少女は世界に飽和する

雨籠もり

少女飽和水

 私の家の中にガランドが現れたのは水野もずくが死んだ次の日の夜のことだった。ガランドとは全長三メートルの日本特有の巨大な海獣のことである。姿形はあからさまに首長竜そのもので、尾びれも背びれも三本しかない指と指の間の水かきさえついていない。それなのに海中を、川中を、湖中を、ひいては水中を意のまま気のまま思うままにゆらりゆらりとクラゲの如く泳ぎ回るというのだから不思議極まりない。少し前まではこの不思議さと奇怪さ、奇矯さから話題を呼び、水族館にも展示され、野生のガランドを見るためのツアーまでもが開催されるほど人気を博した。各国の首脳が一目ガランドを見ようと訪日し、日本のことは嫌いだけれどガランドのことはどうにも嫌いになれない連中がガランドを見るための都合のいい口実を作るために協力して口裏を合わせ、日本でのサミットを幾度となく開催し、その影響か外国人観光客の数が異常なまでに増え、日本の第三次産業をこれ以上ないほどに発展させた。ガランド饅頭。ガランドうどん。ガランドおにぎり。ガランドをモチーフにした商品は大量に量産され、日本文化を海外に発信するための契機にさえなった。当時の首相はガランドの名誉を称えて新設されたばかりの国民名誉賞をガランド全体に与えた。国民名誉賞の副賞として何でも貰えるというのがあったのだけれど、その副賞選びはガランド保護委員会の会長が担うことになった。ガランド保護委員会の会長は大層悩んだそうで、何故ならばガランドを守るために、保護するために必要な設備の補充は既に国内外からのガランドに寄せられる寄付金によって既に賄われていたし、餌代にしても、池の清掃代にしても、今後数百年分は安泰だった。考えに考えた末にヤケになったのかガランド保護委員会の会長は一億円を要求した。そして得た一億円をそのままユニセフに募金した。当時は批判殺到となるかと思われたがその行動が逆に各国の賞賛を受け、日本に募金ブームが発生し、合計金額約五百億円ほどがユニセフに募金され、ガランド保護委員会の会長はノーベル平和賞を受賞した。ガランドの恩恵は凄まじいものたった。

 ガランドを見なくなったのは四年前。

 水野もずくがまだ生きていた頃の話だ。

 ガランドを密猟しようとした違法滞在者が片足ひとつと生首ふたつだけになって見つかったところから、ガランドの人気はみるみるうちに減ってしまった。理由としては簡単で、ガランドは肉食で、ガランドを密猟しようとした違法入国者合計二十八人はガランドのお腹の中でとろとろに溶けていたからだ。

 人間を食べる獣は殺さなくてはならない。

 いやいや、今回の場合は違法入国者によってあわや殺されるところだったのだからこれは正当防衛だ。

 過剰防衛というのがあってだな。

 うるさい。これだからジャップは――

 黙れ。全く、外国人はこれだから――

 ううむ。

 そういったガランド擁護派とガランド批判派の諍いや争いが世界各地で繰り広げられた結果、ガランド保護委員会の、国民名誉賞、ノーベル平和賞受賞者である会長が責任をとって自殺した。遺書には『適切にガランドを守れなかった。すべては自分の責任である。ガランドは悪くない。だから争わないで欲しい』と書かれていた。服毒によって冷たくなった死体は土下座のポーズのまま死後硬直で固まっていた。

 会長の自殺はそれなりの効力を生んだ。世界中の人間が罪悪感を抱き、責任から逃れようと責任転嫁を始めた。けれど責任転嫁に次ぐ責任転嫁は世界中でリレー形式で行われ、遂にはまた自分の所へ責任が戻ってくることは自明の理だったので、責任の所在を追求する議論はあっという間に消えてしまった。そして、会長の自殺について誰もが平等の大きさの罪悪感を抱き、平等の重さの責任を負い、そのことについて口にすることは無くなった。誰もが自分を愛していたから、自分が傷つくような話題を出すことはなくなってしまった。そして、会長の話がされなくなるにつれて、事の発端であるガランドのことも話題にならなくなってしまった。

