第63話 男子×意地×アメリカンドッグ(13)

 歓声が辺りに響く。実況アナウンスの興奮した声が途切れ途切れに歓声の合間から聞こえていた。


 美樹雄、瞬が顔を上げてタイム見る。


 0.03 美樹雄にマークがついていた。


「おーっ!」


 恵はその光景に心を震わせた。自らもレースを経験して、勝敗の結果を知りプレッシャーから解放されるあの奇妙な瞬間を味わった。あの時は、「終わったあ」という安堵の気持ちだった。だけど、いまはどうか。二人の激闘、意地のぶつけ合い。そしてあのゾクゾクする戦慄。


 恵は自分でも信じられない言葉を呟いた。


「私、もっと走りたい」




 美樹雄は呆然としていたが、瞬に背中を叩かれ我に返った。

 瞬は、何も言わずにそのまま表彰台の方へと歩いて行った。美樹雄も続く。


 表彰式が行われ、1位、2位を勝ち取った二人と三位決定戦で勝利した東第一校の選手が表彰台に上がった。


 司会者の質問に美樹雄はいつもの柔らかい雰囲気で答える。ただ、その笑顔は作り笑顔ではなく、心から楽しそうな笑みだった。

 司会は瞬にも突っ込んだ。瞬はいつもの調子で美樹雄を指さすと「次はここにお前が来るのだ」と挑発していた。笑いの中、表彰式は終わった。


 美樹雄と瞬がテントに帰ると、恵と奈美が手を振りながら歓迎した。


「ワン・ツー、独占。おめでとう!いやー、朝見校の名を知らしめたね。すごいよ」


 恵が拍手して労った。瞬は、準優勝のトロフィーをテーブルに置くと、背伸びをした。


「あーっ、疲れたあ!腹減ったあー」


 参加賞として提供されていた大福を口に詰め込むと、イスにドカッと座り人心地ついいていた。


「俺、自転車洗ってくるわ」

 

 瞬は恵に目配せすると洗い場の方に向かった。


「気を使わせたかねぇ」

 

 恵は、美樹雄をニッコリ笑顔で迎えた。その笑顔に美樹雄は思わず視線をそらせた。欲しかったものが間近にある。そのことからくる嬉しさと不安が混ざった結果だ。


「さあ、約束どおりアメリカンドッグをご馳走しましょう」

「そんな。あれはその場の流れでしょう。奢ってもらうなんて出来ないよ」

 美樹雄は、想像の域で留めていたことが現実となったことに戸惑いながら真面目に断りを入れた。

「なに言ってるの。有言実行よ。部長に恥をかかせるのですか?さあ、行こう。奈美ちゃんも」

「えっ、私も!」

 驚く奈美を恵が手を引いて連れ出した。


 恵は屋台でアメリカンドッグを2人に振る舞った。奈美はその大きさに目を丸くしていた。美樹雄は、子供がご褒美をもらったときのように、笑顔で眺めている。


(このときのために頑張ったよ)


 今まで感じることがなかった勝利の喜びを噛みしめていた。

ただ、その喜びがどこから来るのかは、まだこのときはよく分からなかった。



「美樹雄兄ちゃん、おめでとう!すごいレースだったね」


 声をかけたのは芽久美だった。


「あれ、瞬ちゃんは?」


 芽久美はキョロキョロと瞬を探した。


「瞬なら、洗車場の方にいるよ」


 美樹雄が洗車場の方向を指さした。


「そうなんだー」


 芽久美は大きな目を丸くすると、すぐにまたニコニコしながら屋台を見渡していた。




 勢いよく水を出し、瞬はマウンテンバイクについた泥を洗い流した。飛び散る水しぶきが虹を作っては消えていった。


「・・・・・・トイレ」

 

 虹を眺めていた瞬はふと呟き、更衣室にあるトイレへと向かった。


 誰もいない洗面所。


「ちくしょう、チクショウ、チキショー!」


 洗面台に水を流し頭から水を被りながら、瞬は叫んだ。


(なぜなんだ。なんで、こんなに悔しいんだ。去年はそれほど思わなかったのに・・・・・・なんで悔しいんだろう・・・・・・)


 胸に重く反動するような思いがこみ上げ、それが涙となって出てきた。むせび泣きから漏れる息を、流れる水が、かき消していく。

 

 涙と水が渦となり流れていく。



 息を整え、微かに震える肩を押さえて、鏡に映る自分を見る。


(そうさ、この悔しさは勝てたからだ。勝てるレースだったから悔しいんだ。俺は、まだ負けちゃいない。負けを認めるものか。絶対に認めない。何度でも走ってやる。速く走ってやる) 


 震える顔で鏡に映る自分を睨みつけた。

 

 

 更衣室から瞬が出てきた。目がまだ赤く潤んでいる。


「いた、いた。瞬ちゃん、洗車場にいないから探したよ」


 手を振って芽久美が立っている。


「なんだよ。美樹雄たちなら、アメリカンドッグを食いに行ったぜ」


 瞬がフンといった表情で見ると、芽久美は気にもかけずに笑顔のまま瞬を見ていた。


「屋台で会ったよ。瞬ちゃんは、洗車場だって聞いたから」

「そうかい。俺に何かようなのか?」

「負けちゃったね」

「なんだよ。嫌み言いにきたのか」


 瞬はジトっとした目で芽久美を見た。目を赤くしているのは、気づかれたくなかった。


「はい。食べて」


 芽久美がニコニコしながら、瞬の前に摘まんで差し出したのはフライドポテトだった。


 目の前に出されたフライドポテトを瞬はジーっと睨んでいた。芽久美は沈黙している瞬をずっと笑顔で見ている。


  パク!


 素早く指まで食べそうなほどの勢いで、瞬は咥え込んだ。


「アツーっ!」


 思わず口を押さえた。赤い目が再び潤んだ。


「ハハハーっ。熱いよー。揚げたてだもん。瞬ちゃん、おもしろーい」


 芽久美は思いっきり笑うと、もう一本差し出した。瞬も今度はゆっくり咥えた。


「俺は動物園の猿か」


 そう言いながら、洗車場の方へと歩き出した。


「お猿さんより可愛いよ。ねえ、今度、瞬ちゃんの走り方教えてよ」


 芽久美は瞬の後ろについて行った。


「えーっ、美樹雄に教えてもらえよ。お前の先輩だろ」

「美樹雄兄ちゃんより、瞬ちゃんのが面白いなって」

「面白いって・・・・・・・絶対、イヤダ」

「えーっ、瞬ちゃんのケチ」

「ケチでけっこう。ヤダ」

「おねがーい!」


 芽久美がお願いポーズをして瞬を見上げた。瞬は足を止めて考え込んだ。


「やっぱ、イヤダ!」

「えーっ。瞬ちゃんのケチー」


 芽久美の元気な声があたりにキラキラとこだました。

 その声と共に夕暮れになる前の日の光が、瞬の背中を押した。

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