79 追憶のアルフレッド(前編)

 1297年になり、僕の4番目の息子であるエドガーは、この2月で3歳になった。

 といっても、見た目は5歳児くらいの大きさだ。6ヶ月児の時のレベルアップによってエドは一気に3歳児くらいの大きさまで一気に育ち、その後も少しずつだが大きくなっている。

 実年齢0.5歳で3歳の身体、実年齢3歳で5歳の身体だから、急激なレベルアップで生まれた実年齢と身体年齢のギャップは、徐々にだが埋まっていく傾向にあるようだ。この分なら十歳になる頃にはやや発育が良い子どもという程度のギャップに収まってくれるのではないだろうか。

 僕は妻であるジュリアともども、そのことにホッと胸をなでおろしている。


 さて、上の3人――ベルハルト、チェスター、デヴィッドも、それぞれに非凡な子どもだったから、4人目が生まれる時には僕の側にもある程度覚悟があった。

 ジュリアからエドが生後半年にして魔法を使ったと聞いた時も、耳を疑う一方で「やはりか……」と納得してもいた。

 しかし初めての子どもがそうではジュリアは不安がるだろうと思って、僕は早馬を乗り継いで屋敷へと戻った。が、案に相違してジュリアは不安がるでも怯えるでもなくまったく普段通りの様子だった。前妻であるカナンは子どものことになると心配性で、子どもに問題が生じようものならすぐに不安定になるタイプだったのだが、ジュリアにはそんな様子は微塵もなく、むしろ動揺する僕をなだめてくれるくらいだった。


 しかし、それにしたって、4人目の息子であるエドガーは常軌を逸していた。

 なにせ、生後6ヶ月にして【念動魔法】を自在に操り、傭兵団〈黒狼の牙〉団長であるゴレスを、変則的ながらも1対1と呼べる状況で戦い、撃破しているのだから。

 いや、それだけではない。その後、暗殺教団〈八咫烏ヤタガラス〉に誘拐され、カラスの塒と呼ばれるアジトに監禁されながら、逆に内部からその組織を食い荒らし、最後には〈八咫烏ヤタガラス〉首領にして超一流の暗殺者であるガゼイン・ミュンツァーを、やはり1対1の状況へと持ち込み、撃破したという。

 〈黒狼の牙〉、〈八咫烏ヤタガラス〉は双方ともサンタマナ王国簒奪を目標として活動していたようだから、サンタマナ王国からすれば、エドは救国の英雄だということになる。

 しかし、表立ってそれを表彰するわけにはいかないので、その手柄は父である僕のものとなってしまった。そのせいで僕は英雄として祭り上げられ、護国卿などという大層な二つ名までもらってしまっている。

 少なからず、エドに対して後ろめたい。どのくらい後ろめたいかというと、他の貴族たちから嫉妬されたり「ハーフエルフの分際で」などと嫌味を言われたり逆におべっか追従の嵐に遭ったりするのがほとんど気にならないくらいだ。


 父親である僕から見たエドは、魔法やスキルに対する執念こそ目立つものの、ただ単に発育がいいだけの普通の男の子のように見える。ちょっと負けず嫌いで、頑固なところがある気はするが、異常というほどではない。人にも気を使えるし、思いやりもあるしで、よくできた子どもだと言って間違いはない。


 むしろ、僕にとっては、上の3人の息子の方が変わり者という点では際立っていたように思える。ベルハルトは武張った性格で正義感が強く、近隣のガキ大将のような存在だったし、チェスターは逆に孤独を好み、自然の中で弓の腕を磨くことに楽しみを見出していた。その結果が、近衛騎士団の《若き鷹》であり、Bランク冒険者二の矢いらずであるというわけだ。

 が、この二人はまだましな方で、いちばんの変わり者は三男のデヴィッドだろう。デヴィッドはとにかく頭の回転が早く、記憶力にも優れ、5歳で魔法を覚え、書斎の本を十歳までに読み尽くして、しかもその内容を半ば諳んじているようだった。まさしく神童としか言いようのない子どもで、早くも12歳の時に王立図書館から司書補の地位をもらうことになった。


