第五話 宿屋の看板娘サーシャ

 一軒の木造建築の前でマルヴァスさんが足を止めた。軒先に掲げてあるランプの灯火が、仄かに建物の輪郭を映し出す。どうやら二階建ての、結構大きな家らしい。

 マルヴァスさんはノックをするでもなく慣れた手付きでドアノブを掴み、無言かつ無造作にそれを押して開ける。蝶番が軋む音が薄闇の中で鋭く響いた。


 「あら……? 旦那! 久しぶりじゃないか!」


 複数のランプで照らされ、外とは比べ物にならないくらい明るい屋内。その奥にあるカウンターと思しき区画から、恰幅の良い中年の女性が身を乗り出すように僕らを迎える。


 「やあシラ。部屋の空きはあるかい?」


 「分かりきったことを訊くもんだねぇ。ウチなんて、お客が居る時より居ない時の方が多いってのに」


 シラと呼ばれたその女の人は、自虐する風でもなく豪快に笑った。


 「二人、今晩泊めてくれないか? 日中歩き通しでヘトヘトなんだ」


 「あいよ。そっちの……坊やと二人だね? 別々の部屋にするかい?」


 一瞬迷ったな。それでも見てくれで男だと分かってくれたのは良かったが。

 そうさ、もう高校生なんだ。いくら童顔でも体格で性別くらい分かる。マルヴァスさんの言う通り、あの兵士さんだって僕をからかって言っただけだ。断じて、本気で女だと思われたんじゃない!


 「良いのか? こちらとしてはありがたいが」


 「どうせ今夜も他にお客さんなんて来ないだろうしね。ガラガラの部屋を余らせておくよりマシさ」


 「あ、あの〜……それって料金の方は……?」


 僕はふと不安になり、横から口を挟んだ。

 お金も何も持っていない僕としては、当然ここもマルヴァスさんの厄介になるしかない訳で。もし同室より値が上がってしまうなら、辞退を申し出ておくのがせめてもの筋というものではなかろうか?


 「あっはっは! 細かい事気にするんだねぇ坊や! 宿泊費は変わらないから心配しなくて良いわよ!」


 「いつも助かる。それじゃこれ、差し当たり二人で三日分頼む」


 マルヴァスさんはジャラジャラと袋を鳴らして、中から数枚のコインを取り出し、カウンターの上に静かに並べた。野趣のある格好に反して、何処と無く優雅さを感じさせる仕草だった。


 「あいよ、確かに。……サーシャ! お客様をお部屋に案内してあげて!」


 コインの枚数を数えたシラさんが、カウンターの奥を振り返って甲高い声を張り上げる。

 すると、待ってましたとばかりにそこからヒョコっと誰かが顔を覗かせた。


 「はーい! 今行きま〜す!」


 快活そうな笑みを浮かべ、元気よく奥から飛び出して来たのは、僕より少し年下と思える女の子だ。亜麻色の髪を肩の辺りで切り揃え、ロングスカートで身を包み、板張りの床をドタドタと大きな音を立てて駆けてくる。


 「こらサーシャ! 家の中を走り回るなっていつも言ってるでしょ!」


 「はいはいごめんなさ〜い。さっ、それじゃ二人共、あたしに付いてきてね〜!」


 全く反省した様子もない口調で女将さんの小言を聞き流すと、サーシャと呼ばれた少女はにっこりと完璧な営業スマイルを浮かべて僕達を案内する。かと思うとこちらの返事も待たず、さっと二階へと続く階段へ足をかけ、そのままどんどん上がっていってしまう。


 「……あ! ま、待ってよ!」


 僕は慌てて後を追う。背後から「やれやれ」という二人分の呆れ声が聞こえてきた。








 「はい、それじゃキミの部屋はこっちね」


 「う、うん。ありがとう」

 

 二階には左右に分かれて向かい合った部屋がいくつもあった。僕の部屋は、廊下を挟んでマルヴァスさんの向かい側だ。

 僕は部屋の中を見回してみた。簡易なベッドと文机らしきもの、それ以外は天上から吊り下げられたランプがあるだけだ。他には何もない。

 正直、少し淋しいなと思わないでもなかった。けど勿論、贅沢なんて言えない。泊まれるところがあるだけでもありがたい。女将さんもいい人そうだし。


 「荷物を置いたら下に降りてきてね。夕食にするから」


 「うん、分かった。まあ荷物と言ってもマルヴァスさんから預かったこの提げ袋くらいしか……って、夕食?」


 「そうだよ、ウチは朝夕二回の食事付き! 客室が殺風景な分、そっちのサービスは充実してるんだよ!」

 

