153 魔眼

「あれが、この世界の魔物ってわけね」


 わたしは曲がり角の陰に身を隠しながら、角の向こうを覗き見てつぶやく。

 角の向こうにいたのは、小人くらいの大きさの、童話の鬼を小さくしたような存在だ。

 さしずめ、ゴブリンと言ったところか。

 プロゲーマーとしての仕事で、MMORPGのテストプレイヤーをやったことがある。海外産の複雑でわかりにくいシステムに苦労した。一度わかってしまえば面白いのだが、そこまでの敷居が高いのだ。公式の生放送でプレイした時には、その点を初心者にどれだけわかりやすく伝えられるかに腐心した。まずまずの反応をもらえたが、売上に貢献できたかどうかは自信がない。


「って、そうじゃなくて」


 そのゲームは中世風のファンタジーだったので、ゴブリンと呼ばれるモンスターも出てきていた。

 最初の街の周辺で、プレイヤーがチュートリアルを兼ねて狩る相手。RPGでは雑魚の代名詞のような存在だ。


 が、自分のすぐ近くに、凶器を持った邪悪そうな魔物がいるというのは、経験したことのないプレッシャーだ。


「やりすごすか、戦うか、ね」


 これがゲームだったら迷わず戦っただろう。

 この世界の仕組みがどうなっているかは知らないが、経験を積む意味でも戦うべきだ。

 とはいえ、ゴブリンが見かけより全然強く、わたしひとりでは手に余る存在だったら、わたしの人生はここで終わってしまうことになる。

 そう考えると「避ける」の一択のように思えるが……


「魔眼は……」


 戦うべき、と出ている。

 正確には、戦う方の選択肢の方が、避ける方の選択肢より明るい感じがする。


「この先、まだ十層もある。ここをなんとかやりすごせたとしても、ずっと戦わずに済むとは思えない、か」


 それなら、危険を冒してでも、ここで戦いに慣れておく方がいい。

 おあつらえむきに、ゴブリンは1体しかいない。しばらく観察していたが、近くに仲間もいないようだ。


 が、


「問題は、どうやって戦うかよね」


 素手で格闘するという選択肢はない。

 あの部屋から持ってきた短剣を使って戦うしかないだろうか。

 もうひとつ持ってきた杖は、あまり重みがなく、これで殴ってもたいしたダメージはなさそうだ。


「っと、それこそ魔眼で見てみるべきね」


 わたしは選択予見の魔眼で短剣と杖を見る。

 見ながら、戦い方をシミュレートする。

 といっても、わたしの知る「戦い方」なんてたかが知れている。わたしがいちばんうまくやれるのは格闘ゲームだが、ジャンプによるめくりとか中下段で相手のガードを揺さぶるなんてことがリアルにできるはずもない。

 一応、6年前……いや、16年前の通り魔事件の後に、護身術のたぐいをあれこれ調べたことがある。女性向けの護身術教室にも行ってみた。ただ、そこでの方法論がここで役に立つとは思えない。悲鳴を上げる、防犯ブザーを鳴らす、バッグを振り回してひるんだ隙に逃げる、どうしても逃げられない時は金的を蹴りあげる。そこで教えられたのはそんなことだ。これはむしろ、戦う方法というよりは、戦わないで済ませる方法なんだと思う。現に、この方法で目の前のゴブリンをどうにかできるとは思えない。


「なんか剣みたいなの持ってるし……ボロボロだけど。でも、あんな錆びついた剣で斬られたら破傷風になるかも」


 できれば遠距離から無傷で仕留めたい。

 銃か弓でもあればよかったのだが。銃なら、アメリカで実射した経験がある。


 そんなことを考えていると、魔眼の結果が選択肢となって現れた。


選択肢1:短剣で斬りつける。背後から忍び寄り、抱きつくように首に手を回し、ゴブリンの頸動脈を掻き切る

選択肢2:杖で魔法を使う。ゴブリンが後ろを向いたタイミングを見計らって《フレイムランス》を発動する


「……ううーん」


 わたしは唸る。


 まず選択肢1。この選択肢は明るくも暗くも見えない。実行可能だが、完全に安全というわけでもないのだろう。

 背後から忍び寄る、とわざわざ指定されているということは、近づく際に気づかれたりしたらこの選択肢は実現不可能になるということか。

 おそらく、こちらに気づいたゴブリンと接近戦になった場合、わたしに勝ち目がないということだ。身長だけならわたしの方が高いが、ゴブリンの武器の方がリーチが長いし、全体的に筋肉も発達している。もしわたしが自分より背の低いレスリング選手ともみあいになったら勝てるか? これはそういう問題だと思う。


