第三話 荒廃した大地
森を抜け、マルヴァスさんに従い街道に出て北上すること数時間(体感で)。
気付くと、周囲からは豊かな緑の色彩がごっそりと減り、砂と土ばかりの淡白な風景に変わっていた。
どれ程の距離を歩いたんだろう?頭の片隅でその疑問がよぎりつつ、僕はひたすら機械的に足を前に出していた。
「疲れたか?」
前を歩くマルヴァスさんが、足を止めて振り返る。途端、遠くなりかけていた意識が戻ってきた。慌てて愛想笑いを浮かべる。
「いえまさか、まだまだ余裕ですよ」
「もう少し辛抱してくれ。日没までにマグ・トレドに着かないと、今夜の宿は原野でとることになる」
マルヴァスさんの視線を追って、僕も西の空へ目を向ける。まだ角度は浅いものの、既に陽はそちらへ傾いている。
「そのマグ・トレド、ですか? マルヴァスさんの言う街まであとどれくらいでしょう?」
「大分近づいてきたぞ、あの丘を越えれば見えてくる」
つまり、まだしばらく歩き続けないといけない訳ですね。僕は溜息を吐きたくなるのを堪えた。
家を出てからというもの、ゆっくり腰を落ち着ける暇がない。単に軟弱なだけかも知れないけど、身体は正直なもので、節々から休息を求める声が疲労感となって上がってくる。
無論、命を救われ、その上水や携行食まで分け与えてくれたマルヴァスさんに対して、ワガママなど言えよう筈もない。どだい疲れていても、面に出さないようにしなければ。
あのクッキーみたいな携行食、美味しかったなぁ……。濃い甘みを含みつつも舌に媚びない味で、食感もサクサクしてて……。
昔、お隣のナミ姉さんからご馳走された手作りクッキーを思い出したよ。
もっとも、姉さんの本命は兄さんで、僕は毒見役兼実験台だったんだけどね……。
懐かしい思い出に現実逃避していると、ふとマルヴァスさんが怪訝そうな目でこちらを見ているのに気付いた。
再び慌てた僕は、取り繕うように話を振った。
「そ、そう言えばこの辺って、随分と荒れ地になってるんですね! さっきまでは結構自然豊かだったのに……!」
「あァ、そうだな。戦闘の傷跡がまだ残っているんだろう」
「……へ? 戦闘の傷跡、ですか?」
しれっと飛び出た物騒な単語に、思わずオウム返しをしてしまう。
「十年くらい前だ。北方に位置するフォモール帝国が、突如大陸の全ての国々に侵攻を開始したんだ。マグ・トレドは国境に近かったんでな、攻め込んできた帝国軍と熾烈な戦いを繰り広げたんだ」
「戦争が、あったんですか……?」
「我が国だけじゃない。古くからの友好国である北西のソラス王国は瞬く間に首都陥落の憂き目に遭い、東にあるエルフやドワーフの国々も甚大な被害を被った。帝国軍は強力無比の精鋭揃いだったからな。何より、あれだけの戦線を抱えて、兵站を維持出来ていたのが恐ろしい」
「それで……どうなったんですか?」
漫画やゲームで見たような、エルフやドワーフという単語にも心惹かれるものがあったが、それ以上に戦争の結末が気になって僕は尋ねた。
「五年もの間、大陸のあちこちが戦火に包まれた。圧倒的な物量と質を誇る帝国軍に対し、残った全ての国々が同盟を組んでこれに対抗した。やがて、流石に無理が来たのか帝国軍の勢いは衰え、連合軍側が有利となった。最後の決戦は大陸の中央、ヒメル山の麓で行われ、大激戦の末帝国軍を打ち破った。そこでようやく講和会議にこぎ着け、長く続いた戦争を集結させられたんだよ」
「……マルヴァスさんも、参戦なさったんですか?」
「…………ああ、王都での徴兵に応じて、俺も戦地に立った。マグ・トレドへの援軍としてな。戦争が終わった後は兵役の任を解かれたが。十六の歳を迎えた直後だったな」
「じゃあ……」
「そうだ、丁度今のお前くらいで初陣を迎えたんだ。同じ釜の飯を食って笑い合っていたヤツが、翌日には冷たい骸となって野辺に打ち捨てられるなんてザラだった」
「なんというか、凄まじいですね……」
「悪夢のような五年間だったさ。終わった後に残ったのは、夥しい屍と荒れ果てた国土だけ。喪ったものばかりで、得たものなんて殆ど無かったんだ」
「………………………………」
僕は周りを見渡し、足元に視線を落とした。
この大地にも、敵味方問わず多くの兵士が倒れ、その血が染み込んでいる。
日本人の僕にとって、戦争というのは如何にも遠い存在だった。教科書や本、テレビやネット等を通して間接的に見聞きする事しか出来ないものだ。
ところがこの世界では、当たり前のようにそれが身近に存在して、ふとした拍子にいともたやすく人の命を奪ってゆく。
森で出会った異形のオオカミだけじゃない。ここは常に、死と隣り合わせの世界なんだ…………!
「ほら、あれがマグ・トレドだ」
丘の上に立ったマルヴァスさんが、彼方に見える城壁に囲まれた街を指さした。外周には、物見櫓と思しき塔状の建物もいくつか建っている。ああいうのって城郭都市って言うんだっけ?
「堅牢な守りを誇る、我が国随一の要塞さ。帝国軍との戦では、初戦こそ野戦を仕掛けて敗れたが、その後はあの都市に籠城して、援軍が来るまで守りきったんだ」
「へぇ…………!」
「城壁の中に敵兵を入れた事は一度も無いって話だぜ。……まあ、周囲の農村は尽く荒らされ、焼かれてしまったが。それでも避難してきた農民達は全員保護して、市民と同様に敵の指一本触れさせなかったって話だ」
「心強いですね、あの中にいれば安全だって思える」
「何よりも優先して領民の生命と財産を守る。あそこの領主は、それが自分の使命だって自覚しているからな」
マルヴァスさんは腕を組み、何処か誇らしげに笑みを浮かべる。ひょっとして、領主と知り合いなんだろうか?
「さ、急ごう。夜になると検問が閉じられてしまう」
「あ、はい!」
訊くタイミングを逃してしまった。さっさと歩みを再開したマルヴァスさんの後を、僕はひたすら付いて行く。
そろそろ、空が朱色に染まろうとしていた。
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