 ガランドのことが好きだった水野もずくは、けれどガランドについて語ることを止めない唯一の人間だったかもしれない。ガランドの写真がプリントされたシャツをいつも着用していて、使用する文房具はすべてガランドの関連商品。給食を食べている時も休み時間も掃除の時間も全部ガランドのことしか話していなかった。ガランドの写真集に目を輝かせ、ガランドの人形を常にバッグに入れ持ち歩き、修学旅行の際でさえガランドの形の抱き枕を抱いて寝た。周りの人間もガランドのことはそれなりに好きだったので、誰もが水野もずくを見て違和感を感じたり異常を感じたり嫌悪感や苛立ち、腹立ちを感じることも無かった。いや、無かったのはガランドが違法入国者を食べてしまうその日までのことだったのだけれど。

「日々ちゃん、ガランドがね、今日もテレビに出てたんだねー」

 水野もずくの会話作法には『――ね』という語尾が染み付いている。『おはようだね』『おやすみなさいだね』『いただきますだね』 と他人に対して常に語りかけるような口調を保有している。そのおかしな会話作法は周囲に対してしかし異端とは思われず、ある種のアイデンティティとして受け入れられた。口調は誰かに対して害をもたらすものではなかった、というのが一番の根本的原因だっただろうが、それ以上に、みんなが好きなガランドのことを一番知っている人物だったということが一番大きかったように思う。ガランドの存在が水野もずくの性格や性質を救っていたと言っても過言ではないし、裏を返すならばガランド以外は水野もずくのことを誰もが救わなかった。ガランドの存在が水野もずくに関連するすべてをシャットアウトしていた。

 水野もずくが虐待されていることは明らかだった。

 隠そうともしない身体中の痣がそれを物語っていた。

 水野もずくの両親は『教育』を執行する度に『〜だね?』と確認をとる。その教育方法が彼女の会話作法に多大なる影響を与えていたことは誰の目にも明らかだったけれど、誰もが気付かないふりをした。誰もが見て見ぬふりをして、彼女のシャツにプリントされたガランドだけを見ていた。

 シャツに張り付いたガランドのイラストは常に笑顔だった。

 水野もずくには常に笑顔が張り付いていた。

 前後が逆だった。ただそれだけの差だ。

 それだけの差に、どれほどの溝があったのか誰も知ろうとしなかった。

 誰も、には勿論、私も含まれる。

「ひーびちゃん! おはようだね!」

 水野もずくは私の家の隣に越してきた。引越しの挨拶には水野もずくと、水野もずくのお母さんがやってきただけで、水野もずくのお父さんは水野もずくが死んでも葬式にすら現れることはなかった。寝坊助の水野もずくは毎朝午前六時半きっかりに殴られる。殴られた水野もずくは軽快な叫び声をあげて泣き、救命を懇願する。『命だけは助けて下さいだね、お母さん!』泣いてそう言った直後に殴られる。殴られて彼女の、栄養失調で軽くなった身体が吹っ飛ぶ。壁にぶつかって何かが倒れる音がする。それを繰り返していくうちに水野もずくは段々と静かになる。代わりに母親のヒステリックな絶叫が響く。

 私は彼女の叫び声を目覚まし代わりに、起きる。

 歯を磨いてパンを食み、寝ぼけまなこをシャワーで覚ましてついでに髪を整え、顔を洗ってパジャマを脱ぎ、制服を着る――までしてからようやくお母さんとお父さんが起きてくる。私の部屋は水野もずくの家に一番近い部屋で、お母さんとお父さんの部屋は水野もずくの家から一番遠い部屋なので、お母さんとお父さんに水野もずくの悲鳴は聞こえない。活動を始めたばかりの掠れた声で「おはよう」と言われる。私も「おはよう」と返す。「それじゃあ、朝の部活があるから言ってくるね」と言って家を出る。

