80 追憶のアルフレッド(後編)
「……捕虜への尋問から、敵の狙いがわかった」
僕は騎士の分隊長4人とジュリアさん、ポポルスさんを集めて、尋問から判明した敵の作戦を説明する。
そもそも、ソノラート南部領主連合軍の狙いは、サンタマナ王国軍を自分たちの懐へと引き込んで壊滅させることにあったらしい。つまり、王国軍によるソノラート南部への侵攻は、連合軍によって誘導されたものだったということになる。
兵数で劣る連合軍は、地の利のあるゴルハタへと王国軍を引き込むことを目論んだ。
そのために、砦をわざと未完成のまま残し、砦に
「だけど、尋問によって、連合軍の作戦はこれだけではなかったことが判明した」
連合軍は、引き三方をもってしても、数で勝る王国軍を撃滅しきれない可能性を見越していた。
もし王国軍の抵抗が頑強で殲滅が難しかった場合は、連合軍は攻撃をいったん諦め、後方へと撤退する手はずとなっている。
しかし、連中はそこからさらに先にも策を巡らせていた。
「連合軍は、再び潰走を装って後退し、
「えっ……せっかく作った砦にこもらないのぉ?」
ジュリアさんが首を傾げて言う。
「砦は、王国軍に明け渡す手はずらしい。王国軍が砦を使用するか破却するかはわからないが、どちらにせよ王国軍は砦に兵を入れるだろう。潰走したとはいえ、連合軍は砦の背後に陣を敷き、いまだ対決の構えを崩していない、という状況になるのだからね」
引き三方で少なくない損害を受けている王国軍は、体勢を立て直す意味でも、砦に入る選択をする。不完全な砦とはいえ、砦は攻めるよりも守るほうが容易いからだ。
「兵を砦に入れさせてどうするのですかな?」
ポポルスさんが聞いてくる。
「砦に火を放つらしい」
「火を!?」
「もともとあの砦は、外壁だけは石造だが、内部は木材で作られている上、燃え広がりやすいようにさまざまな細工がほどこされているそうだ。つまりあの砦は、サンタマナ王国軍の将兵を閉じ込め焼き尽くすためだけに作られた、特大の棺桶だというんだ」
僕たちが出くわした敵兵は、王国軍が砦に入った後に砦に火をかけるために配置された魔法使いとその護衛部隊だった。
王国軍が砦に入るのを、視界のいいこの地点から見届けた後、砦に接近して【火魔法】や火矢で火をかける手はずだったという。
もちろん、この部隊だけで砦に火の手を回らせることは難しい。同様の部隊が砦の四方へと散らばっていて、合図とともに砦に波状的に火を放つことになっている。
「ま、待ってください! 連合軍の目的は、サンタマナへ侵攻して北西部の穀倉地帯から食糧を強奪することのはずです! そのための橋頭堡である砦を焼くなど……」
「王国軍を片付けてしまえば、連合軍はさしたる抵抗もなくサンタマナに侵入することができる。出兵で守りが薄くなっているランズラック砦を落としてしまえば、この砦がなくなったところでなんとでもなる。本国からの補給線が伸びるかもしれないけど、もともと本国も食料不足なのだから関係ないといえば関係ない」
「なんという……」
ポポルスさんが絶句する。
その気持ちはよくわかる。一歩間違えたら破滅しかねない捨て身の作戦なのだ。
思えば、この築城中の砦自体、サンタマナへの侵攻の足がかりとしては微妙に不便な場所にあった。そもそも、峠を開削したのだからさっさと攻め込むべきなのに、悠長に砦を築いていたこと自体がおかしかったのだ。
「はぁ~、むこうの軍師は仕事してるねぇ」
ジュリアさんがなんとも言えない表情でつぶやいた。
たしかに、さすが年中内戦に明け暮れているだけあって、手の込んだ策略を考えてくるものだ。
「それで、どうするのぉ? 氷さん……じゃなかった、アルフレッドさん」
ジュリアさんが言ってくる。
多少は気を許したからなのか語尾の間延びがひどくなっているような気がする。
「ファーガスン侯は引き三方を跳ね返しつつある情勢だ。さすが勇猛果敢で鳴らした猛将というべきかな」
