだ。

 反応したりしなかったり……どうにもはっきりしないな」


 そうかー……と生返事を返して、寝ぼけた頭を働かせる。

 1人と……小さいのが多数。

 1人というのは恐らくカマロッツだろう。

 そして小型種の犬人族を連れていて……小型種達は生命感知魔法に反応しにくい、と。


 ……よしっ、と気合を入れて……気合を入れてもやはり重い体をぐったりと起こし上げる。


「恐らくカマロッツと犬人族だろうから……私が様子を見てくるよ。

 アルナーは寝ていてくれて構わないぞ……」


 と、そうアルナーに言葉をかけて……ふらふらとユルトを出ていく。

 だが私にそう言われてもアルナーは寝なかったようで、少しの間を置いてから簡単に身だしなみを整えたといった姿で私の後を追いかけてきてくれる。


 私とアルナーは薄暗い中を一緒に歩き、村の東の端へと辿り着いて……草原の向こうをじっと見つめる。

 静かな冷えた空気に……太陽の姿はまだ無い空。

 うっすらと明るくはあるので、夜では無いが……まだ朝でも無い時間。


 遠くを見ようとしても朝靄と、薄暗いのと、寝ぼけているのとで視線が遠くに届かず……なんとか寝ぼけた視界だけでもはっきり出来ないかと何度も目を擦る。


 そんなことをしていると視界に何かが入るよりも先に……いくつかのうっすらとした音が草原の向こうから聞こえてくる。


 一体何の音なのだろうかと耳を澄ますと……それは犬の遠吠えだった。


 遠くから……視界に入らぬ程の遠くから聞こえてくる犬の遠吠え。


 遠吠えの後には、たくさんの激しい足音が聞こえて来て……その後に続くのは……これはまさか女性の泣き声か?


 一体何事だと緊張し、神経を尖らせて眠気を振り払い、そうやって身構えていると……それらの音の主達の姿が見えて来る。


 たくさんの犬……では無くて犬人族か。

 白と黒の毛の一団と、黒い毛の一団と、茶色の毛の一団の姿が見える。


 雑な作りのマントを羽織っただけという服装の、四足で草原を駆けるそれらの一団は、いくつかの荷車を自らの体にロープで繋ぎながら、一心不乱と言った様子でこちらへと駆けてきている。


 そしてそんな一団を追いかけている白毛の……マントと白い無地の服とでその身を覆った大柄で二足で駆ける犬人族の姿があり、その大型種と思われる犬人族は、高く響く声で


「待って待って待ってー!!」


 と、わたわたと手を振り回しながら、悲鳴のような声を上げている。


 その犬そっくりの顔を覆っていたらしい布を振り乱し、垂れた両耳をパタパタと揺らしながら、必死に駆けるその犬人族を見た私とアルナーは、これは一体どういう状況なのだろうか? と、一緒になって首を傾げる。


 白毛の犬人族は、小型種の一団より足が遅いのか、だんだんと距離を離されていってしまって……それでも必死に追いつこうと駆け続けている。


 なんとか追いつこうと必死に、必死に駆け続けて……そうして足をもつれさせてしまった白毛の犬人族は、転んでしまいドタンと草の中へと倒れ込んでしまう。


 白毛の犬人族が転んでしまった事に気付いた小型種達の何人か……荷車にその身を繋いでいない何人かが駆けるのを止めて心配そうに白毛の犬人族に群がり始める……が、それはほんの一部であり、ほとんどの小型種達が、尚もその勢いを失うことなく駆け続けている。



 何が何やら分からないままではあるが、兎にも角にも暴走状態の犬人族達を止める為、転んでしまった犬人族を助ける為にと、私とアルナーは草原へと駆け出すのだった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る