 これに対してエドは、一見するとデヴィッドと同じように、魔法に興味を示し、書斎の本を片っ端から読んでいくという行動を取っているが、不思議と天才児という印象はない。

 エドの強みはむしろ、大人びた発想と経験を感じさせる柔軟な判断力の方にある。デヴィッドよりずっと早く魔法を習得し、デヴィッドより早く書斎の本に食指を伸ばしたが、それはデヴィッドのような天才的慧眼によるものではなく、エドが前世から引き継いだという知識や経験によるもののようだ。


 そう。エドガーは、前世の記憶を引き継いでいる。

 そのせいで、年齢よりずっと知識があり、異世界のものながら人生経験もある。

 その異世界の知識や経験から、驚くほど多彩なアイデアが飛び出してくる。発明や研究を生業とする者は、往々にして世間知らず、常識外れとなりがちだが、エドに関しては前世の経験がものを言うのか、奇妙に世故長けたところがあった。

 前世の記憶があると聞いて、驚くより先になるほどと思ったくらいだ。

 もっとも、エドは本来、共同作業よりは個人作業の方が好きというタイプだと思う。だから、エドの気配りや処世術は、前世で否応なく身につけたものなのかもしれない。エドの前世は、それだけ人が多く、また人と人との関わりが密だったのではないか、と僕は思っている。


「……父さん?」


 物思いに耽る僕を見て、エドが槍の型を止めて聞いてくる。


「あ、ああ……なんでもない」


 エドは、既に【槍術】をレベル7にまで上げている。

 はっきり言って、僕から教えられることなんてもうほとんど残ってない。

 去年、エドから槍を教えてほしいと言われた時は、これでようやく父親らしいことがやってあげられると喜んだのだが、エドは女神様から授かったというスキルのおかげで、常人離れした量の練習をこなし、あっという間に僕に追いついてしまった。

 しかも、前世でやっていたという「格闘ゲーム」とやらのおかげで、勝負の駆け引きについてはベテラン顔向けの嗅覚を持っている。


「最近じゃ、模擬戦でも僕と互角に近いね」

「いや、さすがに槍だけだったらまだ父さんの方が強いよ」


 と、エドは言ってくれるが、それはエドが成長するにつれて、教えているはずの僕まで【槍術】レベルが成長しているからであって、これではどちらが教わっているんだかわかったもんじゃない。


 というより、果たしてエドに槍が必要なんだろうか?

 父親である僕を立てて、教えを請うてくれているだけなのではないか、と思ってしまうこともある。


「そうは言っても、最近は同じような戦いの繰り返しになってる気がするね」

「それなら、達人級レベルまでの魔法を解禁して、槍の戦いに絡めてみる?」


 エドがそう提案してくる。

 ちなみに、達人級レベルまで、というのは、第三者に見られたとしても騒ぎにならないギリギリのラインのスキルを使う、ということだ。


「いいね。最近は【槍術】が上がったおかげで、氷霜を使うまでもないことが多かったからね」


 僕は、エドの立てた勲功の褒賞として、「古代火竜の廃巣窟」と呼ばれるダンジョンの所有権を得た。廃巣窟は人型の魔物が多いため冒険者には敬遠されているダンジョンだが、騎士たちの訓練にはちょうどいい。僕自身、配下の騎士たちとパーティを組んでダンジョンに潜り、スキルレベルだけではなくレベルも上げるようにしている。

 このおかげで、僕自身レベルが5つも上がった。配下の騎士たちも、目標だった「【暗殺技】で即死しない最低限度のHP40」を軒並み確保することができている。

 【鑑定】の使えるエドによると、僕の配下であるキュレベル騎士団は、近衛騎士団の最精鋭以外では匹敵する集団のない強力な騎士団となっているという。上に叛意ありと見なされてはたまらないから、その情報は絶対に口外しないように、とエドには念を押してある。

 なお、僕が団長を務める王室騎士団ロイヤルガードに関しては、僕の私兵ではないのでダンジョンでの訓練には参加していない。もっとも、王室騎士団ロイヤルガードになるような騎士は、元々レベルもスキルレベルも高い上、自己鍛錬を怠らない。わざわざ尻を叩かれなくても自分の課題を自分で見つけ、自分で解決していく意欲の高い優秀な騎士たちが集まっているのだ。