 次に選択肢2。この選択肢は、選択肢1より明るく見える。つまり、実現性が高い。

 が、頭が痛いのは、


「魔法なんてどうやって使うのよ……」


 ということだ。

 アッティエラは魔法の神だという。この世界に魔法というものが存在することは間違いないし、最近では地球にまで持ち込まれているらしい。

 が、当然ながらわたしは魔法を使った経験がない。

 魔眼を使ってみるものの、魔法の使い方、なんてわかりやすい情報が出てきたりはしなかった。


 でも、


「待って……」


 こういうのはどうだろう。

 魔法を使う上で最適な行動の選択肢を生成するのだ。

 たとえば、呪文を唱える、印を結ぶ、構えを取る、念じる、等それらしい行動を思い浮かべる。その上で、その行動のどれが正解に近いかを考える。

 やってみると、


選択肢1:呪文を唱えることで、魔力の胎動をごくわずかに感じる

選択肢2:印を結ぶことで、魔力の胎動をわずかに感じる

選択肢3:構えを取ることで、構えを取ることに意味がないことを察する

選択肢4:念じることで、魔力の胎動をわずかに感じる


 となった。


「えっと……構えには意味がないってことね」


 それなら、他の3つの選択肢を全部やってみよう。


「呪文って何がいいんだろ。えっと……アブラカタブラ、南妙法蓮華経、アーメン、天にまします我らが神よ」


 思いつくままに唱えてみる。

 が、魔力の胎動とやらは正直よくわからない。


「じゃあ、印を結ぶ、か」


 とはいえ、印なんてものを覚えてたりはしない。

 地球のインターネットに接続できるというサンシローなら調べられるだろうが、戻るにはちょっと面倒な距離だ。

 とりあえず、でたらめに手を組み合わせてみる。

 が、反応なし。

 次に、指の先ででたらめに空中に何かを描いてみる。

 すると、


「……ん? 何か感じたわね」


 静電気のような、熱のような何かを、一瞬だけ指先に感じていた。


「選択肢が『ごくわずか』じゃなくて『わずか』になってるのよね」


 今の感覚が選択肢の言うところの『わずか』なのだろう。

 つまり、選択肢1より、選択肢2の方が有望なのだ。


 最後に選択肢4。


「念じる……ええっと、炎よ、現われろ、敵を燃やせ」


 ゴブリンに気づかれてもまずいので、ろうそくくらいの火をイメージする。

 脳裏に、ごくかすかに手応えのような何かを感じた。


「ふむふむ……印を結ぶことと、イメージね」


 印を結ぶというのも、密教にあるような複雑な手印のことではなく、指先で何かを描く感じのようだ。


「魔法陣みたいなものかな」


 わたしは試しに、丸をいくつも描いたり、三角や四角、五芒星や六芒星を描いたりする。

 時々、反応があるが、それらはすぐに消え去ってしまう。


「うーん……全体として何かの絵を描くだけじゃなくて、描く順番も決まってる?」


 書き順があるなんて、漢字みたいだ。


「って、ちょっと待って。これってひょっとして、文字を書いてるんじゃ……」


 魔法ごとに決められた文字を書くことで、魔法が発動する。

 言うなれば、


「魔法文字!」


 わたしは思わずガッツポーズを取り、それからあわてて静かにする。

 角の向こうにはゴブリンがいるのだ。


「でも、具体的な形を知るにはどうすれば……」


 言いかけて、すぐに気づく。

 魔眼を使えばいいのだ。


「ええっと、そうね」


選択肢1:縦線を引く。たしかな手応えを得る

選択肢2:横線を引く。わずかな手応えを得る

選択肢3:斜線を引く。わずかな手応えを得る

選択肢4:円を描く。かすかな手応えを得るが、途中で消える


「1ね」


 わたしは縦線を引く。

 と、指の跡をなぞるように、おぼろげに光が走った。

 何度か繰り返してみる。

 光は出たり出なかったりで、出た場合でも強弱が毎回異なっている。


「そうだ、イメージ」


 最初の選択肢の4にあった「念じる」を忘れていた。

 炎を思い描きながら宙に縦線を引く。

 かつてない手応えとともに、赤い光が宙に残った。

 が、続きがわからないでいるうちに光はふっと消えてしまった。


「縦線の後の選択肢が必要ね」


選択肢1:縦線の隣に縦線を引く。魔法文字は形成されず光が消える

選択肢2:縦線の上に横線を引く。魔法文字は形成されず光が消える