 僕の心中を見透かしたように、サーシャは腰に手を当て「エッヘン!」とふんぞり返る。

 明け透けな娘だが嫌味を感じさせない。僕は苦笑いを浮かべて返事をする。


 「別に不満があるとかじゃないけど、食事の世話をしてくれるのは確かにありがたいね。実を言うともうお腹ペコペコなんだ、すぐに降りるよ」


 マルヴァスさんから貰ったクッキーはとっくに消化されている。僕の胃は新たなエサを求めてさっきからキュルキュルと細かい悲鳴を上げていた。そんなに大きな音じゃないのでサーシャには気付かれていないと思うが、少し気恥ずかしい。


 「……って、サーシャ……さん? まだ、何かあるのかな?」


 提げ袋を肩から降ろして床に置いていると、ふとサーシャがまだ僕の方を見ている事に気付いた。


 「ふふふ」


 訝しむ僕に、彼女は不敵な笑みで応えた。両手を後ろに組んで、ずいっと上体を乗り出すように僕の顔を覗き込んでくる。


 「な、なに?」

 

 挑発的なポーズに、僕は思わずドギマギしてしまう。心の中で身構える僕に頓着せず、彼女はしれっと言った。


 「あなた、この国の人じゃないでしょう?」


 「へっ!?」


 「眼の色が違うわ。ダナン王国の人は大抵、渋い青か淡い緑の瞳をしているの。けどあなたのは茶色がかった黒に近い色よ」


 「め……目の色くらいで短絡的だな。多いってだけで国民全部がそうじゃないだろ? 僕みたいな色の目をした人だって少なからずいるよ。現に僕と一緒に居たマルヴァスさんの目だって、渋いというより透き通った青色だったじゃないか」


 「そうね、全く居ない訳じゃない。でもね、目だけじゃないの。あなたの仕草ひとつを取ってみてもそうだし、喋る“アシハラ言葉”にも王国の訛りがないわ」


 「アシハラ言葉?」


 「知らないの? 私達の話す言葉よ。ダナンやソラスといった人間の国は勿論、エルフやドワーフにオーク、帝国だってすべて同じなんだから」


 「全世界の共通語なの? へぇ〜、初めて知った…………あっ!?」


 そこでようやく自分の失言に気付く。サーシャはニンマリと勝ち誇るように眦を下げ、口の両端を吊り上げる。可愛い顔が台無しだ。


 「アシハラ言葉を知らないなんて、普通はありえないわ。田舎娘の私ですら、自分が話す言葉の名前くらい知ってる。あなただって、こうして話してみる限り馬鹿丸出しの野蛮人とはとても思えない。それなのに、どうして?」


 「い、いやいや、僕の住んでた地域では“アシハラ言葉”なんて呼んでなかったんだよ。こ、これは日本語って言って…………」


 ……あれ? すごく今更だけど、そう言えばこの国って、普通に日本語が通じている? あまりにも言葉でのやり取りに違和感が無さ過ぎて、今の今まで全く気付かなかった。

 ハッとなって絶句する僕の様子をどう捉えたのか、サーシャは畳み掛けるように言った。


 「ニホンゴ? それこそ聞き覚えがないわね。風土も、文化も、それぞれの国や民族で違うけれど、アシハラ言葉だけはどの種族でも共有している筈よ。知らないのはそれこそ異端者か…………」


 そこでサーシャは言葉を溜め、大きな瞳で射抜くように僕を見据えた。


 「“渡り人”くらいでしょうね」


 「わたり、びと……!」


 「伝説よ。別世界からの来訪者、もしくは女神様が遣わされた救世主。……まぁ、今じゃ寝る前の子供に語って聴かせるコテコテのおとぎ話に出てくるような存在だけどね」


 「……………………」


 マルヴァスさんは、今の世間では“渡り人”の存在を知る人は少ない、と言っていたけど、伝説自体は一般人の間でも結構浸透しているらしい。

 まずい、まずいぞこれは。僕が“渡り人”だとサーシャに確信を持たれて、それがこの街の人々に広められたら、余計な面倒を招くことになるかも知れない。日本に帰る方法を探すためなら注目を集めるのも悪くないのかも知れないけど、恩人に迷惑を掛けるのは避けたい。