「じゃあ、行くよ」

「うん」


 僕が頷くと、エドは【雷撃魔法】と槍を絡めて攻め寄せてきた。

 金属製の槍では接触するだけでも感電と呼ばれる特殊な状態異常にかかってしまう。

 僕は槍に風をまとわせて、エドの槍に直接接触しないよう気をつけながらエドの攻撃を逸らす。

 と同時に、僕は【水精魔法】でエドの周囲に霧を生み、【風精魔法】を使ってその霧を急速に冷やしていく。

 しかしエドもまた、【風精魔法】を使って僕の霧を吹き散らそうとする。

 その【風精魔法】に、最近ジュリアから習ったばかりのイレイズを撃ちこんでエドの魔力を霧散させる。


「――えっ!?」


 エドが珍しく驚いた顔を見せる。

 その隙に僕は、


「地の精霊よ、我が敵を縛めよ!」


 【精霊魔法】でエドの足を拘束する。

 もちろんすぐに抜けられる程度のものだが、僕にとってはそれだけで十分だ。

 僕は槍に風雪をまとわせてエドの槍を絡めとり、無手となったエドに槍を突きつける。


「……参りました」


 エドが両手を上げてそう言った。


「ふふっ。驚いたかい?」

「うん。ジュリア母さんに習ったの?」

「そうだよ。たまには隠し球でも用意しておかないと、君が退屈しそうだと思ってね」

「父さんは何してくるかわからないから、退屈はしないけど。

 あ、でも、【精霊魔法】は伝説級だから、レギュレーション違反だよ?」

「しまった!」


 まさかの反則負けとなった僕はがっくりと肩を落とした。

 その僕を見て、エドがいたずらっぽく笑っている。


 うん、少し意地が悪いけど、悪くない笑顔だと思う。


 最近は元気を取り戻してきたけれど、〈八咫烏ヤタガラス〉から戻った頃のエドは塞ぎがちのように見えた。

 何に悩んでいるのかと僕が聞くと、「人の死について考えてるんだ」という答えが返ってきた。


 あいかわらず幼児の悩むことじゃない。

 エドに関しては万事がその調子ではあるのだが、他のこととは違って、この件については父親としては心配だった。

 暗殺者の集団の中で4ヶ月近く暮らしたことが、エドに何らかの影響を与えてしまったことは、どうやら否定できそうにない。

 いや、それ以前にしたって、生後半年でランズラック砦の防衛戦に巻き込まれ、〈黒狼の牙〉の団長を討ち取ってもいる。

 そうした経験が、まだ幼いエドの心にどのような影響を及ぼしたのかは、正直言って僕の想像を超えていた。


 それに、エドには前世の記憶がある。

 前世の記憶があることで、ランズラックや〈八咫烏ヤタガラス〉での経験を乗り越えられたと考えれば、輪廻を司る神アトラゼネク様にはいくら感謝してもしたりないくらいだ。


 しかし、エドが特殊であれば特殊であるほど、エドのことが想像できなくなってしまう。

 それなりに波乱はあったとはいえ、貴族としては突出したところのない人生を送ってきた僕には、エドの生い立ちは特殊すぎて、その心を理解するのが難しい。

 それでもエドのことを理解したいと思えば、僕自身の経験と少しでも重なる部分を丹念に拾っていくしかないだろう。


 人の死か……僕は5年前の出来事を思い出す。



 ◇


 ジュリアと出会って結ばれるまでのことは、嵐のような日々で、これからの生涯、これ以上の激動はないだろうと思っていた。

 ジュリアとの間に子どもが生まれ、半年が経った頃に、それに勝るとも劣らない激動に見舞われることになるとは思いもしなかった。


 その頃の僕は、端的に言って荒んでいた。

 最愛の妻を、病気で亡くしていたからだ。

 その頃にはもう、ベルハルトとデヴィッドはコーベット村の屋敷を出て、それぞれ近衛騎士団と王立図書館で見習いを始めていた。

 冒険者として活動を始めたチェスターがたまに様子を見に帰ってくるくらいで、コーベット村の屋敷にいるとあまりの静かさにいたたまれない気持ちになった。