選択肢3:縦線に直交する横線を引く。わずかな手応えがあるが、魔法文字は形成されず光が消える

選択肢4:縦線の中央から横線を引く。赤い光がフレイムの魔法文字となり、小さな炎が現れる


「やった!」


 わたしは歓声を上げて選択肢4の通りにする。

 縦線、横線。ちょうどカタカナの「ト」の字と同じだ。


 ボッ!


「きゃあっ!」


 わたしの描いた魔法文字から、小さな炎が噴き出した。


「で、できた! やった!」


 わたしは飛び上がって喜ぶ。


「よーし、これであのゴブリンも……って、ゴブリン!?」


 しまった! 今の炎は小さかったが明るかった。それに、わたしが不用意に上げた歓声。

 わたしはおそるおそる角の向こうを覗きこむ。

 ゴブリンが、警戒心もあらわに、こちらにやってくるところだった。


「ど、どうしよう!?」


 逃げるか戦うか。

 でも、今の小さな炎じゃ戦えない。

 逃げるにしても、気づかれてからで逃げ切れるのか。


「そ、そうだ、魔眼!」


 わたしはあわてて選択肢を生成しようとする。

 が、突然のことに心が乱れて、魔眼にうまく集中できない。

 青い仮想の糸が結びかけては消えていく。


「ああもう!」


 わたしは腰のサッシュにさした鞘から短剣を抜き取る。


「じゃない! 最初の選択肢は杖の方だった!」


 あわてて短剣をしまおうとするが、鞘に刃先が入らない。

 ひとしきりパニクってから、杖は握ったままなのだから無理に短剣をしまう必要がないことに気がついた。


 ゴブリンはもう十メートルのところまで近づいてきている。

 一人称視点のシューティングゲームのように、ゴブリンは角に対して大きく弧を描くように、視野を確保しながら近づいてくる。あのゴブリンは馬鹿じゃないし、戦い慣れてもいるようだ。


「だから、分析してる場合じゃないでしょ!」


 わたしは空中にさっき見つけ出したフレイムの文字を描く。

 なるべく大きな炎になるよう念じながらだ。

 炎は、イメージほど大きくはならなかったが、それでも赤ん坊の頭くらいの大きさにはなった。


「いっけええええっ!」


 わたしは角の向こうに向かってその炎を投げつける。

 とっさのことだったが、イメージ通りに投げられた。「炎を投げる」なんて、意味がよくわからないんだけど。

 ただ、炎の速度はいまいちだ。テニスのサーブの方が速いだろう。


 ゴブリンは、突如迫ってきた炎に驚いた。


 ――ヴゴッ!?


 と声を漏らして身体をひねる。

 炎が、ゴブリンに着弾する。

 ゴブリンの、左耳から肩にかけてを炎が焦がす。


 ――ヴガアアッ!


 ゴブリンが悲鳴を上げる。

 が、すぐに首を振って、わたしを睨みつけてくる。

 紛れもない憤怒の宿ったその視線に、わたしは金縛りにあったように動けなくなる。


「くっ!」


 ゴブリンが何かをしているわけではない。

 わたしを縛り付けているのはわたし自身の恐怖だった。

 ゴブリンがにやりと笑う。

 わたしが恐怖で動けないのを見透かしたのだ。

 ゴブリンが剣を手にゆっくりと近づいてくる。

 まるで、獲物の恐怖を煽り、いたぶろうととしているかのようだ。


 そこでわたしはようやく気づく。

 この世界の魔物は、その本性からして邪悪なのだと。

 わたしの炎がさっき外れたのは、人の形をしたものを攻撃することを、心のどこかでためらっていたからでもある。

 だが、この相手にはそんなためらいなど微塵もない。


「……動け」


 わたしは奥歯を噛みしめる。


「動け動け動け……」


 これでは、16年前と同じじゃないか。

 通り魔に立ちすくんで殺されそうになった女子高生の頃から、まるで進歩していないことになってしまう。

 それでは、命がけで助けてくれた人に申し訳がない。


「動け、わたし! わたしは昔のわたしじゃないっ! こんな体たらくで加木さんに会えるかぁっ!」


 叫ぶことで、ようやく身体のロックが外れた。

 わたしは飛びのきながら空中にフレイムを描く。

 炎。

 今度はゴブリンの顔に命中した。

 でも、


「効いてないっ!?」


 ゴブリンは熱そうにはしたが、皮膚はほとんど焼けていない。

 その前の一撃も、よく見ればゴブリンに火傷を負わせてはいないようだ。

 わけがわからない。

 ゴブリンの皮膚は炎に強いのか?