 家を出ると、痣だらけで身体中が腫れた水野もずくが立っている。

「ひーびちゃん! おはようだね!」

 私は尋ねる。

「その怪我、誰にやられたの?」

「昨日はね、ガランドが夢に出てきたんだね」

「お母さんに苛められてるの?」

「ガランドの背中に乗って琵琶湖を横断するんだね。楽しいだね」

「痛くないの? 苦しくないの?」

「ひびちゃんはさあ!! 昨日なんの夢を見たんだね!!」

 私の質問はかき消される。

 だから私は毎日、仕方なく先生を頼る。

「もずくちゃんがお母さんに苛められてます」

「そうなんだ、凄いね。ところで三組の相田さんにこの資料渡してくれる?」

 一日が過ぎる。水野もずくは絶え間なくガランドのことを喋る。みんなが水野もずくのところにガランドのことを聞くために集まる。水野もずくは満面の笑みでガランドについて語り続ける。私は水野もずくの身体の痣を数える。右腕に七つ。左腕に六つ。右足に四つ。左足に五つ。首筋に手の跡。目の上にこぶ。ほっぺたに青血。

 それがずっと続く。ずっとずっと続く。ガランドが人を食べるまで続く。

「おはようだね! みんな!」

 ガランドが人を食べたのは四年前。

 水野もずくがまだ生きていた頃の話だ。

 みんなが水野もずくを無視し始めたのも同じくらいの頃。

 理由は単純明快で、ガランドのことを誰も聞きたくなかったのだ。

 クラスメイトはまるで世界と同じみたいにガランド擁護派とガランド批判派に真っ二つに別れた。ガランドの話になるとクラスメイトはおしりに火がついたみたいに息をするのも忘れて議論を始める。議論が加速していくうちに議論は口論に退化する。言葉のナイフで殺し合い。教室は怒りと痛みで血まみれになって、学級は簡単に崩壊する。誰もが自分を正しいと信じている。自分の常識を疑わない。自分の知識を疑わない。自分の学識を疑わない。自分の良識を疑わない。自分の感性を疑わない。自分の価値観を疑わない。自分を疑わない。自分を盲信している。自分を狂信している。自分と同じ意見の人間は味方で、自分と意見の異なる人間は悪鬼で畜生で人間ですらない。よってたかって個人を糾弾して押し潰して殺す。あとがどうなろうが関係ない。周囲の歯止めが効かないのではなく周囲を厳選しているから都合のいい周囲しか見えなくなる。自分の正しさを否定されたくないから自分を否定するなら家族だって敵で、友達だって敵で、恋人だって敵だ。敵は殺さなくちゃいけない。インターネットを使って仲間を呼び寄せ、謝罪するまで殺し続ける。謝罪したら追い打ち。殺すことに快感を覚えるようになる。楽しくなってくる。他人を加虐することに快感を覚えるようになる。他人を迫害することに快感を覚えるようになる。謝罪すると自分の正義が、主張が、思想が、本当に正しいと認められた気がする。自分が勝利したのだと誤解する。自分が世界に認められたと確信する。世界に認められた自分は偉いのだ、賢いのだと考える。この賢さを認めさせなくては、この意見で、この正解で世界を正さなくてはいけないと考える。相手が謝罪するまで迫害の百鬼夜行。攻撃。迫害。差別。侮蔑。侵略。虐殺。拡散。弾圧。誹謗。罵倒。破潰。蹂躙。略奪。まともな生活が出来なくなるまで追い込め。無能者には烙印を押し付けるのだ。人でなしの烙印を。自分と異なる人間は差別主義者だ異常者だ幼児性愛者だ。人を殺せる自分は選ばれた人間だ。世界を平和にするのだ。

 さあ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ!

 嗚呼、殺人!殺人!殺人!殺人!殺人!

 殺人!!

 快感!!