 このような時、男の中には虚しさから逃れるように仕事にのめり込む者もいると聞くが、当時の僕にはそれだけの気力すら残っていなかった。

 領地について必要な決裁を行うほかは屋敷の自室に引きこもり、夜は目が冴えて眠れず、朝は頭痛がして起きられないという情けない日々を送っていた。


 そんな僕に、突然国王陛下から任命書が届いた。

 近いうちに、ランズラック砦の騎士を中心に一軍を構成し、ソノラート王国へと一撃を加える計画が発動されるという。

 その一軍の司令官には猛将として有名なファーガスン侯爵が任じられたが、国王陛下は僕にその副官となって随行するよう命じてきた。

 ファーガスン侯爵は軍事に明るい保守派の重鎮として知られているが、戦場においては頭に血が上りすぎることで有名だった。

 僕に期待されているのは、猛将ファーガスン侯爵に歯止めをかける役割だと、使者としてやってきた国王陛下の配下の騎士が説明した。


 まったくやる気にはなれなかったが、国王陛下の命とあらば拒むわけにもいかない。

 それに、おそらくこの人事は国王陛下なりの励ましなのだろう。

 ヴィストガルド一世陛下とは士官学校時代の同期で、当時は「俺・おまえ」「僕・君」と呼び合うほど気心の知れた仲だった。

 陛下が国王になられてからはその距離もやや離れた感じがするが、こうして僕の近況をつかんで気を遣ってくれているのはありがたいと思う。

 思うが……今の僕は、その気遣いに感謝するよりは、疎ましく思う気持ちの方が強かった。

 今はそっとしておいてほしいというのが、偽らざる僕の本音だったのだ。



 ◇


 訓練の休憩中に、


「そういえば、アルフレッド父さんとジュリア母さんって、どうやって知り合ったの?」


 と、エドが僕たちの馴れ初めを聞いてきた。

 たしかに、貴族である僕と冒険者であるジュリアとの間にはあまり接点がありそうもない。

 実年齢3歳にしてはずいぶん大人びた発想だが……今更驚くようなことでもないか。

 僕は、ちょうど思い出していた5年前の出来事を、エドに話して聞かせることにした。


「今から5年前、君が生まれる2年前のことだ。

 ソノラートの南部領主が同盟を結んで、ランズラック方面に攻め寄せるという事件があった。ゴルハタ地方がその舞台となったことから、ゴルハタ戦役と呼ばれている」

「……内戦状態のソノラートが、サンタマナに攻め込んできたの? それも、南部の領主だけで?」

「うん。その年はソノラート南部でいなごが大量発生して、穀物の収穫量が激減したんだ。

 一方、僕の治めるサンタマナ王国北西部は農業技術の革新によって豊作だった。戦線を維持できないほどに飢えたソノラート南部の領主たちは、過去の遺恨を棚上げにして同盟を結び、サンタマナへの侵攻を企てたんだ」


 キュレベル侯爵領――当時の子爵領は辺境だが、僕の代になってから農作物の収穫量が増え、穀倉地帯となった。僕としては、エルフである母の教えを元に農地を少しでも豊かにしようとしただけなのだが。

 しかし禍福はコインの裏表のことわざ通りに、この豊作が戦乱の原因となってしまった。


「南部領主連合軍は、当時は小規模だったランズラック砦へと通じる狭い峠を開削して大軍を送り込むつもりのようだった。峠の背後に拠点となる砦を作って兵力を結集しながら、連中は内戦の捕虜を動員して着々と峠を開削していく。サンタマナが向こうの動きを察知して兵力を結集するまでの間に、峠の開削はほぼ終了してしまった。

 だけど、兵数が集まらないのか、兵糧の関係か、連合軍はにわか作りの拠点に居座り、すぐに動き出す様子は見られなかった。

 事情はわからなかったが、これは好機だと思われた。連合軍が兵糧不足で身動きがとれないのなら、こちらからソノラートへと侵攻し、機先を制する形で連合軍を叩いてしまえばいい。サンタマナ王国軍を任された猛将ファーガスン侯爵はそう考え、ソノラートへの先制攻撃を敢行することにした……」