「勇猛果敢? 猪突猛進の間違いじゃないのぉ?」
どこまでも鋭いジュリアさんの意見に、僕は苦笑するしかない。
「この場合はたしかにジュリアさんの言い分が正しい。おそらく、手負いのファーガスン侯は本隊を率いて連合軍を追撃するだろう。そして、連合軍に誘い込まれるようにしてあの砦へと兵を入れる……」
「敵方は、こちらの将の性格を読みきっておるとしか思えませんな」
ポポルスさんがつぶやいた。
おそらくはその通りなのだろう。
「ファーガスン侯に伝令を出して敵の作戦を説明することができればいいんだけど、現在僕たちは敵側に突出してしまっている。一応伝令を出してはおいたけど、はたして間に合うかどうか……」
僕が言うと、分隊長たちが厳しい顔で黙り込んだ。
「そんな顔をするな。大丈夫、作戦はあるよ」
「作戦、ですか……?」
問いかける分隊長に僕は頷いてみせる。
「敵の砦を先に燃やしてしまおうと思っている。さすがの猛将ファーガスン侯も、燃え上がる砦に兵を入れることはないだろうからね」
僕の言葉に一同が苦笑した。
「とはいえ、今砦の周囲には敵兵がうじゃうじゃいるんだ。それをかいくぐって砦に放火するのはきわめて難しい。できるとすれば、敵兵が砦を素通りした後を狙う形だろうけど……」
「その頃にはもう、王国軍が砦に入り始めてるかもしれないねぇ」
「……そういうことだね」
しばし、その場に沈黙が下りる。
「……わたしの魔法なら、多少離れたところからでも火をつけられるよ?」
そう提案してくれたジュリアさんに、ポポルスさんが聞く。
「ジュリアさんおひとりでは、すぐに鎮火されてしまうのでは?」
「うーん、そうだねぇ。砦の近くにまで行ければ、おっきいのをお見舞いできると思うんだけど、まだ砦の周りには連合軍がいるからねぇ」
ジュリアさんがそう言って難しい顔で黙り込んだ。
しばらくの間、その場に沈黙が下りた。
その沈黙を破ったのは――意外なことに、ポポルスさんだった。
「アルフレッド殿。私にひとつ、策がございます」
「策?」
「それは……」
ポポルスさんが策を説明する。
それはかなりきわどい策だったが……成功した場合の見返りは相当なものだ。
僕は、決断を下した。
◆
――砦の前。
ソノラート王国南部領主連合軍の陣営には、いくつもの篝火が焚かれていた。
僕たち――僕とジュリアさんとポポルスさんの3人は、その篝火のうち、最も大きいものを目指して近づいていく。
身を隠すこともなく、真っ向から、だ。
「――止まれ! 何者だ!」
幕舎の前に立つ見張りの兵士が、僕たちを見て誰何の声を上げた。
これに答えるのはポポルスさんだ。
「ソノラート軍の幕舎とお見受けしますが、間違いありませんかな?」
「そうだが……おまえは?」
「私はしがない旅商人で、ポポルスと申します」
「軍需物資なら間に合ってるぞ」
「いえ、今回ここに来たのは商売ではないのです」
「商売ではない? 一体、どういうことだ? 後ろにいるのは……護衛の冒険者か」
兵士が僕とジュリアさんを胡散臭そうに観察してそうつぶやく。
そう。今の僕はサンタマナ王国軍の装備を外し、倒したソノラート軍の兵の装備を代わりに身につけている。ソノラート軍は長引く戦乱で装備の統一ができていない。土にまみれたこの装備を見せれば、冒険者だと言っても不審には思われないだろう。もちろん、部隊章は事前にこそぎ落としてある。
……本来であれば、斥候隊の指揮官であり、本隊の副官でもある僕が敵前に出ることはありえない。
が、生き残った斥候隊の騎士たちは、揃いも揃って忠義一辺倒のいかにもな「騎士」たちばかりで融通が利かなかった。今回のようなアドリブを要求される仕事に向いた者がいなかったので、僕自身が出ることにしたのだ。
それに、騎士ではないジュリアさんとポポルスさんに危険なことをさせながら後ろで待っているだけというのは気が引ける。