 誰かが本当に死ぬなんて思いもしないまま。

 会長が死ぬ。

 責任逃れが始まる。けれど逃げられない。

 何故なら人殺しの自分は、何をしても人殺しの自分でしかない。

 世界人口七十億人がガランド保護委員会会長を殺したのだ。

 汚い手段で。下劣な手段で。楽しんで殺した。

 殺してしまった。

 水野もずくはその様子をただ黙って見ているだけだった。

 水野もずくは黙って静かに、ひとりでいた。

 ガランドは自分を守っただけだった。

 会長はガランドを守りたかっただけだった。

 誰も争う必要はない。なのに、みんなが誤解していた。

 水野もずくは黙っていた。

 ただ黙って見ていただけだった。

 会長の自殺も、もずくのお母さんの自殺も、黙って見ていた。

 自分に止めるだけの力がないことを彼女は知っていた。

 無力だったからこそ、抗うことをやめた。

 殴られることも、蹴られることも、泣き叫ぶだけで何もしなかった。

 何も出来なかった、の間違いかもしれないけれど。

 水野もずくのお母さんが死んだ時、私たちは高校二年生だった。

 会長が自殺してから丁度二年後のこと。

 水野もずくのお母さんの葬式は開かれなかった。水野もずくのお母さんは宗教に手を出していて、借金は無かったがお金も無かった。お金が足りなくて葬式を開くことすらままならなかった。母方の祖父母は既に水野もずくのお母さんを勘当していて、お金を出してくれなかった。お金がないから水野もずくは大学に進学できなかった。あんなに勉強してたのに。水野もずくの人生は行き詰まった。水野もずくは本当に何も出来なくなった。生活保護を受給することになった。高校は退学した。日雇いのアルバイトを重ねていくうちに口数が減った。ガランドの笑顔の描かれたシャツは洗濯無しで何度も何度も使われたようで、褪せて汚くなってしまった。けれどもずくに張り付いた笑顔はなかなか粘り強くて、ずっといつまでも彼女の顔に張り付いて取れなかった。

 彼女が死んだのは轢かれかけた子供を助けたからだった。

 もずくの上半身を引き千切ったトラックはそのままビルに突っ込み、七人の負傷者を出した。もずくの下半身は道路上に捨て置かれてそのままになっていたと聞く。ガランドのシャツは赤く染って、もう何も見えない。

『どうしてそこまでガランドのことが好きなの?』

 それは小学生の頃の記憶だ。

 私は水野もずくに質問をした。ガランドが大好きな水野もずく。

『いつも笑顔だからだねー! 元気をくれるんだねー!』

『元気? ガランドってそんなにかわいい?』

『かわいいだけじゃないんだね! 元気なんだね!』

『……日常的に元気を分けて貰う必要があるのって、おかしいよ。やっぱり、もずくのお母さんのこと、ちゃんと相談した方がいいと思う。もずくのお母さんは、おかしい。』

『ひびちゃん、変なんだねー。お母さんは私にガランドの人形をくれたんだね。優しいんだね』

『でも、もずくがいつもガランドだって持ち歩いてるそれさ、靴下に綿を詰めただけじゃん! おかしいよ! ちゃんと児童相談所に連絡しよう?』

 私は必死になってもずくに叫んだ。

 もずくは振り返る。

 もずくと目が合う。

 もずくは応える。


『君なんかに何が分かるの』


 語尾は何処かに消えている。


 今。

 私の目の前でガランドは大きく伸びをして大きな口を開くと、長い長い欠伸をする。欠伸を終えるとガランドは絨毯の上でひとつ回転すると、椅子に座って唖然とその様子を見ている私と目を合わせる。ガランドに表情はない。顔面部の筋肉の変化に意味を見出すのは人間だけだ。けれどこのガランドには本当に表情というものがない。普通、相手が犬や猫なのであれば、顔を見ればそれだけで不機嫌かどうかくらいは分かるものである。それなのに、ガランドにはそれがまるきりない――言うなれば、無表情なのである。

 ガランドは大きく口を開く。白色の歯が見える。

 まん丸とした瞳。邪気のない、無垢な瞳。

 見えているもの、それだけが真実であると確信している目つき。

 見えているものだけがあればそれでいいと考えているんだろう。

 楽観的で、それ以上がない。

 続いて、まん丸の瞳の下にふたつの小さな穴――鼻。

 長い長い首と、細い細い手足。

 ガランドはお肉をよく食べると聞く。だから私は冷蔵庫からハムを取り出してガランドの口の中に放り込んでみる。ガランドはすぐさま口を閉じて、ハムを何度か咀嚼する。ぐち、ぐち、と音がこの狭い部屋の中に聞こえる。狭い部屋、と言っても一階と二階の狭間の床を取り壊したみたいな、縦に広い部屋ではあるのだけれど。まあ、ガランドにとっては狭い部屋だろう。