 ◇


 今回の遠征にサンタマナ王国が用意した兵力は3万。うち騎士は1万で、これはサンタマナ王国の抱える騎士の4分の1に当たる。他は徴募された兵士たちだ。

 僕自身も、自領から200の騎士と同数の徴募兵を集めてファーガスン侯爵の率いるサンタマナ王国軍に合流していた。

 事前情報では、ソノラート南部領主連合軍の数は1万から1万2千。敵軍は急造中の砦にこもっている。しかし、先遣隊からの報告によれば、この砦はサンタマナ王国侵攻のためににわかごしらえで作られたものであり、現時点ではまだ砦としての十分な機能を発揮できないだろうとのことだった。城壁の周りこそ石造だが、中の建物は大半が木造。しかも、資材の搬入の便のために、いまだ城壁の一部が空いたままだというのだ。

 サンタマナ王国軍からすれば、どうぞ攻めてくださいと言われているようなものだった。


 しかし……いくら何でもこれはない・・

 ソノラートの指揮官がどれほど無能であっても、周囲に1人でも軍略に通じた者がいればこれはマズいと気がつくはずだ。

 であれば、これは罠の可能性がある。


 ファーガスン侯は、一度は僕の諫言を容れて、砦への攻撃を見送ってくれた。

 すると、今度は敵軍が砦を出て、あろうことかこちらの本隊に向かって陣を敷きはじめた。

 ――守る側が砦を出て野戦をするだって?