 それともこの世界の魔物は魔法に耐性でも持っているのか?

 ゲームの世界じゃあるまいし、火であぶられたら火傷をするものじゃないのか?


「ええいっ、そんなのは今は後よ! さっきの選択肢を思い出せ!」


 最初に見た選択肢はたしかこうだ。


『選択肢2:杖で魔法を使う。ゴブリンが後ろを向いたタイミングを見計らって《フレイムランス》を発動する』


 ここでようやく気づく。

 フレイムではない。《フレイムランス》とある。

 あのゴブリンを倒すには、フレイムよりも強い魔法が必要なのだ。

 でも、わたしには《フレイムランス》を使うための魔法文字がわからない!


「待って待って……そうよ、選択肢になってるってことは今のわたしでも可能ということ」


 わたしはゴブリンから飛びすさりながら考える。

 精神が徐々にまとまってきた。

 慣れ親しんだ戦闘モード。格闘ゲームの世界大会。大事な試合。そんな時に発揮される極限の集中力を、わたしはようやく取り戻していた。

 魔眼を使う。


選択肢1:片っ端から前世の文字を描き、《フレイムランス》の魔法文字を引き当てようと試みるが、失敗する。その間にゴブリンに追いつめられて殺される

選択肢2:《フレイムランス》というからにはフレイムと関係があるはずだと推理し、フレイムの魔法文字をさまざまにいじって《フレイムランス》の魔法文字を引き当てようと試みるが、失敗する。その間にゴブリンに追いつめられて殺される

選択肢3:《フレイムランス》は、フレイムを部首とした漢字のような魔法文字ではないかと推理し、フレイムにべつの文字を加えることで《フレイムランス》の魔法文字を引き当てようと試みるが、失敗する。その間にゴブリンに追いつめられて殺される

選択肢4:《フレイムランス》は「フレイム」と「ランス」から構成されると推理し、「ランス」=槍に相当するイメージを描きながら「ランス」の魔法文字を引き当てようと試みるが、失敗する。その間にゴブリンに追いつめられて殺される

選択肢5:《フレイムランス》は、フレイムという初歩的な魔法に具体的なイメージを重ねたものではないかと推理、フレイムの魔法文字を描きながら炎の槍をイメージするが、失敗する。その間にゴブリンに追いつめられて殺される


「ああもう!」


 わたしはフレイムの炎でゴブリンに目眩ましをかけ、その間にさらにとびすさる。


「この炎じゃダメ! 弱すぎる! もっと高温にしないと! 高温……熱を集中する? フレイムで生み出した炎を、細長く集中して槍に?」


 そう思いついた途端、明るい選択肢が出現した。


選択肢6:フレイムで生み出した炎を、べつの魔法文字によって圧縮しようと試みる


「もう! 具体的な魔法文字の形くらい教えよ!」


選択肢6-1:フレイムがシンプルな形だったことから、2画以内で書けるカタカナ・アルファベットを片っ端から試す


 わたしはその通りにしながら、選択肢に集中する。


選択肢6-1-29:「ル」の字形で手応えを得る


 実際にはア、イ、ウまでしか試していないが、そのさなかに正解の選択肢が浮かび上がった。


「ル! ト!」


 わたしは二つの文字を宙に描く。と同時にイメージする。ルはエネルギーを集中するイメージ。トは燃え盛る炎のイメージ。


 わたしの目の前に、燃え盛る炎の槍が出現した。


「《フレイムランス》!」


 思わず叫ぶと、炎の槍が射出される。

 槍は野球の速球くらいの速さで飛翔、ゴブリンの頭に直撃した。

 炸裂する炎。

 吹き飛ばされ、倒れるゴブリン。

 ゴブリンは倒れたままぴくりとも動かない。

 おそるおそるのぞきこむと、ゴブリンは頭を炭化させて死んでいた。


「やった!」


 わたしは思わずガッツポーズをした。

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