第39話 Stay The Night

 神木瑠璃は転校初日から俺に視線を集めていた。


 それはそうだろう、彼女は今正に二回目の死を迎えそうなのだから。

 じゃあ俺は? 今の俺は一体どういう状態なんだろうか。


「神木さんは吾妻と知り合いなのかな?」

「えぇ、一応。私の席はどこになりますか?」

「君、視力はいい方? もし黒板の文字が見えなかったら先頭の生徒と席替えだな」


 彼女は来世でも眼鏡を掛けるほど視力が弱い。

 はずだけど、前世の時は健康的なようだ。


 担任に促されるまま、最後尾の席に座り、俺の死角へと向かった。


「じゃ、ホームルームを始めるぞ。近頃物騒だからな、みんなも気をつけろよ」


 ……ここらへんの記憶は、どうでもいいよな。

 俺がそう認識すると、景色が遅行したかのように生徒達の残像を作った。


 夢は所詮、夢。


 ここで用があるのは、残像の中に一人だけ実像を作っている彼女だろう。


 席を立ち、死角に居た彼女の方を振り向くと神木瑠璃は微笑んでいた。


「シレトくん、私、ようやく思い出したんだよ」


 彼女は周りの残像に避けられるように、こちらにゆっくりと近づく。


「何を?」

「前世の記憶を、貴方に助けられ、一緒に最期を迎えた時の記憶」

「今見てるのは君の記憶を通した光景なのか?」

「そうなりますね、私、ひょっとしたら姉のライオネルよりも魔法の才能があったのかも」


 そして彼女は俺の目の前まで来ると、自分で自分を罰するように下をうつむいた。


「貴方を助けたかった気持ちを整理しようと思って、色々してみたらこんなことが出来ちゃいました。それにしたって、黒曜の剣士に頼るなんて自分でも馬鹿だったとしか思えなくて」


「……マグマガントレットは俺が討つよ、それが君達との約束だ」

「嬉しいです、そう言って頂けて」


 依然として、彼女は下をうつむいていた。

 そんな彼女に、何かしてやれるほどの記憶はなくて、正直困っていた。


「駄目ですね、頭がぐるぐるしちゃって、何を言ったらいいのかわかりません」

「自分の気持ちに素直になるって、勇気がいるよな」

「シレトくんは、今どんな気持ちですか?」

「なさねばいけない事に対する焦りとか、本当に出来るのかとかっていう不安かな」


 こればっかりは、どうしようもない。


 マグマガントレットに対峙している俺の牙は、クロウリーにまで届くのか判らなかった。たった一つの勝機と思えたマグマガントレットの能力を吸収することには成功したけど、奴の能力は熱の移動方向を操る極めて使いどころの難しいものだ。


 これを行使しても、最強になれるかどうかは使用者のセンス次第だった。


 だから、俺はこのまま死ぬんじゃないか?

 彼女と一緒に。

 些末で考えの浅い妄想を抱くぐらいには、今の俺には自信がなかった。


 ――シレト! どうした、目を開けろ!


「……君が俺に魔法を掛けている限り、俺の意識は覚めない?」

「もう少しだけ、このまま傍にいてくれませんか」


 彼女は肯定も否定もしなくて、ただ俺に傍に居て欲しいと願った。

 前世の時から痩躯だった身体を小刻みに震わせている。


 彼女の心は、今にでも崩れ落ちそうなほど、衰弱しているんだな。


「っ……!」


 そんな彼女の顎に手をそえ、前を向くように誘導すると感傷的な表情を浮かべた。


「そう傷ついた顔しないでくれよ、君がそんな顔していると、俺まで感傷的になる」

「ごめん、なさい――でも」


 でも? 今何か言おうとしてた?

 俺は彼女の大事な心情を聞く前に、口づけをしていた。


 恐らく、最初で最後のキスに、彼女の心が追い付いて来るのは一分ほど掛かった。


 彼女がそのキスをようやく受け入れると、唇をそっと離し、強く抱きしめる。


 彼女の表情は見てとれないが、きっと気持ちも落ち着いたはずだ。


 ――シレト! シレト! っ、シレトッ!!


「フガクが呼んでる、俺もう行かなくちゃ」

「今まで迷惑掛けちゃってごめんね。シレトくんには他に大切なものがあるんだよね」

「君のことだって大切だと思うけど、その通りだと思う」


 大切な彼女との別れを急かすほど、俺の大切なものはなんだったのか。

 それは神から与えられたであろう、弟との宿命だ。


「ありがとう」


 俺から彼女にそう言い。


「私こそ、ありがとうございました」


 彼女は声音を震わせて、感謝し返すと。

 目に、俺の顔を覗き込むフガクが映っていた。


「っ!? シレト、ようやく目を開けてくれたな」


 頭が妙にぼーっとする……復活の魔法を受けた感覚って、全身麻酔に似てるんだな。

 もっとも全身麻酔にかかったことないけど。


「戦況は?」

「シレトが倒れた後、マグマガントレットは動きを止めたようだ」

「何を考えてるんだ、あの鬼神は」


「俺の考えだと、奴は人の命を奪うことももはや何とも思わず、目的を遂げることにも慣れ過ぎていて生きるのが退屈になっていたんじゃないか? だから、奴の狙いはシレトだ」


 フガクはマグマガントレットの狙いは俺に移ったと考えているらしく。

 その後も色々となにか言っていたけど、頭に入って来なかった。


「フガク、マリアの状況はわかるか?」

「……マリアさんは、明朝を以て処刑されることが決まった」


 アッシマはマリアの処刑を強行しそうな雰囲気はあったけど、このタイミングでそのカードを切るのか……マグマガントレットの動きが止まって、戦場は思った以上に混乱していそうだ。


 出来るのなら、もう一度彼女に会いたい。

 彼女が二度と手の届かない所に行く前に、もう一度会いたかった。


 せめて一夜限りでも、彼女と添い遂げてみたかった。


 しかしそれはしょせん叶わぬ夢。


 脳裏で芥蔕かいたいのような悔いを覚えると、彼女の最期の言葉が耳朶に触れた。


 ――ありがとう、さようなら。

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