 誰がどう考えてもおかしい。

 その上敵軍はこちらへ向かってさかんに挑発行動を取るようになった。火矢を射かける、罵声を浴びせる、さらにはファーガスン侯個人への悪口も。


「今はまだ様子を見るべきです」


 僕の言葉に、ファーガスン侯が激怒した。


「くどい! 敵軍は砦を諦め、破れかぶれの決戦に臨もうとしている。この状況が、それ以外の何だというのだ!」 

「たしかに、数では我が方が圧倒的に有利です。

 しかし、地の利は向こうにあります」


 僕はファーガスン侯を見据えながら言った。


「ふん……臆病風に吹かれたか、ハーフエルフ。

 そんなに心配なら、斥候隊を率いて物見に出ればよい。

 杞憂だと、思うがな」

「……では、そうさせていただきます」


 そう言って本隊から離れたのが、正午過ぎ。

 僕は斥候隊40を率いて、本隊の進路を偵察することにした。

 もちろん、用心のために森の中に入り、地元の木こりしか知らないという道なき道を進むことにした。そのために、道先案内人として、冒険者と旅商人を雇っていた。


 冒険者の名前はジュリア・ランスラット。

 膨大なMPと強力な火属性魔法で有名な冒険者だったが、僕の第一印象は「ふわふわした掴み所のない女」だった。


 そして、旅商人の方は、ビル・ポポルスという。戦火の舞うソノラートとの交易を手がけて大きな利益を得ていると噂される新進気鋭の商人だ。


 冒険者であるジュリアはもちろん、ポポルスさんも旅商人だから健脚だ。

 僕らは問題なく森の中を進んだ。


 そして、しばらく進んだところで、敵の伏兵らしき集団を発見した。

 やはり、と思った。

 この地点に伏兵がいるということは、敵の狙いはおそらく……。


 そこで、敵の斥候隊が迫っていることに気がついた。

 僕らは伏兵を大きく迂回して側方へと離脱する。


 急いで本隊へと伝令を立てるべき状況だったが、その時には既にサンタマナ王国軍の本隊は伏兵の待ち構える尾根の谷間に差しかかってしまっていた。

 ファーガスン侯は偵察に出た僕の帰りを待たずに敵本隊への攻撃を敢行したのだ。


 敵本隊はうろたえた様子で陣を乱し、砦の方へと逃げ出した。

 ファーガスン侯はこれを好機とばかりに追撃をかけ――尾根の左右に潜んでいた伏兵に挟撃された。

 見れば、それまでうろたえていたのが嘘だったかのように、正面の部隊も陣を整え、罠にかかったサンタマナ王国軍へと襲いかかる。


 ――3万にも及ぶサンタマナ王国軍が、あっという間に瓦解した。



 ◇


「引き三方という、有名な戦術があるんだ」

「引き三方?」

「まず自軍を3つに分け、両翼の軍を伏兵として待機させる。しかるのちに、中央軍が敵に一当てしてから偽敗走し、追撃を誘う。

 後は、わかるだろう? 勢いに乗って釣り込まれた敵軍は、突如として出現した伏兵に左右から挟撃されて大混乱に陥るというわけだ。

 追走中に陣形が縦に伸び切っているから、しかける側が寡兵でも数に勝る敵軍を撃破できる可能性がある。

 わざと引いて敵軍を懐に引き込んだ上で、左右の伏兵と、踵を返した中央軍とで三方から攻撃する。このことから、この戦術を引き三方というんだ」

「……釣り野伏せみたいなものか」

「ツリノブセ? そうか、エドの前世にも似たような戦術があるのか。人間の考えることは変わらないね。

 なかなか劇的な戦術で、戦記や戦史でもよく引き合いに出されるけど、実はそうそう使える戦術じゃないんだ。

 まず、伏兵を敵方に悟られずに潜ませられる特殊な地形が必要なこと。木立の密な山の谷間なんかが理想的だね。ただ、その場合にも伏せておける兵数には限りがあることを忘れてはいけない。

 次に、練度の問題だ。中央軍の偽敗走が、敵に追われるうちに本当の敗走になったなんていう笑えない先例もある。

 また、左右からの挟撃は、時に敵味方の入り交じる乱戦となる。そうなってしまうと矢や魔法が使えなくなり、兵種によっては戦闘に参加できない者が出てきてしまう。それに、同士討ちも起こりやすい。伏兵を潜ませる都合上、見通しの利かない場所や時間、天候等を選ぶからなおさらだ。

 最後に、偽敗走が見破られる可能性がある。所詮は演技だからね。冷静で経験の豊富な指揮官には見抜かれてしまうだろう。バレたら悲惨だ。僕が敵なら、追うと見せかけてどちらかの伏兵の背後から襲いかかり、しかるのちに敵の残存兵力を撃破する。要するに各個撃破されるってことさ。

 こういう、知ってさえいれば対処は難しくない戦術を知っておくことは、兵法を学ぶ利点の大きなもののひとつだね。己の策に没頭する軍師は危ういよ。相手の策を見破ることの方が、軍師の主要な仕事であると言われている」

「前世では『策士策に溺れる』って言ってたよ」

「それは至言だね」



 ◆


 ソノラート南部領主連合軍の引き三方によって、戦場となった尾根の谷間は乱れに乱れていた。

 圧倒的に不利な形勢ではあるが、ファーガスン侯は兵をまとめて食い下がっている。頭に血さえ上らなければ、それなりに優秀な司令官ではあるのだ。

 もともと、南部領主連合軍はサンタマナ王国軍に比べて数が少ない上、引き三方のために兵を3つに分けている。罠にかけたとはいえ、このまま壊滅に追い込めるほど王国軍は甘くはない。とはいえ、罠に落ちた現状、王国軍にできるのはただひたすら耐えることだけだ。

 結果として、戦場となった尾根の谷間は、両軍の部隊・兵卒が入り乱れる混乱状態が維持されたまま戦況自体は膠着するという厄介極まりない状態になっていた。


 そんな中で、僕の率いている斥候隊40などというのは、濁流に呑まれた木っ端に等しい。退却しようにも、合流すべき本隊自体が大混乱に陥っているのだ。戦うに戦えず、逃げるに逃げられない状況の中、僕たちは冒険者ジュリアとポポルス商人の先導でなんとかかんとか混乱の渦中から抜け出そうとしていた。


「もぅ~! だから言ったのにぃ!」


 冒険者が僕にそう噛み付いてくる。

 たしかに、この女冒険者は、独自の嗅覚でもってこれは罠だと繰り返し主張していた。

 僕も同意見ではあったが、軍の司令官は僕ではなくファーガスン侯なのだ。


「しつこいな! 僕にどうしろと言うんだ!

 騎士である以上、上がやれと言ったらやるしかないんだ!」

「それで死にかけてたら意味ないじゃない、この石頭!

 あなたって、見た目は若いけど頭はエルフの長老クラスね!

 もちろん悪い意味で!」

「なんだと!

 風来坊気取りの気楽な冒険者が好き勝手言ってくれるじゃないか!