 どうにか誤魔化せないものかと冷や汗をかきながら頭を捻っていると、不意にサーシャは目から力を抜いて表情を緩めた。


 「……なんてね」


 「……へっ?」


 「流石に“渡り人”ってのは出来すぎだよね。伝説の中だと、彼らはみんなとても強い魔法使いだったらしいから。キミがそんな凄いヤツだとはとても思えないし」


 「なっ!? きゃ、客に言うことかよ!? 失礼だな!」


 「あはは、怒った? ゴメンゴメン、キミってなんか可愛いからついからかいたくなっちゃって。謝るから許してよ」


 サーシャは片目をつぶってぺろりと舌を出す。腹の立つ仕草が中々様になっていて余計に癪だ。


 「いつも泊り客にこんな悪ふざけを仕掛けているの?」


 「まあね。こんな寂れた宿だから、たまにお客さんが来ると嬉しくなって、思ったことがついつい口に出ちゃうの。気を悪くした?」


 「そうじゃないけど……良くないクセだと思うよ」


 「直そうとはしてるんだけどね〜。この歳までこんなんだから、きっと直らないだろうね」


 「……………………」


 この宿に客が少ないのは、半分くらいこの娘に原因があるんじゃないだろうか? 本人に悪気はないのが救いだが。


 「でもね」


 と、サーシャの目に再び好奇心が満ちる。


 「キミに興味があるのは本当かな〜。よかったら後でお話聴かせてよ。夕食にちょっとしたサービスも付けるから」


 「……分かった、実を言うと僕もこの国に来たばかりで知らない事が多いんだ。色々と教えてくれると助かるんだけど」


 「やった! 交渉成立! それじゃ、また後でね。」


 満足げな微笑みを残して、サーシャの姿は廊下の向こうへと消えた。

 僕は大きな溜息を吐き、壁に寄せられてある粗末なベッドへ身を投げだした。なんだか、どっと疲れた……。


 「父さん、今頃どうしてるかな……?」


 天井を見上げながら父の事を思い出す。いつも帰りが遅いし、きっとまだ仕事してるんだろう。家に帰って、僕が居なくなっているのに気付いた時、あの人はどんな反応をするんだろう。

 

 兄さんの時みたいに、また…………。


 「……早く帰らなくちゃ! なだめるのも大変だし!」


 ベッドから跳ね起きて、面倒事を片付ける時のような感覚で自分に気合を入れる。

 焦るな、焦るな、と心の中で繰り返しながら……。


 「あ、そう言えば……」


 と、僕はふとさっきサーシャが言っていた事を思い出した。


 「“渡り人”って、魔法使えるのか。っていうか魔法あるのか、この世界……」


 思い返せば、マルヴァスさんもそんな事を言っていたような気がする。異世界からの来訪者である“渡り人”は、『魔』の力を操る術に長けているとかどうとか。

 これまで一度もそれらしい不可思議な力なんて目にしなかったからイマイチ実感がない。ファンタジー小説や漫画やゲーム等は人並みに触れてるし、知識もそれなりにあるつもりだったけど、実際に自分がそれらの主人公と似たような立ち位置に立たされても、俄に気が大きくなったり身の丈に合わない夢想を思い浮かべたりはしないものらしい。

 

 紙やモニターの中に描かれる世界と、現実に目で見て、手で触れて、足で踏みしめる事の出来る世界というものは、どうもやっぱり違うみたいだ。


 「これも、後でサーシャやマルヴァスさんに訊いてみるかな。せめて最低限、自分の命くらい自分で守れるようにならないと」


 本当に僕に魔法が使えるなら、今後きっと役に立つだろう。あの異形のオオカミみたいな怪物だって、自力でどうにか出来るようになるかも知れない。


 「……いや、出来るようにならないといけないんだ、マルヴァスさんに恩返しするためにも」


 握りこぶしを固めて、僕は決意を新たにした。

 とにかく、今の目標は二つ。

 ひとつはもちろん、元の世界に帰る方法を探すこと。

 そしてもうひとつは、この世界で生き抜く力を身につけることだ。

 そうだよね?兄さん、姉さん……。

 僕は、ペンダントを首から外して目の前で掲げた。

 チャームを開けると、幼い僕を挟んで二人の男女が笑っている写真が入っている。

 血を分けた兄と、幼馴染で姉代わりだった人。

 僕にとって、一番大切な人達。


 「うぅ…………」


 目頭が熱くなる。泣くまいと堪えたが、一筋の涙が頬を伝ってベッドに落ちた。

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