「それで、商人。ここに何の用だ? いずれサンタマナ王国軍との戦闘が再開する、こんな場所をふらふらしていては巻き込まれて死ぬぞ」
「シドナム将軍の兵に呼び止められまして、命令書を部隊に届けるように、と命じられてしまいまして……。本来ならば旅商人はそのような依頼は受けないのでございますが、将軍の兵が非常に殺気立っておりましたもので、否とも言えず……」
「なぜおまえたちなのだ? 伝令兵がいるだろう?」
「さあ、私どもにはわかりかねますが、口ぶりからすると、他にも通りがかった者をつかまえて同じことを頼んでいるようでしたよ」
「ならばなぜ、他の者たちがここに現れないのだ?」
「さて……この辺りにはサンタマナの騎士が出張ってきているとのことですから、あるいは……」
「連中に捕らわれた、か……。
とすると、敵は我が方の連絡を遮断しようとしているのか? 敵の司令官は策を弄するタイプではないと聞いていたが……。
……いや、今はそれを考えていても仕方がない。命令書とやらを渡してもらおう」
ポポルスさんは懐から「命令書」を取り出して兵へと渡した。
無理もないが、ポポルスさんの手がわずかに震えている。
が、幸いなことに兵はそれを緊張のためと取ったようで、気にする様子もなく命令書を受け取った。
――この命令書は、もちろん偽造したものだ。
ポポルスさんによれば、
「ソノラートは混乱しておりますからな。身勝手に道を専有し、関所と称して『関税』を徴収するなど可愛い方です。資材の接収などと言って代価もなしに商品を取り上げるような無法な領主も少なくありません。
そのため、ソノラートを行き来する商人の間では偽造された命令書が出まわっているのですよ。関所の方でも偽造ではないかと疑ってはいるのでしょうが、『上』はやはり怖いらしく、命令書を持つ商人に無理は言ってきません。
さらに、しかるべき筋に探してもらえば、偽造のための道具類まで手に入ります。正式な命令書ですらその有り様ですから、戦時の簡略な命令書を偽造するくらいはわけもないことですな」
とのことだった。
サンタマナ王国軍ではありえない話だが、南部領主連合軍は寄せ集めの集団でもあるから、自領以外の領主の命令書を持って来られたら真偽を判別すること自体が難しいという事情もある。
兵は、なんと、その場で命令書を開封して読み始めた。
ということは、この兵はただの見張りなどではなく、それなりの身分の兵だったのだろう。
将校であるはずの兵まで粗末な装備をつけているところを見ると、連合軍の困窮ぶりがよくわかろうというものだ。
兵は、難しい顔で命令書を睨んでいる。
命令書に書かれている文面はこうだ。
――作戦は中止、築城中の砦に籠城して援軍を待て。
「――商人よ。これは、本当にシドナム将軍の兵から預かったものなのだな?」
「はい、もちろんです」
「……サンタマナ王国軍による偽装の可能性は?」
兵の慎重な言葉に、僕の心臓が跳ね上がる。
「我々はソノラート側から街道伝いにやってきたのです。仮にシドナム将軍の麾下にない部隊だったとしても、サンタマナ王国軍とは思えませんな」
「……それはそうか。背後の護衛の冒険者たち、おまえらはどこの街の所属だ?」
いきなり飛んできた質問に、僕は答えに詰まってしまう。
その間にジュリアさんが、
「今はフォノ市だけど、去年まではゴルハタにいましたぁ」
と答える。
いいのか、その答えで?
僕は不安になったが、
「たしかにゴルハタは南部領主連合軍の駐屯地になっているからな。冒険者の活動もしづらいだろう。戦況が悪くなれば冒険者を徴兵しようなどという動きが出てくる恐れもある。……おまえらはそれを嫌って逃げ出した口か」
「わたしとアルくんは新婚だもん。お世話になったゴルハタの人たちには申し訳ないけど、危険なことはできないって言うか……」
と言ってジュリアさんは頬を染めながら僕の腕を取り、もう片方の手で自身の下腹部を撫でてみせる。
……そのしぐさの意味を理解して僕はびっしりと冷や汗をかいた。