 それから、君程度の冒険者がエルフの長老になんて会えるわけがないだろ!」

「失っ礼ねぇ!

 わたしはこれでもランクA冒険者なんですぅ!

 猪将軍の使いっ走りにされてる田舎貴族なんかよりずっと稼いでるんだから!」

「ふん! 冒険者がデカい顔をできるのは治安の悪い辺境国くらいじゃないか!

 伝統あるサンタマナ貴族を馬鹿にしたと、ギルドに報告してやってもいいんだからな!」

「おふたりとも、どうかその辺で……敵に見つかってしまいますぞ」


 僕たちは、実に心の温まる会話を交わしながら、森の中の道なき道をひた走る。

 40の斥候隊は、まだ無事なはずの本隊の後詰めへと合流すべく移動していた。

 走りに走った。

 さいわいにしてこちらには地形に詳しい2人がいる。

 僕たちはなんとか谷間を抜け、戦場の様子がわかる小高い尾根へと到達できた。

 尾根は本隊の後詰めのいる方向とは逆側で、むしろソノラート側に入り込んだ位置だったが、戦場からは少し距離があり、敵兵の姿はなかった。ここからは建築中の砦を見ることができるから、敵に動きがあればすぐにわかる。

 休憩を命じると、斥候隊の騎士たちは精魂尽き果てたようにへたりこんだ。


「……で、どうするのよぉ?」


 小生意気な女冒険者が僕のことをジロリと睨む。

 ここまで走ってもバテていない体力は、さすがAランク冒険者ではあった。

 ポポルスさんの方は途中で意識を失ってしまい、部下に担がせてこの場まで連れてこさせている。


 僕はジュリアという女冒険者の言葉を冷然と無視して、集合している斥候隊の人数を確かめていく。

 40いたはずの斥候隊は、半数の20にまで数を減らしていた。

 討ち取られたのではなく、途中で脱落し、はぐれてしまったのだ。


 僕が厳しい顔で騎士たちを眺めていると、無視された冒険者が言ってくる。


「……あなた、氷の貴公子なんて呼ばれていい気になってるんだって?」

「……いい気になどなってないよ」


 実際に、社交界ではそのように呼ばれているらしいが、僕は妻を亡くして以来、その類の集まりには顔を出していない。

 いや、妻がいた頃ですら、ハーフエルフ嫌いのいる貴族たちの集まりにはあまり顔を出さないようにしていた。


「その冷たさがいい! なんて女の人もいるんだから、イケメンは得よねぇ」


 しつこく、女冒険者が絡んでくる。


「うるさい。君だって黙っていれば十分美人の部類だろう。

 冒険者どもにちやほやされてるからって付け上がるな」

「あら、褒めてくれて光栄だけど、べつにちやほやはされてないなぁ。

 むしろ一歩引かれてる感じ?」

「僕に聞かれても知らない。

 が、そんなに勝ち気では男も近寄りがたいだろう」

「べつに近寄ってほしいわけでもないしねぇ。

 あなただってそうでしょ?」

「僕? ……まあ、そうだね。もう、失うのはこりごりだ……」

「失う……?」


 不審そうにつぶやいた女冒険者が、はっと顔を上げた。


「氷さん」

「わかってるよ、火女」


 僕が周囲の騎士たちに警戒を呼びかけようとした瞬間、がさりと正面の藪を割って、数人の兵士が現れた。兵士のつけている部隊章はソノラートのものだ。

 兵士の一人が狼狽しながら叫ぶ。


「くっ!? 敵か!? 構えろ!」


 兵士たちが剣を抜き、僕たちへと斬りかかってきた。


 兵士たちは、かなりの手だれだった。

 ここまで駆け通しで疲労していた騎士たちは、二合と打ち合うことができず討ち取られていく。

 僕は疲れた身体に鞭を打って槍を握り、兵士たちを迎え撃つ。


「ポポルスさんは僕の後ろに!」


 旅商人に声をかけつつ、僕はリーダーらしき兵士へと突きかかる。

 ところが、この兵士が強かった。僕は【槍技】をカンストさせ、【槍術】を手に入れているくらいには槍が使えるが、この兵士もおそらく【剣術】のスキルを持っている。

 間合いの差で槍の方が有利ではあるが、決して油断の出来る相手ではない。


 ――こんな手だれがどうしてこんな位置に?