 食べ終わったガランドは満足そうにふんすと鼻から息を吹き出してそれから、くたびれたように眠ってしまう。倒れてしまうように、気絶してしまったかのように、ぐったりと、ぐっすりと眠ってしまう。見るからに怠け者だ。怠惰を鍋で煮つめたような性質をしている動物だ。こんな動物が人間を食べるとは到底思えない。私はそっと人差し指でガランドの頭に触れてみる。指がどんどん沈んでいく。体毛はないらしい。厚い厚い膜で覆ったスライムみたいな体をしている。柔らかくて――冷たい。

 行動だけは人一倍早かった。

 大学の講義もどうせしばらくは無い。私は脚立を調達してすぐさま工事に取り掛かる。部屋の中に脚立を立てかけ、ノコギリなどを駆使して二階部分に長方形の四角い穴を開け、そこにドアを当てはめる。外側には予め購入しておいた移動式の階段を設置する。これで一階の階段を使用する必要はなくなった。二階から買い物に出かけたり大学から帰ってきたりできる。その代わり、一階のドアをセメントで塗り潰す。一階の窓も全部塗り潰す。代わりに屋根の部分に丸い窓を幾つも作る。郊外だから星が見える方が良い。次にベッドや本棚に発泡スチロールを括り付ける。満遍なく付ける。椅子にもタンスにも机にも冷蔵庫にも付ける。それから、蛇口を捻って、家が水没するのを待つ。

 数時間後。

 私の家の一階部分はすべて水で埋まってしまう。私はぷかぷかと浮かぶベッドの上に座ってシーツを被り、ハムを括りつけた釣竿でガランドを呼び寄せる。水を得たガランドはやはり無表情のままに一階部分を何度も往復してからようやく、水上に顔を出して釣竿のハムを食べてくれる。

 水野もずくのシャツに描いてあったのと同じ、ガランド。

 平和の象徴ガランド。戦争の象徴ガランド。責任の象徴ガランド。

 会長が死んでも守りたかったガランド。

 もずくが死ぬまで好きだったガランド。

 ガランド。

 けれど分からなかった。

 夜がやってくる。月明かりが屋根に開けた丸い窓から差し込む。水面に反射して幻想的な風景を顕す。青白い明かり。見上げれば丸い窓から星々が見える。夏の大三角。デネブ・アルタイル・ベガ。こと座。わし座。てんびん座。夏の暑さが夜の涼しさに融和されて飽和してしまう。溶け合って重なり合って混ざりあって、願いや想いや祈りや、拙い感情や伝えきれない意味、意識、気持ち、言葉、感覚と輪郭、怒りや悲しみの底に沈んでいる良心、思い出、記憶、そういった曖昧だけれど価値のあるもの、大切なもの、大事なもの、守りたいもの、好きなもの、ずっとずっと探しているのにどうしても見つからない、けれど見つけなくてはならない、根本的で抽象的な何かが、飽和していく。全部が溶けてしまって、液体になって、綺麗な水に洗われてしまう。

 世界が、少女が、感情が、宇宙が――飽和している。

 けれど私には分からなくて、仲間はずれなのだ。

 私は昔から。

 ガランドが発見された頃から、私にはずっとガランドの何が良いのか分からなかった。ガランドなんて象とキリンを足してふたつに割っただけの普通の動物だ。それがどうして世界中からそこまで愛されるのか私には分からないのだ。自分でもない動物の為に命をかけたり、自分でもない動物の為にお金を寄付することが出来たり、自分でもない動物の為に人を殺せたり、自分でもない動物のことを想うことで自分の傷すらも忘れることが出来てしまう世界中の誰しものことを理解することが出来ないのだ。

 分からないことはまだまだある。

 どうして水野もずくは母親に殴られなければならないのか?

 とうして水野もずくの母親は水野もずくを殴るのだろうか?