兵もジュリアさんの様子を見て、
「そ、そうか……このような時代だからこそ、新しく生まれてくる命は大事にしなければな。俺も故郷に妻と幼い子どもを残してきていてな……」
「それはご心配でしょうね」
ポポルスさんが相槌を打つ。
「いや、貴殿らには関係のない話だったな……。
とまれ、戦況は予想以上に錯綜しているようだ。
引き三方で痛めつけ、手負いとなった猪を、檻に閉じ込めて丸焼きにする手はずだったのだがな。こちらの連絡が届かんようでは、砦の策は失敗か。それならばたしかに、このような手段を用いて後退の指示を出してきたのも頷けるが……。
いや、迷っている場合ではないな。すぐに後退をはじめなければ。
とにかく、ご苦労だった――ほれ」
そう言って金貨を4枚渡される。
ソノラート金貨は悪鋳につぐ悪鋳で価値が低いが、それでもサンタマナ銀貨にして10枚分程度の価値はある。
それだけ有益な仕事だと受け止められたということだ。
しかし、
「……なんで、4枚なのぉ?」
僕と同じ点に疑問を持ったジュリアさんが聞く。
「おまえたちにそれぞれ1枚ずつだ。
――まだお腹の中にいる者も含めてな」
兵がそう言ってニカッと笑う。
邪気のない笑みに、僕ら3人の動きが止まる。
「あ、ありがとうございます。ご武運を」
最初に我に返ったポポルスさんが、なんとかそう返事をした。
「ああ。そっちこそ気をつけろよ、まだ近くにサンタマナ王国軍がいるし、連合軍も殺気立っているはずだ」
最初は威圧的だったが、実にいい人だった。
僕たちは罪悪感を振り捨てるようにきびすを返し、連合軍の野営地を後にする。
ほどなく先ほど敵部隊と遭遇した地点に戻り、無事他の騎士たちとも合流できた。
尾根の上にあるこの場所からは、砦の様子がよく見える。
砦の前に陣を敷いていた連合軍が、徐々に砦の中へと引き上げていくのがわかった。
「無事、騙されてくれたようですな」
ポポルスさんが複雑な表情で言う。
「うん、申し訳ないけど……戦争だからね」
僕も暗い表情でそう応じた。
戦陣の間には詐欺を厭わず――というが、敵の兵もそれぞれに帰りを待つ家族がいる人間なのだ、ということは、戦っている間は忘れていたい事実だった。
「今回の
僕は自らの心の甘さを断ち切るように言って、砦へ向かって山を下っていく。
「ジュリアさん、ここから行けるかい?」
「うん」
珍しく言葉少なだが、さっきの一幕で敵の兵を騙したことがやはり尾を引いているのかもしれない。
「……あれは僕がやらせたことだ。君に責任はない」
「ううん、わたしがやるって決めてやったことだよ。――だから、最後までやり遂げる」
ジュリアさんはそう言うと、ゆっくりと深呼吸をしてから、魔法文字を宙へと描いていく。
魔法文字の数は――4、5、6……7だって!?
「
聞いたことのない詠唱を行うジュリアさんの顔は真剣だった。
どうやら、術の制御は完全ではないらしく、ジュリアさんの周囲には制御しきれなかった炎風が吹き荒れている。
炎風に煽られ揺れるジュリアさんの髪と、炎に隈取られた顔の輪郭。
――僕が必死に術を制御しようとしているジュリアさんに見惚れてしまったのは、ジュリアさんから溢れる膨大な魔力のせいだけではなかった。
「――《
ジュリアさんの魔法が完成する。
《ファイヤーボール》と同じような火球が、ジュリアさんの手元から、砦の城壁の隙間へと滑り込んでいく。
次の瞬間、城壁の奥で紅蓮の炎が吹き荒れた。
ここからでは内部の様子は部分的にしかわからないが、ジュリアさんの魔法は城壁内で荒れ狂い、木造の建物へと延焼しているようだ。砦からは怒号と悲鳴とが聞こえてくる。
「……くっ」
「ジュリアさん!」
「だ、大丈夫……だけど、もう魔法は無理かも。うーん、やっぱりまだ未完成かぁ……」
ジュリアさんは、今の7文字発動の大魔法でMPを使い果たしてしまったようだ。
凄まじい威力だったが……あれで未完成だって?
