エターナる・ストーリーに小さな一歩を

柴田柴犬

SIDE 岡沢 亮

 今日も僕は彼女に会いに行く。あの桜の木が咲き誇る、あの丘に。


「それじゃ、行ってきます」

「あんまり遅くならないでね。気をつけて行くのよ?」

「うん、分かってるってば。いってきまーす!」


 お母さんからお弁当を受け取って玄関を出ると、眩しい日差しが僕に降り注ぐ。春らしいぽかぽかな陽気が心地よくて、思わず空を見上げて深呼吸したくなるような気分だ。

 ……よしっ! 気合いを入れて自転車にまたがると、ペダルを思いっきり踏み込んで勢い良く走り出す。目指すは、いつもの通学路の途中にある小さな丘。その丘の上には一本だけ大きな桜の木があって、そこには決まって彼女がいるのだ。

 僕の毎朝の楽しみであり、大切な時間。


「おっはようございまーす!」


 息を切らせて丘の上まで辿り着くと、案の定彼女はそこにいた。


「はい。おはようございます、岡沢君」


 柔らかな笑みを浮かべながらこちらを振り向いた彼女の名前は吉田 美幸さんという。長い黒髪を三つ編みにしていて眼鏡を掛けているその姿は、一見地味に見えるけれど、実はそんな事はない。だって彼女は―――


「えへへ、今日もいい天気だ」

「そうですね。絶好のお花見日よりです」


 そう言って優しく微笑む姿はとても可愛らしくて、まるで天使みたいだと僕は思うんだ。




 ***

 彼女と初めて出会ったのは一年前の入学式の時だった。

 高校の入学式なんて大して興味もなかったし、どうせまた同じ中学から来た奴らが大勢集まるだけの退屈なものだろうと思っていたんだけど……。

 実際にその場に足を踏み入れてみると、意外にも知らない顔が多くて少し驚いた。中学校と違って高校になると一気に人が増えるから、当然と言えば当然だけど。でもそんな中で、彼女の第一印象は――


「ああっ!? 眼鏡!? 眼鏡落としちゃった!?」


 ――これだった。

 彼女は慌ただしく周囲を見回しながら何やら叫んでいて、その様子を見ていた周りの人達は何事かと彼女に視線を送っていたけど、当の本人は全くそれに気付かずにいた。


「はい、これ。君のでしょ?」


 僕が拾った眼鏡を差し出すと、彼女はようやく自分が注目を集めていた事に気づいたのか、恥ずかしそうな表情を浮かべた。


「ありがとうございます。助かりました」

「ううん、気にしないでいいよ。それより……」

 改めて彼女の姿をじっと見つめる。背丈は……多分150cmくらい? 華奢な体つきに童顔も相まって幼さが目立つけど、整った顔立ちをしているせいか全然不自然じゃない。むしろ可愛いと言っても過言ではないと思う。

 ただ一つ残念なのは、眼鏡のせいでせっかくの綺麗な瞳が見えなくなっていることだろうか。きっとこの眼鏡を外したら凄く美人に違いないのに。


「あの……どうかしましたか?」

「えっ!? ああ、ごめん! 何でもないから!?」


 彼女をマジマジと見てしまったせいで、不審に思われたかもしれない。初対面の人間に見つめられれば誰だって警戒する。僕は慌てて取り繕いながら謝ると、その場から離れようとした。


「あ、待ってください!」


 ところが何故か呼び止められてしまい、不思議に思いながらも仕方なく振り返る。


「あの……、ここ、ホコリが付いてます。さっき私の眼鏡を拾った時についてしまったんでしょうね」


 そう言いながら彼女は僕の制服の袖をハンカチで拭いていた。

 初対面の女子からこんな事をされた経験がなかった僕は戸惑っていたけど、とりあえずされるがままになっていた。


「これで綺麗になりましたね。入学式ですからきちんとしないと」


 彼女から漂う優しい匂いにドキドキしながらも何とか平静を保つ。


「そっか、ありがとう。ところで君は新入生だよね? 名前を聞いてもいいかな?」

「私は吉田 美幸といいます。よろしくお願いします」

「吉田さん、だね。僕は岡沢 亮っていうんだ。こちらこそよろしくね」


 これが僕達の出会いだった。



 ***

 それからというもの、僕と吉田さんは何かと縁があった。まずクラスが同じだったこと。次に席が隣同士になったことだ。これは本当に偶然で、教室に入った瞬間、窓際の一番後ろにある自分の席に座ろうとしたところ、隣に吉田さんがいたのだから驚いたものだ。