「くそっ! 手強い……!」


 敵兵がそう毒づきながら大きく飛び退き、僕から距離を取った。

 敵兵は他の兵士に何かを命令しようとしたようだが、


コンセトフレイム――《フレイムランス》!」

「ぐぁっ!」


 兵士の隙を見逃さずに攻撃魔法を放ったのは、女冒険者だった。

 リーダーが倒されたことで他の兵士たちが動揺する。


「逃すなッ!」


 僕は配下の騎士たちに号令した。

 この兵士たちには、何か目的がありそうだ。

 見事に引き三方を決めてきた敵の司令官が、意味もなくこんな場所に兵を送るとは思えない。

 その目的をこいつらから聞き出すことができれば、敵の次の手が読めるだろう。


 とはいえ、精鋭らしい兵士たちの相手は、配下の騎士たちだけでは辛そうだ。


「冒険者! 手伝え!」

「冒険者じゃなくてジュリアですぅ!」


 文句を言いながらも女冒険者は得意の火属性魔法で騎士たちの援護に回ってくれた。

 僕が騎士たちを指揮して兵士たちを取り囲ませると、さすがに不利を悟ったか、兵士たちが投降する。


「ふぅ……びっくりしたぁ」


 女冒険者が安堵のため息を漏らした。

 しかし――


フレイムスプレド――《ファイヤーボール》!」


 いきなり、木立の奥から火球が飛んできた。


「――ッ! 危ないっ!」


 僕はとっさに女冒険者に飛びつき、地面を転がって火球の着弾点から遠ざかる。

 火球は僕らのいた辺りに着弾、炸裂し――


「ぐっ……」


 僕の背中が、膨れ上がった炎に炙られた。


「氷さん!?」


 僕に抱えられたままの女冒険者が声を上げる。


 僕が指示するまでもなく、騎士たちが火球の飛来した方向へと殺到し、木立の奥で敵の魔法使いが悲鳴とともに討ち取られた。


「――ご無事ですか!?」


 騎士の一人が僕に駆け寄ってくる。


「だいじょうぶ……炎を浴びたのは一瞬だけだ……って、っ!」


 起き上がってみると、背中に激しい痛みがあった。

 どうやら、《ファイヤーボール》が着弾点にあった岩を爆砕し、その岩の欠片が僕の背中に当たったらしい。


「氷さん!」

「大丈夫……だって。ただの打ち身だろう」


 残念ながら斥候隊に【治癒魔法】の使い手はいない。

 今しばらくは我慢しておくしかないだろう。


「……どうして、わたしをかばったの?」

「ふん。君の考えてるような理由じゃないよ。身体が、勝手に動いただけだ」

「臨時雇いの冒険者をかばって怪我するなんて、氷さんは指揮官失格ねぇ。

 でも、ありがとう」

「どういたしまして。僕も君の魔法に助けられた。

 ……被害は?」


 僕は騎士に問いかける。


「5名ほどやられました」

「そうか……」


 ――僕の油断で5名が死んだ。

 騎士たちの疲労度合いを見て限界だと思い、短い間だけでも休ませようと思ったことが裏目に出た。むりやりにでも見張りを立てていれば、敵兵を発見できたかもしれなかったのに。

 人の死は、今の僕にはひときわ辛い。

 どうしても亡き妻――カナンのことを思い出してしまう。


「……氷さん、氷さん!」


 気が付くと、女冒険者が心配そうに顔を覗きこんできていた。

 女冒険者の顔とカナンの幻影とが一瞬だけ重なって見えてしまった。

 僕は幻覚を振り払うように首を振り、女冒険者に答える。


「……ああ、すまない。ぼぅっとしていた」

「本当に大丈夫?」


 心配そうに言ってくる冒険者から顔をそらし、騎士たちに周辺の哨戒と警戒とを命じる。

 無視された格好になった女冒険者が頬をふくらませた。


「……アルフレッドだ」

「え?」

「僕の名前だ、ジュリアさん」

「……え?」


 言葉に詰まり、首を傾げる女冒険者――ジュリアさんに背を向け、僕は先ほど投降してきた敵兵を尋問するよう、騎士へと命令を下した。

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