「十分だ! さあ、ポポルスさんたちと一緒に、本隊に合流しよう!」
僕はぐったりするジュリアさんを抱きかかえ、周囲の騎士へと指示を飛ばす。
あたりには連合軍の兵士はもういないはずだ。
僕らは本隊との合流を再優先に、混乱する砦を背にして山中を一目散に駆け出した。
◆
それからほどなくして、僕らはファーガスン侯爵率いる本隊と合流することができた。
本隊は、敵の砦が燃えたのを見て、追撃をかけるべく準備を行っている最中だった。
猛将は、本当に火の着いた砦へと突っ込んでいくつもりらしい。
呆れ果ててもはや何も言えない。
僕は、ファーガスン侯爵のいる幕舎へと駆け込み、事の次第を報告する。
「砦の破壊という今回の戦略目標は達成しました。
これ以上ここに留まることは、意味がないのみならず危険です」
今回の遠征の目的は、ソノラート南部領主連合軍のサンタマナへの侵攻を防ぐことだった。
こうして決死の策を潰された以上、連合軍はもはや脅威ではない。
食糧難が背景にあるから、無理にでもサンタマナに攻め寄せてくる可能性はあるが、それはランズラック砦に戦力を集中すればたやすく跳ね返せるはずだ。連合軍には砦を包囲し続けられるだけの兵糧がないのだから。
一方、サンタマナ王国軍は引き三方で大きく数を削られている。
先ほどの火攻めでどれだけの兵を仕留められたかはわからないが、一度落ち着かれてしまえば数の上では五分か不利な状態にまで戻ってしまうだろう。
ここはサンタマナの国境まで引いて、攻めてくる連合軍を食い止めるように陣を敷き直すべきだ。
が、
「ふざけるな! ここまでコケにされて連中を見逃せというのか! 貴様に武人としての誇りはないのか、ハーフエルフ!」
猛将の頭は、引き三方に引っかかった屈辱でいまだ煮え立っているようだ。
この雪辱を果たすまではサンタマナに戻るつもりはない。そんな覚悟すら透けて見えてくる。
「……私は今ここに、エルフとしてではなくサンタマナ王国の将兵としております。
私が申しているのは客観的な情勢判断です。
重ねて申しますが、ご撤退を!」
「もう、いい加減にしてよぉ!
敵が混乱から立ち直ったら、こっちの方が不利になるんだよ!?」
僕に肩を借りていたジュリアさんが、たまりかねたようにそう叫んだ。
「黙っていろ、小娘! それに、貴様の魔法があれば連中を討ち取ることはできるのであろう!」
「ちょっと、3万もいた軍勢を、子ども騙しの陽動に引っかかって半分にまで減らしたのは誰? あなたでしょう、ファーガスン侯爵!
それをさしおいて、部下が一生懸命策を練って盛り返した形勢を、自分の『誇り』とやらのためにダメにしようっていうの!?
挙句の果てには、『冒険者ふぜい』『小娘』の力をあてにしようだなんて、いくらなんでも虫がよすぎるよ!」
「ぐっ……こ、ここ……っ、こ、小むす……」
ファーガスンは怒りで顔を真赤に染め――そのまま、ひっくり返るように倒れてしまった。
「こ、侯爵さま!」
侯爵の近侍が駆け寄り、危ういところで侯爵を支える。
侯爵は口から泡を吹いて白目を剥いていた。
その場に、重苦しい――見ようによっては滑稽な沈黙が流れた。
その場に居合わせた者の視線が気まずそうに、しかしめまぐるしく動きまわり……最終的には、一点へと落ち着いた。
一点――そう、遺憾ながら僕のことだ。
たしかに、ファーガスン侯爵が倒れた今、この場でいちばん爵位が高いのは僕だ。
いや、そもそも、名ばかりのように扱われていたとはいえ、僕は今回の軍の副官でもある。
侯爵が倒れる原因となったのが僕らであることは難点だが、そこに至る経緯はこの場に居合わせた全員が目撃している。
侯爵の近侍だけは、苦々しい顔で僕を睨んできているけれど。
僕は咳払いをして言った。
「――撤退だ。準備を急げ!」
――こうして僕たちはサンタマナ王国へと戻った。
道中、背後からものすごい追撃を受けたけれど、ジュリアさんのおかげもあって何とか切り抜けられた。
ランズラックに入って防備を固めたが、連合軍は砦を囲むことなく引き返していった。
結果的に、僕は敵の砦を破壊し、遠征軍を無事帰還させた立役者だということになった。
僕のステータスに、《城落とし》の二つ名がついているのに気づいたのは、そのちょっと後のことになる。
ファーガスン侯爵は、出征した騎士や兵士たちに無駄死にを強いた責任を問われ、伯爵へと降爵された上で隠居、領地も大きく削り取られることになった。
◇
「――それで、ジュリア母さんとは?」