 吉田さんとは色々な話をした。趣味の話や好きな食べ物、嫌いな教科に苦手な先生の事など。

 話していくうちに分かった事は、吉田さんは見た目通りとても物静かな人だった。あまり自分からは喋らず、いつも控えめに笑っているような子だ。

 でもそんな吉田さんはどこか放っておけなくて、気が付くと目で追ってしまう。そして目が合うとドキッとして、すぐに目を逸らす。

 いつの間にか僕は、吉田さんと一緒にいる時間が楽しみになってきていた。



 一年の春から夏、そして秋なり、紅葉が木々を装飾するそんな時期。


「ねぇ、岡沢君。もし良かったら、一緒に帰りませんか?」


 その日の放課後に突然そう言われた時は正直驚いた。今までそんな風に誘われた事なんてなかったからだ。


「えっと、それはつまり……?」

「はい。よかったら途中まで。私達同じ方向ですし」

「うーん、そうだなぁ……。じゃあそうしようか!」


 断る理由なんてあるわけもなく、僕は二つ返事で了承すると、自転車を押しながら彼女の横に並んだ。


「学校行事も岡沢君と一緒になることが多いですよね」

「確かに言われてみれば。席が隣でよく話すからかな?」


 そう、いつの間にかお互いの距離は縮まっていた。


「体育の授業ではよくペアを組んでいますし」

「あれはたまたまだよ。余った男女で組んだだけだしね」


 学校では本当に吉田さんと行動する事が多い。けど、それは僕にとって苦痛ではなかった。むしろ楽しいとさえ思える。


「それにしても今日は少し寒いですね」


 そう言って彼女は肩を抱くように腕を回す。その仕草が妙に色っぽく見えてしまい、つい視線を奪われてしまう。


「……? どうかしました?」

「えっ!?  あっ!? いや。そうだ! 帰る方向も途中まで一緒だから、登校も一緒でも良いかなって!」


 彼女に見惚れていたと悟られたくなくて咄嵯に口から出た言葉だけど、これなら自然に話題を変えられるような気がして、我ながら良い案だと思った。


「いいですね。それだと朝も一緒に行けますね」


 彼女は特に気にする事なく笑顔で答えてくれたけど、内心ホッとしていた。


(危ない……)


 この気持ちが何なのかはまだ分からない。ただ一つ言えるのは、彼女と過ごす時間はかけがえのないものになっているという事だ。

 それから冬を越し、春を迎えた。

 いつもの様に吉田さんと登校をして学校の下駄箱を――







「やっぱりここまでだよなあ……」


 僕は顔に装着していたゴーグルを外しながら呟いた。

 今までの物語は全て仮想現実VRの中での出来事だ。

 この時代、VR技術の発展によりゲームだけでなく、ライトノベル、はたまた個人が小説投稿サイトに投稿している小説ですら仮想現実として体験する事が可能となっていた。

 今、僕がVRとして体感したのは、ある小説投稿サイトに投稿されていたペンネーム『さとちー』さんの作品だ。

 この作品は主人公――吉田 美幸さんが入学式で偶然知り合った男子と仲を深めていく物語である。

 僕はその男子として仮想現実を楽しんでしたわけだ。

 しかし、ここ三ヶ月ほどこの小説の更新がなされておらず、活動報告にも何も記載されていない。この作品のファンとしては心配だった。


「毎日体験しても飽きないのになあ……」


 そう、僕はほぼ毎日この小説をVRで体験しているのだ。

 確かに小説、特に小説投稿サイトに投稿されている作品は、突然エタる事は珍しくはない。それでもやはり続きが気になってしまうのはファン心理というものだろう。


「うーん、あっちが確認するかどうかは分からないけど……、コメント入れてみようかな?」

『さとちー』さんのページにアクセスし、コメント欄を開く。

 そこに一言だけ書き込むと、その日はベッドへと潜り込んだ。

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