 どうしてクラスメイトの誰もが水野もずくの痣を無視したのか?

 どうして水野もずくは母親を庇ったのか?

 どうして人は人を簡単に傷つけてしまうのだろう?

 どうして人は過ちを過ちと気付けないのだろう?

 どうして人は過ちを繰り返してしまうのだろう?

 どうして水野もずくは死ななくてはならなかったんだ。

 どうして?

 どうして私は、こんなにも嫌いなガランドに住む場所を与えたのだろうか?

 その問いにだけは私は答えを知っている。

 水野もずく。

 私は結局、知りたかったのだ――分かりたかった。水野もずくに近づきたかった。ガランドを間近に感じることで、水野もずくの気持ちを知りたかった。その答えを追求することで、他の疑問符もすべて消え去るだろうと期待していたのだ。私は理解したかった。理解できないからこそ理解したかった。水野もずくに寄り添えなかった過去を殺すために、せめて誰もが好きだったガランドのことを分かりたかった。

 ガランド。

 私はガランドが嫌いだった。

 ガランドがいなければ水野もずくはきっとお母さんから受けていた暴力について我慢なんてせずに助けを求めることが出来たはずだし、ガランドがいなければ私のクラスはいがみ合って争い合って傷つけ合って学級崩壊なんてしなかったはずだし、ガランドがいなければ人々が言い争って何処かの誰かが傷ついたり何処かの誰かが苦しんだりすることなんてなかったし、ガランドがいなければ誰かが死ぬこともなかったはずだし、ガランドがいなければガランドの良さが分からない私が先生や同級生から白い目で見られることもなかったはずだし、先生は私の水野もずくの虐待に関する訴えをまともに聞いてくれたはずだし、そうすれば水野もずくが苦しむことも泣くことも叫ぶこともお母さんに対して命乞いをすることもお母さんを守るために嘘をつくことも孤立することも無視されることも轢かれて死ぬこともなにもかもなかったはずだ。それなのに誰もがガランドを好いていた。

 けれどガランドは悪くない。それが一番嫌だった。

 ただ生きていただけのガランドは何も悪くないのだ。

 これは何も上手くいかない私のただの八つ当たりだ。

 ここでガランドを責めるのは間違っている。

 じゃあ私は誰を恨めばいい?

 傍にいただけで何も出来なかった自分自身か?

 水野もずくか? 母親か? 先生か? クラスメイトか?

 それとも、私も含めた、人間そのものなのだろうか?

 私はベッドの上から、月光をその身に浴びてすやすやと眠るガランドのその背中を見つめる。今ではガランドはすっかり話題にならなくなってしまった。テレビをつけても雑誌を開いても、ガランドのことは誰も知らない。誰もが忘れているはずで、そして恐らくは、ガランドの時と同じことが次もまた起こる。人は人を傷つけて、何処かで誰かが苦しみ、誰かが死んで、罪悪感に駆られても、きっとまた繰り返す。

 私がどれだけ大声で泣き叫び、走り回って訴えたところで何も変わらない。

 私には、何も、できない。

 私は眠っているガランドの背中に飛び乗る。柔らかい背中にバウンドしてから、小さな島みたいに浮かぶガランドの背中の上に寝転がる。明日、私がガランドに食べられてしまっていたとしても、何も思わない。誰も責めない。誰も悪くない。明日、私がまだ生きていて、ガランドもここの生活を気に入ってくれるなら、今度こそ私はガランドに寄り添う。傍にいる。今度こそ彼女を理解する。

 だから今だけは、蕩けるように眠ってしまいたい。

 今だけは、世界には私とガランドしかいない。

 ガランドの体は、鼓動に共鳴して浮沈を繰り返す。

 窓からは月光。星々の灯火。

 冷ややかで鋭利な光芒。降り注ぐ青白い光のレースのカーテン。

 ガランドの身体は睡眠状態になると保温のために発熱する。水によって奪われた分の体温を補うためだ。私の身体の下で、ガランドの身体が暖かくなっていく。

 誰かの暖かさに似たその温度に、私も溶けてしまおう。

 ガランドの傍で、私がそう思った。

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