「それ以来、いくどかフォノ市で指名依頼を出すことになってね。そうするうちに自然と……ね」
「自然とっていうか、父さんが指名依頼を出してたんならそれは確信犯だよね?」
「うん、まあ……」
アルフレッド父さんは困ったように頬をかいた。
「大変だったのは、結婚を発表した後だったね。貴族が俺たちのアイドルをかっさらったなんて、冒険者ギルドの連中が騒ぎ始めてさ」
「どうしたの?」
「ギルドでいちばんの冒険者を選んでもらって、模擬戦をして認めさせた」
「……やるね、父さん」
いつもは穏やかな父さんだが、案外肉食系男子だったのか。
アルフレッド父さんは夜の攻城戦もお手のもの……と。
「……エド、今何か変なことを考えてなかったかい?」
「え? い、いやぁ……」
俺が視線を逸らして誤魔化していると、
「何の話をしてるのぉ?」
ジュリア母さんがやってきた。
「ああ、僕とジュリアの出会った時の話だよ」
「えっ? 指名依頼の時の話?」
「違うよ、ゴルハタ戦役の……」
「でも、初めて出会ったのは指名依頼の時でしょ?」
「何を言ってるんだ? ゴルハタの時に決まってるだろ」
「……ひょっとして、覚えてないの?」
「何を?」
「あのだいぶ前に、アルくんから指名依頼を受けたことがあるんだよ? その……まだ、カナンさんが生きてた頃で、わたしは駆け出しの冒険者だったけど」
「そうだったのか……。だとしたらたぶん、その時の指名依頼は、ギルドに有望な新人冒険者を指名するようにと言って出したものだろうね」
「そういうことかぁ。アルくんと奥様とデヴィッドくんをフォノ市から王都まで護衛する依頼だったねぇ」
母さんがそう言って、昔を懐かしむように頬に手を当てる。
「騎士がいるのに、護衛の冒険者を雇うの?」
俺が聞くと、
「フォノ市は、ハーピーの季節は仕事が多いけど、それ以外の季節は微妙なんだ。だから、エドの言う『公共事業』みたいな形で、新人冒険者向けにそういう依頼を出したりするのさ。僕としても、現場の冒険者に接するいい機会になるし。……それに、護衛の騎士をたくさん連れて行くと、王都での滞在費が跳ね上がるんだ。その点、冒険者なら行き帰りの報酬だけで雇えるからね」
父さんがそう説明してくれる。
「ふーん……その時は、母さんから見て父さんはどうだったの?」
「お似合いの夫婦って感じで、憧れたねぇ。アルくんもカナンさんも、冒険者にも優しかったし」
「僕らも、士官学校時代に偽名で冒険者をやったりしてたからね。冒険者の苦労も少しは分かるつもりだ」
「でもそれだけに、ゴルハタの時はびっくりしたよ。戦争での道案内の依頼は、ギルドの高ランク冒険者は嫌う仕事なんだ。でも、アルくんのことは覚えてたから依頼を受けようと思ったの。でも、現場に行ったら、すごく冷たい感じのエルフさんがいてびっくりしたよ。そのエルフさんがアルくんなんだってわかって、もう一度びっくりしたねぇ」
「……そうか」
「人が変わったみたいだった。氷の貴公子って呼ばれてることも聞いてはいたけど、カナンさんのことまでは知らなかったから、最初は偉くなって変わってしまったのかと思った。
でも、雇われの冒険者にすぎないわたしをとっさにかばってくれたり、配下の騎士たちを気遣ったりしてるのを見て、やっぱり変わってないんだってわかって安心した。それで……そのぅ、この人の力になってあげたいって思ったんだぁ」
ジュリア母さんが少し頬を染めてそう言った。
「そう思ったら、開発途中だった《
「な……っ! ちょっと待って、ジュリア。っていうことは、あの時の《
「うん、ぶっつけ本番でしたぁ」
父さんが、顎が落ちそうなほど口を開きながら動きを止めた。
「で、でも、あの時ジュリアは、砦に近づければ『おっきいのをお見舞いできると思う』って」
「うん、だから、できると
母さんは直感型だから、できると思ったら多分できるんだと思うが、緻密に思考を重ねていくタイプの父さんからすると、今さらになって渡った橋の危うさを指摘されたようなものだろう。
父さんはそのまま凍りついたように固まってしまったので、槍の訓練はそのまま終わりとなってしまった。
「これじゃあ、《氷霜のアルフレッド》じゃなくて、《氷像のアルフレッド》だねぇ」
と言って母さんがドヤ顔を見せてきたが……そうしたの、あんただからな。
――こんな風にして、王都ですごす2年目も瞬く間に過ぎていき、俺はもう3歳になっていた。
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